結婚首輪を外します、自由になるのでさようなら
私の首に巻き付いている、銀色の輪。
『結婚首輪』――この王国で結婚した女性が、夫へ永遠の忠誠と従属を誓うために、首に着ける婚姻の証。
子供の頃は、ただの形式的な装飾だと思っていた。
私の母親も首輪をして、穏やかに暮らしていたから、結婚すれば当たり前に身に着けて、幸せになれるんだと思っていた。
けど……私は違った。
結婚して以来、まるで首を絞めるような圧迫感と閉塞感に支配されている。
多額の借金で没落した実家の子爵家を救ってもらう条件として、男爵家の夫の元に嫁ぎ、この首輪を着けることになってしまったから……。
結婚首輪は、私を縛る恐ろしい呪縛となっていた。
◇
「おい、フィアナ。まだ終わらねぇのか? 心底どんくさい女だな」
深夜の薄暗い執務室――。
背後から投げかけられた嫌味な声に、私はビクッと肩を揺らした。
振り返ると、夫のモーネス男爵が腕を組んでこちらを見下ろしていた。
端正な顔立ちで、王宮魔法省のエリート魔術師と持て囃されている彼だが、その内面は陰湿で傲慢そのものだ。
私の前にある机の上には、古代魔法の文献が山積みになっている。
それを翻訳、解読するのが私の日課であり、夫から強制された無償労働だった。
「申し訳ありません、モーネス様。この時代の文字は、かなり複雑で……」
そう言った瞬間――夫は苛立った表情で、私の頬を平手打ちした。
「……っ!」
男の骨ばった硬い手をぶつけられた痛みが、顔だけでなく心にも突き刺さる。
「俺に口ごたえするな! 没落借金女の分際で!」
「っ……申し訳……ございません」
謝るしかない――ここで口ごたえすれば、更なる体罰を受けることになる……。
「俺が、お前の家の借金を肩代わりしたから、立派な屋敷で飼ってもらえていることを忘れるなよ? また路頭に迷いたいのか?」
「いえ……すべて、モーネス様のおかげです。片時も感謝を忘れたことはありません」
「だったら少しは役に立てよ、無駄飯食らいが! そのミミズみてぇな古臭い文字を、さっさと解読しろ。没落女にお似合いのカビ臭い仕事だ。俺の実績として、魔法省に提出するんだからしっかりやれよ。発表会に間に合わなかったら殺すぞ」
「……かしこまりました」
夫は、古代文字を読むことが出来ない。
彼にとって私は、自分の知能レベルを隠し、エリートとしての体面を偽装するための道具に過ぎないのだ。
「いつでも没落女の自覚を持って、俺に感謝しながら息しろよ」
ニタニタと笑うモーネスの人差し指には、銀色の指輪が光っている。
妻が首輪をするように、夫は利き手の人差し指に指輪をするのが王国の掟だ。
私は、その指輪を見ると首が絞まるような息苦しさに襲われてしまう。
目を背けるように俯くと、夫は声のトーンを上げて喋り出す。
「そうそう、明日はアニータが来るからな。もてなしの準備をしとけよ。アニータは、根暗なお前と違って、美人で巨乳な上に愛嬌も抜群だ。同じ女でも、お前とは大違いだな。ハハハッ!」
下卑た笑顔で捨て台詞を吐き、夫は執務室を出ていった。
私は不快感と虚無感を抱きながら、再び古代文字へと視線を落とすしかなかった。
◇
――翌日。
「モーネス様ぁ、このお菓子すっごく美味しいですぅ!」
「ハハハッ、そうだろう? アニータのために、王都で一番人気の店から取り寄せたんだ」
白昼堂々、自宅のサロンに甘ったるい声を響かせて、ソファで身を寄せ合う夫と不倫相手のアニータ……。
新興の成金商家の娘である彼女は、お金持ちで顔が良いモーネスの愛人という立場を、心底楽しんでいるようだった。
そんな二人の前に、私は紅茶のカップを静かに置く。
アニータは私を一瞥すると、没落貴族の貧乏人を見下すように笑い、わざとらしくモーネスの腕に、豊満な胸を押し当てる。
「モーネス様ぁ、なんだか召使いみたいな奥様ですねぇ」
「『みたいな』じゃなくて、本当に召使いなんだよ」
クスクス笑うアニータに密着されて、得意げな顔で夫は私を蔑む。
「おいフィアナ、今日はアニータが泊まってくからな。アニータの食事も、ちゃんと作っとけよ」
「えっ?」
「それから、今夜は別の部屋で寝ろ。邪魔だからな。根暗なお前は、一人で致すのがお似合いだ」
その言葉に、私は絶句した。
私の在宅中に不倫相手を連れ込むだけでなく、食事の世話までさせた上に、寝室から妻を追い出して侮辱するなんて……どんどん、やりたい放題になっていく。
「やだぁ! モーネス様ったら、奥様が可哀想ですよぉ!」
「気にするなアニータ。こいつは俺のおかげで、のうのうと生きていられるんだからな。おいフィアナ、幸せに思えよ。俺の優しい心で、お前を飼ってやってるんだぞ。俺と結婚できたことに感謝しろ。ほら、ちゃんと礼を言え」
モーネスの下劣な視線が私を射抜く。
結婚首輪の感触が冷たく、重く感じられた。
屈辱感で胸が張り裂けそうになりながら、私は震える声を振り絞るしかなかった。
「……はい。嫁に、もらっていただいて……ありがとうございます」
「ハハハッ! それでいいんだよ!」
腹の底から愉快そうに笑うモーネスと、クスクスと嘲笑うアニータ。
逃げるようにサロンを後にした私は、誰もいない廊下の壁に寄りかかり、ずるずると崩れ落ちた。
(私はいったい、何なのだろう……)
結婚する前から、借金のせいで肩身が狭い思いをするのは承知していた。
けど……いくらなんでも酷すぎる。
結婚前は、あんなに紳士的で優しかったのに……結婚首輪を着けてから、私への態度が豹変してしまった。
まるで、彼の所有する『家畜』状態だった。
「フィアナ様……おいたわしいですが、どうかお気を確かに」
厨房に戻ると、古株使用人のお婆さんが、悲しそうな目を向けながら声をかけてくれた。
「ありがとうございます……でも、私……」
「不当な扱いを受けるのは可哀想ですが、結婚とはそういうものなのです。首輪を着ければ、妻は夫の所有物になります。所有者が優しい方であれば、幸せな人生を送れますが……モーネス様のような方に首輪を着けられたのは、本当にご愁傷様としか……」
首に銀の輪を着けたお婆さんの言葉が、重く心にのしかかる。
私の首にあるものと同じなのに……全くそう思えなかった。
この家に嫁いで以来、『この首輪さえなければ』と、何度も考えた。
でも、結婚首輪を女性が外すことは出来ない。
女性から離婚を申し出るのは、法で禁じられている。
これを外せるのは、妻の所有者である夫だけ……。
そもそも、お金で私を買って、便利に使うあの男が、私を手放すとは思えない。
それに、実家の借金を清算してもらった『恩』という重い鎖が、私の心を激しく葛藤させる。
絶望と虚無に支配されたまま、私はただ首元の冷たい銀輪に、恨めしく触れることしか出来なかった。
◇
数日後――私は重い足取りで、王宮魔法省の大理石の回廊を歩いていた。
腕に抱えているのは、連日徹夜で仕上げた古代文字の解読書類。
これを、モーネスから「魔法省に届けておけ」と言いつけられていたからだった。
すれ違う魔法省の役人たちは、私の首元にある銀の輪を見て、何事もなく通り過ぎていく。
通常、格式高い王宮魔法省には、首輪が無い女は立ち入れない。
私がこうして夫の使い走りが出来るのも、皮肉なことに、この銀輪を首にはめているからに他ならない。
この国では、首輪を着けていない成人女性……つまり未婚女性は、未熟者と見なされる。
結婚して男を立て、男に仕え、男を支える女になってこそ、初めて社会から「一人前の人間」として認められるのだ。
だから女性は、社会的地位と安寧を求めて、こぞって結婚したがる。
(結婚して首輪をする女性が、一人前の人間……)
私の脳裏に、首輪をするまでの日々がよぎる。
◇
実家の子爵家が急激に借金を背負い、没落の危機に瀕した時、手を差し伸べてくれたのは、優秀な魔術師であるモーネス男爵だった。
当時の彼はとても紳士的で、没落しかけの子爵家である私たちに同情し、「僕の財力で支援させてください。フィアナ嬢を、必ず幸せにします」と優しく微笑んでくれた。
容姿端麗で、人格者で、将来有望で……借金まで清算してくれる。
私は心の底から彼に感謝して、一生この良縁を大切にしようと誓った。
しかし……結婚式の日。
この首輪を着けられた瞬間から、彼の態度は豹変した。
この国の法律では、一度着けられた結婚首輪は、女からは絶対に外せない。
首輪を外す権利は、妻の所有者である夫にしか与えられていない。
私を所有し、絶対に逃げられなくなったからこそ、演技をやめて横暴な本性を露わにしたのだ。
一生、私をタダ働きの奴隷としてこき使うために……。
◇
……何度考えてもおかしい。
女は首輪を着けて、男に服従しなければ、ちゃんとした『人間』として認められないなんて……。
むしろ、首輪を着けている今の私の方が、人間ではない扱いをされているのに……。
ドンッ!
睡眠不足の頭で、そんなことを考えていたせいで、私は角を曲がってきた背の高い人物に思いきりぶつかってしまった。
「きゃっ……!」
「おっと、危ない」
抱えていた書類が、バサバサと大理石の床に散らばる。
「も、申し訳ございません! 私の不注意で……!」
慌てて床に這いつくばり、書類をかき集める。
震える手で紙を拾っていると、ぶつかった男性が膝をつき、一緒に書類を拾い上げてくれた。
「いや、こちらこそすまなかった。……ん? これは……神代期の古代術式の訳か?」
青年は、紙面に書かれた文字を見てピタリと動きを止める。
それと同時に顔を上げた私は、相手を見て息を呑んだ。
輝く黄金の髪と、海のような碧眼を持つ、絵画の如く美しい青年………仕立ての良い衣服には、王族を示す紋章が刺繍されている。
王宮魔法省の長官も務める、第二王子・レイオス殿下だった。
「で、殿下……!? 粗相をしてしまい、申し訳ございませんでした!」
私は慌てて謝罪をする……しかし、殿下は気にしていない様子で、書類に目を通していた。
「驚いたな。魔法省の老魔術師たちでも、手を焼く難解な文献だぞ。これを君が?」
「い、いえ……主人のモーネス男爵が仕上げたものでございます」
私は首輪の主に逆らえない本能から、咄嗟にそう告げた。
「嘘だな」
しかし、レイオス殿下は拾い上げた書類を手渡しながら、優しくも核心を突く声で言った。
「モーネスに、これほどの古代文字を読み解く知識はない。それに、君の右手の人差し指と中指……インクが深く染み付いて、ペンだこが出来ている」
「……っ!」
私は慌てて右手を背後に隠したが、もう遅かった。
「隠さなくていい。それに……君自身は気づいていないようだが、これほどの古代文字の術式解読は、単なる知識だけじゃ不可能なんだ。術式と共鳴するだけの『豊富な魔力』がなければ、読み解くことすら出来ないはずだ。君は、自分がどれほどの魔力を秘めているか自覚していないようだな」
(魔力? 私が?)
この国では、女性は魔法省のような特別職には就けない。
だから、女性は魔力量を測定したことがないのが一般的だった。
「……君の名前は?」
「あの……フィアナ、と申します。ですが、その……この書類は、夫の手柄として提出しなければならないもので……」
殿下は私を見て、首元の銀輪に目を落とす。
その時……彼の青い瞳に、静かな怒りの色が見えた。
「こんなに才能ある女性を、首輪で縛り付けて手柄を奪っているのか……嘆かわしい。『女性を服従させることが結婚だ』とでも思っているのか」
「え……?」
「男だけが一方的に支えられ、女を縛り付けるのは間違いだ。双方が支え合い、互いを想い合い、二人が対等に共に生きる。結婚という制度とは、本来そういうことであるはずだ」
その言葉に、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
ずっと心の奥底に抱えていた、誰にも言えなかった感情。
ずっと、誰かに言ってほしかった言葉。
それを、目の前の男性……しかも、この国の王子が真っ直ぐな言葉で提示してくれたことに、言いようのない感情が込み上げてくる。
私の瞳からは、自然と大粒の涙が零れ落ちていた。
「す、すみません……私、なんだか……」
レイオス殿下は、懐から純白のハンカチを取り出し、そっと私に差し出した。
「フィアナ。君のその類稀なる知識と才能が埋もれたまま、搾取されている現状を私は見過ごせない。それに……君の首輪は、得体の知れない気配がする。おそらく、ただの結婚首輪ではない」
「え? この首輪が……ですか?」
私は驚いて、自分の首に巻き付く輪に手を触れる。
全く予想外のことを指摘され、戸惑いを隠せなかった。
「きちんと調べてみたい。協力してもらえるか?」
「は、はい……仰せのままに。ですが、殿下……なぜ、私などに気をかけてくださるのですか……?」
「……私は以前から、女性が首輪を着ける因習に疑問を抱いていた。それを変える一歩になり得るかもしれない」
殿下の瞳には、確かな決意が宿っていた。
それは、暗闇でただ耐えるしかなかった私の心に、温かく力強い光が差し込んだ瞬間だった。
◇
王宮魔法省の大広間。
シャンデリアの煌びやかな光が照らす厳粛な空間の中……年に一度、国中の魔術師や有力貴族が一堂に会する、魔法研究発表会が執り行われていた。
その大舞台の壇上には、誇らしげに胸を張り、会場の視線を一身に浴びるモーネスの姿があった。
「――以上が、私が独自に解読し、体系化した古代魔法の術式展開です。この失われた知識を現代の魔法に組み込むことで、我が国の魔法技術は他国を凌駕し、飛躍的に向上するでしょう!」
モーネスが両手を広げて演説を締めくくると、大広間は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「素晴らしい! なんという才能だ!」
「若くして、これほどの偉業を成し遂げるとは……次期魔法省幹部は彼で決まりだな」
次々と、夫に浴びせられる称賛の声。
それはすべて、私が連日徹夜で解読し、血の滲む思いでまとめ上げたものだ。
だが、壇上のモーネスは自分が生み出した成果として胸を張り、有頂天になって喝采を浴びている。
彼の顔には、この世のすべてを手に入れたかのような傲慢な笑みが浮かんでいた。
その光景を最前列で見ていたアニータも、自分が称賛されているかのように目を輝かせ、会場の歓声に混じって声を上げた。
「皆様、ご覧になりましたか?! これが私のモーネス様ですわ! 彼こそが、この国で一番の天才魔術師なのです!」
彼女は高笑いしながら、壁際で立たされている私に、蔑むような視線を向けた。
「ふふっ、没落した貧乏貴族のフィアナ様も、モーネス様の素晴らしい才能のおこぼれで、この場に居られて良かったですねぇ。これからもより一層、お情けで飼っていただいてる自覚をお持ちになることねっ」
我が物顔で絶頂に酔いしれているアニータと、観衆へ手を振るモーネス。
唇を噛みしめる私の前で、夫は意気揚々と壇上から降りようとした。
「待て――。まだ発表は終わっていないだろう?」
突如、歓声に沸いていた大広間に、絶対的な威厳を持つ声が響き渡った。
まるで海が割れるように、群衆が道を開ける。
そこに立っていたのは、黄金の髪を揺らし、近衛騎士団を引き連れた第二王子・レイオス殿下だった。
殿下は周囲のどよめきを意に介さず、優雅な足取りで壇上への階段を上っていく。
そして、壁際で立ち尽くす私に向かって「おいで」と優しく合図を送った。
私は彼に導かれるまま、震える足で壇上へと進み出た。
「で、殿下……? いかがなされましたか? 私の完璧な発表に、何か……」
「完璧……だと? 一つ不可解な点がある。君が先程『火の属性』と説明した第三節のルーンだが、古代文字の文脈からすれば、それは明らかに『拘束と吸収』を意味しているはずだ。その矛盾点を、どう説明するつもりだ?」
レイオス殿下の指摘に、モーネスの顔からスッと血の気が引いた。
古代文字など一切読めない彼に、答えられるはずがない。
大広間に集まった魔術師たちも、殿下の言葉にハッとしてざわめき始める。
「そ、それは……! あ、あそこにいる嫁のフィアナが、資料の作成手順を間違えたのです! そうだ……あの無能女の不手際だ! 俺の指示通りに動けない出来損ないめ!」
王子からの突然の指摘に、焦燥に駆られた夫は、見苦しく私に責任を擦り付けた。
アニータもそれに便乗し、「本当に使えない女ですわね!」と声を荒げる。
「おい、フィアナ! さっさと前に出て、皆様に土下座して謝罪しろ! お前のミスのせいで、俺の顔に泥を塗ったんだぞ!」
逆上したモーネスが私を指さすと、首元の銀色の首輪がギリッと音を立てた。
……いつもなら、ここで屈服していた。
けれど、もう私は膝を折らなかった。
私の視界には、レイオス殿下がいる――。
実家の借金と、モーネスとの結婚……それに翻弄されて、私は自分を見失い、理不尽な目に遭っても、すべて諦めて受け入れてしまっていた。
家畜のように扱われるのが、自分の運命なのだと……。
けれど、レイオス殿下に出会って、そうではないと目が覚めた。
彼は私の仕事を心から褒めてくれて、私の努力を認めてくれた。
私の中に眠る、豊かな魔力の存在を教えてくれた。
彼のおかげで、私は自分の意思を取り戻すことが出来た。
目を背けていた現実と向き合い、自らの手で不条理を断ち切る決断を、彼が後押ししてくれた。
「……お断りします」
「なんだと!? 家畜の分際で、ご主人様に逆らう気かっ!」
ゴミ同然に見下していた嫁が逆らってきたことに激昂するモーネスを無視して、私は壇上から精一杯の大きな声を上げた。
「彼が舞台上で発表した古代魔法の術式展開は、私が解読したものです。知識も無く、内容もろくに理解していないモーネスが、殿下の質問に答えられないのは当然です」
「なっ……! 血迷ったか!? でたらめを言うな! さっさと土下座するんだ!」
激高する夫を見据えながら、私はゆっくりと首輪に手をかけた。
頭の中で、解読していた古代の『解除呪文』を紡ぐ。
同時に、私の中に眠っていた膨大な魔力が、堰を切ったように全身を駆け巡った。
「あなたの偽りの恩も、私を縛る銀の輪も、今日ですべて破棄させていただきます。――結婚首輪は外します、自由になるのでさようなら」
強烈な光が大広間を包み込み、私の首に巻き付いた『絶対に外れない銀輪』が、鼓膜を揺らすような大音響と共に粉々に砕け散った。
「そんな馬鹿な……!? ぐっ、ぐぎゃっ!? ぎゃあああああぁぁぁっ!!」
首輪が砕け散った瞬間、モーネスがもがき苦しみながら床を転げ回る。
そう――この結婚首輪は、モーネスによって違法な細工が施してあり、首輪を通して私の魔力を吸い上げていたことが、レイオス殿下の調べで判明していた。
『おそらくモーネスは、君の魔力を我が物にするために、その忌まわしい結婚首輪を着けたのだろう』と、殿下は憤った声と悲痛な表情で語っていた。
その首輪を破壊したので、これまで搾取された魔力が、私のもとへ還るように逆流したのだ。
結果、大量の魔力を失ったモーネスは、自らの魔力すらも完全に枯渇させて『抜け殻』となり、白目を剥いて悶絶していた。
「い、いやぁぁぁっ! モーネス様ぁ!? 嘘でしょ!」
事態が呑み込めず、アニータが悲鳴を上げる。
会場からも、困惑と驚きの声があちらこちらで上がっていた。
返還された圧倒的な魔力を纏い、真の自由を取り戻した私の前に、レイオス殿下が静かに歩み出て、床に伏すモーネスに語りかける。
「モーネス男爵……君が結婚に乗じて、妻に違法な呪具を着け、魔力を搾取していた事実は許し難い……さらに、君たちの罪はそれだけではない」
レイオス殿下は近衛騎士に命じ、分厚い書類の束を床に叩きつけさせた。
「愛人アニータ。君の商家が、フィアナの子爵家を意図的に没落させた証拠だ。君たちは子爵家の特産品に対して、ありもしない悪評を捏造して流布させた。そして、信用を失墜させて流通をストップし、窮地に陥ったところで、モーネス男爵が『救世主』の顔をして援助を申し出る……。すべては、フィアナの膨大な魔力を合法的に搾取するための、極めて悪質な自作自演だと判明した」
大広間が、更に大きなどよめきに包まれて、二人への非難と軽蔑の声が上がる。
言い逃れの出来ない証拠を突きつけられ、追い詰められた二人は、錯乱したように醜い本性を露わにした。
「ち、違うんだ! 俺はアニータの実家に騙されただけで……! そうだフィアナ! お前は俺を愛しているだろう!? こんな売女とは別れて、これからはお前を大事にしてやるから許してくれ!」
「ふ、ふざけないでよ! あんたがうちの父に計画を持ち込んだんじゃない! 殿下、私は被害者ですわ! この無能男に、罰をお与えください! それに私は美しくてお金持ちですから、殿下はこんな貧乏女よりも、私に優しくするべきですぅ!」
モーネスは的外れの謝罪で私にすがり付こうと必死で、アニータはモーネスに責任を擦り付けながら、ご自慢の胸を腕で押し上げて、殿下に色目を使っている。
今まで散々、私を見下していた二人の醜態は、あまりにも滑稽だった。
レイオス殿下は、そんな二人を冷たい視線で一瞥してから、近衛騎士に命じる。
「魔法省を欺き、一人の女性の尊厳と才能を蹂躙した罪は万死に値する。見苦しい、さっさと連行しろ!」
「やっ、やめろぉ! 離せぇ! くそっ! こんなの認めない! 俺はエリート魔術師だぞ!」
「嫌ぁ! なんで私がぁ! 私は関係ないっ! 私は悪くないのぉ!!」
醜い悲鳴を上げて、二人は近衛騎士に捕縛され、無様に泣き喚きながら、会場から引きずり出されていった。
彼らを待つのは、莫大な罰金と財産没収、そして暗い牢獄での惨めな末路だけだ……。
◇
嵐が去ったように静まり返る大広間を見渡し、レイオス殿下はよく通る声で宣言した。
「皆も見た通りだ。これまでの結婚制度における『女性から離婚は出来ない』という掟は、理不尽極まりないものだ。フィアナのように、優れた知識と魔力を持つ女性が、不当な制度によって『夫の召使い』として埋もれてしまうなど、王国にとって重大な損失になる」
殿下の力強い言葉が、大広間に響き渡る。
「私は以前より、結婚制度の是正と改革を考えていた。今こそ、その不当な制度を終わらせ、男女を平等にする時だ!」
その宣言に、初めは戸惑っていた貴族や魔術師たちも、先ほど自分たちが絶賛した発表がモーネスではなく私の仕事であった事実と、現在進行形で膨大な魔力を纏う私を目の当たりにしている以上、認めざるを得なかったようだ。
やがて広間は、殿下の決断と私の力を称える万雷の拍手に包まれた。
「……君の頑張りが、この国を良い方へと変えたんだ」
レイオス殿下は振り返り、陽だまりのような優しい笑顔で私を称えてくれた。
◇
――一年後。
魔法省にある研究室で、私は新たに発掘された古代文献の解読を進めていた。
私が首輪を破壊したあの事件を機に、レイオス殿下は『結婚首輪制度』を撤廃し、夫婦平等の環境を整え始めた。
同時に女性の魔力検査や、魔法省を始めとする関連施設の女性職員雇用が解禁となり、私はその第一号として『魔法省・古代技術特別顧問』に任命された。
以前では考えられないほどに、私を取り巻く環境が変わり、本当に自由と自立を手に入れることが出来た。
その幸福と、充実感を噛み締めながら、仕事に打ち込む日々を送っていた。
「フィアナ、少し休んだらどうだ? あまり根を詰めると体に障るぞ」
温かい紅茶の香りと共に、レイオス殿下が部屋に入ってくる。
彼は多忙な政務の合間を縫って、毎日のように私の様子を見に来てくれていた。
「ありがとうございます。お仕事が楽しくて、やりがいがあって……つい夢中になってしまうんです」
お礼を言って、いただいた紅茶を一口飲むと、充実した仕事で疲れた体に染み渡るようで、自然と笑みがこぼれる。
そんな私の隣に座ると、レイオス殿下は優しく微笑んで、インクで少し汚れた私の指先を優しく包み込んだ。
「その君の笑顔と、これからもずっと一緒に生きていきたい。かけがえのないパートナーとして、共に支え合って歩んでいきたいんだ」
レイオス殿下の掌から、小さなベルベットの箱が差し出された。
彼はそっと私の左手を取ると、冷たく重い首輪とは違う、陽だまりのように温かく輝く銀色の指輪を薬指にはめてくれた。
「私と結婚してくれないか……フィアナ」
首には何もない――だからこそ、今の私の心は何よりも自由で……自然に彼の愛を感じることが出来る。
「――はい……!」
私はあふれる涙を拭い、最高の笑顔で頷いた。
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