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ゼアミ  作者: がくぞう
13/52

13 俺の家族写真

 年が明けて――。

 荒川の土手で、すれ違う振袖姿のきゃぴきゃぴとした笑い声に気持ちをなごませながら日課のロードワークに汗を流していた時、俺の携帯電話が鳴った。

 辰波さんからだった。それは思いがけない知らせだった。

 ひと月前にゼアミの俺と闘ったばかりの観阿弥の与作さんが亡くなったというのだ。あまりに突然のことに、俺との試合が原因でどうにかなったんじゃないかと、また、いらぬ思いが頭をよぎった。

 その夜、俺は辰波さんに連れられて、四十にして初めて喪服っていうもんを着て与作さんの通夜に参列した。生前の与作さんのプロレス人生を映し出すかのように、通夜には関係者やファンなどが葬儀場の外で長蛇の列を作って焼香を待っていた。

 焼香が始まった。俺は辰波さんの後について祭壇のある会場内に入った。祭壇の中央には白覆面姿の与作さんの大きな遺影が花々に囲まれていた。ぱっと見、素顔の与作さんの写真はないようだ。

 焼香の列に従って、俺は少しずつ祭壇に近づいていく。やがて、白覆面の大きな遺影の傍らに置かれていた小さな黒枠のフレームの中にあった、どこか見覚えのあるモノクロ写真が目に入ってきた。

 これは……?

 俺はその小さなモノクロ写真を間近に見て、思わず目を疑った。千歳飴の袋を持って、はにかんだ表情を見せる幼い女の子を中心に、学帽・学生服のしかめっ面の少年、そして左右にはやさしく微笑んでいる三十代半ばくらいの男女が写っていた。

 俺は辰波さんの後ろで思わず歩みを止めていた。両膝がガタガタと震え出した。

 学生服の少年は――なんと、俺だった。千歳飴の少女は、俺の妹の品子(しなこ)だ。三十代半ばの男女は、俺の親父の征三(せいぞう)とおふくろの民子(たみこ)だ。

 ということは、白覆面の与作さんは、親父の征三ってことなのか?

 尋常でない俺の気配を感じてか、前を歩いていた辰波さんが突然振り返って、俺の様子を察したように真剣なまなざしでうなずいた。俺は全身の力がスーッと抜けて、その場に座り込んでしまった。辰波さんは、すべてを知っていたのか。

 辰波さんに支えられて、俺は与作さんの焼香をなんとか済ませたが、葬儀の場には、気がかりだったおふくろも妹も参列していなかった。

 帰りのタクシーの中で、辰波さんは俺に、観阿弥とゼアミの試合こそは、余命いくばくもないと宣告された与作さんの最後の願いだったと聞かされた。観阿弥として狩衣と指貫の能装束に身を包んだまま試合をしたのは、病気でやせ細った身体を隠すためだった。

 今日の葬儀はジャパンプロレスが喪主を務めたそうだ。

 俺のおふくろや妹のことは、辰波さん、いっさい話そうとはしなかった。むしろ、今は訊くな、という雰囲気だった。俺もあえて訊かなかった。

 気持ちの整理がまったくつかないでいた。ただひとつ、ストロングジャパンの入ったビルの前でタクシーを降りるとき、辰波さんがポツリと言った。

「ロスの新吾の住所を与作さんに教えたのは、ゴア内藤さんだ。僕もゴアさんを通じてロスのプロモーターから新吾の携帯番号を聞き出したんだ。すべてはゴアさんのおかげということだ」

 旗揚げ戦の当日、久しぶりにゴアさんと会った時、ゴアさん、なんだかよそよそしかったのは、そういうことだったのか。ホント、嘘の付けない人なんだよな。思わず、笑ってしまった。 

 が――で、問題は親父なんだよな。

 親父の奴、俺とリングで闘いたいがために、あんな不器用な手紙をよこしやがったのか。まったく馬鹿な野郎だぜ。『日本に帰ってこい』って……それだけかよ。あまりにもアホらしすぎて涙が出てくるよ。

 でも、まさか親父がプロレスラーだなんて思ってもみなかった。

 なるほど、今から思えば、ひと月以上も家に戻ってこないかと思うと、突然帰ってきて、一週間ばかりは朝から酒をかっくらっていた。巡業が仕事のプロレスラーならではの生活パターンだったわけだ。久しぶりに帰ってくると顔に青たんや傷をこしらえていたこともあった。そういえば、俺は親父と一度も風呂に入った覚えがない。親父の全身は恐らく傷だらけだったんだろう。そういうプロレスラーの姿を見せたくなくて、親父はひたすら黙って孤独に耐えていたんだろうか。アメリカ時代のゼアミと一緒じゃないか。

 だからって――観阿弥なんて下手な小細工するなよ。小太郎みたいにもっと素直になれよ。自分こそがゼアミの親父だと堂々と名乗ってから闘えよ。プロレスラーという仕事に誇りを持ってたんだろう。だったら、なぜ、黙って……。 

 祭壇の隅に飾ってあった家族の写真――俺も持ってるよ。中退した高校の学生証の中に入れておいた大切な写真だよ。俺にとっちゃ、唯一の家族写真だ。

 俺、いったいどうしたらいいのかな。

 それにしても、おふくろや妹はどうしてるんだろうか?

 翌日、いてもたってもいられなくなって、再び訪れた築地の町だったが、俺の家族のことなど、誰も答えてくれるはずもなかった。

 たまらない気持ちになった。

 俺は逃げるように、すぐに築地を後にした。


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