夜中の公園
直樹が冷蔵庫を開け牛乳を飲んでいると、夕飯の用意をしていた母親が思い出したように言った。
「夏休み明けのテストどうだったの?」
「……ああ、そういえば、まだ返ってきてない。来週じゃないかな」
「ふーん。今日、塾よね?」
「うん。もう行くよ」
母親から色々質問されるのが嫌で、直樹は鞄をつかみ玄関へ急いだ。
テストはとっくに手元へ戻ってきている。結果はあんまりよろしくなかった。「ほら! 遊びに行ったから!」 と説教されるのが嫌で報告を先延ばししているだけだ。嫌なことから逃げても意味がないと分かってはいるけれど、ギリギリまで後回しにしたい。
「はー……あちぃ」
夕方の五時を過ぎていたが、外はかなり蒸し暑かった。残暑というより夏と同じ。奏真たちと行った涼しく爽やかな避暑地を思い出し、直樹の気持ちは一気に澱んだ。
自転車を駅裏の駐輪場に停め、渋谷方面の電車に乗る。周りは遊びに行った帰りであろう人々がぐったりと座っていた。立って元気に喋っている人間はこれから渋谷で遊ぶのだろう。
いいよなー。ショッピング。最近新しい服なんて買ってない。俺も行きたいよ。奏ちゃんとよく遊びに行ったなぁ。ショッピングしたり、ゲーセン行ったり……あの頃は楽しかった。戻れるならあの頃に戻りたい。それで全部やり直したい。
気がつくと、直樹は塾のある駅を通り過ぎていた。乗客の群れに押されるように渋谷で降りる。
「……塾、さぼっちゃった……」
ジーンズのポケットから財布を取り出し中身を確認する。千円札が四枚。買い物で憂さ晴らしとはいかないが、取りあえずマックくらいは入れるとホッとする。
直樹は人混みの中をフラフラ歩いた。お金が足りなくて絶対買えないのに、それでも靴や服を見た。
思い出すのは奏真のことばかりだった。
なにやってんだろうなぁ今頃……。土曜だし、瀧本さんと二人で楽しく過ごしてるのかな。一緒にご飯食べて、ゲームとかしてるのかな?
奏真としたいことを瀧本に置き換えて考えているのに、気がつけばそれは違うものにすり替わっていた。思い出したくなくても思い出してしまう。
ふたりがアパートでしていたこと。
奏真の声が耳に焼き付いて離れない。姿を見たわけではないのに、脳内に浮かび上がる映像。
直樹は手の甲を見つめ、指でなでギュッとその手を握った。手の甲に触れた唇。無理やりだったのに、反応を返してくれたキス。でも、奏真は背中を向け離れていった。
直樹の想いは受け入れられず、足元に惨めな状態で転がっていた。
「はぁ……」
街は薄暗くなり、ネオンが輝き始めている。
歩くのも疲れた直樹はファーストフード店へ入ることにした。こんな時に限って、なぜかカップルばかりが目に付く。直樹は目を伏せテイクアウトにして店から出た。
どっか座るところないかな。
大通りから一本裏通りへ入ってみる。目の前の風景にふと記憶が蘇った。
あ、奏ちゃんとこの道入ったことあるような気がする。あの時は昼間だったけど……たしか奥まで行くと小さな公園か神社があるんじゃなかったっけ?
直樹は二年くらい前の記憶を頼りに、裏道を一本、またその裏へと入っていく。雑多な飲み屋の通りをさらに奥へ入ると、街灯がグッと減った。
「あ、ビンゴ」
思ったとおり小さな公園を発見した。無人なのを確認してブランコへ座り、ガサガサと袋を開けバーガーにかぶりつく。その直樹の目の前を男が一人通り過ぎて行った。
キィキィと軽くブランコを漕ぎながら、バーガーを食べていると、さっきの男がまた、足早に目の前を通り過ぎて行く。
あ、トイレがあるのか?
コーラを飲みながらトイレの方を見る。特にトイレに行きたかったわけでもない。でも存在に気付いてしまうとなんとなく行っておこうかという心理に駆られる。最後のコーラをズズッとすすり上げ、立ち上がる。砂場のへこみを通り過ぎ、トイレらしきコンクリートの建物が見えてくる。
真っ暗じゃん。ちょっと不気味。でもまだ七時半とかだし……大丈夫だよね?
直樹の頭の中にはオカルト的なものしか過らなかった。
入り口を探しグルリと建物を回る。入り口側にはチカチカと切れかかってる街灯が一つあった。直樹は灯りにホッとして中に入った。
「んっ、んっ」
げっ!?
奇妙な声が聞こえ、直樹はギョッとし慌ててトイレから逃げ出した。一目散に公園の敷地から出る。歩きながら頭の中で悲鳴をあげた。
怖い! 怖いって! なんなの!?
そう思いながらもドキドキが収まらない。
俺、あの声知ってる。
直樹は奏真の声を思い出した。
まさか…… あんなところでヤってるの?
大股で動かしていた足が止まる。直樹はまたおそるおそる公園へ戻った。
なにを確かめたいのか分からない。でも、ヤっているのかもしれないと思うと、確かめずにはいられなかった。
見つかったら怒られるかもしれない。
直樹は慎重に、足音を立てないようにトイレへ近づいた。
「…………」
建物の入り口で息を殺し、聞き耳を立てる。ガタガタとドアが鳴る音。押し殺した息遣いがかすかに聞こえた。
「……っ……ぐっ!」
漏れる声が聞こえるたびに下半身がギュッと熱くなる。
ここにいるのは奏ちゃんじゃないのに。声だって全然違う。なのに……俺、頭がおかしくなっちゃったのかな。
直樹の脳内には奏真が瀧本にうしろから突き上げられている映像が浮かんでいた。夢中で聞き耳を立てる。そのため、背後から近づいている何者かの気配に気づくはずもなかった。ポンと肩を叩かれ、ビクンと体が跳ねる。
「っ!」
口から心臓が飛び出しそうになった直樹へ男が話しかけた。
「ちょっと、君」
固まり、言葉も出ない直樹は、肩を掴まれグイグイとその場から引き剥がされた。
「……あ、あ、あの、ごめんなさい」
「話はこっちで聞くよ」
どうしよう! 私服警官かもしれないっ! 補導されたら親に塾さぼったのがバレちゃう!
パニックになって押されるがまま歩いていると、道路脇に停めた黒い車が見えてきた。
どうしよう。どうしよう。走ったら逃げれるかな?
頭では思っても、手も足もガチガチで歩くのが精一杯。青ざめている直樹の耳に、笑いを含んだ落ち着いた声が流れ込んできた。
「そんな緊張しなくても大丈夫だよ? 話を聞きたいだけだから」
「……へ?」
「時間は取らせないから、二、三質問させてもらっていい?」
「は、はぁ……」
質問? なにを?
肩を掴んでた手が離れ、ポンポンと宥めるように背中を叩く。
その優しい仕草に直樹はホッとして、息を吐いた。
上目遣いで見上げた人は、直樹よりずっと大人だったが、若くて清潔感のある黒髪の男性だった。
セダンのライトが光り、ピピッと音が鳴る。
「助手席、開いたから乗ってくれる?」
「え……あの……」
「心配なら、ドアを開けておけばいいよ?」
「はぁ」
直樹が乗るのも確かめないで、その男は運転席へ乗り込む。
呆気なく自由になった状況にどんどん気持ちが落ち着いていく。
「…………」
大丈夫かな? 変なことされそうになったら逃げればいいんだし。
直樹はドアを開け、言われた通りドアを閉めないで助手席へ座った。
「協力ありがとう」
「あの、協力って……」
「俺ね、こういうものです」
男に名刺を渡され、街灯のあかりだけで目を凝らして読み上げる。
「フリー……ルポライター?」
「うんうん。要は、どこの会社にも属してない記事を書く人」
「はぁ……たまき、さん?」
「そう。玉木隼人。よろしくね」
右手を差し出され直樹もおずおずと手を出す。力強い握手は温かく、直樹の緊張をさらに解した。
とりあえず、名前を教えてくれたってことは、悪いことを企んでるわけじゃないのか……な?
「あ、俺、僕の名前……」
「あ、いいよ。言いたくないなら言わなくてもいい」
おずおずと声に出すと、そんな直樹を察したのかスッと手の平を向け言った。玉木の様子に不安が少し落ち着いてくる。
「はぁ。あの、質問ってなんですか?」
玉木はニッコリ笑うと、薄いノートパソコンを後部座席から取り出した。
「じゃあ、俺の質問に答えてくれる? 始めていい?」
「あ、はい。どうぞ」
「年齢は?」
「えっと……十七……です」
「え? そっか。若いと思ったら十代なんだ」
「はぁ」
「いつから認識したの? その、自分が男性を好きだって」
「え?」
「まぁ、恥ずかしいとは思うけど、名前は出さないから教えて欲しいんだ」
「え、あ、いや……」
「ちょっと難しい? じゃ、その答えはまた考えておいて?」
玉木が画面を見ながらキーを叩く。
「あの、あの」
「今まで男性と付き合った人数は? 一回だけしかしてないのは入れないで」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってください!」
「ん?」
玉木がキョトンとし、直樹を見た。
これは、まさか……俺ってなんか勘違いされてる?
感じていた不安が一気に申し訳ないような気持ちに変わっていく。
「あの、ごめんなさい。俺、その、ゲイ……ホモ? とかじゃないんで……」
「ん? だって、ゲイのしているところ見たくて公園ウロウロしてたんでしょ?」
「ち、違います!」
「違うの? じゃあ、なんであそこで覗いてたの?」
「あ、それは……その、オシッコしたくて……」
「嘘ばっかり」
玉木はいきなり左手で直樹の股間を鷲掴みした。
「ひえ!」
ビックリして固まる。吹き出た汗が背中を伝うのを感じた。
「だって、君、戻ってきたじゃん。ビックリして逃げたけど、興味が沸いて戻ってきたんでしょ?」
「ひ……ご、ごめんなさい……」
直樹が恐怖に涙ぐむと、玉木はビックリした表情になり股間から手を離した。
直樹の頭をポンポンと撫でる。
「ごめん。ごめん。冗談だよ。てっきり、すっかりそっちの道を驀進中かと思ったんだよ。じゃあ、君は何故あそこに戻ったんだい?」
「う……それは……」
「言いたくない?」
素直にコクンと頷くと、玉木は覗きを注意するでもなく、「そっかぁ。年頃だもんね」と笑った。
良かった。この人、穏やかな人なんだよね?
玉木はパソコンを閉じると、ニコニコ笑顔で言った。
「俺ね、ゲイの生態を調べて記事にしようと思ってね。ハッテン場めぐりをしてるんだよ。お店の中の人達ってなかなかインタビュー受けてくれないし。店側からも煙たがられる。中にはお金をせびる人もいるしね?」
「はぁ……」
言ってることの半分も理解出来なかった直樹だったが、そのまま黙って頷いた。
「で、君もてっきりそっちの人かと。ごめんね? 怖がらせちゃって」
「あ、いえ。大丈夫です。あの……勘違いさせてごめんなさい」
「あはは。可愛いね。あ、変な意味じゃないよ? でもね、勘違いしたのが俺で良かった。ゲイの人に勘違いされたらヤられちゃうよ?」
「げっ」
露骨にショックを受ける直樹を見て玉木はあはははと軽快に笑う。
「だから、暗い時間の公園には近づかない方がいいよ?」
「はい。気をつけます」
「うんうん。ところで家どこ? 送っていこうか?」
「あ、大丈夫です!」
直樹がペコペコ頭を下げて降りようとすると、玉木が「ちょっと」と止めた。
「さっきの名刺、貸して?」
「あ、はい」
直樹が名刺を返すと、玉木は印刷されたアドレスの下に番号を書き入れた。
「これ、俺の携帯。もし悩みとかできて、相談する相手がいなかったら電話してよ。俺、話だけはいろいろ聞いてるから、経験はないけど」
「はぁ……ありがとうございます」
「じゃあ、気をつけて。もう寄り道しないでまっすぐ家に帰るんだよ?」
「……はい」
車から降りてドアを閉めると、直樹は玉木の車が動き出す前に背中を向け、足早にそこから逃げ出した。
あーービックリした。なんなんだ一体。でも、私服警官じゃなくて良かった。
玉木に言われた通り、渋谷駅まで戻ると電車に乗ってまっすぐ家を目指した。母親には「途中でお腹が痛くなったから駅のトイレで篭ってた。治ったから帰ってきた」と説明した。直樹のゲッソリした様子に母親も本当のことだと思ったのだろう。叱られることもなく、胃腸薬を渡され、直樹はそれを飲んで部屋へ引きこもった。
真夜中、直樹はベッドの中で今日の出来事を思い出していた。思い返すと己の行動が恐ろしいものに感じる。もらった名刺を破ろうと両手に持ち、手が止まった。
『もし悩みとかできて、相談する相手がいなかったら電話してよ』
気持が揺らぐ。
名刺を眺めながら、玉木の言葉を思い出し考えた。
悩み。もちろんあるよ。でも……相談なんて出来ない。できるわけないよ。……それでも特殊な仕事をしてる玉木さんなら、俺の話を聞いてくれるのかもしれない。自分じゃ出せない答えや……アドバイスをしてもらえるのかもしれない。
さっきまでの後悔もすっかり忘れ、直樹は財布を開き、玉木の名刺をしまった。




