あなたの星は琥珀色
生まれつきからだの弱い、街一番の貴族の孫娘たるリザヴェータが魔法使いの末裔に出会ったのは、星がこの冬で一番きれいに降り注いだ晩の翌日で、それは彼女が入院する病院の、看護師の意地の悪い采配によってのことであった。その朝突然、普段はリザヴェータを敬遠して寄り付かない看護師たちがぞろぞろとやってきて一言告げたのであった。
「ごめんなさいリザヴェータ。急な入院者がいるのだけど、今空き部屋がなくて。あなたの部屋は個室だけど、しばらく相部屋でいいわね?」
もちろんそれがまっかな嘘であることを、リザヴェータは病室で培った嗅覚で嗅ぎ取っていた。病院には他に空き部屋がないわけではない。あの部屋とあの部屋とあの部屋が空いている、とリザヴェータは知っている。だが、彼女たちの間でリザヴェータの部屋の移動は、すでに決定された事項であった。看護師たちはリザヴェータがなにかをしゃべる前に、慣れた動作で彼女の部屋に寝床をはこび、眠っている患者を連れてきた。ぞろぞろと出ていくときひとりの看護師が、リザヴェータの青白くうかんだ肌ときれいな金髪を見て、軽蔑のような色を顔面に浮かべたのちに、表情とおなじような軽蔑の言葉をつぶやいたのだった。
運ばれたのは、リザヴェータと年が変わらないであろう少年で、右足にぐるぐると巻かれている包帯が入院の原因をものがたっていた。しかしそれ以外はいたって普通の、リザヴェータが生まれつきもちえなかった健康体そのものであった。
固く瞼をとじている。
彼からは、空のにおいがした。
空を自由に駆け抜ける風のにおい。白い肌は、空に散らばる星のきらめきを一心に受けているように見える。それはリザヴェータにはなじみのない、生命の輝きに満ち満ちたものだったのだ。
暫くして少年が瞳を開いた。いっぱく間が空いて、彼は辺りを見まわす。となりに座るリザヴェータは、ここは街で一番おおきい病院で、さっきここに運ばれて、と、少年に不器用な説明した。
「そういえば空を飛んで、うっかり落ちちゃったんだっけ」
ぶつぶつと嘘のような言葉をいう。そこで彼は、会話しているだれか、つまり、目の前にいるリザヴェータを初めて認識したようだった。彼の顔が、君はだれ? と聞いていたので、ぼそぼそと小さい声で名前をつぶやいた。少年はそこで一回、びっくりしたような顔をつくり、その後白い歯を見せて笑った。
「よろしくリザヴェータ。よかった、ちゃんとここにたどり着いて」
存外にしっかりとした少年の手が、リザヴェータの細い手をぎゅっと握った。
少年は初めて目にする、リザヴェータの青白い顔と腰元までのびた金髪を、めずらしいものを発見したかのように交互にじろじろと見やった。今まで好ましいどころか、疎んじられた色を、はじめて出会う人間にじっくりとみられるのは、彼女にとっては羞恥の極みであった。街の人間の嫌悪の対象であるたまにしか娘のまえにすがたを現さない母親の面影を、彼女は色濃く残しているからだ。
あの母親のせいで、からだの弱いリザヴェータには昔から遊び相手どころか話し相手すらいなかった。父親は愛妾の子供を別棟に置いた。病院に入っても、面会に来ることはなかった。なるべく自分から遠くに置きたかったのかもしれない。きれいなものは遠ざけたい。弱いものの相手はしたくない。それが好ましくないものなら、なおさらだ。
俯いたリザヴェータの目線は、足元に落ちていた。すると彼女は、その先に、なにか奇妙なものが映った気がしたので、恥を忘れて視線のさきのひかる二つの玉が埋め込まれた何かを、目を細めていっしょうけんめい凝視する。
思うように輪郭が定まらないそれは、生臭い、いきもののにおいと息を発している。それは犬であった。正体がわかった瞬間に、それがベッドの下からぬっと姿をあらわした。ふかふかの毛並みにとがった耳。短く悲鳴を上げた彼女のふところに、犬がすばやく飛び込んできた。小さく悲鳴を上げて、犬の勢いに押されて彼女は布団の上に倒れこんだ。
犬はリザヴェータのふところに入り込む。ぬれた鼻先がリザヴェータの胸をくすぐった。
「ブレード、よかった。みつからなかったか。おいで」
隣の少年が、ブレードという名前らしい犬に呼びかける。
犬は離れない。
「ブレード、迷惑かけちゃだめだよ」
犬が、ものかなしげな声を発する。リザヴェータのふところから離れたがらない犬は鼻をならして、彼女の薄い胸元に鼻を押し付けるのであった。
生まれて初めて犬という生き物に触れたリザヴェータは、人間とちがってかくも邪気のない生き物なのかとただただ目を丸くするばかりであった。
「ごめん。こいつ結構、人懐っこくってさ」
そうして彼は謝りながらも快活に笑った。
少年の名はアーロンと言った。アーロンはこの街を訪れるのは初めてで、ついでにいうと入院も初めてだとリザヴェータに話した。犬はかばんに入れてごまかしたのだという。こっそりと犬を病室に入れることに対しては、悪びれた様子もなく、ただ、俺が入院中こいつは他にいくところがないからねぇとつぶやいた。
少年少女と一匹の犬の、奇妙な入院生活がこうして始まった。
一日に三度の食事を運び、夜の見回りのために看護婦がやってくる。午前に一回、診察のために医者が聴診器を当てる。それ以外の時間は、二人で過ごす。最初はリザヴェータ、と呼んでいた少年も、ともに過ごすうちにリーザと愛称で呼ぶようになった。ほとんどが快活な少年の聞き手だったが、そもそも誰かの話し相手になること事態、新鮮で楽しく感じられた。
アーロンは空のにおいの通りの、とても自由な男の子だった。足を怪我したというのに、病室で逆立ちをして歩き回り、ベッドの上で愛犬と戯れ、かばんから取り出したスケッチブックに落書きをした。逆立ちでも二本の足と同じように澱みなく歩いた。自慢げに見せてくれたスケッチブックは風景画で、絵描きと言っても遜色ないほど綺麗だった。
ブレードという名の犬は飼い主と同じぐらい自由な生き物だった。出会ったころは顔を摺り寄せるだけで済んだが、そのうちにリザヴェータの布団で腹を出して眠り、よく手をなめるようになった。最初は迷惑だから駄目だといさめていた少年も、だんだんと諦めて、
「ブレードは昔からおいしいものときれいなものが好きだからなぁ」
と、このように呑気なひと言を残すようになった。
きれいなもの。何気ない少年の言葉に、リザヴェータは恥かしくなる一方であった。きれいなもの、とは、淫乱な母の面影がのこる私のことだろうか。そうと考えると、結局はとても醜いものと同じ意味なのではないかと、薄暗い思いが募ってしまうのであった。
おなじ部屋で過ごすうちに、彼らについてのいくつかの点にリザヴェータは気付いた。アーロンは、レーズンが入ったパンとチョコレートが好きだ。ブレードは犬の癖に、パンに挟まった玉ねぎを食べてもぴんぴんしている。そしてアーロンとブレードは犬と人間という生物上ちがう間柄なのに、意思の疎通ができているようだった。
少年と、少女と、いてはいけない筈の一匹の犬。
眠る前、アーロンはよく、星についての話をリザヴェータに聞かせた。彼は星についてよく知っていた。そういえばとリザヴェータは思い出す。彼がやってくる前の晩、ひとつの星が流れると、べつの星々が次々とあとを追っていったのだった。
「かぜうたい座は、秋の夜に平原で休んでいた旅人が、うたった旋律のかたちをしている」
「くろねこ座は夏のはじめの、ほんのわずかな期間でしか見ることが出来ない」
「ほんのわずかな期間ってどのぐらい?」
「夏至が終わった頃だけ」
とび魚座でいっとう輝くのはアクアマリンの色彩を持つ。
夏と冬では、見える星座も輝きも違う。
冬の方が空気が澄んでいるから、星自体は美しく見える。
彼が語る星の物語は、リザヴェータが持っていた認識を覆すものだった。リザヴェータにとって、星というものは、死んだ人間がなりかわるものでも、美しい物語を思い起こさせるようなものではない。ただ、夜になれば変わらずに輝くもの。日が落ちたらかわりに現れるもの。すなわち、窓から常に見える日常そのものであった。
アーロンには日常から生まれたべつの風景が見えるのだろう。星のかたちから連想される物語。彼が独自で紡いだものではないだろうが、星について語るときは、非常にいきいきと輝いているのであった。
彼は星が好きなんだ。
それはきっと、彼が空のにおいを纏っているからだとリザヴェータは感じていた。
*
その夜は、窓の外は紺色のベルベット生地を広げたかのような色を持ち、それでいて宇宙の向こう側が見えそうなほど澄み切っていた。その中を金平糖のような星が、ひとつ、ふたつと浮いている。
「星っていうのは、自分でも作れるものなんだよ」
アーロンはそう言いながら、革のかばんの中から棒切れを取り出した。粗末で、枝の中に紛れてしまえば、どれがどれだか分からなくなってしまうだろう。そんな棒切れ。
アーロンは粗末な棒切れを二回振り――次にあらわれた光景を見て、リザヴェータは驚きの声を上げた。
手のひらにあらわれたのは小さな光の粒。
本物そっくりの、うその星だった。金平糖のようなきらりとした光沢がある。
驚きで目をぱちぱちと瞬かせる。
「あなたは魔法使いなの?」
「まぁ、そんなもんかも」
そうあいまいに答えた彼は次々と星を生み出していき、彼から生み出された星は自由に宙をさまよいながら一つの図形を形成した。そして輝きながら、消えていく。彼は本当に魔法使いなのだろうと思った。彼の革のかばんは年季が入っていて、それほど中が広そうに見えない。犬が入るようにも見えない。きっと別の空間が広がっているのだろうと思われた。魔法使いのかばんのように。
ブレードはあぐらをかいたアーロンの膝にお座りをしている。犬はとても誇らしそうに星を見つめていた。
彼はその星座を、即席で麦の王女座という名前と、その王女にまつわる物語をつくりあげた。確かにそれは、星を線でつないでいけば、麦の束を抱えた女の子のように見える。一等大きく見える星がてっぺんにあって、それは琥珀色に澄み切っていた。
「リーザを見ていたら思い浮かんだんだ。とっても綺麗な髪が、麦畑みたいに見えたから」
彼が即席でつくった話は、次の通りだ。
妾腹の出だったうつくしい王女が、飢饉が国を襲ったとき、国王に民を救ってくださるように嘆願した。国に、蓄えがあったことをひそかに知っていたからだ。渋い顔をした無能な国王は、自分が見た夢の意味を解いてくれたら貯蓄を開放すると約束した。
民は、王女が嫌いだった。麦を刈ったことのないお姫様に、我々の苦労などなにも分かるはずもない。そのうつくしい容姿も、恥知らずの母親から引き継がれたものだ。その生活も我々の犠牲の上で成り立っているのだろうと考えていたからだ。
そして王女も、彼らから嫌われているのは重々理解していた。
だから、一晩かけて考えた。考えて考えて考え抜いて、王女は王の夢を解くことに成功した。約束通り、国王は蓄えを解放した。
そうして王女は瞬く間に、民から愛される存在になったのだ。めでたしめでたし。
うつくしい話だとリザヴェータは思った。わたしを見てそれをつくったのだとしたら、光栄だと思うべきなのだろう。
だけど。
「わたしはその王女さまが羨ましい」
リザヴェータは、今まで語らなかったみずからにまつわる話を、ぽつりぽつりとアーロンにし始めた。貴族の娘だが、正妻のこどもではなく妾のこどもであること。どうやら母親は娼婦であったらしいということ。父親と共に大きな屋敷で暮らしていたが、母のおかげであまり折り合いが良くないということ。父親の妻、リザヴェータの母親は、それはそれはうつくしかったが、あちこちで男性と関係を持ってはこどもを作っているらしいということ。そういう女の子供だから、街の人間からつめたい目で見られながら育ったこと。――リザヴェータはそんな異常な母親に、うりふたつの顔を持っていること。
街の、だれもが知っている顔を持つリザヴェータは、つめたい目で見られるのはまだましな方で、あの子も母親に似て淫乱な娘になるのだろうと噂をされていた。だからずっと話し相手もいなかった。初めてできた友達なのだと告げた。
アーロンに話さなかったのは、知られることによって彼もほかの人間のように、自分を見る目が変わってしまうのではないかと思ったからに他ならない。
だがアーロンは、リザヴェータの想像とは違う、別の反応を返してきた。
「じゃあリーザはさ、母さんのこと嫌いなの?」
少年の顔に、軽蔑らしいものが浮かばなかったことに安堵する。
「……嫌いじゃないわ。でも嫌いじゃないのと、許せないのはちがうの」
「じゃあ、会いたくはないの?」
「……それは、そんなことはない」
少年から放たれる真っすぐな問い。少しためらいながら、しかしリザヴェータははっきりと答えた。生まれてから、かぞえるほどしか会った事のない母親だが、会ったときは優しく、紛れもなく自分をあいしてくれていることが痛いほどわかるのだ。
あなたが私の一番の子。
離れているけれど、私はあなたのことを一番に思っていると、別れ際には必ず言ってくれていた。
母の血の呪いのような外見。多分わたしは一生あなたを許せない。死んでも許せない。一番あいているなんて絶対うそだ。
だけどやっぱり、会いたいのだ。嘘でも、本当でも。あなたのことをあいしていると言ってくれる唯一の人に。
明日か、一か月後か、それとも。
「もう二度とあえないかもしれないけどね」
今度手術するの、とリザヴェータはなんでもないようにアーロンと話した。アーロンがどこが悪いの? と聞くと、ここ、とリザヴェータは胸に手を当てた。
「成功するかはわからないの。もしかしたら、こうやって話すこともできなくなるかもしれない」
麦の王女座の星はリザヴェータの目の前で輝いて、すっとなかったように消えた。このうそっぱちの星のように、なかったことのように自分も亡くなるのかもしれない。
怖いと思う反面、自分もなかったことのようになればいいのにとも心のどこかで考えてしまう。自分がなくなって、誰かが悲しいと思うのだろうか。母はもしかしたら悲しむのかもしれない。でも。
本当は悲しまないのではないか。誰も。父も母も。
「リーザ、手を出して」
アーロンはリザヴェータに向き合った。リザヴェータは言うとおりに手を差し出した。
訥々と彼は語りだす。
「君は手術にも成功して、お母さんにも会える。君のお母さんは、もしかしたらふらふらするのをやめるかもしれない。お父さんも会いに来る。もしかしたらお父さんとお母さんは、和解するかもしれない。君は血の呪いなんて言わせないほど綺麗になって、みんなに慕われるようになるかもしれない。だって君自身は、悪い人間じゃないんだから」
ひとつ、ふたつと可能性を語るごとに、アーロンは棒切れを振った。棒切れからはうそっぱちの星がひとつ、ふたつと生み出されていく。
七つの星が、リザヴェータのてのひらにころんと広がった。
「全部逆になるかもしれないわ」
「そうだね。でも、全部逆にならないかもしれないよ」
しなやかで優しい言葉で、少年は告げた。
「この星は、君をよく知る人から届けてほしいって頼まれたんだ」
アーロンは、君とよく似ていて、とてもきれいな金髪を持つ人だと言葉を続けた。
リザヴェータは大きく目を開いた。
初めから、彼はここに来ることが目的だったのだ。
嬉しいような、泣きたいような感情が襲ってくる。
そのときだった。ベルベットの空から、たくさんの金平糖が降り注いだのは。昼間と間違えるほど明るいさまは、白夜を連想させた。てのひらの星をもてあそびつつ、リザヴェータは降りそそぐ光に目を奪われた。少年もまた、その様子をじっと見つめていた。魅入るのとは違う密度を持った瞳で。
アーロンは立ち上がって、右足を固定していたぐるぐるの包帯を取り去った。窓を開けて外に投げると、冬の冷気をはらんだ空気とともに白い布はびろびろと踊った。彼の足は何事もなかったかのようにぴんぴんしていた。
「俺、そろそろ行くね。リーザ、いろいろありがとう」
「行くってどこに?」
「ここではないどこか。別の誰かに星を届けなきゃ」
おいで、と少年はベッドの上の犬を呼び寄せた。ブレードは口にかばんを咥え、尻尾をふってアーロンの元にやってきた。早く外に出たいというように、飼い主たる少年の足元にかばんを置く。少年は手に棒切れ、肩にかばんをかけて、窓から外に踊りだそうとしていた。
ここにいてほしい、とリザヴェータは言えない。彼からは空のにおいがする。どこからかふらりとやってきて、どこぞへと風のように去っていく。
「待って」
それでも伝えないといけない言葉があると、リザヴェータののどが訴えかけていた。
アーロンはリザヴェータのほうに振り向いた。
「その。ありがとう。これを届けてくれて。それから、一緒にいてくれてありがとう。話し相手になってくれてありがとう。……手術、がんばる。だから」
また会いに来てほしい。そう、リザヴェータが口を動かすよりはやく、少年が棒切れを振った。てのひらに再び生まれる重みは――
「これは俺からの贈り物。リザヴェータっていう星だよ」
――一等おおきい琥珀色の星だった。
「また会いに来るよ。約束ね」
そうしてアーロンは犬とともに窓を蹴って、星降る夜の中にかけていった。
*
リザヴェータが朝起きると、少年のベッドに人はおらず、もちろん犬の気配もしなかった。彼が使っていたベッドは抜け殻で、朝食を持ってきた看護婦は勝手に消えたから知りませんと言わんばかりにベッドを片付けていった。再びリザヴェータはぽつんと一人になる。何事もなかったように。
あの少年は幻だったのだろうか。長い夢でも見ていたのだろうか。
そんなリザヴェータのてのひらで、金平糖のような七つの星と、少女の名前を持つ琥珀色の星がころころと戯れていた。