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ゼアミ  作者: がくぞう
8/52

8 小太郎のレスリングスタイル

 それから半月後。

 小太郎の復帰戦は、小石川ホールでのオータムファイトシリーズ最終戦の第一戦に急きょ組まれた。小太郎の対戦相手は、なぜか当日まで未定だった。

 その日のメインには、バッファロー天野(あまの)北斗(ほくと)ケンスケのSWGP(ストロングジャパン・レスリング・グランプリ)ヘビー級選手権試合が組まれ、会場は大入り満員だった。

 午後六時になって、人気リングアナウンサーの通称・ケロリンの紹介で、第一試合の選手入場が始まった。

 俺は赤のジャガーウエアに身を包みながら、ストロングジャパンの若手に交じってリングサイドに陣取っていた。

 会場にポップな曲が流れ出し、最初に青コーナーから小太郎が入場してきた。デビュー戦も二戦目も入場曲なしだったので、少し面食らったが、それは自分をアピールすることが商売であるプロレスラーの積極的な自己主張として評価できることだった。小太郎が初の入場曲として選んだのは、大ヒット映画「ヒットルース」の挿入曲だった。

 この曲は、十年くらい前にAPA世界ヘビー級王座をめぐって、ビッグジャパンプロレスのタフネス鴨田(かもだ)さんと死闘を繰り広げたミック・マーブルが使っていた入場曲だった。

 そういえば小太郎は、ゼアミの次に好きなレスラーがミック・マーブルと言っていたような気がする。マーブルは男も惚れ込むようなハンサムレスラーだった。白い歯がのぞいた笑顔が最高だった。

 かつて俺はマーブルとセントポールで一度だけ対戦したことがある。当時、APAエリアでのマーブルは、とにもかくにも売り出し中のベビーフェースだったから、いかにゼアミといえども、般若の面での一方的な反則攻撃は許されなかった。正直、二十五歳という若さあふれるマーブルには、ゼアミに負けないくらいの華があったし、APAのプロモーターだった帝王ガーン・バニラ直伝のしっかりとしたレスリングテクニックもあった。

 俺は、マーブルをトップレスラーに押し上げたいというガーン・バニラの要求通り、とにかく、マーブルのベビーフェイスとしての商品価値を上げるための試合に徹した。それが、プロレスラーとしての俺の信用とファイトマネーに影響するんだから、ビジネスとして大切なことだった。

 マーブルはゼアミの凶器攻撃に屈しなかった。般若の鉄扇を軽快なドロップキック一発で見事に吹き飛ばして見せたんだ。

 翌日のスポーツ新聞のプロレス欄には、「若き英雄マーブルが魅せた。日本の神秘と血まみれのドロー。世界タイトル初挑戦決定か」そうはやし立てられていた。まさに、ガーン・バニラの思うつぼだった。

 その後、マーブルはゼアミに屈しなかったカリスマ性を売りにして、いっきにスター街道を突き進んだ。そして一年後には、APA王者のタフネス鴨田さんを得意のフライイングボディアタックで破ってAPAの世界チャンピオンになった。

 マーブルは人間としても最高にいい奴だったから、レスラー仲間のみんなが協力した部分もあっただろうけどな。もしかすると小太郎は、無意識のうちにマーブルみたいな超ベビーフェイスのレスラーに憧れていたのかもしれないな。 

 小太郎が、これまでにない笑顔でリングインした。何かが吹っ切れたようなさわやかな好青年の面構えだった。細めな身体だが、鍛え抜かれたメリハリのある筋肉が黒のショートタイツでより一層引き締まって見えた。

 これは、いいぞ。俺は素直にそう思った。

 突然、会場に、今度は俺の大好きな曲が流れ始めた。

 えっ? 俺は耳を疑った。「ドラゴンス殺法」だ。まさか……。

 観客も敏感に反応していた。未定のままだった小太郎の対戦相手の入場で、ストロングジャパンプロレス社長・辰波馨さんの入場曲である「ドラゴン殺法」が流れ出したのである。

「おおーっ!」という大きなどよめきのような歓声が巻き起こった。

 赤コーナーから入場してきたのは、背中に勇壮な金糸の龍が施された豪華なブルー調のロングガウンに身を包んだ辰波さんだった。

 その雄姿を見て、会場全体のボルテージはマックスになった。

 俺もリングサイドで興奮した。俺がプロレスのいろはを教わった辰波さんと小太郎の奴が、これから俺の目の前で闘おうとしている。正直、小太郎がうらやましかった。俺よりも先に、小太郎が辰波さんと対戦することになろうとは。

 それにしても、ストロングジャパンプロレスのトップレスラーが第一試合に出場することなど前代未聞のことだろ……いや、違う。数年前、辰波さんは、柔道王・大川直鬼(なおき)との、プロレスとも真剣勝負ともつかない危ない抗争を強いられて方向性を見失っていた(さむらい)力也(りきや)と、第一試合で対戦したことがあったぞ。しかし、その時の侍力也は、ミスターSWGPと呼ばれ、SWGP防衛回数最多を誇り、辰波さんともSWGPのベルトを賭けて何度も対戦していた、まさにストロングジャパンプロレスの押しも押されぬトップレスラーだった。デビュー三戦目の小太郎とは、プロレスラーとしての格が違った。

 しかし、理由はどうあれ、いま、俺の目の前では、リングアナウンサーのケロリンが、辰波さんと小太郎の選手紹介を終え、まさに試合開始のゴングを待っていた。にわかには信じられない試合が始まろうとしていた。

 カーン! 

 注目のゴングが鳴った。俺は息をのんだ。夢を見ているような気持ちでリング上の二人を見つめた。

 お互いが両手を上げて手四つの体勢から始まった。小太郎の顔は笑っているようだった。

 力比べの後、押し込まれて膝をついた辰波さんを小太郎はヘッドロックにとらえた。辰波さんはそのまま立ち上がると小太郎をロープに振った。小太郎がロープのリバウンドを利用して、いきなり大技のランニングボディアタックを見舞っていった。小太郎がそのままフォールに入った。レフリーのピューマ鳥取さんの早めのカウントが入る。

「ワン・ツー」

 鳥取さんは俊敏な身のこなしと的確なレフリングでレスラーたちから信頼されていた。

 辰波さんは余裕の表情で小太郎の体を跳ね返した。体勢を立て直した両者は、今度はロックアップに組み合った。駆け引きの中、先手を取った小太郎が素早いアームホイップで辰波さんを投げると、すかさず体勢を立て直した辰波さんが、お返しとばかりに小太郎を華麗なアームホイップで投げ返していた。辰波さんも小太郎も、お互いが「やるな」という表情で間を取った。

 その直後、辰波さんの平手打ちが小太郎の横っ面にヒットした。えげつないこめかみへの衝撃に、小太郎は一瞬意識を失って、がくっとその場に崩れ落ちた。辰波さんは素早く小太郎の後ろに回ってスリーパーホールドを仕掛ける。そして間髪を入れずにドラゴンスリーパーホールドに移行した。

 小太郎はもがきながらも何とかロープにエスケープすると、いったん、リング下に転がり落ちて態勢を整えた。そこへ、辰波さんのドラゴンロケットが噴射された。会場に再び「おーっ!」という大きなどよめきが巻き起こった。小太郎は、リング上から飛んできた辰波さんの身体をもろに受けて、場外マットに後頭部を打ち付けた。場外で倒れ込んだ小太郎を無理やりつかみ起こした辰波さんは、小太郎の右足を取ってドラゴンスクリューを放った。試合序盤でのいきなりのドラゴン殺法全開に場内は三度目の「おーっ!」となった。

 辰波さんが、場外でダウンする小太郎を尻目にリングに上がって両手を叩いてアピールすると、会場全体がドラゴンコールに包まれた。

 俺は思わず小太郎のところに駈け寄って、

「小太郎、いいぞ。受けて受けて、受けきったら自分のこれはという技を出すんだ。小太郎、チャンスだ。いけ!」

 いつの間にか、俺は小太郎を手放しで応援していた。デビュー三戦目で、辰波さんにいきなりドラゴン殺法を連発させるなんぞ、そんじょそこらの新人には到底できない芸当だ。

 リング上では辰波さんが、小太郎、早く上がって来いと手を叩いて観客を煽っていた。これは、次は小太郎が技をかけてこい、という辰波さんの無言のメッセージなんだぞ。

「小太郎、ここが踏ん張りどころだ!」

 俺は、右足を押さえてもがき苦しんでいた小太郎の腰を蹴り飛ばしていた。小太郎が俺を睨みつけてきたが、俺は構わず檄を飛ばした。

「ミック・マーブルでいけ!」

 般若の形相の小太郎は自分を鼓舞するかのようにうなずくと、足の痛みに耐えながらも気丈に立ち上がって、ロープをつかんでからエプロンに上がった。辰波さんは、そこを逃さず、小太郎をロープごしに捉えると、ブレーンバスターで小太郎をリング内に投げ入れた。と思いきや、小太郎は見事な瞬発力で空中で切り返すと、辰波さんの背後に着地して、辰波さんのウイークポイントである腰にダメージを加えるべく、ワンハンドバックブリーカーをさく裂させた。

 俺は信じられなかった。ついこの間のデビュー二戦目まではガチガチに硬くなって何もできなかった小太郎が、今日は、大先輩の辰波さんの胸を借りて攻守ともに堂々とレスリングをこなしている。

 先日、ゼアミの部屋で若女や般若の面と対話したことで、小太郎の中に大きな変化が生じたのだろうか。いや、今、俺の目の前で小太郎が辰波さんと闘っているということは、辰波さんが小太郎と試合をすることの、なにかしらの意味を見出した結果のことだろうから、辰波さんが小太郎を変えたんだろうか。

 いずれにしろ、小太郎にとっては、これからプロレスラーとして生きていく上でのターニングポイントになる試合であることに間違いはなかった。

 ワンハンドバックブリーカーで腰を強打し、ロープサイドで仰向けのまま動けないでいる辰波さんに対して、小太郎は素早くエプロンに出ると、トップロープ越しにダイビングボディプレスを見舞った。ミック・マーブルの必殺技だ。

「ワン・ツー・ス」

 辰波さんは二・九で跳ね返した。辰波さんは、うなずきながら満足そうな表情でゆっくり立ち上がると、フィニッシュホールドを返されて戸惑う小太郎をロープに飛ばしていた。

「決まった!」

 俺は思わず叫んだ。

 ロープの反動で帰ってきた小太郎の両腕をロックした辰波さんは、電光石火の逆さ抑え込みで小太郎をがっちりとホールした。かつて、馬力で押していたライバルのバク周南さんやビッグ・ボン・バイダーの爆発的な攻撃を受けきった後に、絶妙な逆転技として勝利を収めてきた辰波さんの得意技だ。

「ワン・ツー・スリー」

 ピューマ鳥取さんの流れるようなスリーカウントが完璧に入った。

 その瞬間、第一試合にもかかわらず、会場はわれんばかりの拍手喝采に包まれた。

 辰波さんはホールを解くと手をたたきながら、悔しそうに立ち上がろうとする小太郎に握手を求めた。

 俺は、そんな小太郎がうらやましかった。

 二人は荒れた息の中、がっちりと握手を交わした。小太郎は辰波さんに対して深々と頭を下げた。辰波さんが小太郎の左手を挙げて観客にアピールした。

 大声援に包まれた。

 辰波さんは小太郎の背中を粋にポンと叩くと足早にリングを降りた。その時、リングサイドの俺と辰波さんの目が合った。辰波さんは一瞬ニコッとすると、俺に向かって右手の親指を腰のあたりで控えめに立てながら満足そうな顔で花道を後にした。

 小太郎はリング上で、泣いていた。俺はリングに駆け上がって小太郎を抱きしめた。

「小太郎、お前のレスリングスタイルが見つかったか?」

 俺のストレートな問いに、小太郎は迷いなく「うん」とうなずいた。一人の個性的なプロフェッショナルレスラー誕生の瞬間だった。

 俺は、とことん、うれしかった。


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