大きな存在
玉木のマンションから出た奏真は大通りでタクシーを拾い、迷うことなく瀧本のアパートの住所を告げた。
他のヤツとやったあとにその体で、と思う気持ちも確かにあった。しかし、そんな体裁や理屈じゃなく奏真の帰れる場所、帰りたい場所はそこしかなかった。
アパートに着きタクシーを降りる。
時計を見ればすでに夜九時を回っていた。
八時過ぎには家を出る瀧本はもう部屋にいない。そのことに、奏真はガッカリもしなければ、安堵もしなかった。ただただ目的地に向け階段を登る。
鍵を開け、薄暗い部屋の電気もつけずに戸棚の上の灰皿とタバコ、ライターを鷲掴みドサッと腰を下ろす。苛立ちに任せライターを擦る親指に無駄に力を込めた。煙を肺に入れ思いっきり吐き出す。
録画してあるお笑い番組を点ける。にぎやかな声が奏真の脳をスルスルと通過していく。いつもより吸うペースが早い。せこいオヤジのように根元までタバコを吸い、親指で押しつぶすように消すと、即座に新しいタバコを咥える。
奏真のお気に入りの芸人が登場しても、なにも笑えなかった。なにも聞こえない。お笑い番組を途中で切り、火を点けたばかりのタバコを灰皿へ押しつけ部屋を出た。
冷水のままシャワーの栓を全開にして、頭から勢いよく浴びる。冷たさにブルッと背筋が震えた。それでも浴び続けた。目一杯力を入れ、ナイロンタオルで肌を洗う。痛くなるくらい全力で擦った。むしろ痛くなってほしかった。
全部の皮膚がめくれはがれ、流れてしまえばいい。そう思って擦りまくった。
冷え切った身体を縮め、部屋へ戻る。時計を見ると十時。全く眠くなかったが、奏真は布団に潜り込んだ。
頭を切り換えろ。
歯を食いしばり、ギュッと固く目を瞑る。
俺のことなんてどうだっていい。自分のすべきことだけを考えるんだ。感情は要らない。論理的に考えるんだ。直樹のこと、玉木のこと、これからのこと。
考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えるんだ!
……最善の策を――
***
真っ暗な部屋の中、奏真は布団にくるまったまま朝を迎えた。
「……い。奏真? ……お前、なんでいんの?」
布団が剥ぎ取られ、肩をユサユサと大きな手が揺する。
「ん……はよお……」
「はよおじゃねーよ。今日、学校あんだろ?」
奏真はムックリ体を起こした。上体がゆらゆら揺れる。まだちゃんと開かない瞼を擦り顔を上げると瀧本がいた。いつもの大きさ。いつもの匂い。
ちゃんと瀧本さんだ……。
もうだいぶ会ってなかったような気がする。
奏真は両手を瀧本に伸ばし抱っこをせがんだ。
「ん? どした?」
瀧本は両腕で抱き起こすように奏真を抱えた。ギュウッと強く抱きしめたのは一瞬で、すぐに力を抜き、優しく背中を撫でる。奏真は瀧本の首にしがみついて顔を埋め、鼻をすり寄せた。瀧本の匂いを深く吸い込むと気持ちが落ち着いていく。
「なんだ、なんだ。今日はやけに甘えん坊だな」
ゴツゴツの大きな手のひらが奏真の頭を優しく撫でつける。ここにいていいと語りかけるように、奏真の中に沁み込んでいく。穏やかな心地よさに微笑み、同時に胸の奥がキュウッと痛んだ。
「……今日学校は休みだよ」
「嘘つけ」
「ふふ、休みだよ」
奏真は瀧本にズル休みしたいという意思だけを伝えた。頭痛や腹痛などいう言い訳はわざとしなかった。いつもならもう少し説教が続く。しかし瀧本はなにかを察したのかそれ以上は言わなかった。
「ふーん。そっか。じゃあ、いいけど……シャワーしてくるから、ちょっと待ってろ」
「うん」
ぶら下がっていた手を離し、瀧本を開放する。
「ちゃんと電話だけ入れとけよ。じゃないと家に電話が行くぞ?」
サボりだとバレバレだ。瀧本は丁寧にアドバイスまで残し、部屋を出て行った。背中を見送り、時計を見る。七時過ぎ、丁度いい時間。
目を閉じ、ふうーっと息を吐く。
奏真は顔を洗ってうがいをして、冷蔵庫の中のキンキンに冷えたお茶を飲んだ。携帯を手に取り、咳払いをひとつ。喉の調子を整え、学校に電話をかけた。
気持ちの悪い裏声を出し、母親のフリをして休みの連絡をすれば、担任でもない教師は事務的に二つ返事で了承した。
ちょろいもんだ。
通話を終え、アドレスを開く。直樹の名前をじっと見つめた。
昨日の今日で、あいつは直樹に連絡するのか? 直樹はあいつのとこに行くのか? 止めるためにどう話せばいいの……。
一晩考えても結局、完璧な策など出ない。しかし、奏真は固く決意していた。
もう行かせない。細かいことなんていい。直樹さえ救えればそれでいい。使える物はなんだって使ってやる。
奏真は直樹へ放課後会おうとメールをした。いいよとすぐに返事が帰って来てホッとする。これでひとまず、直樹の今日の安全は確保できた。
しばらくして瀧本がシャワーから戻ってきた。もう夏でもないのに未だTシャツに短パンスタイル。瀧本は大あくびをして、遮光カーテンを閉めながら言った。
「コンビニで買ってきた弁当が冷蔵庫に入ってるし、パンもあるから腹減ってるなら食っていいぞ」
自分のご飯なのに……瀧本さん。優しいね。
じんわりと奏真の心のトゲが溶けていく。
奏真の座る布団へ瀧本があぐらをかいた。
「……まだ眠いか?」
「ううん」
奏真は顔を寄せ、そっと唇を重ねた。
唇を吸い合っていると、瀧本が奏真に覆い被さってくる。慣れた重みと体温に「これなんだ」とホッとして奏真は嬉しくなった。瀧本の背中に両手を回す。
こんなにも違うのに。
安堵と共に締め付ける胸の痛み。わずかに震える奏真の髪を、大きな逞しい手が撫でる。
無骨な手のひら。不器用な触り方。
でも、伝わってくる。
壊れ物にでも触れるように優しくそっと瀧本の手は奏真を撫でる。「大事だよ」と何度も何度も奏真へ優しく語りかけてくる。
シャツの裾がたくし上げられ、バンザイするように布を剥いでいく。
こうやって薄暗い部屋の中、瀧本の前で裸になるのが奏真は好きだった。ただ服を脱ぐだけの行為でも、奏真にとっては、二人だけの大事な儀式のように感じていた。




