スーパーヒーロー
直樹たちの笑顔が浮かぶ。
奏真にとって、高校は救いの場だった。
他の生徒と同じ、普通でいられる唯一の場所であり、穏やかに過ごせる場所。
なのにそれすら奪われた。
なにもかも、目の前に落ちている潰れたタバコのせいだった。
もう、ここに居たくない。
一人きりの小さなアパートの中、奏真は胸の内で零した。ふらりと立ち上がると財布と携帯だけポケットに突っ込み、もう誰もいないアパートを出る。
今日はどこかに泊まらせてもらおう…...。
奏真は歩きながら、携帯を弄った。奏真が迷いなく開いたのは野原直樹のアドレス。携帯画面の名前を見つめ、歩みが止まる。
「…………」
画面を見下ろしたまま指を動かすことなく携帯を眺め、奏真はメール画面を閉じた。
どこにも、行くあてはない。
再びのろのろと足を動かし、繁華街へと足を向けた。平日の朝、十時半すぎ。開店準備も整い、店もそろそろ開き始めている。その中をふらりふらりと歩き、目に入ったゲームセンターへ足を向けた。
店内はガラガラで照明も節電モード。ゲーム台からは賑やかな音が流れているが、冷えきった空間だった。活気も人けもない。ヒマそうな店員がだらけた様子で立っているだけの錆びれたゲームセンター。それでも、なにも考えずに時間を潰せる。奏真の目的は十分補えていた。
両替機に千円札を一枚入れ、両替する。
結局、島田と変わらないことを今からしようとしている。
奏真は目を細め、唇をムッと突き出した。それでもポケットの中で両替した硬貨を握り奥へ進む。奏真が向かったのは百円ポッキリで遊べる古びたゲームコーナーだった。もう何度もやり尽くしているゲーム台へ座り、硬貨を一枚入れた。
果たして一枚でどこまで遊べるか……。時間つぶしには恰好な目標じゃない?
おどけた口調で自分自身に言い訳し、気持ちを立て直す。
この格闘ゲームは勝ち続ける限り永久にワンコインで遊べるゲーム台だ。四十五人の対戦相手からキャラクターを選択し、一試合三ラウンドで戦う。勝てば対戦相手は選択画面から消える。新たに戦う相手を選択していくという勝ち抜き戦ゲーム。
最新機種を選ばず、奏真が小学生の頃からある馴染みのゲーム台を選んだのは、ゲームを楽しむためでも懐かしさに浸りたいからでもない。無心になって時間を潰すことが目的だったからだ。そこに己と島田との違いを奏真は見出そうとしていた。
ゲームを開始する。一勝、二勝、三勝と勝ち続ける。WINのテロップをAボタンでトントンと画面外へ流し、次の対戦相手を選んでいると背後に気配を感じた。
ギャラリーかな?
チラリと目を向ける。人相のあまり良くない三人の男たちがニヤニヤと奏真を見ていた。奏真よりやや年上に見える。それでも奏真は大して気に留めなかった。強いプレイヤーを周りの人間が見学するのは、よくあることだからだ。
しばらくすると、男たちが近づいてきた。
「強いじゃん。何連勝中?」
「ハチ」
「おお、すげー! ひとりなん? 一緒に遊ばね?」
昼間からゲームに興じる人間にとって、これくらいの連勝は大してすごくもない。やけにオーバーリアクションをする男たちに奏真は冷めた声で言った。
「見てわかんでしょ。いいよ」
三人は目を合わせニヤニヤ笑った。
「高校生? 中学生? 今、金いくら持ってんの?」
「高校。金なんか持ってたらこんなとこで百円ゲームなんかしてないっしょ」
「ちょっとでいいんだー。貸してくんない? 俺たち金欠でさ~。明日、ここに来てくれたらちゃんと返すからさ! ね? いいでしょ?」
あぁ、やっぱ……そういうことね。
男たちが声をかけてきた理由は分かっていた。それでも相手をしてしまったのは、ほんの一瞬、自分に付き合い時間を潰してくれる誰かを無意識に求めていたから。
そんな気持ちがさらに奏真を滅入らせる。
大きなため息が口から漏れ出た。
借りただけなら、カツアゲにならないとでも思ってるのか…...。どーせ、はなから返すつもり無いことぐらい、俺だってわかるよ。バカなやつら。
心の中で不良達に向けた罵りは、奏真自身にも向けた言葉だった。
「貸す金なんて持ってないよ」
「そう言うなって! な? あるだけでいいから!」
たかるにしてもたかだか千円くらい。それでも彼らに金を渡せば、結局そんな金額では済まなくなる。一度たかりに成功すればカモにされるのがオチだ。
三人の中の一人が馴れ馴れしく奏真の肩に手を回してきた。ゲーム台の向こう側を歩く店員がこちらを見ている。でも奏真と目が合った瞬間、店員はそっぽを向いた。冷ややかな視線だった。「ここで厄介事を起こすなよ」と言いたげな顔。
それでも奏真は落胆しなかった。
奏真には店員の視線の意味などはどうでもよかった。それよりも向けられる眼差し自体が問題なのだ。関わりたくないと遠目に避けるあの目。
もう、そーゆーのにも慣れたよ。
奏真は心で呟いた。
はぁ……。
深いため息を鼻から吐き、奏真はゆっくりマバタキした。それで気持ちを切り替える。めんどくさいな……と思いつつ男たちを見上げた。
さて、どう逃げようか。
「あーごめんごめん! ちょおっといいかなぁ?」
突然、この場の雰囲気にそぐわない呑気な大声がした。
「んぁ?」
奏真の目の前を塞いでいた男が振り返り、隙間から人影が覗く。そこにいたのは男たちより頭ひとつ分大きな体格の男だった。奏真の口から思わず声が漏れる。
「あっ!」
体全体から圧を放ちながら口元だけで薄く笑う男は、奏真と同じ西宮高校に通う三年生の瀧本哲也だった。
二年生の奏真との面識はない。しかし奏真は違った。去年の学園祭で、体育館ステージのライブパフォーマンスがあった。数組あったパフォーマンスの中、一組のバンドに奏真は衝撃を受けた。ギター演奏、迫力、歌唱力どれにおいても抜き出ている。そのバンドをギターボーカルとして率いていたのが瀧本だった。
ライトを浴びたその姿に目を奪われた奏真は、一瞬で瀧本のファンになった。
秋に行われた今年の学園祭でも、瀧本は女生徒たちから一番の黄色い声援を浴びていた。女生徒ばかりではない。奏真同様、男子生徒も夢中で盛り上がった。
舞台の真ん中でギターを掻き鳴らし豪快に歌う姿は、周りの歓声や脳をガンガン震わせる大音響をものともしない圧倒的存在感でキラキラと輝いていた。
奏真の全身をアドレナリンが駆け巡り、血が沸き立つ。幼い頃見たテレビのヒーローや、夢中になったアニメキャラ、その誰よりもカッコイイ! 演奏を隣で見ていた直樹が呆れるほど奏真は魅了されていた。そんな奏真だからこそ、分かったのだ。私服だろうと見間違えるはずもない、瀧本その人だと。
「う、そ……」
まさか、瀧本さんが……。
幸運に呆然とする奏真。
瀧本が三人の男たちへ温和な口調でにじり寄る。
「ごめんねぇ? 俺の弟がなんかした?」
ガッシリした体躯から放たれる圧力。怖いくらい整っている顔。しかも目つきは鋭い。顎にはうっすらと無精ヒゲまで生えている。とても奏真と同じ高校生には見えない。そんな男が、喧嘩する気満々なオーラをゴウゴウと放っている。
三人は完全に圧倒されていた。明らかな迫力負け。
「ち、行こうぜ」
他の二人に言われ、奏真の肩を抱いていた男もぎこちなく手を下ろした。呆気なくゲームセンターから出て行く。見送る瀧本。奏真は慌てて椅子から立ち上がった。
「あ! あの」
「んあ?」
「ありがとうございました!」
膝に頭がくっつく勢いで頭を下げる。
信じられないという気持ちでいっぱいだった。心臓がドキドキと高鳴っている。胸を打つ高鳴りは、奏真が長らく持つことのなかった未来への期待だった。