1面 エクストラステージ 雨と700円。
1-3の後の雨川視点です。
※シリアス回です。
『今日みんなと食べてて、雨川君がいないのは寂しいなと思ったよ』
電車に揺られる中、先ほどの永嶋さんの言葉を思い出して優しい気持ちになる。
彼女を部活に誘って良かったと、心から思った。
高校二年のクラス替えで、新しい人が集まった教室の片隅。
やたらと食べ物を口にする女の子が居るなと思ったのが、永嶋さんを知ったきっかけだった。
「奏君! 一緒にご飯食べよぉ」
昼休みに入れば、いつものように複数人の女子が寄ってきた。
僕はそれを断ることもなく、一緒に食事をする。
小さなお弁当箱や、コンビニで見かける二切れワンセットのサンドイッチなど、女の子らしい量が彼女達の前に並べられる。
僕の周りで、色とりどりの爪が煌いて、グロスの光る唇の奥に食べ物が入っていく。
数人の友人達と共に食べている永嶋さんの机の上には、大きなお結びが二つ机の上に置いてある。その横に置いてあるA4サイズのお弁当箱にも、ぎっしりおかずが詰めらていた。あと、彼女の手にも、一つお結びが収まっている。
女子が食べるにしては異常な位の量だと思う。
小さな口で、少量を食べている周りの女子と比較すると、よりそれが際立つ。
しかも、お弁当を食べ終わった後も、鞄から出てきたお菓子が次々と彼女の口の中に消えていった。
だけど、そんなに美味しいのか、永嶋さんの幸せそうに食べる姿は見ていて飽きない。そして、小さな体では考えられない食べっぷりに目が奪われてしまう。
食べるといっても体は細く、小さな顔に大きな瞳が印象的だ。血色のいい唇から出てきた赤い舌が、口の端についたチョコレートを舐める。それすら美味しいのか、にこりと笑った。友人に弄られてクルクル変わる表情も可愛らしい。
4月当初、同じ光景を目にしたクラスのみんなが、彼女を取り囲んで驚いたり賞賛したりを繰り返し、瞬く間に彼女は、クラスの人気者かつマスコットキャラクターの位置に納まった。
5月になり行われた席替えで、僕は彼女の左隣の席になっている。
彼女は、多くの友人から「ナナ」と呼ばれていた。
本来の名前ではないらしく、不思議に思ったが、当時の僕の中の彼女と言えば、ほどほに興味はあるが、そんな疑問を他の人に聞くまでもない程の存在だった。
幼い頃から人より見た目が良かった僕の周りには、女性の存在が常にあった。
嫌いではないが、好きでもない。寄って来ても拒みはしないが、追いもしない。女性というのは、そんな存在だ。こうして昼休み集まってくる女子や、部活で触れあう女子と同様に、永嶋さんも少し気にはなるけれど、別にどうでもいい人の一人だった。
だから、彼女と話をしていた友達にあだ名の理由を尋ねてみたのも、ちょっとした気まぐれからだ。
なんでも、学校に着て行った服に『700円の値札』がついていた事が由来らしいが、こんなに可愛い子が700円なら直ぐに買うだろう、と考えてふと思った。
今僕が入っている部活は純粋な人数で行くと四人しかいない。そのうち二人が三年生だから、部員の勧誘をしなければならなかった。
入部したいという女子は声を掛けなくても多くいた。それは、「雨川枠」に当てはまる子達だ。男はというと、料理に興味があるヤツがそもそも少なかったし、女子を求めて入部……という話しになると「雨川枠」という、まぁ、ちょっと特別な子達しかいないので、部員集めには役立たなかった。
という訳で、部員は全く集まっていかない。
しかし、目の前の彼女はどうだろう。
雨川枠のような女の子特有の僕へのアプローチもないし、食べることはとても好きそうだ。部活も入っていないと聞いているので、永嶋さんなら適任じゃないだろうか。
買出し時の部員の人でも足りないし……。
「買い物に行ってもらったり、荷物持ちとかしてもらうんだけど」
思ったままを口にし、彼女の友人が『食べ物で買収されるかも』と言った言葉と、『700円』を掛けて、先日購入した値段の高いチョコレートを取り出した。
「永嶋さん、あーん」
僕がいうと、素直に目をつぶて口を大きくあける。
雛に餌をやるというのは、こういう気持ちなのだろうか。
なんだか、楽しい。
口にチョコレートを入れてあげれば、それは美味しそうに食べてくれた。
「どういたしまして。それ一粒千円なんだよ」
お礼を言われてそう告げると、納得したという顔をする。
美味しいと感じることが出来る彼女は、味覚が良いのかも知れない。
なお、部員として適任だ。
あとは言葉巧みに部活動に誘い、入部届けも書かせて、無事部員獲得となった。
誰とでも仲良くなる彼女は、部員のみんなにも受け入れられたようで安心した。本人も楽しかったようだし。
電車が目的地に着いたことを告げるアナウンスが流れた。
入部届けに書かれた彼女の名前を見て、その由来を聞いた。
子供達に色を表す字が付けられているそうで、色のイメージと橙という果実が、縁起もよく永久にという意味があるからと言っていた。
しかし、僕が彼女はナナという名で呼ばれていることを部員のみんなに話せば、あだ名で呼ぶ様になった。
僕は、橙子がいいと思う。
優しい気持ちにさせてくれる彼女を表しているようで、好きだ。
親しくもないのに名前で呼ぶのは憚れたので、「永嶋さん」と呼ぶけれど。
もう一度、彼女の言葉を思い出だす。
……彼女ともう少し時間を過ごせるだろうか。
願わくば、そうであればいいと思い、駅の改札を抜けて家までの道のりを穏やかな気持ちで歩いて帰った。