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ゼアミ  作者: がくぞう
21/52

21 小太郎のナイスアイデア

 次の日――。

 夜まで迷ったあげく、意を決して妹の品子に連絡を取った。

 おふくろが、女子プロレスラーの本田ミンだったかもしれないこと――対戦相手に大けがを負わせて行方不明になったこと――などを伝えると、品子が電話口で突然泣き出した。

「もし、本田ミンが母ちゃんだとしたら、本当に辛かっただろうな。きっと、あたいとおんなじ病気さ。母ちゃんは、本田ミンは、病気で思うように体が動かなかったんだよ。自分ではちゃんと技を仕掛けたつもりでも、バランスが微妙にずれて思うように決まってくれないんだ。相手のレスラーも予想外の動きに受け身を取り損ねちまう。そんな悪循環ばかりで大事故につながっちまうんだ。プロレスラーにとっちゃ致命傷さ。痛いほどよくわかるよ。母ちゃんも、あたいと同じ病気でプロレスをやめたんだ。もしかすると、親父は、そんな絶望の中にいた母ちゃんの希望の星だったのかもしれないよ。自分のできなかったプロレスの夢を親父に託していたんじゃないかな。おんなじプロレスラーとして。あたいも、母ちゃんみたいに希望の星が欲しかった」

 ガツンと鉄槌を下されたような思いだった。ほとんど家にいない親父のことを、誇らしげに語っていたおふくろの本当の気持ちが初めてわかったような気がした。

 女子プロレスラー・本田ミンのことは、結局、当時の関係者の消息すらいっさいつかめず、それ以上のことはわからなかった。

 でも、それでもよかった。親父もおふくろも、俺からしてみると、なんだか謎めいて死んでいったような気がするが、もしかすると、そこには夫婦で支え合った幸せな人生があったのかもしれない。今は二人が同じ場所で眠っている。それでいいんだと納得するしかなかった。

 俺は、缶ビール数本を立て続けに飲み干すと、事務所の奥のゼアミの部屋に転がり込んでいた。おぼつかない手で明かりを点けると、若女と般若の面が出迎えてくれる。

 俺は、ゼアミの部屋の真ん中の丸椅子にどかっと腰かけると、アルコールの吐息をひとしきり吐き出してから、無意識のうちに陰影に浮かび上がっている般若の面と向き合っていた。

 般若ヒンコをリングに戻したい。心の底から般若の面に願った。般若の面は、あくまでも静かに俺を見ていた。静寂が続いた。

 しばらくすると、その静寂を破るように、ろれつの回らない間の抜けた声が聞こえてきた。

「新さーん」

 小太郎のバカ野郎だ。どっかで飲んできたな。俺の神聖なゼアミの部屋に、ただの酔っ払いが何しに来たんだ。

 小太郎は、あっという間にズカズカと入ってきた。そして、般若の面をさえぎるように俺の前に立つと、意外なことを言った。

「六人タッグだよ。六人タッグなら、品子さんを再びリングに上げることができるよ。新さんと俺と、そして般若ヒンコの三人でタッグを組むのさ――新さんと俺なら、十分、病気の品子さんをカバーできるよ。ねっ、そうだろう。新さんと俺がお膳立てをして、最後は般若ヒンコに決めてもらうんだ」

 小太郎の言う通りだった。六人タッグなら、俺と小太郎がふるに闘って、品子はフィニッシュの時にだけ出てくれればいいんだ。

 品子を、般若ヒンコとしてもう一度輝かせてやりたかった。品子の病気のことを理解している俺と小太郎なら、ヒンコと素晴らしいタッグが組めると思った。

 小太郎の柔軟な発想力には頭が下がる。

 小太郎は言うだけ言うと、憧れの品子との六人タッグの実現を夢見ながら、千鳥足の鼻唄交じりの上機嫌で合宿所に帰っていた。

 その夜――俺は、そういえば初めてゼアミの部屋に布団を敷いて、寝ていた。

 そこで、とびっきりの夢を見た。

 白覆面の与作と、写真で見たセピア色の本田ミン、隈取り姿の般若ヒンコ、そして般若の面に白装束のゼアミ――この親子四人が、ライトも当たらない暗いリング上で、お互いが背中を向け合って、ただ黙って立っているだけの情景だった。四人は決してお互いの顔を見ようとはしなかった。

 しかし、次の瞬間だった。突然、大歓声が巻き起こったかと思うと、リング上は華やかなスポットライトに照らし出されて、素顔になった四人が観客の大声援に応えて手を振っていた。

 リングアナウンサーの小太郎が晴れやかな表情で四人をコールする。

 白覆面を脱いだ親父の征三は、俺が小学生の頃、一度だけ一緒にキャッチボールをした時の頼りがいのある父親の笑顔だった。

 おふくろの民子は、俺が運動会で一等賞をとれずにふて寝した時に添い寝をしてくれた優しい母親の笑顔だった。

 妹の品子は、先日、二十数年ぶりに手をつないだ時の照れくさそうな笑顔だった。

 そして、俺は、面も能装束もつけていない黒のショートタイツ姿で、大歓声の観客に対して満面の笑みで両手を大きく振って応えていた。

 家族四人が、リング上で、手をつなぎ、肩を抱き合いしながら、親子の情を温めていた。

 四人の素顔が向き合っていた。

 これ以上ない幸せな気分だった。

 こんな極上の夢は、これまで見たことがなかった。

 朝になって――俺は、ゼアミの部屋で目を覚ました。俺の口元は甘ったるい大量のよだれにまみれていた。


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