35歳の冬
月曜日になるたびに朝の凍てつきは増して、その冷たさは昼間の日陰から、日常すべてを覆う事になった。年の瀬の忙しなさも年々後ろ倒しとなり、クリスマス商戦が終わる頃に、やっと冬が来たと実感するに至った。
携帯へ不在着信のメッセージが入った。
すぐに折り返しの電話をしたが、茂森は話に出なかった。しばらくすると、かけ直すとの連絡があり、石田康幸は、部屋に戻り椅子に腰かけ天井を眺めた。
茂森と最後に連絡をとったのは、高校以来だ。別に何か仲違いをしたわけでもなく、ただ単純な接点がなかったのだ。同じ学校に通い、隣のクラスだった茂森は、元々の明るい性格と音楽的な才覚から、人気者であった。共通の友人を慕い、良く帰宅時に同行していたし、偶然会ったりすれば、話す事はあったが、学年もとい学校の人気者である茂森と、未だに心に思春期真っ盛りの痛々しさを持ち合わせていた石田とでは、今思い返せば、甚だ不釣り合いな状態だった。共通の友人さえいなければ全く接点がない事は、その後15年以上、連絡がなかった事が一番の証左である。
前述した共通の友人の訃報を知ったのは、その数分後で、聞き覚えのない悲痛な声で、茂森がその訃報を伝えた。
「本当なら俺もこんな事伝えたくないのだけどさ。」
どこかスムーズさを擁し、自然と口が動いた様な印象を受けた。察するに近い友人何人かに伝え、最後に石田にも連絡をしてきたのだろう。
茂森の話では、亡くなったのは1ヶ月ほど前で、旅行先で倒れ、詳しい事はわからないが、脳出血の様な話を聞いた。年齢も35歳、結婚して半年という幸せの絶頂での悲劇に家族は、大きなショックを受け、身内で通夜、告別式などを済ませ、身辺の整理などを行い、1ヶ月後に友人への連絡となったということらしい。
高校の友人は、何人かで集まり、個々別々ではなく、集まって一度に、弔問を行ってほしいという事なので、数名の友人に連絡を取り、1ヶ月後の12月23日の土曜日に決まった。しかし、電話を切った直後は、まったく実感が湧かず、何やらイベント前の高揚感すらあった。その旨を家内に伝え、すぐに眠りにつくことにした。その後も、石田は、日々の生活に忙殺され、生来のものぐさでもあり、特に思いを馳せることなく、当日を迎える事になった。
当日は、晴れ渡った冬晴れで、各々コートを腕に持つほどの温かさであり、石田も額に汗を滲ませながら、着古したパーカーを着て待ち合わせ場所に立っていた。堅苦しい服装ではなく服装は自由で、と前置きをされていたのを良い事に、30代の半ばもすぎ、アラフォーの仲間入りをした石田は、黒もぼやけ、アメリカの名も知らぬキャラクターのプリントされたパーカーに友人から酔った勢いで譲り受けた何やらハイブランドのものらしいキャップを被り、20代から変わらない姿で来てしまった。変わった事と言えば、体重が30キロ以上増え、さながら運動不足のクマの様な薄ら大きい身体と、顔も周りを覆う髭くらいだが、それがあまりに大きな変化で、人間の印象をとても大きく変えてしまったいるのだ。
高校卒業以来の再開となった女数名を含む、7名で友人宅へ向かう道中も、その変わり果てた姿に、オブラートにしっかりと包まれた言葉で、さながら好意的かと勘違いさせるくらいの口上で、その旨を伝えてくれた。しかし、石田以外の6名は、15年の時を感じさせぬ、変わらぬ見た目の範疇である。まかり間違って私立高校に通っていたので、皆、品性が良く、良く設えたコートにセーターの中にシャツを着て、綺麗に磨かれた革靴を履いていて、偽物のバスケットシューズを履いている石田とは、そもそも住む世界が違うので、こんな薄ら汚い冬眠前の熊男に好意どころか、興味を抱く事すらないのだと、内心分かっていながらも、幾ばくかの振りに郷愁の女性と会話をし、それが15年前の記憶の一片を未だに感じさせてくれる美しさにままとあれば、石田の心が高揚するのは、もはや抑えようもない現象なのであった。
各々の近況報告もほどほどに、友人宅に着くと、どこからともなく幹事の仁川が大きな献花を友人の母に渡し、促されるまま、骨壺と写真の並んだ和室へ踏み入ると、その写真を1枚ずつ眺めながら、少しずつ悲しみの芽の様なものが、自身の中に芽吹きそうな最中に、石田の耳のすすり泣く女の声が入り、そこからは目の前で行われている悲しみの相乗に、あっという間に取り残され、石田自身辟易する浅ましさや愚かさが、頭の中を埋め尽くし、どうして女は、こういう時にすぐ泣くのか、幼い時分は、悲しんでいる自分自身をにスポットライトを当てる為の自己陶酔だと考えているが、35歳にもなってのその行動は、何なのか、であるとか人間に雌として共感能力こそが、子孫繁栄の為に必要な能力なのであろうか等々、意味もない愚考を駆け巡らせ、少しばかりぶすっとした顔で、座布団に座り、仁川が母君と思い出の話を滔々と行っている最中にやっと、懐かしさと悲しみが入り混じった感情に浸る事が出来た。
しかし、昔の卒業アルバムがテーブルの上に置かれ、高校時代を懐かしむ会話になった途端の直ちに消え去りたくなる様な気恥ずかしいを必死に隠す羽目になった。隣に座していた春香から、学生時代に隣の席になった際、石田から手紙をもらったという、全く記憶になかったが、その軽薄に冗談めかした恋愛口調の内容を聞き、すべてを思い出す事になったエピソードが話された瞬間は、ただただ赤面する他に身の振り方も心得ていなかった。
石田がお焼香を終え、その後も順番に話とは、別に順番は、回っていく。会話は、現在の各自の生活、主に子育てや夫婦関係についての話で、田舎の低収入の地元から出ぬ、氏子にありがちな周囲より早い結婚、育児などへの参画で、子供が少し年長という事で、生意気にアドバイスなんかをしてみたりもした。
偉そうに講釈を垂れながら、視線は、写真に手を合わせる後ろ姿に視線を送っていた。正座し、手を合わせるさくらは、年を重ねても変わらない小顔と美しく張り出した肩、後ろからうなじが見える様なボブカットの髪も15年以上の時間を何一つ感じさせない。というよりも、今一番美しいのではないかとすら、思わせる凛とした姿であった。少しタイトなセーターから見える背中から腰のラインをしばらく眺め、自分の中にむくむくと湧き上がるどす黒い欲望を心の奥に確かに感じた。石田は、それを隠すようにお茶で口を潤しながら、思い出話に興じたフリをした。
その約1時間後、友人宅を後にし、口々に毎年命日に集まりたいなどと話をしながら、最寄りの駅まで歩く帰り道で、信号を待つ間にさくらと話す事があった。伏目がちで、ほとんど目が合うことはないが、大きく真っ黒な宝石の様な瞳は、依然と何も変わることなく、目じりの皺で少しばかり柔らかい表情になったその表情は、郷愁というよりも、新鮮な好意の一端を石田の胸に芽生えさせるものだった。しかし、醜く太り少しばかりは、大人になった石田は、顎に蓄えた髭を触りながら、場の空気も考えず、欲情を発露させる様な自分自身には断じてなりたくないと、僅かばかりの理性で持って、それが逆に、過度なほどの距離を空ける事となり、先程までは、普通に会話をしていたにも関わらず、丁寧語や尊敬語で会話する事になり、
「なんでいきなり敬語になったの?」
と半分冗談で、半分訝しげに尋ねられ、口ごもったりする形なってしまった。
クラスのヒロインだったもの。
そう春香がいうのを聞いて、石田は、過去を一瞬回顧した。確かにクラスの男子に人気はあった。というよりもさくらは、男女問わず、みんなと仲が良かった。心の障壁なくそのまま話しかけられる天然さ純真さは、恵まれた容姿も含めたコンプレックスの少なさに起因するものだとも思うが、今思えば、口には出さぬが、何名の男子が彼女に好意を抱いていたのか、考えれば皆が薄っすらとした好意を抱いていた事を容易に想像できた。
しかし、石田が学生時代に見ていたさくらは、クラスのヒロインという言葉という華やかな言葉のイメージではなかった。それどころか、どちらかというと控えめで暗い表情が多いという印象だった。それも内面から陰湿なひねくれものに出来ている石田に合わせているという可能性も大いにあったわけだが。
一同駅に着き、数名で食事に行く事になった。駅前の2階のファミリーレストランに入り、石田はとりあえずビールを頼んだ。仁川とは、食事だけのつもりだったらしいが、合わせてビールを頼んでくれた。周囲の苦笑いを視線の奥に捉えながらも、石田は、昼間からビールを流し込む誘惑と、内面が吞兵衛ゆえに、こういった場を素面で乗り切る立ち振る舞いを心得ていないのだった。そして、ビールをあっという間に飲み干し、お代わりを注文した。酔いが回ってきさえすれば、もはや周囲の目や空気などは、どうでもよくなり、石田生来の内面の粗暴さが発露しても、ある意味で男性的な豪快さと自身の心の中で片付け、気にも留めない事も出来た。
ふと気づくと、というか、最初の瞬間からずっと気づいていたのだが、斜め前に座っているさくらもビールを飲み、やや血色の悪くも見える白い肌をやや赤らめていた。さくらが数杯目のビールを注文する度に、1人ずつ陥落していく様に飲酒に連れ合う人が増え、最後には車で来た林田を除き、皆明るい時間からの飲酒に興じる事となった。
すぐに会話も弾み、冗談も飛び交う様になり、石田も普段の酒の失敗談を恥ずかしげもなく、自慢げに語り、下衆な笑いをとってみたりした。皆、結婚し、都内や横浜なんかのファッショナブルな都市部に住み、週末には、仲間とフットサルやサイクリングを楽しむ、はいからな人生を謳歌している元同級生と違い、天候によっては、潮の臭いが駅まで届く様な港町から出る事なく、小学生かそれ以前よりの顔なじみばかりに囲まれ、事あるごとに、寄付を募り、酒ばかりを提供してくれる地元神社の評議員なんかをやっている石田では、日常に中での自己責任の末の痛手を負う機会の数が、そもそも違うので、こうした酒の席で話す下衆な話というのは、石田の得意とするところだった。しかし、そのエピソードを話す石田自身が、地元漁村特有のとも言える、粋で鯔背などという古臭い美徳に酔ってしまっている所が甚だ痛々しかった。
なので、ほんの数分間、厠で席を外し戻ってくると、話題はパートナーとの日常生活での行き違いや不満と内容になり、しかも当然のようにそういった議題の方が、皆、気勢があり、前のめりで会話を盛り上げていたのだった。それは、全くの悪意ではなく、年相応なありふれた内容であり、本来であれば、そうあるべきものとも言えるのだが、そもそもがここにいる事自体が、分相応でない石田にとってみれば、心底居心地の悪い状況となっていたのであった。自然に視線は、窓の外の雑踏と夜さりの空を眺めた。
時刻が5時に近づき、子供を義実家に預けたという春香の一言に、頃合いを感じ、一団は、駅まで歩を進めた。1
階へ下りる階段で、何の気なしに石田は、一段下から手を差し伸べ、さくらは、手を上から重ねた。それは、ひどく不相応な行動であったが、ほんの10秒ほどの間、階段を下りるまでの一瞬であったため、さして気に留められる事もなく、皆、各々別れを惜しむ会話の中に消えていった。
改札で皆を見送り、1人で帰路を進む石田には、アルコール由来の高揚感と裏腹な憂愁と、冷たくしっとりとした掌の感触が残っていた。
その感触を取り去り、消し去る為に、石田は、おもむろに携帯で、地元の友人に電話をかけたが見つからず、単身で、行きつけの居酒屋のカウンターで、お茶割を呑む事になった。幾度となく、迷惑をかけたはずの、何を売っているのか分からない店ではあるが、最近は、パクチーを使った料理を始めたらしく、6時近い店内では、女性客の声と、忙しそうに働く店主で、どこか心落ち着かなかったが、それだけは、良いと言える音楽の趣味と、お茶割も3杯目を過ぎた辺りから、気にならなくなり、行く事のないライブのフライヤーや、知らない男の海外旅行紀のポスターを眺めながら、独り言つ、吞む事も出来る様になってきた。
そろそろ帰ろうかとも思った時に、携帯が光り、さくらからメッセージが来た。
「ありがとう」
グラスの中のお茶割を一息で飲み干し、石田は、店を出た。冬の夜風は、火照った頬には心地よく、ライトに照らされたオレンジの吐息は、いつもより深い溜息交じりものだったが、風に乗って消えた。
いっそのこと、やりたいとでも送って、幻滅させてやろうかとも思ったが、悪友からの返信が来たため、携帯をしまい、駅方面に戻る事にした。
翌日に払うであろう痛飲のツケは、ひとまずこの時の石田には、必要な痛みに思われたのだった。