大事にすること
手に持った旅行鞄を肩に掛け直し、奏真は振り向いた。
「んじゃ、お疲れ。また新学期ね」
バイバイと軽く手を振る奏真へ、拓馬たちも手を上げた。
「またねぇ~」
「じゃねー」
「三日後ね」
現実を容赦なく突きつける拓馬を指差し、奏真はわざと嫌な表情を作って見せた。直樹は無言でみんなと同じように手を軽く上げたが、いつもの笑顔はなく、奏真のことも見ていなかった。せっかく以前のように戻れたのに、一夜にして振り出し。いや、それ以上に気まずくなっていた。直樹は柄にもなく朝からずっと静かなままだ。
皆と別れしばらく歩き、角を曲がる。奏真は盛大なため息を零した。
……だから、言わんこっちゃない。直樹はなにがしたいんだ。キスしたって、なにしたってきっとこうなってたよ。新学期、三日後だぞ……。なんであんなこと今更言うの? なんで今更あんな風にしてくるのさ……。
トボトボ歩いていた重い足が遂に止まる。
「やっぱ行かなきゃよかった」
そう零したところで、起こってしまった出来事を無しにはできない。
気持ちを切り替える為に「ふん!」と鼻息を鳴らし、奏真は足を大きく踏み出した。そのままの振り幅で瀧本のアパートへと急ぐ。なにより早く会いたかった。こんな時だからこそ。
「ただいまぁ」
部屋の中は真っ暗だった。遮光カーテンは閉まり、修理を終えたエアコンが冷蔵庫のように部屋を冷やしている。瀧本は布団に大の字で爆睡していた。奏真はドサッと旅行鞄を床に置き、サンダルに履き替えそのままシャワーに直行した。
水加減なんかどうだっていい。調節もしないで頭のてっぺんからシャワーを浴び、全身をざっと洗う。適当に水分を拭い、Tシャツを着てパンツを手に取ったが、瀧本に習い短パンを直履きし外へ出た。さっぱりした身体に再び汗が滲まないように早々に階段を登る。部屋へ戻り鍵を掛け、大の字の瀧本の腕に頭を乗せ、ゴロンと仰向けになった。
「……ただいま」
暗い天井を見ながら呟くと、瀧本が唸った。
「……ん……おお。……おかえり」
寝ぼけた声。顔を向ければ、目を閉じたままの瀧本の横顔があった。
「…………」
奏真は瀧本の方へ体ごと向き、瀧本の胸へ手を伸ばした。枕にしていた腕が動き、奏真の肩を抱き寄せる。奏真も瀧本のTシャツをギュッと掴み、もっともっとと、瀧本へくっついた。
「……楽しかったか?」
穏やかな低音が尋ねる。
「うん」
楽しかったよ。すごく。みんなでご飯作って、映画観て、カラオケやって、お風呂入って、花火して、トランプして……。うん、楽しかった。
奏真は頭の中で必死に楽しかった思い出を蘇らせていた。こめかみをスリスリと瀧本の肩に擦り付ける。
あのね? キャンプに行ったんだ。だけど、着いた所は別荘だったの。しかも高級な匂いがプンプンしたお屋敷だったよ。晩御飯はね、バーベキューだったんだけど、ご飯は炊飯器で炊いたんだよ。キャンプファイヤーの代わりにカラオケやった。星空を見ないでトランプやった。銀色のうすっぺらいマットじゃなくて、ふかふかのお布団のベッドで寝たんだよ。
楽しかった思い出の全部を胸の中で伝えた。でも、奏真が言えたのはたった一言だけ。
「……楽しかったよ」
またギュッとしがみつくように瀧本へくっついた。
「……そっか」
「うん」
俺はちゃんと友達を……たぶん大丈夫だよ。大丈夫。あれでわかってくれたと思うから、三日後になったらきっと直樹も元に戻ってくれているよ。
「ねぇ……俺たちってさ……」
「ん?」
付き合ってる……よね?
「……ううん。なんでもない。今日もエビフライ乗っけてよ」
「はぁ? お前、肉たらふく食ってきたろ? 贅沢なやっちゃなー」
ふざけた感じにわざとらしく大声出して言う瀧本の上に奏真はもそっと乗り跨った。瀧本を見下ろして顔をゆっくり落とし、チュッとキスをする。
「御裾分け、あげるからさ」
「どーやってくれんだよー」
直球じゃなきゃ分かってくれない瀧本に、奏真は笑顔を見せる。
「お肉の代わりに俺を食べてよ」
瀧本は腕を伸ばすと奏真の頬に触れた。
「……脱げよ」
瀧本の手に甘えるように頭をゆっくり傾けると、大きな手が頬を包み、頭を支えてくれる。
「剥いじゃえば?」
瀧本は重そうな上半身を起こし、奏真のTシャツの裾を掴みバンザイさせて脱がした。そのまま奏真を布団に押し倒し、短パンも剥ぎ取る。
そして文字通り、上から順番にゆっくりと奏真を食べていった。
「っ……」
全身を瀧本が余すところなくじっくり味わい尽くす。薄い皮膚に点々と痕がついていく。
奏真は迫り来る快感に酔いしれた。
たった一泊。なのに瀧本の体温がすごく懐かしい。キンキンに冷えた部屋で、その熱はとても気持ちがよかった。
「……いいよな」
散々解したあとに、ゆっくり侵入してくる熱はどんどん中に潜り込み、瀧本が全身を満たしていく。
筋肉のついたガッシリと太い腕が奏真の細い身体をがんじがらめにする。逃げられない。
すっごくいい……。
奏真は瀧本の背中に腕を回し、一定のリズムで揺すられながら、「もっとして」と見上げた。
「……イイか?」
「うっん、最高……」
瀧本のがさらに膨れ上がり、圧迫感が増す。それがまた嬉しい。
「……は、っあ!」
瀧本が弱い箇所を擦り、奏真は息を荒げ、間抜けで狂った声を上げた。離されないよう必死にしがみつく。脳が揺れ、酸素が足りなくてクラクラと目眩もする。それでもやめたくなかった。
「いいぞ……」
はぁはぁと息を荒げながら、瀧本が奏真を貪る。身体をくねらせたり、目をギュッと瞑ったりしながら奏真も快感を貪った。
俺、やっぱりココにいたい。
「うあっ! はっ、あクっ……んあああっ」
絶頂を迎えながら、瀧本をしっかりと感じる。奏真は太い腕にギュウウッと強く抱き締められた。
この感じ……すごく好き。
◇ ◇ ◇
夏休み、最後の三日間はあっという間に終わってしまった。明日からは学校が始まる。奏真は自分の家へ帰らなければならなかった。
一ヶ月振りに玄関を開けた奏真を待ってたのは、夏休み前と何一つ変わらない母親の反応と島田の暴言。しかし変化もあった。母親の服装と微妙に膨らんだ腹。そして島田は仕事を始めていた。
奏真はその変化の意味をすんなり理解した。
そっか、帰ってきちゃダメだったんだ。
この場所は自分のいるべき場所ではない。奏真が腐らずに現実を客観できたのは、瀧本の存在があったからだった。
大丈夫。俺にももう新しいおうちができる。一緒に住もうって言ってるのは十一月から。後たった二ヶ月の我慢。二ヶ月なんて、……ちょろいだろ?
すぐにでも家を出たい気持ちを堪え、奏真は毎日、自分を励まし続けた。
二学期が始まっても直樹は、全然元に戻っていなかった。休み時間、以前と変わらず話もする。しかし、奏真と視線が合うことは全くない。夏休み前とはまた違う溝が、二人を隔てているのを奏真は痛いほど感じた。
『友達は大切にしろ』
瀧本から言われた言葉が蘇る。
教師の英語をBGMに、奏真は遠くに座る直樹を見つめていた。教科書を見ている横顔は前髪が被さっていて表情が見えない。
直樹はキャンプでのことをどう思ってるんだろ。俺はどうすりゃよかったの?
あの時、奏真は自覚のないパニック状態だった。
いろんな告白を一気に聞かされ、そのひとつひとつが、衝撃的な内容だった。それを怒涛のごとく浴びせられ、奏真のいつもどこか俯瞰的で冷静だった処理機能が麻痺してしまっていた。そのことに奏真自身も気付けなかった。
全部受け止めたらよかったの? 直樹とも、瀧本さんと同じようにすればよかった? 「俺も直樹と一緒にいたいよ」って言えばよかった? 「俺も好きだよ」って言えばよかったの?
正直、わからなかった。
直樹のことは本当に好きだし、一緒にいたいと思っている。その気持ちは、昔と変わらず今もずっと同じ。直樹は奏真の拠り所だった。直樹の弾ける笑顔を見ると、いつだって笑うことができた。
奏真は直樹といれば、父を失ったことも、母が変わったことも、島田への怒りも全て忘れることができた。直樹の前ではなんの悩みももないただの子供でいられたのだ。
いつも一緒にいてくれたもんね?
直樹は奏真にとっての宝物で、かけがえのない親友だった。直樹も自分と同じ想いだと思い込んでいたのだ。あのタバコの一件までは。
そもそも、俺ってなんなんだろ……。直樹にとって、瀧本さんにとって、なんなの?
奏真は今までその辺のことを深く考えていなかった。頭を過ったとしても「まぁいいか」で済ませていた。一緒にいたいから一緒にいる。好きだからエッチなこともする。しかし、現実的に選択を突きつけられ、考えざるをえなくなった。
今まで通りじゃダメなの? それか……このままのスタンスで流してもいいのか。直樹が望むなら……好きだったらヤってもいいのかな? ヤらせてもいいの? ……わかんないよ。
奏真はあの時、混乱の中で頭に浮かんだのは瀧本の言葉だった。「友達は大事にしろ」だから、奏真は直樹の想いを拒絶しなかった。奏真は直樹を大事だと思っていたから、キスぐらいで引いてくれるならと、応えたのだ。直樹とはできないと切り捨てたくはなかった。
でもそれが結局、直樹を傷つけてしまっている。
いったいどうしたらいいんだろ……。
考えても答えは出なかった。ただぐるぐると考え続け、一日はあっという間に終わってしまった。
直樹は休憩時間、昼休み、移動教室、一緒にはいたが、一緒ではなかった。
ホントに、いいのかな……。
これで一緒にいる意味あるのか? と疑問が沸く。でも距離を置いたらきっと取り返しのつかないことになりそうだとも思った。そして結局、奏真は考えることに疲れてしまう。
時が解決なんて、本当にするかはわからないけど。ターニングポイントなんて、ここに限ったことでもない。……人生、なるようにしかならないんだし。
奏真はそうやって、自身を納得させることしかできなかった。




