20 伝説の女子プロレスラー・本田ミン
ようやく家族に対して清算ができたような気がする。
与作が俺と闘って息子に血だるまにされたことで区切りをつけたように、俺も品子の必殺技でホールされたことで妹に区切りをつけることができた。まったく似たもの親子だなと思った。
その夜、品子に恋わずらいした小太郎が、いつものように匠の事務所で飲んで、べろんべろんに酔っぱらいながらつぶやいた。
「……四人家族のうちの、さ、三人までもが……プ、プロレスラーだったなんて……それも、お互いが知らなかったなんて……そ、そんな家族もあるんだな……それにしても、与作か。懐かしいな。家族……母ちゃん……ごめんよ」
小太郎は、そのままよだれを垂らしながら寝てしまった。俺は小太郎の寝息の肩にストロングジャパンのジャンバーをかけてやった。
小太郎の言う通りだよな。お互いがお互いのことをもっとちゃんと話し合っていれば、二十年以上もこんなことにはならなかったんだろうにな。そもそも、親父、親父がプロレスラーだってことを、俺や品子に言わないからややこしくなったんだ。本当に馬鹿な親父だよ。
まさか、おふくろまで親父がプロレスラーだってことを知らなかったなんてことはねえよな。おふくろはいつも誇らしげに、親父は日本や外国をまたにかけて一生懸命働いてるんだって言ってたけど、プロレスラーならなるほど、まんざら嘘じゃなかったってことだ。
親父か……。
ふと俺は、ビッグジャパンプロレスから届いていた荷物のことを思い出した。
親父が死んだ後、俺が与作の実の息子だという事実を知ったビッグジャパンの社長・ジーニアス武闘さんが、PWMS・匠の事務所あてに送ってくれたものだ。それは、ビッグジャパンの合宿所の親父のロッカーに残されていたボストンバッグだった。親父が死んでから九か月が経っていたが、これまで、なぜか親父の遺したそのバッグを開ける気分になれないでいた。
しかし、今日は違った。妹の生きる証だった般若ヒンコと闘い、素顔の妹とも二十数年ぶりに腹を割って話すことができた。俺はようやく、父の征三、母の民子、妹の品子との四人家族に、再びたどり着くことができたんだ。そう実感した時に、無性に親父が恋しくなった。親父の生前を開けてみたくなった。
前を見ると、小太郎は酔いつぶれたままだった。
今がチャンスだ。
親父の形見のボストンバッグは、俺のデスクの後ろの鍵のついたスチール戸棚にしまい込んであった。デスクの引き出しから鍵を取り出して戸棚を開ける。それは、有名スポーツ用品の白いロゴが入った藍色のバッグだ。
俺は親父の形見を長机の上に置くと、思わず深呼吸した。
何が入っているんだろう? 変な緊張感だった。
ボストンバッグのファスナーを開ける。途端に、ベテランレスラーらしいかび臭い匂いが立ち昇った。バッグの中に入っていたのは、薄汚れた白いリングシューズ、目・鼻・口に赤いふちどりのある白覆面、それに白のショートタイツだった。プロレスラーが全国巡業に持っていくバッグの中身そのものだった。
親父の商売道具か。とたんに緊張の糸が途切れた。
正直言って、なんだそれだけか、という思いだった。親父の形見分けに、品子には白覆面がいいかな――そんなことを考え始めた時に、バッグの底に一枚の紙切れが見えた。
おや? 何だろう?
紙切れを手に取って裏返してみると、それは写真だった。くすんだねずみ色に染まり切ったような古びたモノクロ写真だった。
そこには、昭和の古臭さを感じさせるような水着のコスチューム姿で、ファイティングポーズをとっているひとりの女子レスラーとおぼしき人物が写っていた。
これは?
親父が昔ファンだった女子レスラーのプロマイドか何かかな。なんとなくおふくろに似ているような気もするが、親父のタイプなんだろうな。俺はそれぐらいにしか思わなかった。どうせ浅草のマルベル堂あたりで買って、にやけた顔でながめていたんだろうよ。
俺は苦笑いして、その写真を放り投げた。写真は、俺の向かいの椅子で酔いつぶれていた小太郎の左耳に当たった。
小太郎が耳を押さえながら目を覚まして顔を上げた。
「えっ、どこ? 品子さんは、どこ?」
ふざけたことを言いさらすので、俺は「いい加減にしろ!」と机ごしに小太郎の脳天に本気のエルボーを落とした。
「痛えっ!」
悲鳴を上げた小太郎だったが、次の瞬間、目の前にあった写真にくぎ付けとなっていた。
「こ、これは……女子プロレス界伝説の……本田ミン!」
見る見る小太郎の目つきが変わっていった。写真を手に取って興奮気味に顔を近づけると、穴が開くかと思うばかりに見つめている。
「間違いない。この写真は、ウイークリープロレスがプロレス専門誌の威信をかけて編纂した『日本プロレスヒストリー』の女子プロレス編に載っていた、本田ミンの写真と一緒だ。この写真がどうしてここにあるんだい?」
小太郎がいぶかしげに俺の顔を覗き込む。
「親父の、与作の遺した、このボストンバッグの中に入っていたんだ」
「与作さんの?」
「ああ」
「そうか。確か本田ミンは、与作さんとほぼ同年代の女子レスラーだったと思うんだけど……でも改めて見ると、なんか品子さんに似ているような気がする。あっ、また品子さんのことを思い出しちゃったじゃないか。ああー」
小太郎が悲鳴を上げて顔を机に伏せた。
「小太郎、お前もそう思うか。この本田ミンの写真、俺はおふくろにそっくりだと思ったんだが、お前は品子に似てると思ったんだな」
小太郎はうつ伏したままうなずいた。
確か、おふくろの旧姓は本田だったよな。名前は民子で本田民子。民子の民は「ミン」とも読める。本田ミン――ま、まさか、おふくろもプロレスラーだったっていうのか。
思わず背筋が冷たくなった。俺はうつ伏していた小太郎の髪の毛を机ごしに正面からつかみ起こすと、思いっきり揺さぶった。
「小太郎、本田ミンのことをもっと詳しく教えてくれ! 本田ミンって、いったいどういう女子プロレスラーだったんだ?」
「い、痛えっつうの。新さん、なに興奮してんだよ。ちゃんと話すから離してくれよ」
我に返った俺が力を抜くと、小太郎は俺の手を払ってから、ぶぜんとした表情でドカッと座りなおした。
「本田ミン――今のガールズジャパンプロレスができる前、つまり、まだ女子プロレスがスポーツとしてじゃなく、イロモノとして観客の目を惹きつけていた時代に、当時、乱立していた女子プロ団体のひとつ、大日本女子プロレス道場の大人気レスラーだったんだ。確か、十七歳でデビューしてから、その抜群のプロポーションとルックスで、あっという間に団体のチャンピオンになったんだ。でも、その直後に大事なチャンピオンとしての防衛戦で対戦相手に怪我をさせることが続出して、ミンは、仲間のレスラーやファンから〈病院送りのミン〉と呼ばれるようになっていったんだ。そして、ミンの最後の試合。バランスを崩したミンのブレーンバスターで、受け身を取り損ねた相手レスラーの首の骨を折るという大怪我をさせてしまった。これは『日本プロレスヒストリー』の中で、女子プロレス史上、最大のアクシデントとして取り上げられているんだ」
「それで、本田ミンはどうしたんだ?」
「その後、いっさい消息を絶ったみたいだよ」
「それは、いつなんだ?」
「確か、昭和オリンピックが開催される前だと思うよ」
「ちょうど、俺が生まれた頃か。女子プロ界を追われた本田ミンは、その後、親父の征三と結ばれて俺を生んだってことか?……」
確かな証拠があるわけじゃなかったが、本田ミンこそが俺のおふくろに間違いないと直感した。当時の親父のアホな生き方を真っ当に受け止めて、誇りを持って支え、苦労を一身に背負ってやってこれたのは、おふくろが親父と同じ職業・プロレスラーだったからに他ならない。
そうか。
親父の遺した手紙に書いてあった「秘すれば花」って……家族全員がプロレスラーだったってことを言いたかったのか?
俺は、小太郎に本田ミンのことをとことん調べるように頼んだが、あの小太郎にしても『日本プロレスヒストリー』の掲載内容以外のことはまったくわからなかったようだ。