第2話 樋口さんとアックス・スローイング
暖かくなってきたなぁ、特に予定がない日曜日。ぽかぽかと陽射しが差し込む窓を開けてみた。
ボクは二階の部屋から外を見下ろす。隣の庭に、樋口さんがいた。切りっぱなし黒髪ボブヘアでサイドを耳にかけている。
学校のジャージを着て、日曜日に何をしているのか、ボクは静かに眺めてしまう。
自作もしくは親に作ってもらった木製の的が一メートルほど離れた場所に設置されている。
的の左右に、正方形に組み立てられた塩ビパイプと張られた網があった。
一体、何をしているのかな……。
樋口さんの表情筋は硬すぎて感情を読み取ることができない。振り上げるように両手を頭の後ろに置いて、何かを握っている。
木の柄と先端は重く鋭く光る鉄。ボクは一度自室に顔を向けて、改めて窓の外を見下ろす。
どれだけ見直したってそれは手斧だった。
「樋口さん?!」
思わずボクは声を漏らしてしまう。
ピタリ、と構えたまま停止した樋口さんは、整った顔立ちでボクを見上げた。
「こんにちは、トラさん」
小さく会釈した樋口さんにつられてボクも会釈する。
「な、なにしてるのー?」
二階から喋っていい内容なのか疑問で、樋口さんは構えていた両手をそっと下ろした。
「斧投げゲームです」
その名前がこれ以上、近所にまで響かないようボクは急いで樋口さん宅の庭へ。
「樋口さん、危ないよその遊び。一体どこで流行ってるやつなの?」
「アメリカだそうです。アックス・スローイング、ストレス解消にいいとか」
手斧を大事に抱える樋口さん。え、樋口さんストレスが溜まってるの?
「嫌なことでもあった?」
「いいえ」
「そのゲーム、楽しいの?」
「分かりません、やってみないと。危険ですので離れてください」
言う通り、ボクは樋口さんから離れる。
樋口さんは再び構え、手斧を頭上へ、思いきり的に向かって振り投げた。
木製の的に真っ直ぐ飛び、ストン、ど真ん中に刃が命中。木片が散らばり、手斧は斜めに刺さっている。
振り向きざまに見せるサムズアップ。ただ、表情筋は硬い。
樋口さんはボクに寄ってきて、両手を小さく前に出した。え、どしたの? ボクは内心焦ってしまう。
「ハイタッチ、です」
ハイタッチなのに手は胸元辺り。樋口さんの素肌、指先や掌に触れられるチャンスが舞い降りてきた。
「は、はいたーっち」
平常心を保とうとしたのに、声が裏返ってしまう。ボクは自分の間抜けな声に、顔が熱くなった。
同時にお互いの手が軽く触れた。ほんの一瞬、ボクは感極まって目が潤みそうになる。
女子の手、しかも樋口さんの手にハイタッチしちゃったよ。やばい、手を洗いたくない気分。
「トラさんもしますか?」
「えっ! いや、ボクはいいかな。というかやっぱりこれは危ないし、同じ的当てならダーツの方がまだ安全だし、楽しいと思うよ」
「そうですか」
樋口さんは淡々と頷く。
「それで、楽しかった?」
「はい……とても、ハイタッチもできました」
両手を眺める樋口さんの表情は硬いまま。楽しいと答えても結局笑顔はない。
「そ、それは良かった」
「はい」
樋口さんは頷くと、片付けを始める。手斧を的から外して、木箱に戻し、網がついた塩ビパイプと木製の的を端っこへ寄せていく。なんでわざわざ、こんな大がかりなことをしてまで斧投げゲームをしたかったのだろう。
樋口さんは片付けを終えると、今度は円盤と箱を持ってボクのところに戻ってきた。
「それでは、ダーツをしましょう。ちょうど倉庫に置いてありました」
円盤は数字と動物のイラストが描かれた可愛い子供用の的で、きっと樋口さんが小さい頃に遊んだのだろうと想像できる。
ただ、その円盤はやたらと穴が開いている。
ダーツの矢が入っていると思われる箱をボクは覗く。箱にプリントされたリアルな自動拳銃のイラスト。
「あれ、これダーツの矢じゃ、ないよね?」
「はい、ガスガンです。小学生の頃はお父さんとよくガスガンでダーツをしていました」
「それただのシューティングじゃん! あぶな!」
小学生時代の樋口さんにガスガンを持たせるなんて、どんな親なのか気になっちゃうよ。
結局ダーツは中止。変にドキドキした日曜日だった……――。