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ゼアミ  作者: がくぞう
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4 小太郎との出会い

 日本に住処のない俺は、匠の仮事務所で居そうろうすることになった。

 そこは、ストロングジャパンプロレスの合宿所と道場の裏庭にあった百五十㎡ほどの古臭い倉庫のような建物だった。人の住むところかと、正直、思った。

 ストロングジャパンプロレスの敷地は、元はストロング闘鬼さんの自宅兼トレーニングジムだった所だ。日本プロレス界の父であるリキ・ドーゼンが設立したリキプロレスをともに盛り上げてきたビッグ邪馬さんと袂を分かち、リキプロを飛び出したストロング闘鬼さんは、三十年前に新団体を立ち上げて、自宅を取り壊したこの場所に合宿所を作った。俺の仮住まいとなった匠の仮事務所の建物は元は闘鬼さんのトレーニングジムだったところで、ストロングジャパン立ち上げ当初は、ここが神聖な道場だったようだ。団体が軌道に乗り、所属選手が増えて手狭になったことから、隣の空き地を買い取って、そこに新人専用の道場を建てた。中堅以上の選手は、近代的なトレーニング設備の整った世田谷区上野毛の新しい道場で汗を流しているそうだ。

 不忍池のほとりにあるストロングジャパンのオフィスから、この匠の仮事務所までは車で十五分ほどだった。町屋(まちや)土手(どて)といい、隅田川に沿って小さな工場がひしめく下町だ。

 匠の仮事務所には、部屋の真ん中にぽつんと事務机が置かれていた。隅には安っぽいパイプ作りのベッドがあり、その上に布団一式がたたんであった。ここで寝ろということか。事務机の上にはノートパソコンが一台。匠の当面の仕事は、このパソコンで処理しろということだろうか。他には何もなかった。なんてこった。

 本当に、これからの組織だと思った。辰波さんから代表に担ぎあげられたが、すべてが地に足が着いてない感じだ。組織ってえのが大嫌いな俺にとってはとにかく重荷でしかなかった。

 さらに、俺にはもっと重苦しい現実があった。

 家族――俺の心の中にはつねに、病弱のおふくろや幼い妹を見捨てた情けない過去の自分がいた。辛かった。その頃、親父は何をしてたのか。もっとも親父は家にほとんど寄り付かなかったから論外だが、おふくろと妹には、日本に帰ったからといっていまさら合わす顔もない。あれから二十四年。病弱だったおふくろは生きているんだろうか。あの時、小学生だった妹は幸せに暮らしているんだろうか。そんなことばかり考えていた。

 このふるさとで、おふくろと妹への裏切りを自分なりに清算したかった。一方で、『日本に帰ってこい』とだけ書かれた親父の手紙も無性に気になっていた。親父の奴、いったい今どこにいるんだろうか? 俺に手紙を出したってことは、まだ、この日本のどこかで生きているってことなんだろうが……。

 仮事務所への引っ越しが落ち着いた頃、俺はいつの間にか生まれ育った築地の町に立っていた。

 もしかすると、おふくろも妹も、そして親父も、一家そろって、まだ、この築地に住んでるんじゃないかっていう、ちっぽけな期待からだった。

 再開発の進んだ隅田川の向こう側の高層マンション群に見下ろされるように、俺の生まれ故郷は、二十数年前の町並みとあまり変わらずにたたずんでいるように見えた。時代に取り残された個人商店は、ほとんどなくなっていたが、町全体に漂う、どこかほわっとした昭和の雰囲気は、俺が子供の頃と一緒の空間だった。昔、大川と呼ばれていた頃の清らかさを取り戻しつつあった隅田川の、きれいに整備された遊歩道の川辺に立つと、ひんやりとした風が顔にさわやかだった。

 俺は、ふるさとの懐かしい空気を大きく吸い込んでから、細い路地に入った。殺虫剤のつんとした匂いがむしょうに懐かしかった。路地の奥には、幼い俺をはぐくんでくれた木造二階建ての古アパートはまだあったが、俺が住んでいた一階の奥の部屋には、今は生活感が感じられなかった。ドアには鍵がかかっていて「三刀屋」という表札もなくなっていた。一階には他に四部屋あったが表札があるのはひと部屋だけだった。今時、こんなボロアパートには誰も住まないんだろう。

 おふくろと妹は、どこへ行ってしまったんだろうか?

 急に不安になった。近所の同級生の家を何軒かコソコソと覗いてみたが、見覚えのある親たちの年老いた顔を見るだけの現実に、なんだか、とことん落ち込んだ。時が経ちすぎていた。

 帰ってこなけりゃよかった。

 俺は憔悴しきった気持ちのまま地下鉄を乗り継いで、匠の仮事務所に戻ると、急いでトレーニングウエアに着替えて隅田川の土手を全力疾走した。汗をかいて少しは気持ちが軽くなったが、二十四年の後悔の重さは、俺の腹の底にいつまでも重苦しくくすぶっていた。 


 暗く沈んだ心を引きずったまま、俺は匠の仮事務所での生活をスタートさせたが、案の定、何もやることはなかった。辰波さんからは「そのうち忙しくなるから、それまではアメリカマットでの長年の疲れを十分癒してくれ」と冗談交じりに慰められた。

 数日後、仮事務所の外に土建業者のトラックやバンが止まったかと思うと、突然、改装工事が始まった。俺は、練習生であふれかえっていたストロングジャパンの合宿所で雑魚寝することになった。

 途中、辰波さんの自慢のカマロで伊豆修善寺の温泉宿に連れていかれた。そこで、匠の事務局を預かるスズさんこと鈴木さんに初めて引き合わされて、その夜は三人でとことん飲み食いして、PWMS・匠の今後について語り合った。

 改装工事は予定通りに終わった。事務机とノートパソコンだけの殺風景な仮事務所は、あっという間にそれなりのオフィスに変わっていた。

 新しい入り口の横には、辰波さんの自筆による「プロレスリングマスターズショップ匠」と書かれた木製の立て看板が掲げられた。

 事務所のドアを開けると、すぐに三十畳ほどの事務室兼応接室兼会議室があった。二つ重ねに並べられた四つの長机にパイプ椅子が八脚。ここで匠の運営に関する事務処理や会議が行われるということだ。ドアの正面、向かいの壁の全面には、書類などを保管するためのスチール製のオフィス棚がびっしりと設置されていた。仮事務所の時と同じ事務机と椅子、そしてパソコンは、ドアを入って左手の奥に置かれていた。事務机には新しく電話も設置された。

 事務机の後ろには、新たに仕切り壁が設けられ、その仕切りの左側の通路を入ると、右手に障子戸のついた俺の部屋があった。そこは、やけに住み心地がよかった。稼ぎの少なかった頃のアメリカ遠征先の、臭い、寒い、汚い安宿に比べたら、まさに天国だった。俺の部屋の向かいは台所で冷蔵庫もあった。奥にはトイレもある。それまではわざわざ合宿所まで用を足しに行っていた俺にとって、トイレができたことが一番ありがたかった。特にビールを飲んで小便が近くなったときは重宝した。俺は、匠の代表であるうちは、ここに住み続けてやると勝手に決めていた。

 当面の間、俺はこの事務所で電話番をすることになった。実際の事務仕事はスズさんの鈴木さんが事務局として進めてくれるので安心だ。俺の仕事は、新設されたPWMS・匠に関する問い合わせを受け、その内容と相手の連絡先を逐一メールでスズさんに伝えるというものだったが、まだマスコミに発表したわけじゃなかったので問い合わせなんかいっさいない。辰波さんからは、しばらくこのままで事務所にいてくれと言われた。退屈な毎日をひたすら我慢するしかなかった。

 事務所の仕事は形だけだったが、隣のストロングジャパン道場は、俺の退屈を吹き飛ばしてくれるような熱気にあふれかえっていた。

 俺は何もすることがない事務所から、少しずつ道場の方に顔を出すようになっていた。荒川の土手で軽くランニングした後、練習生に迷惑をかけないように道場の片隅で体を鍛えるのが気持ち良かった。意識の中ではゼアミを引退したはずだったが、身体はそれを受け入れていなかったようだ。とにかく動かずにはいられなかった。

 道場の隅で毎日欠かさずトレーニングしていた俺に対して、そのうち、生きのいい練習生たちが気軽に声をかけてくれるようになっていた。俺にとっちゃ、そいつらとの交流がとてつもなく刺激的で楽しかった。若い奴らは、俺がゼアミだった過去などまったく知らない。きっと、元は売れないプロレスラーで今は匠の電話番のおじさんというくらいの認識でしかないだろう。しかし、そのことがむしろ心地よかった。先輩も後輩もない。一対一の人間同士、そしてプロレスラー同士の会話ができる。それがたまらなかった。

 そんな練習生の中に、ゼアミの大ファンだという十七歳の青年がいた。一番下っ端のそいつは、合宿所の先輩たちの夕食の後片付けや洗濯を終えると、ほぼ毎夜、気分転換に俺の事務所にやってきた。事務所の改装工事の間、何日か合宿所に寝泊まりしたことがあったが、その時、そいつとは隣の布団だった縁で仲良くなっていた。

 名谷(なや)小太郎(こたろう)といった。

 高校二年年だった半年前に家を飛び出してストロングジャパンプロレスの門を叩いたという。十七歳。その昔、このストロングジャパンで辰波さんに拾われた時の俺と同じ歳だ。

 事務所の長机で向かい合って座ると、俺は冷蔵庫からギンギンに冷えたビールを出して小太郎に注いでやった。小太郎はいつもそれをうまそうに飲み干した。ビールの泡を舌でふきとった時に、右の口元にほくろが見える。それが何だか無性にかわいらしかった。実の息子に酒をついでやってるような心地よい気持ちだった。十七歳の未成年に対して酒を勧めるなどもってのほかだと叱られるだろうが、俺なんて中学の卒業式の時に悪仲間とかっこつけたつもりで、小瓶のウイスキーを口にしめらせたもんだ。高倉健が映画のワンシーンの中で、列車のデッキに寄りかかりながら、ジーパンのきつめのポケットから取り出したウイスキーの小瓶を立ち飲みしていた姿が妙にカッコ良くて真似したかったからだ。昔はそんなもんさ。

 小太郎に限らず、きつい練習を終えて、俺のところにホッと一息つきにくる食べ盛りの練習生のために、ある時、ビールだけじゃなく、つまみも必要じゃないかと思うようになった。それなら調理のいらない缶詰しかねえな。俺はいつの間にかいろんな缶詰をストックするようになった。昼間は、匠のくそまじめな話合いが行われる長机で、夜になると合宿所の奴らと缶詰を肴にビールをたらふく飲む。最高な時間だ。

 小太郎とグラスを交わしながら馬鹿っ話をしていると、なぜか、俺の心も癒された。俺がおふくろと妹を見捨ててプロレス界に身を投じた頃が、今の小太郎と同じ年齢だったからだろうか。

 ある日、いつものように百円のさんま缶をつまみながらビールをやっていると、小太郎が聞いてきた。

「新さんって、なんで、ここにいるのかなって思うんですよ。匠の代表として事務所を立ち上げるって聞いたけど、新さんって、本当はそうじゃないと思うんだ」

 小太郎は、いつとはなしに俺を新さんと呼ぶようになっていた。それはそれで全然いいのだが、ただ小太郎の洞察力には、話せば話すほど怖いものを感じるようになっていた。小太郎は若いながらも、俺のゼアミの正体や心の奥底をことごとく見透かしているような感じがしてならなかった。


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