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ゼアミ  作者: がくぞう
5/52

5 ゼアミノート

 ある日――小太郎が、

「今日は、アメリカで大旋風を巻き起こした大好きなゼアミの資料を持ってきたんだ」

 と言って大学ノートの束を見せてくれた。

 俺はぎょっとした。

 一番上のノートの表紙には、黒マジックの汚い字で『ゼアミノート(1)』と書かれていた。

「二十二冊もあるんだぜ。日本やアメリカの雑誌や新聞記事を切り貼りしたもんさ。おれの宝物なんだ」

 小太郎が自慢げに言って、俺の目の前で『ゼアミノート』の一冊目の表紙を開いた。写真と英文記事の切り抜きが目に入ってきた。隈取りのようなペイントを施し、少しつんつるてんの着物姿でリングに立っていた。まだ能面や雅な衣装は着けてなかった。そのしょぼさに、俺は思わず顔をそむけると慌てて表紙を閉じた。

「けど、ゼアミは半年前に突然、アメリカマット界からいなくなっちゃたんだよね。ザ・ジョーク戦を最後に、失踪、蒸発しちゃったってことなんだけど……いったい、どこに消えちゃったんだろうね」

 恥ずかしさに顔を赤くしていた俺の心の底を覗き込むように、小太郎はビールを飲み干してからニヤッとしてみせた。

「それで、そのすぐ後に、新さんがここへ来た」

 俺は、ぎくっとなった。小太郎の奴、すべてをお見通しなんだろうか。

 少し間を置いて気持ちを落ち着かせてから、俺は小太郎に言った。

「このノート、ゆっくり見たいんだけど、貸してくれないか?」

「命の次に大事なものだけど、新さんならいいよ」

 小太郎は柄にもなく、なぜか俺に向かって真面目な顔で深々と頭を下げた。そして急いで、さんまのかば焼きを汁まで平らげると「おやすみ」と言って、ほろ酔い気分の足取りで事務所を出て行った。なんだか薄気味悪かった。

 俺は、あたりの気配を探るように慌てて事務所のドアの鍵を閉めると、小太郎の『ゼアミノート』の束を事務机のパソコンの横に置いた。冷蔵庫から缶ビールを取り出し一気飲みしてから、椅子に腰かけてゆっくりと『ゼアミノート』を開いた。

 二十二冊にもおよぶ『ゼアミノート』の中には、俺がゼアミとしてアメリカマット界でデビューしてからのおよそ十六年間の苦闘と栄光の足跡があった。

 さっき、小太郎が開いてくれた一冊目の表紙を再びめくった。落ち着いて見ると、切り抜きの下に「六月六日、ニューオリンズ」と小太郎の汚い鉛筆書きが添えられていた。その日付けと場所はゼアミのデビュー戦に間違いなかった。

 その年の一月、兄貴分のオリエンタル・クマドリは四十歳を目前にしてアメリカマット界を去っていた。俺は、そのクマドリの日本の神秘を継いで、リングネームをゼアミと改めて本格的にデビューした。弱冠二十四歳。本当の意味で初めての一匹狼となった瞬間だ。

 ゼアミというリングネームは、キョーゲンとしてクマドリさんとタッグを組んでいた頃に、ミズーリ州カンザスシティのジャパニーズ・ブックショップで偶然目に留まった『風姿花伝(ふうしかでん)』というタイトルの文庫本からとったものだ。

 その文庫本は、今、アメリカ帰りのボストンバッグの中にあったはずだ。部屋の押入れにしまい込んだままだったが、久しぶりに取り出して、『ゼアミノート』の横に置いてみた。

『風姿花伝』の表紙カバーには、能面のアップ写真がどんと据えられていた。

 当時、俺はなぜか、この女の面に惹かれたんだ。これこそが、本当の日本の神秘じゃないのか。「これだ! これだ!」と無性にわくわくしたのを覚えている。

 表紙には『風姿花伝』のタイトルの下に小さく「世阿弥編。川野瀬(かわのせ)数馬(かずま)校注・現代語訳」とあった。字を読むことが、とことん苦手な俺は『風姿花伝』の最初のほうのページだけを読んでみた。だが、慣れないことをしたので、その後、三日間ほど微熱が続いた。

『風姿花伝』は、南北朝とかいう時代に活躍した有名な申楽者(さるがくしゃ)だとかいう観阿弥の言葉を、そのガキの世阿弥がまとめたものだそうだ。申楽者ってなんだ? 能と何が違うんだ? そもそも『風姿花伝』って何だ? わからないことだらけだったが、その世阿弥のまとめたものを川野瀬数馬という学者先生が今の言葉に書き換えて本にしたものらしい――ということくらいは、馬鹿な俺でも理解できた。「世阿弥」という漢字だけは、なぜか直感的に「ゼアミ」と読めちまったうれしさから、リングネームを「ゼアミ」と決めた。いたって単純なもんだった。

 ゼアミに転身した当初は、キョーゲンと同じようなコスチュームだった。日本の着物と、顔に歌舞伎調の特殊なペイントをしていりゃあ、アメリカの観客は食いつくだろうという軽い気持ちで、手当たり次第にちぐはぐでめちゃくちゃな和服の衣装をまとっていた。

 ゼアミとしてのデビュー当時、俺はフロリダ州北西部のペンサコーラのアパートで一人暮らししていた。家賃は二百ドルだったか。ペンサコーラを起点にアメリカ南東部のフロリダ州、アラバマ州、ミシシッピー州、ルイジアナ州を主戦場にしていた。

 朝一番で、五キロのロードワークを終えた後、日本から取り寄せた納豆、漬物、インスタント味噌汁で白米をたらふく腹におさめてから、プロモーターと電話で、その日の試合のスケジュールを確認する。その後、自宅近くのジムでみっちり汗を流して、ジムの隣のハンバーガーショップで腹を満たしてから、試合会場に車で向かう。地元に近い試合会場なら、ジムでじっくりトレーニングできるが、移動の長い地区での試合の時は半日以上のドライブを強いられることもあった。

 ファイトマネーは、客の入りによっても違うが一週間で八百ドル程度だったかな。贅沢しなきゃ、十分暮らしていける収入だった。

 試合後は、レスラー仲間とつるむこともなく、バーの姉ちゃんともいっさい遊ばずに、まっすぐアパートに帰った。プロモーターから、ジャパニーズ・ミステリーであるゼアミの正体がばれたら、すぐに首だと脅されていたんで、派手な遊びは何もできなかったっていうことだ。

『ゼアミノート(1)』には、ページをめくるごとに、デビュー当時の陳腐なリング衣装の切り抜きが、ここまでかというくらいに貼り込んであった。しかし、二冊目、三冊目になると少しずつだがましな衣装になっていく。初めのうちは、衣装の物珍しさから、入場とともに大歓声を受けていたが、段々、客のボルテージが下がっていくのを感じるようになった。いい加減なごまかしは通用しないってことだ。

 この頃から、俺は本物の能面と能装束を探し出した。能面はともかく、俺の体格に合うような衣装はなかなか見つからなかった。いつも見事につんつるてんで苦笑いばかりだった。

 能の衣装を必死になって探しているうちに、アメリカ在住の日本人が主催している能楽スクールという団体を知った。スクールの学生はほとんどがリタイア組だったが、中には若いころにプロの能楽師を目指して本格的に修業を積んだ実力者もいた。俺はさっそく、ペンサコーラから、そのスクールのあったロサンゼルスに移住した。

 ロサンゼルスでは、当時、日本人のヒールレスラーとして会場中のブーイングを一身に背負っていたゴア内藤さんと、何度かタッグを組んだことがある。まだ、ちぐはぐな衣装でゴアさんには申し訳なかったが、ハチャメチャなゴアさんとのタッグはとことん楽しかった。『ゼアミノート』の三冊目に、その当時の写真と記事を見つけて懐かしかった。そういえばゴアさん、ポリスとド派手な喧嘩をやらかして刑務所に入れられたそうだが、その後どうしただろうか。

 ロスに引っ越すと、俺はさっそく能楽スクールに通い詰めた。俺が本当の能をプロレスに取り入れたいという熱い思いを語ってみせると、スクールの関係者は積極的に協力してくれるようになった。俺の数か月分のファイトマネーに匹敵するほどに高価な本物の能装束や能面を格安で調達してくれた。若女や般若の面をはじめ、プロレスで使えると直感したものは手当たり次第に取り揃えていった。

 能舞台でいうところの俺は面を付けた主役のシテだが、それ以外にも、シテの舞台を支える裏方的な存在が必要だった。ゼアミの入場時の曲の演奏や衣装と面の付け替えなどの補助、いわゆる後見という存在だ。スクールの学生に事情を話すと、われこそは後見にと、たくさんの学生が手を挙げてくれた。ありがたかった。スクールの学生は、本格的な能でなくても観衆の前で能の所作ができるという嬉しさから、プロレスと能の融合について、積極的にいろんなアドバイスをくれた。かつてはプロの能楽師を目指していたノンプロの人たちの熱意は半端じゃなかった。圧倒された。そんな後見役の人たちと一緒に試合を作り上げていくうちに、ゼアミはどんどん進化していった。決して完成形にたどり着くことはなかったが、みんな、それを良しとしていた。アメリカのファンを飽きさせずに常に惹きつけておくためには、発展途上のゼアミであり続けることが何よりも必要だったんだ。各地のプロモーターの要請で全米をサーキットしなければならないプロレスラーの仕事も理解してくれて、笛、小鼓、謡専門の後見三人が一緒に遠征に行ってくれた。英語がペラペラだった謡役の後見は、自らマネージャーを買って出てくれて、プロモーターとの交渉ごともスムーズだった。おかげで俺は、プロレスラー・ゼアミに集中できたし、ファイトマネーの方も、まさにアメリカンドリームだった。

 ゼアミという特殊なキャラクターのため、俺はメインイベンターでありながら、NPAやAPA、WPFなどの世界タイトルにはいっさい縁がなく、そのことは少しばかり寂しかったが、それでも、現役の世界チャンピオンに負けないくらいのネームバリューや集客力すなわち稼ぎがあったことだけは大いに自慢できる。

 しかし、この『ゼアミノート』――小太郎はどうやって、この膨大な切り抜きを集めたんだろうか。しかも大半は、日本じゃなく、アメリカの雑誌や新聞の切り抜きからだ。


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