第 10 話 ──異変の兆し
初陣から三日が経った。
翔太は探索者組合のロビーで、レオンたちと合流していた。
「調査結果が出た」
レオンの声は、いつになく硬い。
「緑窟の迷宮の異常だが……俺たちが遭遇した群れは、氷山の一角だったらしい」
「どういうことですか?」
翔太が尋ねると、レオンは手元の報告書を見せた。
「他のFランクダンジョンでも、同様の報告が相次いでいる。
ゴブリン、スライム、コボルト──どの種族も、異常な速度で増殖している」
ミアが眉をひそめた。
「それって……すごくまずいんじゃない?」
「ああ。放っておけば、いずれダンジョンから溢れ出す可能性もある」
クレハが静かに言った。
「……原因は?」
「不明だ。だが、調査隊の報告によると、ダンジョンの最下層から何かが影響を与えている可能性があるらしい」
翔太は黙って聞いていた。
(最下層から……何かが……)
胸の奥で、微かな違和感が疼いた。
まるで、何かを知っているような──そんな感覚だ。
「そこで、俺たちに追加調査の依頼が下りた」
レオンが全員を見回した。
「緑窟の迷宮、2層まで潜って調査する。
異常の原因と思われるものを見つけたら、報告して撤退。
戦闘は可能な限り避けろ」
「了解」
「……わかった」
「はい」
三人が頷いた。
レオンは翔太を見た。
「翔太、お前はまだFランクだ。
2層は本来、お前のランクでは挑戦できない場所だが……俺がお守りするってことで今回は特例で許可が出ている。
危険だと判断したら、俺の指示に従え。いいな?」
「わかりました」
翔太は頷いた。
(異常の原因……何かを見つけられるかもしれない)
胸の奥で、期待と不安が入り混じっていた。
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その日の午後。
四人は再び緑窟の迷宮の前に立っていた。
「前回より、慎重に行く」
レオンが言った。
「今回の目的は調査だ。無駄な戦闘は避けろ」
「了解」
洞窟の入口から、冷たい風が吹いてくる。
翔太は深呼吸した。
(大丈夫。今度は、ちゃんとできる)
四人は、ダンジョンへと足を踏み入れた。
1層は、前回と比べて静かだった。
モンスターの気配はあるが、遭遇する数は少ない。
「調査隊が掃討したんだろうな」
レオンが言った。
「だが、油断するな。奥に行くほど、元に戻っている可能性がある」
翔太は周囲を警戒しながら進んだ。
前回は緊張で周囲が見えていなかった。
だが今は、壁の苔の光り具合、足元の地面の感触、空気の流れ──全てを意識できている。
(成長している……のかな)
「翔太くん」
ミアが横に並んだ。
「どう? 二回目のダンジョン」
「前回より、落ち着いてます」
「だよね。なんか、動きが違う気がする」
ミアは笑った。
「初陣の時は、ガチガチだったもんね。
今は、ちゃんと周り見えてるって感じ」
「……あの時は、必死で」
翔太は苦笑した。
「正直、あまり覚えてないんです。
気がついたら、戦ってて……気がついたら、終わってた」
「わかる。私も最初はそうだったよ」
ミアは頷いた。
「でも、そうやって経験を積んでいくんだよね。
一回一回が、成長につながるの」
「そうですね……」
前方を歩くクレハが、小さく振り向いた。
「……喋りすぎだ。警戒を怠るな」
「ごめんなさい」
ミアが舌を出した。
翔太は苦笑しながら、再び周囲の警戒に意識を向けた。
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1層を抜け、2層への階段を降りる。
空気が、明らかに変わった。
1層よりも暗く、重い。
光る苔の量が減り、視界が悪くなっている。
「2層からは、ジャイアントラットとキラービーが出る」
レオンが小声で言った。
「どちらも1層のモンスターより素早い。気を抜くな」
翔太は頷いた。
しばらく進むと、通路の先に影が見えた。
大きなネズミのような生き物。
体長は1メートルほど。鋭い牙と赤い目を持っている。
「ジャイアントラット、二体」
クレハが告げた。
「……私が行く。援護を」
「待て」
レオンが手を上げた。
「翔太、お前がやれ」
「僕ですか?」
「ああ。前回の反省を活かせるか、見せてみろ」
翔太は息を整えた。
(魔力のペース配分……全力を出すんじゃなく、必要な分だけ使う)
ナイフを抜き、構える。
「行きます」
翔太は静かに踏み込んだ。
ジャイアントラットがこちらに気づき、飛びかかってくる。
「っ……!」
翔太は最小限の動きで避け、すれ違いざまにナイフを振るった。
光を纏った刃が、ジャイアントラットの首筋を切り裂く。
「ギィッ──!」
一体が倒れる。
もう一体が、背後から襲いかかってきた。
翔太は振り向かずに、手のひらを後ろに向けた。
「魔力放出──」
光の弾が、ジャイアントラットの顔面に命中する。
「──!?」
怯んだ隙に、翔太は振り向いてナイフを突き刺した。
──ズン。
二体目のジャイアントラットが、地面に崩れ落ちた。
「……はあ」
翔太は息を吐いた。
前回のように、魔力を使い果たした感覚はない。
必要な分だけ、適切に使えた。
「悪くない」
クレハが近づいてきた。
「……魔力の使い方を覚えた。動きも無駄が減った」
「ありがとうございます」
翔太は少し嬉しくなった。
クレハから褒められることは、滅多にない。
レオンが頷いた。
「合格だ。だが、まだ改善の余地はある。
後で詳しく言う」
「はい」
ミアが親指を立てた。
「翔太くん、かっこよかったよ!」
「……ありがとう」
四人は再び、2層の奥へと進んでいった。
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2層を進むにつれ、翔太は奇妙な感覚を覚えていた。
(何か……変だ)
胸の奥がざわめく。
何かが、この先にある。
「レオンさん」
「どうした」
「何か……マナの流れが、おかしい気がします」
レオンは足を止めた。
「お前も感じるか」
「はい。胸の奥が……ざわつくというか」
レオンは周囲を見回した。
「俺も感じている。この先に、何かある」
四人は慎重に進んだ。
2層の通路は複雑に入り組んでいた。
何度も分岐を選び、行き止まりに突き当たり、引き返す。
だが、どこを探しても──
「……何もないな」
レオンが呟いた。
「マナの乱れは感じる。だが、その原因が見つからない」
クレハが壁に手を当てた。
「……この先からだ。間違いない」
「ああ。だが、2層にはもう探索していない場所はない」
翔太は目を閉じ、マナの流れを感じ取ろうとした。
胸の奥のざわめきは、確実にある方向を指している。
「レオンさん……この感覚、下から来てる気がします」
「下?」
「はい。2層じゃなくて、もっと下……3層から」
レオンは眉をひそめた。
「最下層か……」
ミアが不安そうに言った。
「3層って、ボスがいるところだよね?」
「ああ。ゴブリンリーダーだ」
レオンは腕を組んだ。
「原因が最下層にあるなら、ボスを倒さなければ辿り着けない」
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四人は2層を抜け、ボス部屋の前に立った。
巨大な石の扉。
その向こうから、強大な気配が漂ってくる。
「……でかいな」
レオンが呟いた。
翔太も感じていた。
扉の向こうにいる存在は、これまで戦ったゴブリンとは比較にならない。
「ゴブリンリーダーは、通常のゴブリンの三倍以上の体躯を持つ」
レオンが説明した。
「知能も高く、武器を使いこなす。
さらに、配下のゴブリンを率いて戦う。
Fランクダンジョンのボスとはいえ、油断すれば死ぬ」
ミアが唾を飲み込んだ。
「……やっぱり、怖いね」
「当然だ。恐怖を感じないやつは、真っ先に死ぬ」
レオンは扉を見つめた。
「だが、今日はここまでだ」
「え?」
翔太が驚いて聞き返した。
「ボス戦には、万全の準備が必要だ。
今日は2層の探索で魔力を消耗している。
この状態でボスに挑むのは愚策だ」
クレハが頷いた。
「……同感だ。撤退が正しい」
レオンは翔太を見た。
「翔太、お前は初めてのボス戦になる。
心の準備もいるだろう。今日は帰って、明日に備えろ」
「……わかりました」
翔太は頷いた。
正直、ボス部屋の前で感じる圧迫感は、想像以上だった。
今の状態で挑むのは、確かに無謀だと感じていた。
「よし、撤退だ」
四人は、来た道を引き返した。
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探索者組合に戻ると、レオンが報告を行った。
「──2層を探索したが、原因は見つからなかった。
だが、マナの乱れは確実に最下層から来ている。
明日、ボスを討伐して3層を調査したい」
受付の職員は頷いた。
「わかりました。ボス討伐と最下層調査、正式に依頼として受理します。
報酬は通常のボス討伐に加え、調査報酬を上乗せします」
「助かる」
報告を終え、四人は組合の外に出た。
「明日、朝一でダンジョンに向かう」
レオンが言った。
「今日は早く休んで、万全の状態で臨め」
「はい」
ミアが翔太の肩を叩いた。
「翔太くん、初ボス戦だね! 緊張する?」
「……正直、します」
「だよね。私も初めてのボス戦は足が震えたもん」
ミアは笑った。
「でも大丈夫。レオンさんとクレハさんがいるから」
クレハが静かに言った。
「……油断するな。Fランクとはいえ、ボスはボスだ」
「わかってます」
翔太は頷いた。
レオンが背を向けた。
「じゃあ、解散だ。明日、ダンジョン前で集合」
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その夜。
翔太は宿の部屋で、窓の外を見つめていた。
空には、二つの月が浮かんでいる。
一つは白く、一つは青みがかっている。
(明日、ボス戦か……)
初めてのボス戦。
今日、ボス部屋の前で感じた圧迫感を思い出す。
あの扉の向こうには、これまでとは次元の違う敵がいる。
(怖い……か)
正直に言えば、怖い。
だが、それ以上に──
(知りたい)
最下層に何があるのか。
あの胸のざわめきの正体は何なのか。
2層を探索している時、翔太だけが強く感じていた違和感。
レオンやクレハもマナの乱れを感じていたが、翔太ほどではなかった。
(僕だけが、特別に感じ取れている……?)
それは、黒の悪魔に与えられた力と関係があるのかもしれない。
翔太は拳を握った。
(考えても仕方ない。明日になれば、わかることだ)
今は、目の前のことに集中するべきだ。
ボスを倒し、最下層を調査する。
そこに何があるのか、この目で確かめる。
(僕は、前に進む)
妹の顔が浮かんだ。
病室で、いつも笑顔を見せてくれる美咲。
『お兄ちゃんは頑張り屋さんだね』
(待っててね、美咲)
翔太は立ち上がった。
窓の外の二つの月を見上げる。
(明日、初めてのボス戦。
絶対に勝って、最下層の謎を解き明かす)
決意を胸に、翔太は床についた。




