とんでもない事件
お金貯めよう。
寒がりの奏真のために、本格的な冬が来る前に風呂付きのアパートへ引っ越そう。そしたら一緒に住もう。
そう瀧本が奏真へ約束したのは、七月の中旬だった。
奏真も期待していなかったと言えば嘘になる。今後の身の振り方として、「だったらいいなぁ」というぼんやりした希望ではなく、実現するためにどう動けばいいか。頭の中でずっと考えていたことだった。
想像していたよりもずっと早くに訪れようとしている夢の実現。嬉しくて嬉しくて、奏真は更にバイトに励み夏休みを迎えた。
一緒に────
その気持ちを瀧本も持っていることを知り、夏休み初日に奏真は旅行バッグに数枚の着替えと預金通帳、携帯の充電器、サマーワークなどの宿題を突っ込み、ギターケースを抱え部屋を出た。
冷蔵庫に瀧本の名前と住所を記したメモを貼る。
これで文句は言われまい。
誰もいない内にと思っていたのに、玄関を出た途端、島田とバッタリ出くわしてしまった。
「おー、なんだ。夜逃げか? おっと、昼逃げか」
「友達の所に泊めてもらう。母ちゃんに言っといて」
「夏休みか……ガキのクセに優雅だなぁ」
「俺がいない方があんただって都合いいだろ」
「よくわかってんじゃねぇか」
タバコの臭いで部屋中を満たしながら、毎日毎日ビールを片手にテレビ三昧……優雅なのはどっちだよ。
アパートの中へ入っていく島田を数秒睨み、奏真はもう” 家 "とは思っていない場所から離れた。
瀧本は奏真が押しかけても嫌な顔一つしなかった。「ちゃんと親に言ってきた」と言うと、いつものように頭を撫でて迎えてくれた。
すでに社会人の瀧本に夏休みは関係ない。いつも通り、夜の八時になれば仕事へ出かけ、帰ってくるのは翌朝の七時頃。朝、隣に潜り込んでくる瀧本に夢うつつのまま「おかえり」を言い、一緒に二度寝する。九時のアラームで奏真だけ起き、十時からのバイトへ出かけた。一緒に暮らすと決まって、奏真の貯金しようという気持ちはさらに強くなった。
家賃以外にも新しいアパートを借りる時には敷金や礼金がかかる。日々の生活が始まれば、それこそ食費や光熱費。新生活において瀧本に全部おんぶにだっこは嫌だった。奏真にとってはあくまでふたりで生活をすることがなにより大事だったのだ。
夏真っ盛りの日々は続いた。
奏真のバイトは朝の十時から三時。店内はもちろんエアコンが効いており、交通費も微々たるものだが一応支給される。その上まかないも出るし、ドリンクも飲み放題。モコモコバーガーはガッツリ貯金するにはもってこいのバイト先だった。
バイトが終わればアパートへ帰り、瀧本とイチャついていつものカレー屋で晩飯を済ませる。もちろん瀧本の奢りだった。奏真が自分の分を払おうとしても、瀧本が「いい、いい」と言うので今は甘えている。
先に社会人になった瀧本にはプライドがあるのかもしれないと考えた奏真は、奢ってもらう代わりにしっかり貯金して、食費以外のところで瀧本を支えようと決めた。
夕食後、瀧本は奏真をアパートまで送り、九時からの仕事へ出掛ける。奏真はそこから夏休みの宿題とゲーム。そして十二時くらいには就寝という生活リズム。夜勤ですれ違いの時間はあれど、その分瀧本の休みである木曜と金曜に合わせ奏真も休めるようバイトのシフトを組んだ。
休みの二日間はたっぷり四十八時間、一緒に過ごす。
アパートでだらだら、ゴロゴロする時もある。丸一日裸でいることもあった。トイレと風呂とカレー屋に出るためだけに服を着る。そんな日もあれば、バイクで夜の海まで行き、公園で花火をしたり、手を繋いで散歩した。人の目があろうと奏真も瀧本も平気だった。
夜の海は吸い込まれるように暗く、月明かりも届かない。海風を感じながら瀧本の大きな体にもたれる。波の音しか聞こえない場所に立っていると、地球上に二人しかいない気持ちになる。
奏真はそんな時間が大好きだった。
楽しく、幸せな毎日。
こんな夏休みが過ごせるなんて思ってもみなかった。
高校を卒業すれば、毎日こんな生活になる?
現在を満喫しつつ、奏真は未来に希望しか見ていなかった。
そんな日々の中、予期せぬ事件が起こった。
蒸し熱い夏を快適に過ごすための最大の必需品であるエアコンが壊れてしまったのだ。夏の暑さだけではない。冬の寒さをしのぐためにも必要な冷暖房機が壊れたのだ。真冬になる前に新しいアパートへ引っ越すにしても、エアコン無しは辛い。
たまたま瀧本も休みだった午前中に故障が発覚したのは不幸中の幸いといえた。ただちに瀧本が大家に連絡を取った。しかし、突きつけられたのは「修理が立て込んでいて業者が来るのは早くて三日後」という衝撃の言葉だった。クーラーなしで三日間。奏真は唖然とした。
「ありえないよ……」
奏真たちは早急に対策を練ることにした。
引越しを前に、新しくエアコンを買う余裕はない。エアコンが復活するまで、南向きの窓を開け放ち、風を西側の玄関へ送ろうと考えた。とりあえず玄関用の網戸と、安い扇風機を買うことにする。
「よし、じゃ行くか」
「うん!」
ふたりは、近場で一番の規模を誇る電化製品の店へ出かけた。
店内にずらりと並ぶ製品。コレ扇風機なの? と思うデザインから、これぞ扇風機! という物までいろいろな商品があった。値段も相応にピンキリだ。ワンルームとはいえ五千円は出さないといけないだろうか。
展示品でいいと言えば、値引きしてくれるかな?
そんなことを考えながら扇風機を吟味していると、ポケットの中で携帯が震えた。取り出して着信表示を見ると、直樹からのメールだった。
『やっほー! 元気? 今から奏ちゃんち行っていい?』
返信ボタンを押そうとした時、隣の通路から大きな声が奏真を呼んだ。
「おーい」
「はーい」
奏真は開いた返信画面をそのままにして、ポケットに携帯を落とした。




