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偵察


 直樹が瀧本のアパートに現れ一泊したことで、気まずかった二人の関係は完全に修復した。学校でもそれは変わらず、バイトのシフトが入ってない日は、以前のように二人で過ごすことが多くなった。


 最近の瀧本は、奏真の話をよく聞きたがる。奏真が直樹や他の友人達と楽しく学校生活を送っている様子を聞くたび、とても嬉しそうな表情になる。二言目には「今しか遊べねぇんだから、放課後はツレと遊んでこい!」と背中を叩かれる。

 嫉妬や執着が感じられない瀧本の態度は、奏真的には少しばかり不満だったが、直樹との関係も大事にしたいのが本音だった。



「どうする? この後。どっか寄ってく?」


 いつものように放課後、二人でモコモコバーガーにいると、直樹の携帯が鳴った。直樹が「ちょっとごめん」と言って、携帯を耳へ当てる。


「もしもし。こんにちはー」


 奏真はバタバタ忙しそうなマスターを見た。


「マスター、忙しい?」

「見てわかんだろ」


 やっと接客の区切りがついたマスターがドサッと片肘をカウンターに突いた。


「バイト、増やすか?」

「うーん、どうしようかなー……」


 奏真はもったいつけるように両肘をカウンターに突き、両手で顎を支え愛嬌のある目でマスターを見る。奏真には密かな計画があった。モコモコをこのまま卒業後の

就職先に決めてやろうと目論んでいるのだ。なのでことある毎にマスターへ遠まわしにアピールをし、待遇や保障などの交渉に誘導している。


「……え? 今日ですか? はい。いいんですか?」


 通話中の直樹が携帯を耳から外し奏真を見た。


「前言ってたの。玉木さん奏ちゃんにもインタビューしたいって。で、今日はとりあえず、三人でご飯どう? って」

「それは、つまり……?」

「インタビューないけど、多分奢ってくれるんじゃない?」

「よし乗った!」


 奏真が勢いよく席を立つ。

 玉木の話を聞いた日から、奏真はずっと気になっていた。直樹が自分の知らないところで怪しい男と親しい間柄になった。愛美の時と同じだが、愛美は同級生だ。素性も分かってる。直樹が出会ったばかりの男の家に泊まったことも解せない。玉木という男を己の目で見極めたいという気持ちがあった。そのために直樹に話を持ち掛け、ようやく相手が食いついてきたのだ。

 奏真と直樹は、六時に駅前のロータリーで玉木と待ち合わせすることになった。二人で立ち話していると、黒い車が静かに近づいてきて前に停まる。

 玉木は奏真が想像してたよりずっとイケメンだった。清潔感もあり、笑顔が爽やかで背も高い。

 かっこよさと背の高さでいったら、うちのゴリラも引けは取らないけど……人種は真逆だな。

 そう思いながらも、玉木を観察する。話しぶりも穏やかで、誠実そうな印象を与える。服もカジュアルでセンスがいい。

 オシャレ……。大人の男ってこんな感じか~。

 明らかに怪しそうなら即逃げ出し、直樹にも縁を切らせるつもりだったが、一先ずは大丈夫そうだと車に乗り込んだ。 着いた店は焼肉屋だった。高校生の小遣いでは到底入れなさそうな高級そうな店。


「食べ盛りの男子高校生は焼肉がいいかな? と思って。ここで良かった?」

「うんうん! 俺、焼肉大好き! 奏ちゃんはご飯大好きなんで!」

「それ焼肉関係ないから。すみません。俺まで便乗しちゃって」


 奏真は直樹越しに玉木へひょっこと頭を下げた。


「はははは。今日は川瀬君? との顔合わせも兼ねてるから遠慮しないでよ。インタビューは二人きりでだし、いきなり知らないおじさんとご対面も緊張しちゃうだろ?」


 恐縮しながらも、奏真は視線を忙しなく動かし店内を観察した。奏真が肉を食べるのはカレー屋かモコモコか牛丼屋くらいで、焼肉屋は初体験。立派な半円のテーブルに、直樹を挟んで三人で座っていると、店員が熱くなった炭を運んできてビックリした。牛タン、特上カルビが大皿でドンと目の前に現れる。大量の生肉を前に奏真は腹を摩った。昔から食べ慣れないものを食べると腹を下すことがあるのだ。

 ちゃんと焼けば……大丈夫だよね。

 玉木がジュージュー良い音を立てながら肉を焼き、それを二人の皿へ入れる。直樹がバクバク口へ入れ「んー!」と嬉しそうに目を細めた。奏真もご飯茶碗を片手に肉をつまみ、おそるおそる口へ入れる。初めての高級な肉の味に奏真は目を丸くした。


「わあ、やわらかぁい……美味しい……。お肉って甘いんだね?」

「うんうん。どんどん食べてね?」


 直樹と「おいしいね」と言い合いながらパクパク肉を口に入れる。直樹が玉木に心を開いているのが奏真には良く分かった。

 基本的にいつも明るく、誰とでも仲良くなれるのが直樹だ。でもそれは直樹の性質ではない。意識してそう振舞っていることを奏真だけは知っていた。本当の直樹は、繊細で人見知りなところがあり、気遣い屋で慎重派。心を許す相手は限られている。だからこそ、似た者同士の二人は親友になったのだ。

 話をしている時の玉木は直樹の肩によく手を置く。直樹を見る目も優しく慈愛に満ちていて、微笑みながら「いい子いい子」と頭を撫でる仕草は親戚のお兄さんのようだ。直樹もリラックスしている様子で、奏真はそれを温かい目で見ていた。


「ん?」


 直樹の頬にご飯つぶがくっついているのに気づき、奏真は肘で直樹をちょいちょいと小突いた。こちらを向いた直樹に、自分の顔の部分を指差し「ついてるぞ」と合図する。次の瞬間、向こう側から手が伸び玉木が頬のご飯粒を指で摘んだ。そのご飯粒を直樹の口の中へ入れる。

 目の前の出来事に奏真は焦って目を伏せた。

 妙にエロチックなシーンだった。見るのを止めたのに脳裏に再生される映像。直樹の薄く開いた唇に細く長い指が入り、まるで指先にキスするみたいに閉じる唇。

 奏真の胸の内側はドキドキと鼓動を打っていた。

 なにこれ……なんで俺、直樹にドキドキしてんの? ん? 直樹がエロいの? 玉木さんがエロいの? え、どっち?

 よくわからない焦りと、胸の高鳴り、そしてわずかな疼き。

 こんな気持ちになるのは、きっと溜まっているからだと思った。夏休みは瀧本とずっと一緒で毎日のようにしていた。現在いまは二学期が始まり、直樹と仲直りしたこともあって、瀧本に会いに行くのはほぼ週末だけになっている。

 早くお休みになんないかな。てか、あの人の休みって今週いつだっけ? あとで瀧本さんにメールしよ。

 そんなことを考えていると不意に玉木に話しかけられた。


「大丈夫?」

「あ、はい!」


 気を取り直し、三人で笑いながら話していると、キュゥッと突然奏真の腹に痛みが走った。テーブルの下で手のひらを腹に当てる。

 あ……あれ?

 楽しそうに笑う直樹。和気あいあいとしたトークに水を差したくなくて、気付かれないよう腹を摩る。

 引っ張られるような腹の痛みは、そのうち慢性的なチリチリとした痛みに変わった。水を一口飲み深呼吸するが、良くなるどころか、チリチリがキリキリと悪化していく。


「ん? 奏ちゃん大丈夫? 気分悪い?」


 奏真は平気な顔を作ろうとしたが、痛みのせいで上手く笑えなかった。


「ちょっと、お腹が……食べ過ぎ?」

「え? そなの?」


 玉木が心配そうに声を掛ける。直樹が奏真の背中を摩った。痛いのは腹だったが摩ってくれる手は少しだけ奏真の痛みを消したように感じる。玉木は立ち上がると、奏真の横に来て言った。


「川瀬君、お手洗い行こうか? 歩ける?」


 玉木を見上げ、奏真はなんとか頷いた。テーブルに手を突き立とうとしても、腹に力が入らなくて立つどころかどんどん身体は小さくうずくまっていく。玉木は奏真の脇に手を入れ支え、立ち上がるのを手伝った。直樹が奏真の腰を支える。


「玉木さん、俺も行こうか?」

「そんなに人数は要らないよ。待ってて?」

「う、うん……」


 玉木の言葉に、直樹が心配そうな表情で頷く。

 男性用トイレへ入ると玉木が個室へと先導する。便器のフタが自動で開き奏真を迎えた。ホッと安堵した瞬間に今度は胃の中のものが逆流する。


「ありが……うぅ」


 奏真は慌てて口を手で押さえた。


「吐いちゃえばいいよ」


 コクコク頷き便器に向かう。しかし、ムカムカだけが体内で膨れ渦巻くばかりで、胃の中のものはいっこうに昇ってこない。上がってくるのはゲップと唾液ばかり。


「……ゲッホッ! っケホ! 」

「出ないか? 吐いた方がラクになるんだけどなぁ……」


 奏真も分かっている。でも出ない。そのうち奏真の手が細く震えだした。こんな経験は初めてだった。直樹の勢いと楽しい会話、笑い声に呑まれ、奏真はいつになく食べ過ぎていたのだ。

 背中を摩りながら玉木が言った。


「指を突っ込んで……できる?」


 言われた通り、痙攣している手を口の中へ差し込んだ。

 奥の方をグッと押せば……。


「うっ!」


 背筋が大きく波打つ。


「ぅうううっっ、っがはっ! 」


 出るかと思ったのに、ダメだった。出るのは生理的な涙だけ。

 やっぱダメ。もうヤダ。


「はぁ……はぁ……ッゲホ!」


 どんどん血の気が引いていく。


 寒い、暑い……苦しい、お腹痛ぃ……。

 奏真はついに便器についてた手の上に頭を落とした。ずっと背中を摩っていた手がふわりと肩に乗る。玉木がうしろから奏真の耳元で囁いた。


「ごめん。指、入れるよ?」


 奏真の返事も待たず、玉木の二本の長い指が口の中に入ってきた。自分では決して入れられない奥へ指を突っ込まれ、喉がグエッと変な音を立てる。途端に強烈な吐き気が込み上げた。

 うわっ! 汚しちゃう!

 便器に顔を突っ込んだタイミングで指がズルッと抜ける。指を追っかけるようにムカムカが一気に溢れ出した。バシャッ! と音と共に食べた物が全部出る。吐ききると、玉木が背中を摩りながら、水を流してくれた。

 一回の嘔吐で胃が空っぽになったのか、嘘みたいに気分が楽になる。呼吸も落ち着き、重い頭をゆっくり起こした奏真は玉木を見上げた。


「ごめんなさい……ありがとぉ……」

「いいよ。大丈夫? ああ、顔色は良くなったね。こっちへおいで」


 優しい声に誘われるままフラフラと立ち上がり、玉木の誘導でピカピカの洗面台へ立つ。


「手を洗って、うがいしてて、タオルを借りてくるから。顔も洗えばいいよ」


 玉木は奏真の背中を摩りながら言うと、トイレから出て行った。

 口を濯ぎ、冷たい水でバシャバシャと顔を洗っていると、玉木が戻ってきた。乾いたタオルで水分を拭い、持って来てくれた熱いおしぼりを顔に当てると心底ホッとした。


「ありがとうございます」


 奏真は心から礼を言った。

 本当にいい人だ。気が利くし。ゲロする人間の口の中に手を入れるなんてホントすごい。それも今日会ったばっかりの人間なのに。


「……奏ちゃあーん……大丈夫?」


 トイレのドアがそっと開き、眉を下げた直樹が顔を出した。


「……うん、ごめんね? もう大丈夫」

「ホント? 良かったぁー」

「玉木さんも本当にありがとうございました」


 改めて丁寧に礼を言うと、玉木は心配そうに言った。


「もしかして、胃腸炎とか、風邪なのかもしれないよ? 今日はもう家まで送っていくからゆっくり休んだ方がいい」

「うんうん。そうしなよー。俺も一緒に帰るからさー」

「うん。ごめんなさい。せっかくご馳走してくれたのに」

「また体調が整ったら食事はいつでもできるから、そんなこと気にしないでいいよ」


 玉木は穏やかに笑うと、直樹と奏真の肩をポンポンと叩いた。


「じゃあ、トイレを占拠してないで帰ろうか」


 気遣いの篭った冗談に笑いながらトイレから出る。玉木の配慮に、さすが大人だなぁ……と、奏真は尊敬の念を抱いた。


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