第 8 話 ──ナイフ術の基礎
装備を整えた翌日。
翔太は訓練場でレオンを待っていた。
昨日、ナイフ術を教えると言われたからだ。
「よう、待たせたな」
レオンが現れた。
だが、その隣にはもう一人──見知らぬ女性がいた。
黒髪のショートカット。鋭い目つき。
左頬には、小さな傷跡がある。
全身黒ずくめの軽装で、腰には二本のコンバットナイフを下げていた。
「レオンさん、この方は……?」
レオンは親指で女性を指した。
「紹介する。斎藤紅葉──通称クレハ。俺のパーティーメンバーだ」
女性は小さく頷いた。
「……クレハだ」
低く、短い声。
翔太は少し気圧されながらも頭を下げた。
「高橋翔太です。よろしくお願いします」
レオンが続けた。
「昨日、ナイフ術を教えると言ったが──考え直した」
「え?」
「俺の得物は剣だ。ナイフとは重心も間合いも違う。
形だけ教えても、実戦じゃ使いものにならん」
レオンはクレハを見た。
「だから、ナイフのエキスパートであるこいつに任せる。
クレハはDランクだが、ナイフ術なら俺より上だ」
クレハが口を開いた。
「……一ヶ月。それで基礎を叩き込む」
翔太は背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします……!」
クレハは翔太の腰のナイフを見た。
「……抜いてみろ」
翔太は緊張しながらコンバットナイフを抜いた。
クレハの目が細まった。
「……持ち方から違う」
---
クレハは自分のナイフを抜いて見せた。
「ナイフの握り方は二種類。順手と逆手だ」
順手──刃が上を向く持ち方。
逆手──刃が下を向く持ち方。
「状況によって使い分ける。だが、まずは順手から覚えろ」
翔太はクレハの手元を真似た。
「こう……ですか?」
「……親指の位置が違う。柄の背に添えろ。
力を入れるのは小指と薬指だ」
クレハの指導は的確だった。
言葉は少ないが、一つ一つが核心を突いている。
「次は構え」
クレハは半身になり、ナイフを持った右手を前に出した。
左手は胸の前で待機している。
「……この構えが基本だ。重心は低く、いつでも動けるようにしろ」
翔太は真似た。だが──
「……足幅が狭い。そんなんじゃ、押されたら倒れる」
「腰が高い。もっと落とせ」
「肩に力が入りすぎだ。抜け」
指摘の嵐だった。
翔太は何度も姿勢を直しながら、必死についていった。
---
構えを覚えると、次は動きの訓練だった。
「ナイフは剣と違う。振り回す武器じゃない」
クレハは軽やかに動いた。
一瞬で間合いを詰め、翔太の喉元にナイフを突きつける。
「……隙を突く。急所を狙う。最小の動きで最大の効果を出す。
それがナイフの本質だ」
クレハは翔太から離れた。
「今日やることは三つ。突き、斬り、捌き」
突きは急所を狙う直線的な攻撃。
斬りは弧を描く斬撃。
捌きは相手の攻撃を受け流す防御技術。
「まずは突きからだ。的を用意した」
訓練場の隅に、人型の木製ターゲットが立っていた。
「喉、心臓、脇腹。三カ所を狙って突け」
翔太はナイフを構え、ターゲットに向かった。
一撃目──喉を狙った突きは、大きく外れて肩に当たった。
「……狙いが甘い。もう一度」
二撃目──今度は喉に近づいたが、刃の角度が悪い。
「……刺さらない角度だ。実戦なら弾かれる」
三撃目──
「……遅い」
翔太は歯を食いしばった。
(全然ダメだ……)
---
日が暮れるまで、翔太は突きの訓練を続けた。
「今日はここまでだ」
クレハが言った。
翔太は肩で息をしていた。腕がパンパンに張っている。
「……どうでしたか、僕は」
クレハは少し考えてから答えた。
「……最悪ではない」
それだけだった。
翔太は苦笑した。
「厳しいですね……」
「当然だ。甘やかして死なれたら寝覚めが悪い」
クレハはナイフを鞘に収めた。
「明日も同じ時間にここへ来い。遅刻は許さん」
「はい……!」
クレハは踵を返して去っていった。
翔太は一人、訓練場に残った。
(クレハさん……怖いけど、ちゃんと教えてくれてる)
自分の手を見た。
握りすぎて、マメができかけている。
(一ヶ月……頑張ろう)
翔太は暗くなった空を見上げた。
二つの月が、静かに輝いていた。
---
それから十日が経った。
翔太のナイフ術は、確実に上達していた。
突きの精度は上がり、斬りの軌道も安定してきた。
捌きもなんとか形になっている。
だが──
「……動きが固い」
クレハの言葉が、翔太を突き刺した。
「形は覚えた。だがお前の動きには流れがない。
一つ一つの技がバラバラだ」
翔太はナイフを構えたまま、唇を噛んだ。
「どうすれば……」
「考えすぎなんだ」
クレハは自分のナイフを抜いた。
「見ろ」
──シュッ、シュッ、シュッ。
三連続の斬撃。
だが、それは一つの動きに見えた。
斬りが終わると同時に次の斬りが始まり、途切れることなく流れていく。
「……技は繋がって初めて意味を持つ。
一撃で終わると思うな。次、その次、そのまた次を常に考えろ」
翔太は頷いた。
「やってみろ」
翔太は息を整え、ターゲットに向かった。
突き──斬り──突き。
だが、動きは相変わらずぎこちない。
技と技の間に、明らかな "途切れ" がある。
「……ダメだな」
クレハが言った。
翔太は俯いた。
「すみません……」
「謝るな。考えろ」
クレハは腕を組んだ。
「お前は魔法が使える。それも光属性──浸透する力だ。
なぜナイフだけで戦おうとする?」
翔太は顔を上げた。
「魔法と……組み合わせる?」
「当然だ。ナイフ術だけで俺やレオンに勝てると思うか?
勝つには、お前だけの武器がいる」
クレハの言葉が、翔太の胸に落ちた。
「魔法と、ナイフを……」
「今日はここまでだ。明日までに考えてこい」
---
その夜。
翔太は宿の部屋で、ナイフを手に考え込んでいた。
(魔法とナイフを組み合わせる……)
光属性。浸透する力。
試験のとき、ゴーレムの内部に魔力を流し込んで破壊した。
(あのとき……手のひらからだったけど……)
翔太はナイフを見つめた。
(ナイフ越しに、同じことができたら……?)
突然、黒の悪魔の言葉が蘇った。
『複雑な術式を扱える才能を付与した』
(僕に与えられた才能……まだ全然使いこなせてない)
翔太は決意した。
(明日、試してみよう)
---
あれから二週間。
翔太は着実に成長していた。
ナイフの動きは滑らかになり、技の連携もできるようになった。
だが、翔太が最も力を入れていたのは──
「……見せてみろ」
クレハが言った。
翔太はナイフを構えた。
息を整え、意識を集中させる。
(ナイフに、魔力を……)
手のひらから、淡い光が滲み出た。
それが柄を伝わり、刃へと流れていく。
──シャァァ……
ナイフの刃が、淡い白光を纏った。
「……成功したか」
クレハの目が、わずかに見開かれた。
翔太は光を纏ったナイフでターゲットに向かった。
「はあっ!」
斬撃がターゲットに命中する。
──ズウゥゥン……
光がターゲットの内部に浸透し、内側から木が砕けた。
普通の斬撃では到底与えられない、深い傷だった。
「……なるほど」
クレハが近づいてきた。
「光を纏わせるだけじゃない。斬った瞬間に光を "流し込んでいる" な」
「はい。ゴーレムを倒したときの応用です」
クレハは頷いた。
「……悪くない。だが──」
クレハは自分のナイフを抜いた。
「見ろ」
クレハのナイフに、薄い魔力の膜が纏わりついた。
翔太のような眩い光ではなく、ほとんど透明に近い。
そのナイフで、クレハは別のターゲットを斬った。
──スパァッ!!
ターゲットが真っ二つになった。
翔太のように内部を破壊するのではなく、純粋な切れ味で両断している。
「お前のやり方は派手で威力もある。だが魔力消費が激しいだろう」
翔太は頷いた。
「はい……長くは維持できません」
「私のやり方は地味だが、消費は少ない。長期戦向きだ」
クレハはナイフを収めた。
「どちらが正解というわけじゃない。
状況に応じて使い分けられるようになれ」
「はい……!」
翔太は自分のナイフを見つめた。
(僕だけの戦い方……少しずつ、形になってきた)
---
一ヶ月の特訓が終わった。
翔太は訓練場で、クレハと向かい合っていた。
「……最後に、模擬戦をする」
クレハがナイフを抜いた。
「一ヶ月の成果を見せろ」
翔太も構えた。
「お願いします」
──シュッ!
クレハが踏み込んだ。
一瞬で間合いを詰め、突きを放つ。
翔太は横に捌き、反撃の斬りを放った。
クレハは軽々と避け、連続で斬撃を繰り出す。
翔太は防御に回りながら、隙を伺った。
(技の連携……次、その次を考えろ……!)
クレハの斬りを捌いた瞬間、翔太は踏み込んだ。
「はっ!」
光を纏った突きがクレハに迫る。
──チィンッ!
クレハのナイフが、翔太の攻撃を弾いた。
だが、翔太は止まらなかった。
弾かれた勢いを利用し、回転しながら斬りを放つ。
同時に、左手から魔力の光弾を生成──
「──っ!」
クレハが後退した。
斬りは空を切ったが、翔太の光弾がクレハの目の前で止まっていた。
「……ここまでだ」
クレハが言った。
翔太は息を切らしながら、光弾を消した。
「どう……でしたか」
クレハは数秒、黙っていた。
それから、小さく頷いた。
「……合格だ」
翔太の顔が輝いた。
「本当ですか!?」
「基礎は身についた。連携も悪くない。
……あとは実戦で磨け」
クレハはナイフを収めた。
「お前の戦い方──ナイフと魔法の融合。
面白い可能性を感じる」
翔太は深く頭を下げた。
「ありがとうございました……クレハさん……!」
クレハは少しだけ目を細めた。
それは、彼女なりの笑顔だったのかもしれない。
「……礼はいい。強くなれ」
---
訓練場の入口に、レオンが立っていた。
「見てたぞ。なかなかやるじゃねえか」
翔太は頭を掻いた。
「まだまだです……クレハさんには全然及びません」
「当たり前だ。一ヶ月で追いつけるようなら、俺たちはとっくに引退してる」
レオンは翔太の肩を叩いた。
「だが、成長は著しい。
これなら──ダンジョンに連れていけそうだな」
翔太の目が輝いた。
「本当ですか!?」
「ああ。そろそろ実戦を経験させる頃だ。
来週、Fランクダンジョンに行くぞ。パーティーは俺が組む」
翔太の心臓が跳ねた。
「はい……! よろしくお願いします!」
レオンは背を向けた。
「それまでに体調を整えておけ。
ダンジョンは甘くない」
翔太は拳を握りしめた。
(ついに……ダンジョンデビューだ)
空を見上げると妖しく輝く二つの月が、翔太を見下ろしていた。




