第5話 樋口さんと転校生
もうすぐ夏が近づく蒸し暑い時期、雨も多くなって身体はなんとなくだるい気分。校舎にある自販機で先に炭酸を選び、細目でサモエドスマイルの二階堂君を待つ。
「そういえば、転校生が来たの知ってる?」
声だけだと一瞬女子かと勘違いしてしまうほど。転校生の話、聞いたことがあるような、ないような。
「そうだっけ?」
「隣のクラスにさ、女子、しかも巨人だって噂だよ、ちょっと見に行かない?」
「え、うーん……」
「樋口がいるから興味ないって? あぁーあ羨ましい」
まだボク何も言ってないのに。
「そ、そんなことないよ、見に行く。少しだけ」
「よし、いい返事」
うまいこと二階堂君に乗せられた感じがする。ボクは緑茶を選んだ二階堂君の後ろをついていく。
「なんていう子なの?」
「確か、日向ひかりって子。身長が高いって聞いた。俺より高いんじゃない、多分」
二階堂君は一七〇後半ぐらいあるから、日向さんは一目で分かるかも。
『あ、あのぉ……ひ、樋口さんでしたか? えっと』
怯えるような女子の声が聞こえた。そして、聞き逃すことができない名前。ボクは二階堂君と目を合わせて、隣クラスの教室を覗いた。
周りが静かに、不思議そうに外野から見ている。
テーブルを挟み、堂々と別クラスにいるのは、切りっぱなし黒髪ボブヘアでサイドを耳にかけた樋口さんだった。
相変わらずの硬い表情筋で相手を見上げている。
対面する相手は、長い茶髪を二つ結びにして垂らす女子で、無表情の樋口さんを困惑気味に見下ろす。突出している背丈、彼女が日向さんで間違いない。
二人の間にある机に、小さな箱のような物が置かれている。
樋口さんは、ビリヤードで使うような球を突く小さな棒を持ち、
「ビリヤードです」
そう日向さんに簡潔に説明した。
小さな箱は、ビリヤード台のようで、球を穴に落としても拾えるポケットがついている。
「樋口さん、な、何してるの? しかもいつこんなのを持ってきたの?!」
ボクは思わず教室に入ってしまう。二階堂君も一緒に。
樋口さんは無表情で、ボクと二階堂君にお辞儀をする。
「こんにちはトラさん、二階堂さん。転校生の日向さんを歓迎する為、あと、ミニビリヤードが面白そうでしたので」
どういう動機なんだ。巻き込まれる転校生の日向さんは忙しそうにきょろきょろしている。
「いやいや別クラスだし、それに、えと、日向さんがいきなりのことで困ってるから戻ろう?」
樋口さんは戸惑う日向さんを見上げた後、無表情のままミニビリヤードのセットを箱に戻した。
「ご迷惑をおかけしました。私は日向さんと仲良くなりたかったのです」
「そ、そんな迷惑とか……では」
控えめに笑みを浮かべる日向さんの声は小さく、樋口さんもボク達も最後まで聞き取れない。
二階堂君はまじまじと日向さんの顔を覗き込む。並ぶとよく分かる、二階堂君より少し背が高いほど。樋口さんの次は二階堂君に怯えるように、隠せない身長を縮める。
二階堂君は、うん、と頷く。
「へぇー可愛いね。俺、二階堂っていうんだ、隣のクラスだけどよろしくね。こっちはトラ」
「か、かわっ……えぇ」
可愛いと言われて頬を赤く染めて俯く日向さん。
「よし、見れたし、挨拶もできたし、戻ろ」
二階堂君はミニビリヤードの箱を樋口さんの代わりに持って、教室から出て、ボク達も教室に戻ることにした。
そもそもなんでこんなミニビリヤードを堂々と学校に持ってこられたのか不思議で仕方がない。毎日一緒に登校してるのに、持ってるところ見たことがないんだけど……――。
放課後、ボクは帰り道を樋口さんと歩いていた。
ミニビリヤードが入っている箱をボクが率先して持つ。本当にミニサイズで片手で持ってもそこまで重いとは感じない。
「今日はまたどうして、日向さんと仲良くなりたかったの?」
樋口さんは遠く先を漆黒の瞳で見つめながら、
「小学生の時、父の転勤でよく転校していたので……友達ができてもすぐ引っ越しで、寂しいものです。最初は心細いですし、少しでもと思い声をかけました。かえって迷惑をかけたようですね」
経験から、日向さんにも寂しい思いをしてほしくなかった。樋口さんなりの優しさにボクの口角は上がる。
「戸惑ってたけど、嫌がってなかったと思う。樋口さんに仲良くなりたいって言われて嬉しそうだったよ。でも、いきなりこれは、ちょっとね」
「そうでしたか……あ」
樋口さんは先を見たまま立ち止まる。つられてボクも立ち止まり、樋口さんの目線を追いかけた。
長い茶髪を二つ結びにした、転校生の日向さんがどこか恥ずかし気に俯いて、誰かを待っている。
「こんにちは、日向さん」
樋口さんはいつものようにお辞儀をした。日向さんも真似してお辞儀をするけど、樋口さんを見下ろす形だ。
「こ、こんにちは、あの、さっきはすみませんでした……せっかく誘ってくれたのに……あの」
日向さんは言葉を躓かせる。樋口さんは硬い表情筋で、日向さんが話す声に耳を傾けている。
「転校したばかりで友達いなくて、寂しかったんです。声かけてくれて嬉しかった。だから、わたし、樋口さんともっと、仲良くなりたいから、その、び、ビリヤード、したいです」
顔を真っ赤にした日向さん。
そんなことを言われたら、嬉しくて喜ぶものだけど、隣を覗けば、硬い表情筋で日向さんを見上げている樋口さんがいた。
無愛想じゃない、嫌な物でもない、綺麗と思わせる何か、不思議な雰囲気を持っているのに無表情を貫く。
「とても嬉しいです。ぜひ、やりましょう」
「ホントに?」
思わずボクは確認してしまう。
「はい、そう見えませんか?」
「う、うぅん……」
ボクは戸惑いながら、苦く曖昧な返事しかできなかった。だって、笑ってないから。
日向さんは照れ笑う。陽だまりのように暖かく柔らかな笑みが可愛く、ボクも笑みを浮かべる。
樋口さんは、そっと自らの頬に手を添えて、
「……」
僅かな時間、沈黙した。