あなた越しの青空
何時間経ったのかわからない。奏真はいつの間にか目を閉じていた。
膜の中、モワモワした世界でかすかに音がした。
ドアの音だ。静かに開いて、閉まる。
瀧本さんだ。起きなきゃ。そう思うのに体が動かない。ずっとモワモワした空気が奏真を包んでいる。奏真を起こさないよう、風呂場に行く瀧本。ぼんやりとした視界で窓を見る。外は白っぽく曇ってはいるけど、もう日が昇っていた。
少しずつモワモワが晴れてきた頃、布団の中へモゾモゾと大きな塊が入り、奏真を後ろから抱きしめた。そして満足そうに息を吐く。
「……お帰りなさい」
「おう……ただいま」
奏真は瀧本の腕の中で身体を回転させ、その体にギュッと抱きついた。瀧本もギュウウッと力強く奏真を抱きしめ返す。その温もりと締め付けに奏真はホッとして力を抜いた。
「今日は、助けに来てくれてありがと。それに、ごめんなさい」
「昨日だろ?」
「……うん」
瀧本は奏真の髪を撫でながら低い声で言った。
「寝てないのか?」
「わからない、寝たような気もするし、寝てないような感じもする」
「もう大丈夫だから、寝ろ」
「うん」
瀧本の胸にくっついた奏真は、更に身体を小さくして、瀧本の腕に埋もれた。瞼を静かに下ろし、固く目を閉じる。瀧本は黙ったまま、奏真の髪を撫で続ける。
奏真をいつもの優しい温もりが包み込む。安堵とやすらぎ。
今持っている俺の宝物。大切にしたい。でも、俺だけ。独り占めしていていいのかな。
直樹の苦しそうな笑顔が、奏真から視線を外し離れていく。細長く頼りない背中はひとりぼっちだった。
俯いたまま歩いていく影はどんどん小さくなって……。
次に目が覚めたのは、昼頃だった。
瀧本もちょうど目が覚めたらしく、隣で大きく伸びをする。
「んーーーー! あぁ~腹減ったなぁ……」
「おはよぉ」
「おう。眠れたか?」
「うん。寝た」
仰向けだった瀧本は奏真の方へ向き、またギュウウウッと奏真を抱きしめた。ギリギリと固く締め付けられる。
「キ、ツイ」
「昨日、……」
「あっ、ごめんなさい! 店長さんやみんなにもお礼とごめんなさい言わなきゃ」
奏真が謝った途端、静かだった瀧本の声色がカラッと変化した。
「わはははっ。俺もビックリしたよ。なんであんた来るんだよ! あんた成人してんだからマズイだろ! つって……まぁ、どいつも似たようなもんだけどな」
「うん。直樹が助け呼んでくれたんでしょ?」
「おお。俺さ、初めて人の首を折りたいと思ったよ」
「え……」
瀧本はボソッと言った。
「お前が両手両足縛られてるの見て、首を押さえてた手にマジで力が入った。店長がヤるなよって言ってくれたから、力を緩めたけど」
「……うん。ごめんなさい」
「いくらダチのためでも、熱くなり過ぎだろ。バカ。ひとりで殴り込みなんて無謀過ぎだわ」
「うん。バカだった。許せなくて……ごめんなさい」
「相手は汚い大人なんだよ。大人は平気で嘘だって言えるんだ」
「……うん」
「ナオキだっけ? あいつ、俺が寝てたら、ドアをめちゃくちゃ叩いてよぉ。びっくりしてドア開けたら真っ青な顔でお前が危ないって。心臓止まったわ」
もう、ごめんなさいしか言えない……と、奏真は首を竦めた。
「あいつは大丈夫なのか? 昨日はちゃんと帰った?」
「……わからない。俺の方が送られちゃって、どうすることもできなかった」
瀧本は静かにゆっくりした口調で言った。
「大事な友達なんだろ?」
黙ったまま、奏真はその言葉に頷いた。
「ここはお前の家だけど、そいつとの付き合いも大事にしてやれよ? 前のアパートに一度泊まりにきたよな? また遊びにこさせろよ。ひとりだとあぶねーから。ひとりだから、甘い言葉に騙されんだよ」
「来て欲しい……けど……どうかな……」
「お前次第だろ」
「俺?」
俺次第って、どういうことだろ……。直樹は俺が誘っても来ないと思う。そんなに強くないよ。あいつ……。
奏真は押し黙った。
「本当に大事な友達だと思うのなら、手を離しちゃいけないんだよ。受身じゃダメっつーこと。お前が友達でいたいと思うなら。つーか、お前のために俺に助けを求めにくるのだって、普通できないぜ? あいつはお前を助けるために、必死だったんだ。ヤバイ奴らだって分かってたから警察にも通報できないだろ? 下手すりゃ退学だ。そこまで考えて、あいつは俺に土下座したんだ。玄関で」
「土下座? 直樹が?」
……相手が、俺と付き合ってる瀧本さんなのに……。きっとすごく怖くて、悔しくて、悲しかった……よね? 必死……か……。
「…………」
瀧本さんは知ってるのかな……直樹の気持ち。知ってて、話してるのかな、……知ってて……。俺にどうしろって……言って……るの?
「自分が全部悪くて、そのためにお前を巻き込んでしまった。普通ならボコられるよな。俺の前に顔出すこともできねーだろ。そこまでできるやつはいないから、大事にしろって言ってんの」
俺たちは本当に不器用で、どうしようもない程に子供だ。
「うん。大事にしたい」
奏真が絞り出すように応えると、瀧本が奏真の頭をポンポンと宥めるように優しく叩く。
「腹減った。飯食いに行こうか」
「うん」
「昨日の今日だしな。お礼がてら店長んとこ行くか」
「はい」
「それにしても……わっはっは……昨日の店長は生き生きしてたなぁ~」
瀧本は楽しそうに笑っていた。
あの後、三人がどんなお仕置きをされたのかは不明だ。どんなことにせよ、きっと俺たち二人は、まだ知らない方がいいんだろうなと奏真は思った。
子供でいること、大人になること。それはどちらも難しい。
まだ奏真も直樹も境界線の上でぐるぐると道を探し彷徨っている。
出かける準備を終え、ヘルメットを手に外へ出た。
「お、今日もいい天気だな」
どこまでも広がる青。
一本の白い線を引きながら去っていく飛行機。
「瀧本さん」
「ん?」
「直樹は今日、塾だって言ってた。だから今度は月曜だねって……。でも、直樹をお店に誘ってもいい? 店長さんとか、みんなを紹介したいんだ」
「おお。そうしろ」
瀧本がニカッと笑う。
その笑顔は頼もしくて、眩しくて、澄んだ青い空にぴったりだった。




