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ゼアミ  作者: がくぞう
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3 プロ・レスリング・マスターズ・ショップ・匠

  新日本国際空港からは、辰波さん自慢のブルーのカマロを飛ばして、池之端(いけのはた)にあるストロングジャパンプロレスのオフィスに着いた。

 カマロの中では、お互いの二十年間の熱い思いが交差して話が尽きることはなかった。あっという間に時間が過ぎ去っていった。

 ストロングジャパンプロレスのオフィスは、上野公園を眺望できる十階建ての雑居ビルの最上階にあった。

 十階でエレベーターを降りると、応接室や事務室の前を通り過ぎて一番奥の社長室に案内された。

 社長室に入るなり辰波さんは、大きな社長机の後ろに広がる窓の前に進んで俺を手招きした。

「新吾、ここからの眺めは最高だぞ。不忍池(しのばずのいけ)や上野の動物園がよく見えるんだ。休日になると、池では幸せそうなカップルがボートを漕いで、動物園では子どもたちがはしゃぎ回っているんだ。それを見ているだけで癒されるんだよね」

 俺にはまったく無縁の世界だった。日本の神秘に変身してからおよそ十六年間、俺は私生活でも常にミステリアスであることが求められた。脇の甘い生活はいっさいできなかった。グリーンボーイ時代の生活とは真逆だったが、でも、そういう生き方がアメリカではあっていたのかもしれない。

 俺が暗い表情でいつまでも入り口付近につっ立ったままでいるので、辰波さんは気まずくなってか、内線でコーヒーを注文してくれた。

 来客用の黒革張りの長椅子で俺と対面した辰波さんは、事務所の若い女性が運んできたコーヒーを優しい笑顔で受け取り、いっきに飲み干してから、堰を切ったように話し始めた。

「一線を退いたプロレスラーの晩年の拠り所ってどこにあるのかなって考えるんだけど、はっきり言って思い浮かばないんだよね。四十歳くらいでスパっと引退した後に、第二の人生のレールがあればいいけど……この商売、なかなかつぶしがきかないからね」

 そうだ。俺も四十。ゼアミとしてファンを虜にできるようなファイトができなくなってきているのを実感していた。だから、辰波さんの誘いに甘えて、この日本に戻ってきたんじゃないのか。

「それまで血のにじむようなトレーニングを積んで培ってきたものを活かせる場っていうのが意外とないんだよね。だから、そんな場所を作りたいと思っているんだ。バリバリの若手とは違った熟練のプロレスを魅せる舞台を、団体を超えて作ってみたいんだよ。往年のファンが、また観たい、とことん懐かしいと喜んでくれるような、そんな奥の深いプロレスを魅せたいんだよ。メインじゃなくてもいいんだ。そもそも体の動く若いレスラーを押しのけてのメインなんかおこがましいからね。興業の一コマでいい。ここ数年、暗黒時代なんていうレッテルを貼られているプロレス界を少しでも明るくしたいんだ。若手が頑張ってる団体の収益に少しでも僕ら世代のネームバリューというか、客寄せパンダというか、そういうもので協力できればいいと思っているよ。下準備はできているんだ。僕らの世代のバク周南(しゅうなん)、ミスター源龍(げんりゅう)、ガチ菅原、チーターマスクの鬼山(きやま)(さとし)、クラッシュ刀田(かたなだ)、キラー・モンゴリアンたちが中心になって立ち上げ人として賛同してくれている。ビッグジャパンプロレスの社長・ジーニアス武闘(ぶとう)やプロレスリング・ナビの社長・エルボー光沢(みつさわ)も、団体として可能な限り協力すると言ってくれている。僕らより上の世代の鷲口(わしぐち)大士(ひろし)さん、ゴア内藤さん、オリエンタル・クマドリの天孫隆明さんからも、やれやれってせっつかれているんだ。資金繰りは、僕と事務局のスズさんに任せてくれればいい。ウイークリープロレスやスポーツ新聞各社も宣伝協力に前向きだし、あとは、新団体の代表を誰にするかなんだ。僕はストロングジャパンでの立場もあるから前面に出るわけにいかないし……」

 辰波さんは、いっきに語って俺の顔を窺ってきた。

「そこでだ」

 辰波さんは「やれよ」という顔をしていた。

「お、俺、ですか?」

 俺は思わず右手の人差し指で自分の顔を指さしていた。

 辰波さんは、とびきりの笑顔で「うん」とうなずいた。

「日本マット界で何のしがらみもなくて、それでいてアメリカマットでミステリアスな名を成し遂げたレスラー。すなわち、ゼアミこと三刀屋新吾――日本のプロレス団体の面倒な関係にまったく無縁の男がレジェンドたちの新団体の代表としてもっともふさわしいんだよ。それに、ゼアミといえばレスラー仲間の間じゃ一目置かれる存在。いざという時に周囲に対して抑えがきくようなタマじゃないと、タフなプロレスラーたちの代表なんて務まらないからね」

 辰波さんの力説に納得するしかなかった。アメリカでの生活をきれいさっぱり清算してきた俺に「NO」と答える理由はどこにも見当たらなかった。

 俺は無言のまま「はい」と答えているような顔をしたようだ。

「オーケーだね。よっしゃ。新吾を代表にして進めよう!」

 辰波さんは膝を叩いて喜ぶと、社長デスクの引き出しからA4の資料を取り出して俺の前にポンと置いた。

「PWMS・匠――すなわち、プロ・レスリング・マスターズ・ショップ・たくみ」

 辰波さんの笑顔が際立った。

「PWMS・匠 設立企画書」とホチキス止めの表紙には印刷されてあった。

 ――PWMS・匠?

 企画書を開いたが、アメリカ生活が長く、かつ高校中退の俺には、堅苦しい日本語の文章がほとんど頭に入ってこなかったし、真剣に読む気にもなれなかった。しきりに首をかしげる俺に業を煮やした辰波さんは、匠の概要について長々と語ってくれたが、俺が理解できたのは恐らくほんの少しだっただろうと思う。もっとも印象に残った辰波さんの言葉は、PWMS・匠のコンセプトは、熟練のプロレス技術や攻防を観客に売って魅せる店。簡単に言ってしまえば「プロレス商店」っていうことか? 

 匠の所属選手になれる基準は、プロレスラーとしては一線を退いたが、いざ、リングに上がれば人気・実力ともに観客を魅了する力のある選手。まさに、プロ・レスリング・マスターということだ。

 その意味では、さっき、辰波さんの口から出た匠の賛同者のネームバリューはそうそうたるもんだ。人気・実力は折り紙つきで、集客力も抜群だと思う。その熟年パワーが、現役バリバリのレスラーの後押しになればプロレス界の発展につながる。辰波さんはそう言いたかったんだろう。

 俺はできの悪い頭で辰波さんの説明を、さらに整理してみた。

 匠は、プロ・レスリング・マスターズ・ショップの名前の通り、純粋に熟練のプロレス技術を売る店であって、あらゆるプロレス団体の利害関係にも左右されない。

 匠の所属レスラーは、匠と提携を結んだ団体の要請に応じて、団体間の垣根を越えて自由に出場することができる。

 匠は、会員登録制のようなシステムで、匠への所属が認められて、匠を通して試合に出場した選手は、そのファイトマネーの十パーセントを運営・管理費として匠に支払う。登録料や年会費はない。

 匠は、自主興行を積極的に開催する。

 匠は、独自にベルトを管理する。各団体から匠のタイトルマッチを行ないたい意向があれば、タイトルマッチ料として興行収入の何パーセントかを匠に支払うことを条件に認可する。

 匠を円滑に運営していくための経営や事務処理、裏方の作業などは、辰波さんの知り合いで経営コンサルタントのスズさんこと鈴木さんという人が事務局として束ねていく。

 匠の代表として、とりあえず理解しておくべきことは以上の内容でいいだろう。俺は勝手に納得して満足していた。

 そんな俺に辰波さんは、さらに恩着せがましくも、もう一つの依頼をしてきた。

「新吾、ビッグジャパンプロレスの与作さんを知っているか?」

 辰波さんが興奮気味の表情で俺の目を覗き込んできた。

 辰波さんの依頼というのは――長年にわたってビッグジャパンプロレスの覆面レスラーとしてプロレス通に人気のあった与作(よさく)さんと、この俺、ゼアミとの対戦だった。

 与作さんは、あの日本プロレス界の父と言われるリキ・ドーゼンと死闘を繰り広げた白覆面の魔王・ベストロイヤーにそっくりだった。白い覆面の中の目・鼻・口の赤いふちどりは激似。さらに、ずんぐりむっくりとした体形もベストロイヤーそのものだったと、かすかに覚えている。アメリカ暮らしの長かった俺は、与作さんについてはそれくらいしか知らなかった。

 いったいどんなファイトをするレスラーなんだろうか?

 辰波さんの話によると、与作さんはビッグジャパンプロレスの若手育成コーチであったそうだ。若手選手との実戦の中で、その時々の対戦相手の体調・精神状態に応じて、臨機応変な試合をこなしてきた。新人のしょっぱい試合に付き合い、興業前半の退屈な空気をテクニックとパフォーマンスで大いに盛り上げた。自信過剰で天狗になっている若手には、試合中に急所への裏技でプロレスの怖さを叩き込んだり、自信を失っているような若手には、その選手の長所をとことん引き出すようなファイトを心掛けていた。まさにビッグジャパンプロレスの前座になくてはならない存在だった。辰波さんの目から見ても、プロレスラーとしての基礎ができた素晴らしいレスラーだったそうだ。この半年間は、外国人レスラー発掘のために海外マットの視察に出かけていて、ビッグジャパンの試合には出ていなかったという。

 ビッグジャパンプロレスは、ビッグ邪馬(じゃば)さんが設立した堅実なプロレス団体だ。ストロング闘鬼(とうき)さんが立ち上げたストロングジャパンプロレスとは長年にわたって興業合戦を繰り広げてきたライバル団体だった。異種格闘技戦やド派手な軍団抗争など、つねに話題を提供してプロレス雑誌やスポーツ新聞の紙面をにぎわしてきたストロングジャパンに対して、アメリカマット界とのパイプが太かったビッグジャパンでは本場アメリカのダイナミックな試合が楽しめた。

 そんな邪馬さんも四年前に亡くなっていた。現在、ビッグジャパンプロレスのトップは、元ストロングジャパンプロレスのジーニアス武闘さんだった。武闘さんはストロングジャパンの格闘技路線のプロレスが肌に合わず、理想の純プロレスを求めて、当時、邪馬さんを失い経営的にゴタゴタしていたビッグジャパンプロレスに移籍後、その手腕を買われて社長に就任していた。一方のストロングジャパンプロレスも、創立者のストロング闘鬼さんの政治家転身を受けて、辰波さんが社長兼レスラーとして頑張っていた。

 辰波さんに言わせると、与作さんは、これまでにマッチメイクに関して一度もノーを言わなかったという。しかし、引退試合だけは、ゼアミと戦いたいと宣言してビッグジャパンを退職したそうだ。そして与作さんは、ゼアミのモデルとなった申楽者(さるがくしゃ)世阿弥(ぜあみ)の父である観阿弥(かんあみ)としてマットに上がりたいと、辰波さんに強く要望し続けているということだった。

 辰波さんは、観阿弥とゼアミの親子対決を、匠の旗揚げ戦のメインとして売り出していきたいと考えていた。観阿弥とゼアミの親子対決のような、とってつけたような試合というのは一歩間違えると、目の肥えたプロレスファンから総スカンをくらう可能性がある。興業にとってはリスクの大きい企画であることに間違いはない。いや、そもそも俺がアメリカマットを去ったのは、その時点でゼアミと決別したつもりだったんだが、そんな中途半端な気持ちでゼアミを演じきれるんだろうか。

 受けるべきか。

 しかし、いつもは温厚で寛容な辰波さんが、いつまでも煮え切らないでいる表情の俺に厳しい口調で断言してきた。

「この対戦は、万難を排してでも受けてもらう。ゼアミである新吾にしかできない試合なんだ。与作さんの人生の集大成となる、大事な試合なんだよ」

 辰波さんはそれ以上語らなかったが、その目は匠代表の依頼の時よりも、もっと激しく「新吾、必ずやれよ! やれっ!」と叫んでいた。


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