第25話 現実への帰還
――頬に温かな光が当たっている。耳を澄ませると、人が動き始める気配。暁月優利はぼんやりと目を天井に向けた。サーバへの夥しいコードがはっきりと見える。スケルトンの社屋は、まるで体内に閉じ込められたような感覚を受ける。
……|現実に、還って来たんだ《パラリアル》。
――第二章「最大の試練」――
VGOを終えると、しばらく脳の震えを感じるが、その時の心地に近い。「帰って来た」と言い換えても良いぐらい、頭がぼうっとする。
美しいVRの世界は、まるでお伽噺だった。クルタがいて、でも、門奈計磨もちゃんと存在していて、敵もいて……。
指先に力を入れると、中指が少しだけ動いた。
はっと気が付くと、右腕に点滴のバンドが巻かれていることに気が付く。注射をされて、どうやら眠ってしまったらしい。門奈計磨の姿はなく、ぽたり、ぽたりと規則的に落ちる点滴の音だけが響いていた……が、にわかににぎやかになった。
「楽しかったね、お父さん」
はしゃぐ声は、受付に立っているアンドロイドの高遠笑巳子こと、エミだ。とすると、談笑しているのは――
起き上がったところで、ドアが開いた。
「ヒロ――っ!」
言っておくが、エミはアンドロイドである。重合金の腕に抱き着かれて、肩がむきっと鳴いた。冷たい機体を引きはがすと、エミは頬を膨らませる。
「なによ、そうやって冷たくしたところで、……あんたなんか、好きじゃないんだから」
「なんで、ツンデレ要素が足されてるんだよ」
ぷい。と顔を背けたアンドロイドの背後から“おやっさん”こと宮辺俊徳部長が顔を見せた。
「ヒコマロくんに頼まれてね、きみは点滴が終わったら帰社でいいそうだ。明日も少し休みなさい。無茶な新人研修の責任を、今李咲さんが取っているころだから」
やんわりとしたお父さん口調は、ほっとする。優利は素直に頭を下げることができた。
「色々、すいません」
「まあ、新人らしいよね。思い出すなあ、堂園くんなんか、最初のVR研修で目を回しちゃってね。まあ、すぐに慣れたけど」
「あの、堂園さんが? あの人もゲーマーですか?」
「ヒコマロくんが見つけて来た。VGOではないゲームの改造ツールを使ってたんだ。それが高速でね。我が社がハントして、制作部に送ろうとしたとき、彼の脳判断結果が出てね」
――脳……。しかし、改造ツールと来たか。ゲーム運営が容赦なくナタを奮う愚行である。
「ショートスリーパーで、僅かだが、感覚超越の能力が認められたんだ。そこで、シーサイトがドラフトして、「寝てていっすか」で、今に至る」
思った以上に、問題児だ。ついでにキャシーやジェミーも聞きたかったが、エミががっしりと掴む腕がそろそろ痛みを訴えて来た。
「点滴も、終わるよ。ヒロ、起き上がれる?」
気づけばナース姿ホロに変わっているエミに微笑んで、上半身を起こした。滞在時間十時間。常人の三倍。さすがに肉体は砂袋の重さだった。でも、それは命の重さで、外の景色を見るなり、やっぱり、「帰って来たんだ」と郷愁に似た想いを噛み締めざるを得ない。
「ヒロ?」
黙って起き上がって、点滴のバンドを外して、腕を伸ばしてみる。
窓から外を覗くと、鴉たちがさーっと飛んでいき、木漏れ日が無彩の如く、撒き散らされているのが視えた。
「帰って、来たんだ……VRから」
「――やっぱり、きみは感覚を超越するんだね」
宮辺俊徳は笑顔を絶やさず告げた。
「かつての、やんちゃなヒコマロくんを思い出すよ。なつかしいなあ」
――門奈計磨? VRで僅かでも寄り添い合った気持ちは、今思えば不可解で、あまりにも男として甘えすぎていた。
上司だ、ただの。それなのに、ひな鳥のようにすり寄って……。
そういえば、クルタはどうしただろう。門奈さんに聞かないと。
「門奈さんは」
「ヒコマロくんも、堂園くんも帰宅したよ。ぼくは日勤だからね。ヒコマロくんは、夕方出社してくるけど、きみはもう帰りなさい。しばらくVRの世界には入れないよ」
「そうなんですか」
「そうだろう。通常の三倍もの時間、VRにいたのなら、中毒性だって出て来る。もしかして、ないのかい? ゲーム依存の症状。ゲームに脳が乗っ取られて、やめられなくなる。すると、社会生活もままならない。しかし、きみは、彼女もいて、バイトもしていた。その上で、VGOに長時間」
「寝れば切り替わってしまうので」
聞いたところ、通常は極度の興奮状態で、悪夢症候群にも陥るそうだ。門奈計磨はそれを危惧して、睡眠薬を投与したのではないか、というのが宮辺部長の話だった。
「明日、またここに来ます」上着を手に、エミにゲートを開けて貰い、外に出ると、真っ青な空が、優利をみおろしていた。
――まるで、この世界から、違う世界に飛んだ気がする。現実の中の闇は深い。
……現実に、還って来たんだ。間違いなく。
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