第 11 話 ──最下層の真実
朝日が昇る前に、翔太は宿を出た。
ダンジョンの入口には、既にレオンたちが待っていた。
「早いな」
レオンが言った。
「眠れませんでした」
「そうか。緊張するのは悪いことじゃない」
レオンは翔太の肩を叩いた。
「だが、戦闘が始まったら切り替えろ。
恐怖も緊張も、全部武器に変えるんだ」
「はい」
ミアが明るく声をかけた。
「翔太くん、初ボス戦だね! 頑張ろう!」
「うん。ミアも」
クレハは無言で頷いた。それが彼女なりの激励だ。
「よし、行くぞ」
四人は、緑窟の迷宮へと足を踏み入れた。
1層は静かだった。
調査隊の掃討と、昨日の探索で、モンスターの数は減っている。
2層も同様だ。
遭遇したジャイアントラットは数体のみ。
翔太とクレハが手早く処理した。
3層──最下層に降りた。
ここは、さらに薄暗い。
光る苔もまばらで、レオンが魔力を込めた石を掲げながら進む。
「静かすぎる……」
ミアが呟いた。
「ボスが近いんだ。配下が守りを固めている」
レオンが低く答えた。
四人は慎重に進み、やがて最奥に辿り着いた。
そして──ボス部屋の前。
巨大な石の扉が、四人を待ち受けていた。
「最終確認だ」
レオンが全員を見回した。
「俺が前衛でボスを引きつける。
クレハは遊撃、配下のゴブリンを優先的に処理しろ。
ミアは後方から援護射撃、全体を見渡せ。
翔太は中衛、配下の処理を手伝いつつ、俺の援護に回れ」
「了解」
「……わかった」
「はい」
「ゴブリンリーダーは知能が高い。
弱い奴から狙ってくる可能性がある。
ミア、翔太、お前たちは特に警戒しろ」
二人は頷いた。
「いいな?」
レオンは扉に手をかけた。
「行くぞ」
重い音を立てて、扉が開いた。
---
ボス部屋は、広大な洞窟だった。
天井は高く、光る苔が青白い光を放っている。
中央には、巨大な影が鎮座していた。
「……でかい」
翔太は息を呑んだ。
ゴブリンリーダー。
通常のゴブリンの三倍以上の体躯。
筋肉質な緑色の肌に、鋭い牙。
手には、人間用の大剣を軽々と持っている。
そして、その周囲には──
「配下が五体」
クレハが告げた。
通常サイズのゴブリンが、リーダーの周りに控えている。
ゴブリンリーダーが、ゆっくりと立ち上がった。
「グルルル……」
低い唸り声。
赤い目が、四人を見据える。
「来るぞ!」
レオンが剣を抜いた。
「散開!」
ゴブリンリーダーが咆哮した。
「グオオオオッ!!」
配下のゴブリンたちが、一斉に襲いかかってきた。
「ミア、援護!」
「任せて!」
ミアの矢が、先頭のゴブリンを射抜いた。
クレハが影のように動き、二体目のゴブリンの背後に回り込む。
ナイフの一閃で、首が落ちた。
「翔太、右から来るぞ!」
レオンの声。
翔太は右を見た。
ゴブリンが棍棒を振り上げて迫ってくる。
「はあっ!」
光を纏ったナイフで、ゴブリンを切り伏せる。
だが、その隙に──
「グルアァッ!」
ゴブリンリーダーが、レオンに向かって大剣を振り下ろした。
「っ!」
レオンは剣で受け止めた。
だが、その重さに膝が沈む。
「重い……!」
「レオンさん!」
翔太は駆け出そうとした。
だが、残りのゴブリン二体が行く手を阻む。
「ギャギャッ!」
「邪魔だ……!」
翔太はナイフを構えた。
一体目を斬り、二体目を蹴り飛ばす。
だが、その間にもレオンは押されていた。
「クレハ!」
「……わかってる」
クレハが投擲ナイフを放った。
ナイフがゴブリンリーダーの腕に突き刺さる。
「グッ……!」
一瞬、リーダーの動きが止まった。
その隙に、レオンが体勢を立て直す。
「助かった……!」
だが、ゴブリンリーダーはすぐに体勢を整えた。
ナイフを引き抜き、投げ捨てる。
「グルルル……」
怒りに満ちた目が、クレハを睨んだ。
「来る……!」
ゴブリンリーダーが、クレハに向かって突進した。
「クレハさん!」
ミアが矢を放つ。
だが、リーダーは腕で弾いた。
クレハは後退しながら、ナイフを構える。
だが、リーダーの速度が速い。
「まずい──!」
翔太は叫んだ。
(間に合わない……!)
その時、体が勝手に動いた。
翔太は両手を前に出し、魔力を集中させた。
「光よ──!」
──パァァァッ!!!
眩い白光が、洞窟を満たした。
「グアアアッ!?」
ゴブリンリーダーが目を押さえて悶えた。
「今だ!」
レオンが突進した。
巨大な剣を振りかぶり、渾身の一撃を放つ。
「おおおおっ!」
──ズガァァン!!
レオンの剣が、ゴブリンリーダーの胸を貫いた。
「グ……ガ……」
リーダーは、ゆっくりと崩れ落ちた。
巨体が地面に倒れ、洞窟が揺れる。
「……倒した」
レオンが息を吐いた。
「倒したぞ……!」
---
洞窟に、静寂が戻った。
翔太は膝に手をついた。
「はあ……はあ……」
魔力を使いすぎた。
体が重い──はずだった。
(……?)
奇妙な感覚があった。
ゴブリンリーダーの巨体から、何かが立ち昇っている。
目には見えない、けれど確かに感じる──淡い光の粒のようなもの。
それが、翔太の体に吸い込まれていく。
(これは……マナ?)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
疲労で空っぽになったはずの魔力が、みるみる満たされていく。
いや、それどころか──使う前よりも、多くなっている気がする。
(なんだ、これ……)
驚きと戸惑いが混じった。
だが、悪い感覚ではない。
むしろ、体の芯から力が湧いてくるような──
翔太は周囲を見回した。
レオンもミアもクレハも、何も感じていないようだ。
彼らには、この光の粒が見えていない。
(僕だけ……?)
翔太は、わざと膝をついたまま、荒い息を吐いた。
今の感覚を、仲間に悟られるわけにはいかない。
だが、勝った。
初めてのボス戦を、乗り越えた。
「翔太くん、大丈夫!?」
ミアが駆け寄ってきた。
「うん……ちょっと、魔力使いすぎた」
「でも、すごかったよ!
あの光がなかったら、クレハさんが危なかった!」
クレハが近づいてきた。
「……助かった」
短い言葉だったが、確かな感謝が込められていた。
「いえ、僕こそ、みんなに助けられて……」
レオンが背中を叩いた。
「よくやった。全員、無事だな」
「はい」
「ああ」
「うん!」
レオンは倒れたゴブリンリーダーを見下ろした。
「素材を回収するぞ。
ゴブリンリーダーの牙と爪は、高く売れる」
四人は手分けして、素材を回収した。
翔太は、自分の手を見つめた。
まだ震えている。
だが、それは恐怖だけではない。
(僕たちは……勝った)
達成感が、胸の奥から込み上げてきた。
「よし、回収完了だ」
レオンが立ち上がった。
「奥を見ろ」
翔太が振り向くと、洞窟の最奥に、さらに空間が広がっているのが見えた。
「ボスを倒したからな。
しばらくはモンスターが湧かない」
レオンが説明した。
「ダンジョンには復活の仕組みがあるが、ボスが倒されると一時的に停止する。
今が調査のチャンスだ」
翔太は、胸のざわめきに従って奥へと進んだ。
やがて、行き止まりに辿り着いた。
壁だ。
ただの岩壁──だが、その中央に、何かが刻まれている。
「これは……」
翔太は息を呑んだ。
壁に刻まれた、複雑な紋章。
円形の中に、幾何学的な線が無数に絡み合っている。
そして、その紋章から──微かに白い光が漏れていた。
「見たことのない紋章だ」
レオンが眉をひそめた。
「こんなものが、最下層にあるなんて……」
クレハも首を振った。
「……私も初めて見る」
ミアが恐る恐る近づいた。
「なんか……光ってるね。綺麗だけど、ちょっと怖い」
翔太は、紋章を見つめていた。
(この紋章……)
胸のざわめきが、最高潮に達している。
まるで、何かが呼んでいるような──
気がつくと、翔太は紋章に向かって手を伸ばしていた。
「翔太、何を──」
レオンの声が聞こえた。
だが、止められなかった。
指先が、紋章に触れる。
──瞬間。
翔太の脳裏に、声が響いた。
---
『──それは女神の楔だ』
翔太は息を呑んだ。
この声は──
『久しぶりだな、翔太』
黒の悪魔──ダリウス・ノクターンの声だ。
(あなたは……!)
『驚かせてすまない。
お前が多少マナを蓄えてくれたおかげで、少しの時間だが声を届けられた。』
声は静かで、どこか穏やかだった。
『その紋章は、白の女神がダンジョンを制御するために刻んだ術式だ。
俺たちは「楔」と呼んでいる』
(楔……?)
『女神はこの楔を通じて、ダンジョン内のモンスターの数や強さを調整している。
そして今、女神は意図的に楔を操作し、モンスターを増殖させている』
翔太は息を呑んだ。
(意図的に……? なぜそんなことを……)
『恐怖と危機感を与えるためだ。
人々がモンスターの脅威に怯え、必死に戦い、苦しむ──その感情こそが、女神の糧となる』
(そんな……!)
『女神はこの世界の住人からマナを収穫している。
感情が激しいほど、より多くのマナが生まれる。
恐怖、絶望、そして必死に抗う勇気──全てが女神の養分だ』
翔太の中で、怒りが沸き上がった。
(住人たちは……知らずに利用されているのか)
『その通りだ。女神は慈愛の象徴として崇められているが、その実態は家畜の管理人に過ぎない。
楔を壊せば、女神のダンジョン支配が弱まる。
それは、俺がニューヘイマーに顕現するための条件を整えることにつながる』
翔太は黙った。
(僕には……まだ、そんな力はありません)
『わかっている。今のお前には、楔を壊す力はない。
私が言いたいのは、こういうことだ──』
声が、少しだけ優しくなった。
『まずは力を蓄えろ。ダンジョンを攻略し、マナを集めろ。
お前の体は特別製だ。マナの消費より溜まる量の方が大きくなっている。
そして、真実を見極める目を養え。
その上で、お前自身が選べばいい』
(……わかりました)
『いい返事だ。お前は賢い。
楔の存在を知ったことで、お前の視界は広がった。
次に会う時は、もう少し詳しい話ができるだろう』
声が遠くなっていく。
『それまで、生き延びろ。翔太』
──声が、消えた。
---
「翔太!」
レオンの声で、翔太は我に返った。
「大丈夫か!?」
「あ……はい、大丈夫です」
翔太は手を紋章から離した。
体が少し震えている。
「何があった。急に固まって、反応がなくなった」
「すみません……何か、魔力の乱れを感じて……」
翔太は言葉を選んだ。
「この紋章から、何かが……流れ込んできた気がして」
嘘ではない。だが、全てを話したわけでもない。
レオンは鋭い目で翔太を見つめた。
「……それだけか?」
「……」
翔太は、レオンの目を見返した。
(話すべきか……)
だが、今はまだ、整理がついていない。
黒の悪魔のこと、楔のこと、女神の真実──
全てを話すには、情報が断片的すぎる。
そして何より──
(レオンさんも、この世界で女神を信じて生きてきた人だ。
いきなり「女神は悪だ」なんて言っても、信じてもらえるわけがない)
「……まだ、うまく説明できないことがあるんです」
翔太は正直に言った。
「でも、隠し事をしているわけじゃありません。
ただ、僕自身が理解できていないだけで……」
レオンは、しばらく翔太を見つめていた。
やがて、小さくため息をついた。
「……わかった。お前が話せるようになったら、聞かせろ」
「はい。必ず」
「今は撤退だ。この紋章のことは、組合に報告する」
四人は、来た道を引き返した。
探索者組合に戻ると、レオンが報告を行った。
ボスの討伐。
最下層での紋章の発見。
異常な魔力の流れ。
受付の職員は、表情を引き締めた。
「ボス討伐、お疲れ様でした。
最下層の紋章については……上層部に報告します。
何か分かり次第、連絡いたします」
「頼む」
報酬を受け取り、四人は組合の外に出た。
「ボス討伐の報酬と、調査報酬を合わせて……」
レオンが袋を分けた。
「翔太、お前の取り分は三十万マールだ」
「三十万……!」
翔太は驚いた。
初陣の時の八千マールでも驚いたのに、その三十倍以上だ。
「ボス素材は高く売れる。当然の報酬だ」
ミアが笑った。
「翔太くんの光がなかったら、もっと苦戦してたもんね。
当然の報酬だよ!」
「……ありがとうございます」
翔太は袋を受け取った。
三十万マール。
大金だ。だが、それ以上に──
(僕は今日、大きなものを得た)
女神の楔。その存在を知った。
これが、この世界の真実への第一歩だ。
「今日は解散だ」
レオンが言った。
「ゆっくり休め。次の依頼は、また連絡する」
「はい」
ミアが手を振った。
「お疲れ様! 翔太くん、またね!」
「うん。ミアも、お疲れ様」
クレハが、翔太の横を通り過ぎる時、小さく言った。
「……今日の光、見事だった」
それだけ言って、クレハは去っていった。
---
その夜。
翔太は宿の部屋で、窓の外を見つめていた。
空には、二つの月が浮かんでいる。
一つは白く、一つは青みがかっている。
(女神の楔……)
黒の悪魔の言葉を、何度も反芻していた。
ダンジョンを制御する術式。
女神はそれを意図的に操作し、モンスターを増殖させている。
人々の恐怖と苦しみを煽り、マナを搾取するために。
(ふざけるな……)
拳を握りしめた。
この世界の人々は、女神を慈愛の象徴として崇めている。
レオンも、ミアも、クレハも、リナも──みんな、知らずに利用されている。
(許せない……)
翔太は目を閉じた。
妹の顔が浮かんだ。
病室で、いつも笑顔を見せてくれる美咲。
『お兄ちゃんは頑張り屋さんだね』
その笑顔を、もう一度見たい。
病気を治して、元の世界に帰りたい。
そのためには、黒の悪魔の力が必要だ。
だが、今の自分には何もできない。
楔を壊す力もなければ、女神に抗う術もない。
(……悔しい)
翔太は拳を握りしめた。
(でも、今の僕にできることは限られている。
まずは力をつける。真実を見極める目を養う。
そして、いつか必ず──)
黒の悪魔は言った。「力を蓄えろ」と。
今は、前に進むことだけを考えればいい。
女神の真実を知った今、迷いはなくなった。
翔太は立ち上がった。
窓の外の二つの月を見上げる。
(レオンさんにも、いつかは話さないといけない。
でも、今はまだ……証拠がない。信じてもらえる材料がない)
だから、今は力を蓄える。
ダンジョンを攻略し、実績を積み、信頼を得る。
そして、機が熟したら──
(この世界の真実を、みんなに伝える)
翔太は小さく息を吐いた。
(明日からは、もっと強くなるための訓練だ。
一歩ずつ、前に進む。
それしかできないけど……それでいい)
決意を胸に、翔太は床についた。
外では、二つの月が静かに輝いていた。
そのうちの一つ──白い月が、まるで全てを見透かすように、冷たく光っていた。




