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矛盾


 どうしよう……。

 引き抜いてみたものの、奏真は怖気づいていた。勢いで「いただきます」と言ったが、他人が吸うのを見たことしかない。吸い方などわかるはずもない。

 指の間に挟めばいいんだよな? と根本的なところから頭の中で確認した。そして、そんな単純な作業ですら手が震えて上手く出来ないのだ。親指と人差し指の先で摘んだタバコを奏真はジッと見つめた。

 火……そうだ、火をもらわなきゃ……。

 もう片方の手をコタツ布団から出し、ライターを手に取る。親指でボタンを押し込むと、カチッと音と共に小さな炎が現れた。

 い、いいんだよね……。

 小心者な奏真だったが、背徳に震える心の奥深くで小さな怒りの炎が揺らめいていた。

 どうせ俺はみんなの中でタバコ常習犯なんだ。母ちゃんですら「俺のじゃない。吸ってない」って俺の言葉を信じなかった。ただ先生にペコペコ頭を下げて謝り続けて……直樹だって……。

 内側で揺らめく想いが奏真を駆り立てる。

 目の前で、ゆらゆらしているオレンジ色の炎の中にタバコの先をくっつけた。チリチリとこげていく紙。細く立ち上がる煙。タバコの匂いがした。

 ライターの火を消し、コタツに戻す。奏真はチラリと瀧本を見た。どれだけ自分の中の意地に後押しされても、ためらってしまう。無意識に瀧本へ援護を求めたのか、もしくは「やめろ」と止めて欲しかったのか。奏真自身にもどちらかわからなかった。

 瀧本は奏真のことを黙って見ていた。録画していた漫才よりもこっちの方が面白いと思ってるのかもしれない。

 面白くもなんともないよ。

 自分が求めた物のどちらでもない瀧本の反応に、奏真はムッと口を尖らせた。指先で摘まんでいたタバコを指に挟み吸おうと構える。


「お前、吸ったことないだろ? それ火ついてないぞ?」

「えっ」


 まさかのツッコミに、奏真はギョッとしてタバコを見た。

 タバコの先端が焦げ、煙が上がったのを見て点いたと思い込んでいた。しかし、実際は少し焦げただけ。もう煙も出ていない。


「あれ……」

「おもしれー。無理に吸わなくていいって。な?」


 瀧本が軽快にわはははと笑いながら奏真の背中をバンバン叩いた。背骨と内臓にズドンズドンと振動が響く。本人はポンポンくらいの力加減のつもりでいるが、実際はまったく違った。

 ……痛いんだよ。

 奏真は顔をしかめたまま、ただ先っぽが焦げただけのタバコを見つめた。痛いのは背中か、あるいは奏真のもっと中心の部分なのか。

 なにもかもが情けなく思える。

 ちょっとのことで痛く感じるのも、なにもできない子供だからだろうか。意地を張って悪ぶったところで、自分がちっぽけな存在なのに変わりはないと思い知らされた気分だった。そんな奏真に気を遣ったのか、瀧本は心配そうに覗き込んでくる。


「……なんだよ。吸ってみたいのか? 教えてやろうか?」


 吸ってみたいわけではなかったが、あとに引くこともできなくなっていた。「もういいや」と背をむけてしまえば、大人になれないまま、いつまでも痛いままのような気がする。

 奏真は瀧本を見てコクリと頷いた。


「まず、吸い方。俺の吸ってみ? 一旦口の中で煙を止めて、もう一度吸って肺に入れて、それから吐くんだよ。わかるか?」


 奏真は不発のタバコを灰皿へ置き、瀧本の顔を見つめたまま真剣に聞いた。

 吸いかけのタバコが瀧本の指に挟まれたまま、奏真の唇に押し当てられた。唇にトンと当たった感触に、奏真は少し口を開きそれを挟んだ。咥えた部分が少し湿っている。


「ちょっと吸って、息止めて。まだ吐くなよ」


 奏真はタバコを咥えたまま小さくフンフンと頷き、言われた通りちょっとだけ吸い込んだ。瀧本が唇からタバコを離す。香ばしいような、チョコレートのようなほのかに甘い匂いが広がった。口の中は苦い味がする。


「で、口の中の煙をゆっくりもう一度吸って、肺に入れて、ゆっくり吐き出す」


 奏真は集中し、視線を瀧本から落としコタツを見つめた。止めていた息をゆっくりと吸い込む。途端にむせて激しく咳き込んだ。


「……ぶほっ! ゴホ、ゲホゲホッ!」

「大丈夫か? 最初は難しいかもな」


 瀧本は可笑しそうに唇を歪め、また奏真の背中をバンバン叩いた。その衝撃でさらにゲッホゲッホとむせる。悲しくもない生理現象の涙を目尻に浮かべ奏真は思った。 

 もしかして、今のはさすってるつもり?

 ジンジンと響く背中。でもなぜか怒る気にはならない。むしろ心地よく感じた。


「俺の吸い方見てろよ?」


 瀧本は奏真が咥えたタバコをまた咥え、それを吸い、次にぱっと口を開けた。暗い口内に白い煙がゆらりと立ち込めている。そのゆらめきはまるで生き物のようで神秘的だった。


「で、」


 瀧本は口の中の煙を「すーっ」と吸って、唇を尖らせて、ふーっと吐いた。白い煙が天井に向かって昇っていく。


「ま、別に無理に覚える必要はない。タバコは百害あって一利無しっつーからよ」


 散々丁寧に吸い方を教えたあげく、あっけらかんと言い捨てる。今更わかりきったことを「へへへっ」と笑って言う瀧本に、奏真もわざと陳腐に思える質問を返した。


「じゃぁ、なんで吸うの?」


 瀧本はニヤリと片方の口角を上げた。


「かっこいいからだよ。あははは!」


 予想通りの答えだった。

 バカみたいに単純な理由。

 でも、それで十分なんだ……。世の中なんて、単純なことばっかりだ。その中で余計なことでへこんで、気にして我慢して……翻弄されて。そんな人生なんてカッコ悪い。だったらバカになって、誰かの目じゃなく自分自身の目で見て、カッコ良く生きた方がずっといい。

 奏真はそう思った。


「ふーん。俺も……かっこよくなりたい」


 タバコなんかじゃない。瀧本のように自分の意志で生きることに憧れを抱いた。


「まぁ好きにしたらいいさ。これで練習すりゃいい。ねみーから寝る。六時に起こしてくんね? その前に帰るならそん時に起こしてくれよ」


 え? 寝るの?

 出会って数時間の人間を家に上げ、寝てしまうとは無防備というか呑気というか。呆気にとられつつ奏真はコクリと頷いた。瀧本は部屋着に着替えると布団に潜り込み「あーさみぃ」と壁の方を向いてしまった。

 寒ければコタツで寝ればいいし、寒ければ百害あって一利なしのタバコなんてやめて窓を閉めればいい。やってることが支離滅裂だ。

 なにもかもが自分とは違う。

 でもそんな瀧本が潔いと思える。

 テレビの電源を落とし灰皿を見た。奏真が火をつけた不発のタバコと、二人で吸いあったばかりのタバコ。吸い合ったタバコの方を奏真は摘まみあげた。まだ煙が昇っている。

 奏真は横になっている瀧本をチラリと見た。

 静かな部屋はひとりではないが、独りぼっちの感覚だった。

 百害あって一利無し。その通りだと思えた。

 でも、もう奏真はすでに関わってしまっていた。今さら、躊躇する理由なんてどこにもない。

 タバコに口を寄せ吸う。息を止める。口内の煙をゆっくり吸い肺へ。途端にまた激しくむせた。


「ブホッ! ゴッホゴホ……ゴホ」


 ……くそ……

 口の中が苦いし、喉も痛い。頭もクラクラした。それでも涙目になりながら、ムキになってタバコを咥える。咥えただけでも、咳が出そうになった。


「っホ、……ケホッ。ふっー、……すーっ……ェホ、……う、ん、……すー……」


 教えてもらった吸い方を思い返し、奏真は無音の中、ひとりタバコと向き合った。

 しばらくしてドアをノックする音が聞こえた。返事もしていないのに、ドアがガッと開く。

 奏真は慌ててタバコを灰皿へ押し付け、灰皿ごと端っこに追いやった。振り返ると、さっきとは打って変わってしっとりした藤色の着物姿になった滝本の母親がいた。露出がなくてもやはり美人だ。


「あ、寝ちゃってるの? ごめんなさいね? バイトあるなら六時に起こさないとなんだけど……私、美容院行かないとだから、お願いできる?」


 着物美人を呆然と見上げたまま、奏真は無言でコクコクと頷いた。


「ありがとう。じゃ、哲也よろしくね? あ、朝帰りしたらぶっ殺すって言っておいて?」

「は、……はぃぃ」


 唖然とした奏真が蚊の鳴くような声で返事をすると、瀧本の母親は「うふふ」と微笑んでドアを閉めた。

 玄関ドアが開いて閉じる。

 ……おっぱいだけじゃなくて、いろいろと豪快なお母さんだ。瀧本さんはやっぱりお母さんとよく似てる。性格というかギャップというか……。見た目もそっくりなんだけど……。

 奏真は考えながら、さっき追いやった灰皿を再び指先で摘まみそろそろと引き戻した。

 まだ吸えるかな? 

 クシャッと潰れた部分を引き伸ばし、ライターで火を点けながら吸う。テレビを点け音量をしぼり、延々と瀧本の録画していた漫才を流し続け、タバコの練習をした。



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