第 9 話 ──初陣、Fランクダンジョン
ナイフ術の特訓を終えてから一週間。
翔太は探索者組合の前に立っていた。
今日が、初めてのダンジョン探索だ。
(ついに、この日が来た……)
胸の奥で、緊張と期待が入り混じっている。
「お、来たな」
声のした方を見ると、レオンが歩いてきた。
背中には、いつもの巨大な剣。
「おはようございます、レオンさん」
「ああ。準備はいいか?」
「はい。装備も確認しました」
翔太は自分の装備を見下ろした。
黒い軽装戦闘服、腰のコンバットナイフ、太ももにはスローイングナイフ。
背中のマジックポーチには、ポーションや回復薬が入っている。
レオンがうなずいた。
「よし。他のメンバーも紹介する」
その言葉と同時に、二つの人影が近づいてきた。
一人は、見覚えのある黒髪の女性──クレハだ。
「……」
クレハは小さく頷いた。それが彼女なりの挨拶だ。
「クレハさん、よろしくお願いします」
そしてもう一人は──
「やっほー、翔太くん!」
明るい声。短い茶髪に、大きな瞳。
翔太は目を見開いた。
「君は……あのときの……」
「覚えててくれたんだ! 嬉しいな」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「改めまして、ミア・ハーヴェストだよ。よろしくね!」
レオンが説明を加えた。
「ミアはリナの義妹だ。Fランク探索者で、アーチャー」
「義妹……?」
ミアが頷いた。
「私、孤児だったんだ。小さい頃にリナ姉の家に引き取られたの。
だから血は繋がってないけど、リナ姉は本当のお姉ちゃんみたいなものだよ」
なるほど。だからリナの知り合いだったのか。
「じゃあ、リナさんから僕のことを……」
「うん! いっぱい聞いてるよ。
転移者なのにすごい速さで成長してるって、リナ姉が自慢してたもん」
翔太は照れくさくなった。
「そんな……まだまだです」
レオンが手を叩いた。
「自己紹介はこのくらいにしろ。役割分担を確認する」
全員が姿勢を正した。
「俺が前衛のタンク兼アタッカー。敵の攻撃を引きつけながら、隙があれば斬る」
「クレハは遊撃。偵察と奇襲、そして俺の援護だ」
「ミアは後衛。弓で援護射撃をしながら、全体を見渡せ」
「翔太は中衛から前衛。状況に応じて魔法支援と近接戦闘を使い分けろ」
翔太は頷いた。
「わかりました」
「今日のダンジョンは『緑窟の迷宮』。Fランクの中でも初心者向けだ。
目標は1層の探索と、可能ならボス討伐。無理はするな」
レオンは全員を見回した。
「いいな? 行くぞ」
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街の郊外、森を抜けた先に、ダンジョンの入口があった。
巨大な岩壁に、ぽっかりと口を開けた洞窟。
入口の周囲には蔦が絡まり、苔むした岩が転がっている。
「これが……ダンジョン」
翔太は息を呑んだ。
洞窟の奥からは、微かに冷たい風が吹いてくる。
その先には、未知の世界が広がっている。
「緑窟の迷宮は3層構造だ」
レオンが説明した。
「1層はゴブリン、スライム、コボルトが主な敵。
2層からジャイアントラットやキラービーが出る。
3層のボスはゴブリンリーダーだが、今日は1層だけでいい」
ミアが補足した。
「1層だけでも結構広いんだよね。
初めてなら、それでも十分だと思うよ」
クレハが洞窟の入口を見つめた。
「……行くぞ」
翔太は深呼吸した。
(大丈夫。訓練してきたことを出すだけだ)
四人は、ダンジョンへと足を踏み入れた。
---
洞窟の中は、予想以上に暗かった。
だが、壁には淡く光る苔が生えており、完全な闘というわけではない。
「この光る苔はダンジョン特有のものだ。
松明がなくても最低限の視界は確保できる」
レオンの声が先頭から聞こえる。
翔太は周囲を見回した。
洞窟の壁は湿っており、時折水滴が落ちる音がする。
足元は土と岩が混じった不安定な地面だ。
(これが、ダンジョン……)
空気が違う。
街とは明らかに異なる、独特の緊張感がある。
「翔太くん、大丈夫?」
ミアが横に並んだ。
「緊張してる?」
「……正直、少し」
「私も最初はそうだったよ。
でも大丈夫、レオンさんとクレハさんがいるから」
ミアの言葉に、少しだけ気持ちが楽になった。
その時──
クレハが手を上げた。
全員が足を止める。
「……前方、三体。ゴブリン」
クレハの声は低く、静かだった。
翔太の心臓が跳ねた。
(敵だ……)
レオンが振り返った。
「翔太、初陣だ。俺とクレハで二体を抑える。
お前は残りの一体を相手しろ。ミアは援護だ」
「は、はい……!」
「落ち着け。訓練通りにやればいい」
レオンは剣を抜いた。
「行くぞ」
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通路の先に、三体のゴブリンがいた。
小柄な人型の魔物。緑色の肌に、尖った耳。
手には粗末な木の棍棒を持っている。
ゴブリンたちは翔太たちに気づき、甲高い声で叫んだ。
「ギャギャッ!」
一斉に襲いかかってくる。
「行くぞ!」
レオンが踏み込んだ。
巨大な剣が弧を描き、一体のゴブリンを吹き飛ばす。
クレハは影のように動き、別の一体の背後に回り込んだ。
ナイフの一閃で、ゴブリンが崩れ落ちる。
残りの一体が、翔太に向かってきた。
「ギィィッ!」
棍棒を振り上げ、突進してくる。
翔太はナイフを構えた。
(落ち着け……訓練通りに……)
だが、体が思うように動かない。
訓練の木人形と違い、ゴブリンは生きている。
殺意を持って、こちらを殺そうとしている。
「っ……!」
棍棒が振り下ろされた。
翔太は咄嗟に横に跳んで避けた。だが体勢が崩れる。
ゴブリンが追撃してくる。
(まずい……!)
その時──
──シュッ!
矢が飛来し、ゴブリンの肩に突き刺さった。
「翔太くん、今だよ!」
ミアの声。
翔太は我に返った。
(そうだ……一人じゃない……!)
ゴブリンがよろめいた隙に、翔太は踏み込んだ。
ナイフに光が宿る。
「はあっ!」
光を纏った刃が、ゴブリンの胸を貫いた。
──ズゥゥン……
光がゴブリンの体内に浸透し、魔物は断末魔を上げて崩れ落ちた。
──ビチャッ。
濃い緑色の血が、翔太の手とナイフに飛び散った。
「……えっ」
翔太は固まった。
目の前で、人型の生き物が動かなくなっている。
その目は、もう何も映していない。
(僕が……殺した)
訓練の木人形とは違う。
これは、生きていたものを殺したということだ。
胃の奥から、喐気が込み上げてきた。
「……はあ……はあ……」
翔太は肩で息をしていた。
手が震えている。血に濁れた手が、止まらない。
「初陣にしては上出来だ」
レオンが近づいてきた。
「だが、最初の踏み込みが遅い。相手が来るのを待つな。
自分から仕掛けろ」
翔太は自分の手を見つめたまま、絞り出すように言った。
「レオンさん……僕、今……」
「殺した。そうだ」
レオンは迷いなく言った。
「モンスターとはいえ、人型の生き物を殺すのは、誰だって最初は堪える。
それが普通だ。お前はまともだ」
翔太は顔を上げた。
「だが、覚えておけ。殺らなければ、殺される。
呆けている暇は、実戦にはない。お前が殺らなければ、他の誰かが殺されていたかもしれない。それが仲間や、守りたい人かもしれない。そんなときに、お前は手が止まるのか?」
妹の顔が、脳裏に浮かんだ。
「……いいえ」
「それでいい。今日はよくやった」
レオンはそれ以上何も言わなかった。
クレハも戻ってきた。
「……悪くない。だが、力が入りすぎだ。
肩の力を抜け」
ミアが翔太の隣に立った。
「翔太くん、大丈夫?」
心配そうな声だった。
翔太は無理に笑顔を作った。
「うん……ごめん、ちょっと……」
「謝らなくていいよ。私も最初はそうだったから」
ミアは穏やかに笑った。
「初めてゴブリンを倒した時、私、その場で吐いちゃったんだ。
リナ姉に背中さすってもらいながら、わんわん泣いてさ。
それに比べれば、翔太くんは全然立派だよ」
「……そうなの?」
「うん。でも、ちゃんと倒せたじゃん! すごいよ、翔太くん!」
翔太は苦笑した。
「ありがとう……でも、ミアの援護がなかったら危なかった」
「それがパーティーだよ。助け合うのが当然なの」
翔太は頷いた。
(そうだ……一人で戦う必要はない)
---
その後も、翔太たちは1層を進んでいった。
途中、スライムと遭遇した。
「スライムは物理攻撃が効きにくい。魔法で攻撃しろ」
レオンの指示に従い、翔太は手のひらを向けた。
「魔力放出……!」
光の弾がスライムに命中する。
──ジュウゥゥ……
スライムは光に焼かれるように溶けていき、やがて核だけが残った。
「お見事」
レオンがうなずいた。
「スライムの核は素材になる。回収しろ」
翔太は核を拾い上げた。
透明なガラス玉のような物体だ。
「これが……素材」
ミアが説明した。
「モンスターの体の一部は、色んなものに加工できるんだよ。
スライムの核は回復薬の材料になるし、ゴブリンの牙は武器の強化素材になるの」
「へえ……」
「ダンジョン探索の収入源は、主にこの素材の売却だよ。
だから、戦闘で素材を壊さないように倒すのも技術なんだ」
翔太は感心した。
(奥が深いな……)
探索を続ける中で、翔太は少しずつ実戦に慣れていった。
二度目のゴブリン戦では、自分から踏み込めた。
まだ手は震えたし、胃の底は重かった。
だが、レオンの言葉を思い出し、ナイフを振るうことができた。
三度目では、ミアの援護なしで一体を倒せた。
血を見ても、もう吐き気はしなかった。
慣れはじめている自分に、少しだけ怖くなった。
(僕は……変わっていくのか)
だが、今は考えないことにした。
生き残るために、必要なことだ。
「成長が早いな」
レオンが認めた。
「才能もあるが、それ以上に頭を使っている。
相手の動きを見て、次を予測している。いい傾向だ」
翔太は嬉しくなった。
(少しは、役に立ててるかな……)
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1層のボス部屋手前で、パーティーは休憩を取ることにした。
「ここまでで十分な成果だ。ボスは次回にするか」
レオンが言った。
翔太たちは壁際に座り、水を飲んだ。
「翔太くん、どう? 初ダンジョン」
ミアが尋ねた。
「……正直、想像以上でした。
訓練とは全然違う」
「だよね。私も最初はガチガチだったもん」
ミアは笑った。
「でも、翔太くんは飲み込みが早いよ。
もう何回も戦ってるみたいに見えた」
「そんなことないよ。みんなの援護があったから──」
その時だった。
クレハが立ち上がった。
「……来る」
全員が緊張した。
通路の奥から、足音が聞こえる。
一つや二つではない。
多数の足音だ。
「なんだ……?」
レオンが剣を抜いた。
暗闇の中から、緑色の影が現れた。
一体、二体、三体──
「嘘だろ……」
レオンの声が強張った。
ゴブリンが、十体以上。
それも、通常より一回り大きい個体が混じっている。
「Fランクダンジョンで、この数は異常だ……!」
ミアが弓を構えた。
「どうするの、レオンさん!」
「……戦うしかない」
レオンは剣を構えた。
「だが、正面からは無理だ。翔太!」
「はい!」
「お前の光で、奴らの目を眩ませろ!
その隙に俺とクレハで数を減らす!」
「わかりました!」
ゴブリンの群れが、一斉に襲いかかってきた。
翔太は両手を前に出した。
(魔力を、最大限に……!)
体内のマナを全て手のひらに集中させる。
「──光よ!」
──パァァァッ!!!
眩い白光が通路を満たした。
「ギャアアアッ!?」
ゴブリンたちが目を押さえて悶えた。
「今だ!」
レオンとクレハが突進した。
巨大な剣が唸りを上げ、ゴブリンを薙ぎ払う。
クレハのナイフが、次々とゴブリンの急所を貫く。
ミアの矢が、後方のゴブリンを射抜いていく。
「翔太くん、右から来てる!」
ミアの声に、翔太は振り向いた。
光に目が慣れたゴブリンが、こちらに向かってくる。
「させるか……!」
翔太はナイフを抜き、踏み込んだ。
光を纏った刃が、ゴブリンを切り裂く。
「ギャッ──!」
続けてもう一体。
斬り──突き──斬り。
クレハに教わった連携攻撃が、自然と体から出た。
「はあっ!」
最後の一撃で、ゴブリンが倒れる。
「……全滅したか」
レオンが息を吐いた。
通路には、十数体のゴブリンの死体が転がっていた。
緑色の血が、通路の床を濃く染めている。
翔太は、その光景を見つめた。
さっきまで、無我夢中で戦っていた。
気がつけば、三体ものゴブリンを倒していた。
(僕が……これだけ……)
手が震えた。
だが、さっきのような吐き気はこみ上げてこなかった。
仲間を守るため、必死だったからだ。
(これが……戦うということなのか)
「みんな、怪我は?」
「私は大丈夫」
「……問題ない」
「僕も……大丈夫です」
翔太は膝に手をついた。
魔力を大量に使った反動で、体が重い。
「すまない、翔太。お前に負担をかけた」
レオンが言った。
「いえ……これくらい……」
「無理するな。お前の光がなかったら、もっと苦戦していた」
レオンは周囲を見回した。
「しかし……Fランクダンジョンでこの数のゴブリンは異常だ。
何かが起きている」
クレハが頷いた。
「……報告が必要だ」
「ああ。今日は撤退する。全員、ついてこい」
---
ダンジョンを脱出した四人は、探索者組合に戻った。
レオンが受付で報告を行う。
「──というわけだ。1層でゴブリンの大量発生。
しかも、通常より大型の個体が混じっていた」
受付の職員は顔色を変えた。
「それは……確かに異常ですね。すぐに調査隊を編成します」
「頼む。初心者パーティーなら全滅していたかもしれない」
報告を終え、四人は組合のロビーで一息ついた。
「お疲れ様、みんな」
ミアがへたり込んだ。
「いやー、びっくりしたね。あんなにゴブリンが出てくるなんて」
クレハが壁にもたれかかった。
「……初陣にしては、濃い経験をしたな」
レオンが翔太を見た。
「翔太、今日の報酬だ」
レオンは袋を差し出した。
「え?」
「素材の売却代金を四等分した。お前の取り分は八千マールだ」
翔太は驚いた。
「いいんですか? 僕、足を引っ張ってばかりで……」
「何を言ってる」
レオンは肩をすくめた。
「お前の光がなければ、あの群れを捌くのはもっと大変だった。
正当な報酬だ。受け取れ」
翔太は袋を受け取った。
「……ありがとうございます」
八千マール。
大金というわけではないが、翔太にとっては初めての収入だ。
(これが……探索者としての収入)
レオンが立ち上がった。
「今日の総評だ」
全員がレオンを見た。
「初陣としては上出来だ。
翔太、お前は想定外の事態でも冷静に対応できた。
ミア、援護射撃が的確だった。
クレハ、いつも通りだ」
クレハが小さく頷いた。
「だが、課題もある。
翔太、魔力の消費が激しすぎる。ペース配分を覚えろ。
ミア、後方の警戒が甘かった。
全員、次はもっと連携を意識しろ」
「はい!」
レオンは背を向けた。
「今日は休め。次の探索は、異常の調査結果が出てからだ」
---
その夜。
翔太は宿の部屋で、天井を見つめていた。
(初めての……ダンジョン)
モンスターと戦った。
仲間と連携した。
そして、報酬を得た。
全てが初めての経験だった。
翔太は自分の手を見た。
既に血は洗い落としたはずなのに、まだあの緑の血の感触が残っている気がする。
(今日、僕は命を奪った)
ゴブリンはモンスターだ。人間じゃない。
でも、人型の生き物だった。生きていた。
目を閉じると、最初に倒したゴブリンの顔が浮かんだ。
何も映さなくなった目。
濃い緑色の血。
(……慣れていくんだろうな、これに)
レオンの言葉を思い出した。
『殺らなければ、殺される』
それが、この世界の現実だ。
妹の顔が浮かんだ。
(美咲……)
黒の悪魔との約束。
妹の病気を治し、元の世界に帰るためには、もっと強くならなければならない。
そのためには、戦い続けなければならない。
翔太は拳を握りしめた。
(迷ってる暇はない。
今日は一歩を踏み出せた。
明日も、その先も、前に進み続けるんだ)
決意を胸に、翔太は深い眠りについた。




