召喚の代償
「泥棒だ!」
昼下がりの王宮で、店主の叫び声が木霊する。店から勢いよく飛び出してきたのは黒いフードで顔を隠した男。彼の名前はバースノーム。良く目立つ金色の髪をしており、両腕は丸太の様に大きい。彼は以前、王宮に勤める使用人だったが、あまりの態度の悪さに国王直々にクビを宣言。無論、国王の命令は絶対であり、彼がルナリスで再び仕事に就くことは無かった。
住む場所を失い、浴びるように酒を飲み始めたバースノーム。元から少ない貯金だったので、あっという間に金は底を尽き、ひもじい極貧生活に耐えかねたバースノームは盗みを働いたのだ。
彼が盗み出したのは暗黒召喚の書・最上級だ。弱き者は見るだけで魔力を吸い取られると言われており、いかに屈強なバースノームと言えど、この書を手に取った時は畏怖の念を感じてしまう。しかし、大金になるとふんだバースノームは書物を袋の中に詰めて、盗み出した。
店主はバースノームにいち早く気が付き、警備隊に通報。こうして彼は追われる身となった。
警備隊の追跡は日夜関係なく続き、一日が過ぎても止まる気配は無かった。バースノームが後ろを振り返ると、常に彼らは追ってきており、時には槍や魔法が飛んでくる。「警備隊は確実に命を取ろうとしている」そう思ったバースノームは体力が続く限り、足を止めることは無かった。
ところが、体力には自信のあるバースノームも二日目にして疲労が頂点に溜まっていた。二日間何も食べず、水分補給をしていない。おまけに一睡もしてないときたら、いかに無尽蔵の体力があったとしても、人間ならば倒れてしまうだろう。
バースノームは大木の木陰に座り込んだ。幸いにも警備隊との距離はひらいているが、このままでは確実に追いつかれてしまうだろう。バースノームは何かないかと袋の中を手探りで開けた。だが、逃亡の役に立つ物は入っておらず、渇きを潤す水もない。あるのは王国書店から盗み出した暗黒の書物だけだ。この暗黒の書物から伝わってくる闇の波動。心に訴えてくる暗愚の囁き。バースノームの脳内信号は「書物を開け」と唸っている。
「こうなったら運否天賦だ!」
覚悟を決めたバースノームは書物を開いた。
刹那、闇の声が轟き、大木を揺らす。バースノームはあまりの衝撃に、転んでしまう。それでも、すぐさま立ち上がったバースノームは書物の中身を確認する。ところが、書物には何も書かれていない。全くの白紙だったのだ。
「ちくしょうめ!」
役に立たないと思ったバースノームは書物を蹴り上げて、川の中に捨てた。もはや盗品よりも自分の命の方が大切だった。
「おいおい、乱暴はやめんか」
すると、バースノームの耳に謎の声が聞こえた。バースノームが声がする方向に振り返ると、そこには高身長の美青年が腕を組んで仁王立ちしていた。美青年は黒い髪に赤い目をしており、感が鈍いとされる種族のバースノームだったが、彼を見た瞬間に正体を見破った。
「恐怖大帝……ヴァルダミンゴか」
「そうだ。良く俺の名前を知っていたな」
「本で見たことがある。俺が子供の頃、母ちゃんに読み聞かされた童話に、あんたとソックリな奴がいたんだ。そいつの名前はレウス・ヴァルダミンゴ。かつて、初代破壊神と戦争を引き起こした奴だと」
「教育熱心なママで良かったよ。おかげで面倒な自己紹介を省けた」
ヴァルダミンゴが垂れ流す圧倒的な魔力に、バースノームは自然と跪く。
「主よ、お助け下さい。私は警備隊に追われている身なのでございます」
「そうか。それで俺を召喚したのか」
「僭越ながら……」
「良いだろう。お前の願いを叶えてやる」
その時だ。丘の上から十人近くの警備兵が、鬼気とした表情で降りてくるのが見える。そして、二人を発見した警備兵は迅速な行動で、バースノームとヴァルダミンゴを囲む。
「お前は、ヴァルダミンゴ!」
「お前を倒せば英雄になれる!」
警備兵たちはバースノームには目もくれず、剣を握って襲いかかった。
「愚かだ。実に愚か」
直後、ヴァルダミンゴの手から黒い霧が出現し、警備兵たちを飲み込んだ。それは、瞬きをする間もない早業だった。
「ありがとうございます」
黒い霧に飲み込まれた警備兵は、姿を消されてしまった。
「奴らを我が世界に転移した。今頃、新鮮な肉が運ばれてきたとペットが喜んでいるだろう」
「感謝してもしきれません」
「俺の耳では空世辞に聞こえるが」
「滅相もございません」
その瞬間、頭を踏まれるバースノーム。
「暗黒召喚には代償が必要だ。特に俺のような最上級の魔法使いを召喚するには、強大な代償がな」
「覚悟はできております」
そう言うしかなかった。刃向えば、一瞬で消されると分かっているからだ。
「ならば、お前をスカウトしてやろう。お前の魂を我が世界に連れて行く。文句は言わせないぞ」
恐怖大帝の不敵な笑みが零れた。