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訪問

 

 翌日、若干の頭痛を感じつつ、直樹は車窓からボーッと外を眺めていた。

 照り返す陽射しは、涼しい車内から見ても眩暈がしそうだ。

 あー……降りたくないなぁ。外、暑そうだなぁ。そう思っていると、玉木が言った。


「……ほんとに大丈夫? 家まで送ろうか?」

「ううん。母ちゃんに見つかったらうるさいから。ここで」

「今日は塾、ちゃんと行けそうかな?」

「うん。昨日は……どうも、すみませんでした。」

「楽しかったよ? 寝顔も可愛かった」

「ふははは。やめてください!」

「また、いつでも電話してきていいからね?」


 玉木は大きな手のひらで、直樹の頭をポンポンと撫でた。

 吐き出すだけ吐き出して、散々迷惑掛けたのに……玉木さんはなんでこんな優しいんだろう。

 駅のロータリーで車を停まった。


「ありがとうございました」


 直樹は頭を下げ車から降りたが、思った通り、アスファルトの上は灼熱地獄だった。


「ひゃー。あっちぃ~……早く帰ろう……」


 家に戻ったのは昼の十二時頃。

 なにもする気になれない。直樹は塾の時間まで昼寝することにした。鞄を床へ落とし、制服だけ脱いでベッドへ倒れ込む。


 なんにも解決してないけど、気持ちを吐き出せるっていい。勇気を出して玉木さんに電話してほんと良かった。玉木さんと話してる時だけは、どうしようもない胸の苦しいのを忘れてた気がするもん。

 うつらうつらと考えつつ、直樹は目を閉じた。



 母親に「いつまで寝てるの」と起こされ時間を確認すると、夕方の四時半になっていた。

 気怠い体を起こしシャワーを浴びる。うっすらあった頭痛は治っていた。母親の用意した早めの夕食を食べ「本屋に行ってくる」と家を出る。


 しかし、自転車に乗り辿り着いたのは瀧本のアパートだった。

 直樹はアパートを見上げながら考えた。

 生まれて初めてやけ酒して、玉木さんに散々吐き出して、あんまり記憶ないけど、泣いて。玉木さんが抱きしめてくれたような。

 ……俺、すごく救われたんだ。


 もしかしてさ、奏ちゃんにとって……瀧本さんはそういう存在なのかもしれない。ギター弾けてバイク乗ってるからカッコいいとか、そういうことじゃなくて。瀧本さんは奏ちゃんを救ってくれる人で、このアパートは、奏ちゃんを守ってくれる場所で。

 だったら、俺は……奏ちゃんを応援してあげなきゃいけないよね? 俺にはできなかった。でも、瀧本さんにはできた。それを認めなきゃ。

 認めたうえで、俺は……奏ちゃんを好きなんだって思うから。

 瀧本さんみたいに、玉木さんみたいになれなくても、目指そう。

 好きな人を守れる男になれるように頑張ろう。


 窓から漏れる灯りをしばらく見上げていると、不意にバイクのエンジン音が聞こえた。瀧本だとすぐに思った。

 この時間にどっかへ出掛けるの?

 直樹はアパートの裏から聞こえる「ドドドド」という重低音を頼りに、身を隠しながら駐車場を覗いた。

 やっぱり瀧本さんだ。

 大きな背中。長い足がバイクに跨っている。

 ……ひとりなんだ。

 頭の上でドアがバンと勢いよく閉まる音がしたと思うと、バタバタと階段を誰かが駆け下りてくる。


「待ってーーーー」


 あ、奏ちゃんの声だ。

 階段を下り、現れた奏真の姿に、直樹の胸がドキッと鳴った。

 なんだか、すごく楽しそう。奏ちゃんのあんな顔、久しぶりに見た気がする。

 奏真はバイクへ駆け寄り、瀧本へなにかを手渡した。瀧本が奏真の頭を撫でる。走っていくバイク。

 奏真はいつまでも大きく手を振り、瀧本を見送っていた。

 瀧本さんどこ行っちゃったの? 奏ちゃん置いて。寂しくないのかな……。

 直樹が思っていると、奏真がいきなりくるりとこちらを向いた。

 げっ!

 直樹は慌ててアパートの壁へ張り付いたけれど遅かった。


「やっぱ直樹じゃん。どうしたの?」


 普通に見つかってしまった直樹はしどろもどろに答えた。


「あ、あは、あはは……あの、き、ぐ、……偶然?」


 奏真はキョトンとした表情の後、ニヤリと唇の端を上げて直樹を上目遣いで見た。そんな表情を見るのは久しぶりだった。直樹が避けていたから、最近、まともに目を合わせることもできなかった。それなのにいきなりの至近距離に、直樹の喉はカラカラになった。


「塾帰り?」

「あー……うんうん!」

「大変だねぇ、上がってく?」


 アパートを指差し、「部屋へ上がるか」と奏真は平気で口にした。

 二人の愛の巣だよ!? あの部屋で、あんなことや、こんなことや、しちゃってる部屋に上がれって……!

 顔を真っ赤にし固まる直樹を見て、奏真がポツンと落とした。


「あ……、わけ……ないか……」


 ションボリした奏真の声に、直樹はハッと我に返った。

 そうだ。俺、今決心したばかりじゃん! 二人を応援するって!

 バツが悪そうに視線を外し下唇を軽く噛む奏真へ、直樹はめいっぱい明るい声をだした。


「え、上がっていいの? お邪魔じゃない?」


 奏真がビックリしたように顔を上げる。


「あ、あとで、瀧本さんに怒られたりしない?」


 直樹はさらに冗談ぽく続けた。奏真の表情が明るくなる。


「そんなことで怒らないよ。きっと友達追い返す方が叱られちゃう」

「そっかぁ。瀧本さんていい人だね。大人だなぁ~」

「うん」


 奏真の返事はどこか寂しげだった。どうしてなのか直樹にはもちろん分からない。


「瀧本さんはどこに行ったの?」

「仕事だよ。警備会社なの」


 奏真は階段を登りながら説明した。


「警備……瀧本さんにピッタリだね! 泥棒も逃げちゃうよ」

「あはは、だよね」

「うんうん。俺だったら、絶対鉢合わせしたくないもん」

「俺も。すっごい勢いで追っかけられそうだもん」


 招かれたアパートは極小だった。玄関から入ってすぐ、小さな流しと電子レンジと冷蔵庫のある台所。その向こうに和室一間。家具なんて無いも同然。テレビとコタツだけ。コタツの上には携帯とノートと教科書。部屋の隅にはたたんだ布団があった。


「座ってて」


 奏真はテーブルの上を片付けコップに入れたお茶を持ってきた。テレビは点けっぱなしになっていて、なにかのスペシャルがやっていた。なんとなく二人でボーッとそれを見ていたら、奏真が思い出したように直樹を見た。


「食べ物とかも特にないんだけど、スナック菓子でいい?」

「あ、うん」


 奏真がうしろの棚へ四つん這いになり手を伸ばす。

 プリンとしたお尻を向けられ、直樹は思わずガン見してしまった。


「よいしょと」


 体勢を戻すと、オッサンみたいにあぐらをかいて丸まる背中。奏真はいつも常備している小分け袋のスナック菓子を直樹にひとつ渡し、袋を開けながら言った。


「でもさ、直樹って塾も行ってんのに家庭教師もってすごいね」

「え?」

「ほら、こないだ。あ、昨日か? 車でお迎えに来てた人」

「ああ……ううん。家庭教師じゃないよ」


 玉木さんは俺的に『ゲイかもしれない疑惑』のある、親切でイケメンな、フリーのライターさん。ゲイかもしれないけど、別にイヤじゃない。変なことしてこないし、すごく優しいし、なにより俺の話をバカにしないでちゃんと聞いてくれるし。


「へ、そうなの? てっきり家庭教師なのかと思った若かったし」

「あー、そうだね。確かに。何歳なのかな? 年は聞いてないや」


 奏真と会話しながら、直樹は思い出していた。

 玉木さん言ってたな。奏ちゃんは雰囲気あるって……。雰囲気。ずっと一緒にいたから気づかなかったのかな。気づいたら好きだったもんな。


「なにそれ怪しくね? なにやってる人よ?」


 奏真が冗談めかして言う。


 うんうん。怪しいよね。でもその怪しい人んちに俺泊まっちゃったんだよ。昨日。玉木さんの胸で泣いたんだよ。そしたらちょっと気持ちがラクになったってことは、俺も怪しいんだろうか?


「あははは。なんかね? ライターさんなんだって。今時の高校生の生態を調べてるとかでインタビュー受けただけだよ。で、ご飯奢ってもらった。そんだけ」

「セイタイ……えっ! 奢ってもらえるの!? 俺もインタビュー受けるわ」

「ふはは。そこ? 聞いてみるけど……けっこうどぎつい質問されたよ? なにしろ生態調査だから。そんでもいいなら玉木さんにメールするよ?」

「でもさ、顔や名前晒されんじゃないんしょ? だったら怖くなくない?」

「うん。怖くは無かったよ? ちょっと恥ずかしいくらい」


 ちょっとどころじゃなかったけど。俺は……。


「ふ~ん……」


 頷きつつ、奏真は身体を倒しコタツの天板に頬をくっつけた。襟元があらわになり、直樹の目は奏真の白い肌に釘付けになった。てろんと伸びたTシャツの奥に、どうしても目がいってしまう。

 奏ちゃんなんか……エッチ……。

 直樹の脳が処理する間もなく、ポケットの中の携帯が鳴った。画面を見ると母親からだ。昨日の今日だからか、心配してかけてきたのかもしれない。


「あ、やべ。奏ちゃんちょっと手伝って」

「ん? なにを?」

「電話、母ちゃんから。……もしもし? あ、ごめん。今、奏ちゃんちにいるー。うんうん。本屋で会った。え? ……うーんっと……そ、そう! うん。了解でーす。はい」


 挨拶してくれと、奏真へ携帯を渡す。奏真の声を聞いておけば、母親も安心する。「何時に帰ってくるの?」の返事に言いよどんでいると、今日も泊まるつもり? と母親の方から言われた。さすが奏真の名前を出すと強い。昔から知っているし、なにより奏真は直樹の母親からのウケもいい。素直で可愛いと母親のお気に入り。奏真が停学になっていたことも、タバコを吸いだしたことも話していないので知らない。直樹の母親からしたら奏真は昔のまま、お行儀のいいお気に入りの息子の親友なのだ。

 そんな母親がくれた奏真といれるチャンスに直樹はくいついた。

 いいよね。奏ちゃんだって、帰るって言った俺を引き留めてくれたし。瀧本さんは夜勤で夜、ひとりぼっちだもんね。

 自分の判断にたくさんの理由をくっつけて、奏真に携帯を渡す。

 奏真は「俺?」と、戸惑った表情をしてたが、携帯を持ち耳へ当てた。


「あの……もしもし? ……おばさん? あ、今晩は。ご無沙汰です。……うん、全然っ。うん、大丈夫。あー、母ちゃんがおばさんによろしくって。はい。あ~、うんうん。はーい。おやすみなさーい。直樹にかわるね?」


 奏ちゃんちにちょくちょく泊まっていたのはいつ頃だったかな? 小学生の頃だっけ? 

 直樹の家と交代で泊まり合い、毎週末を一緒に遊んだ懐かしい日々。その頃はなにも悩みなんてなく、なにも考えずに、自分がどれだけ幸せかなんて知らずにいた。

 電話を終えた奏真がムッとした表情で携帯を差し出す。直樹は母親と適当に話をして電話を切った。


「ありがとー。うまいねー」


 直樹の言葉を無視するかのように冷めた声をだす。


「昨日泊まったの? そのよく知りもしないライターさんとこに」


 ただならぬ奏真の鋭いツッコミに直樹は苦々しい顔をした。 

 げっ! 母ちゃん、余計なことを!


「え……え? あは。えっと……あの、色々話したら、スゲーいい人でさー。その……」


 直樹がしどろもどろに説明すると、奏真が言った。


「いくらいい人ってたってさ、よくわかんないんでしょ? 小学生じゃないんだから。ヘコヘコ付いてってお泊りしてんじゃないよ」


 偉そうにお説教をされるが、心配しているのが伝わってきて直樹は嬉しくなった。


「うん。ごめんなさい。気をつける」


 俺、やっぱり奏ちゃんが好きなんだな。こうやって話しているとしみじみ思う。奏ちゃんの説教じみた話し方、なんか懐かしい。


「お、おう……」


 あまりに素直に謝る直樹に、奏真は戸惑った様子で頷いた。


「ふはは。で、今日もお泊りオッケー。ラッキー。瀧本さんは何時頃帰ってくるの?」

「ラッキーって、朝方だけど。勝手に決めてんじゃないよ。ったく。電話して聞いてみる」



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