元聖女は潔癖症!!
「おはようございまーす」
「はい、おはようございます」
至るところから聞こえてくる挨拶を聞きながら校門をくぐると、ちらほらと見知った顔のクラスメイト達が下駄箱に向かっていた。少し窮屈に感じてきているランドセルを背負い直しながら私も例に漏れず下駄箱に向かい靴を履き替え5年生の教室へと向かう。
「杏ちゃんおはよう!」
自身の席にたどり着くとクラスメイトが元気よく話しかけてきたので私も挨拶を返すと、その子は私の手元を見て苦笑してきた。
「杏ちゃん、相変わらず綺麗好きだよねぇ」
「あ~、うん、そうかな~?あはは…」
「毎日自分の机拭いてるし、掃除の時はすっごく熱心だし!私掃除ってちょっと苦手だから杏ちゃんすごいなあ」
「そ、そうかな~?」
尊敬の眼差しを向けてくる彼女に私は何とも言えず苦笑を浮かべる。
掃除は嫌いではないが別に好きでしているわけではない。しかし机の横の手提げ袋の中に入ってる持参した掃除グッズ達や毎日熱心に掃除をしている姿を目撃されれば掃除好き、もしくは潔癖症と言われてしまうのも納得だ。
だが弁明させてほしい。皆だって汚れていたら掃除するしかないでしょ?だって私には見えているのだから。
皆には見えない黒い染みが掃除をしなければ床や壁といたるところにじわじわと広がっていく様が!!
これは別に比喩とか幻覚とかでは全くなくて本当に黒い染みが私にはみえるのだ。そしてそれは拭き取ってしまえば綺麗になくなる。どうして私だけに見えてしまっているのか。思い当たる節は1つある。
信じてもらえるはずがないので誰にも言ったことはないが私、宮永杏樹は前世の記憶があるのだ。前世の世界はまるでファンタジーかなと思うくらいありがちな設定で、私はそこで穢れを払う聖女であった。正確に言うと聖女候補の1人で、穢れを撒き散らす諸悪の根元とされていた魔王を倒す旅に出てあっさりと死んでしまったのである。
まあ、こうして生まれ変わったのだが、前世のいう穢れも今見えている黒い染みと同じようなものだったのだ。前世での聖女は別名歌姫とも呼ばれ、歌声によって穢れを払うのだが、残念ながら私にはその才能がなく、掃除でなければまともに浄化することができなかった。
きっとその聖女としての力が生まれ変わった今も発揮されているのだろう。普通の女の子として生きるためには、例え潔癖女と男子にからかわれようともこの記憶と力を隠すしかなかった。
「あ!そういえばね。さっき良いこと聞いちゃったんだよね」
「良いこと?」
口元に手を当ててニコニコと笑う彼女に私は首をかしげた。
「あのね、うちのクラスに今日転校生が来るんだって!」
「転校生…もうすぐ夏休みに入ろうかとしているこの時期に?随分と急だね」
「夏休みに入る前に仲良くなれるといいね!」
「そうだね」
楽しそうにしている彼女につられて私も微笑んでしまった。そして1つ謎が解けたのである。教室に入った時に自分の隣に昨日までなかった机が1つ用意されていたのだ。おそらくここが転校生の席となるのだろう。
「はい、皆さんそろそろ席についてくださいね」
クラスメイトと談笑していると担任が教室に入ってきて、児童達に着席を促した。
「皆そろってますね。おはようございます。今日は皆さんにお知らせがあります。今日からこのクラスに新しいお友達がやってきました。九条くん入ってきてください」
先生が教室の入り口に向かって転校生の入室を促すと皆の視線もそこに集まった。
「九条紫音です。これからよろしくお願いします」
壇上に立ち淡々と自己紹介をした転校生はぺこりと礼をした。
「分からないこともあるでしょうから、皆さん仲良くしてくださいね」
そう言うと先生は転校生を席の方に案内する。クラスメイトの皆は転校生に興味津々なのか、よろしくと声をかけていた。
「吉永さん、九条くんに教科書をみせてくれないかな。まだ教科書の準備が間に合ってなくて」
「え!?…あ、はい。分かりました…」
「ありがとうございます。それでは授業を始めましょうか」
さっきまで転校生のことでざわついていた皆も教科書とノートを取り出して前を向き始める。
私も教科書を取り出して準備をするが、指が震えて思わず鉛筆を落とすところだった。恐怖で横を向くことすらできない。
なぜならば、隣にいる転校生の顔が判別できない程全身が真っ黒に汚れていたからだ。
彼が座ったそばからじわじわと黒い染みが広がっていく。
自分の机まで染み始めていたため、手さげ袋の中からウォッシュシートを取り出しサッと清めた。隣の転校生がこちらを見ている様な気がしたがそんなの気にしている余裕はない。対症療法でしかないからまた時間が立てばこちらまで黒い染みが広がってくるだろう。彼の全身を拭くことができればいいのだが、そんなことをすれば絶対に引かれてしまう。何か方法はないのかと悩んでいる内に放課後になってしまった。
クラスメイト達は掃除のために席を立ち、それぞれの掃除場所へと向かっていく。やっと離れられると逃げるように私も席を立った。転校生の方をみると男子達と一緒に箒を持って掃除しようとしていた。
や、やめて!そんなに動きまわると部屋中が汚れちゃうよ!!
手段を選んではいられなくなった私は掃除道具入れからバケツを取り出し手洗い場へと向かった。水道の蛇口をひねりバケツの中を大量の水で満たしていく。そしてその中に手を入れて小声で囁くように歌った。
かつての前世の言語による聖歌を。
「よし、効果は弱いけど聖水はできた」
前世ではよく聖女が聖歌を歌うことで周りを清めたり、聖水を作り出していた。ただ私は他の聖女達より少し、そうほんの少しだけ音痴で聖歌の効果が弱かったのだ。音痴と聖歌の効果が比例するとは、音痴には厳しい世界だった。
「よっこいしょっと」
バケツを持ち上げて急いで教室に戻ると転校生が集めた埃をちりとりで拾っているところだった。
しつこい汚れは聖水で払ってやる!
「ていやー!!」
バケツを思いっきり持ち上げて転校生めがけて聖水をぶちまけた。周りにいたクラスメイトは叫びながら瞬時に四方に逃げていく。
聖水を頭からかぶった転校生は水を滴らせながらこちらを見て呆然としていた。今の聖水のおかげで転校生の顔が見えるようにはなったが、ところどころがまだ汚れていた。そのため私はカバンからタオルを取り出し、黒い染みを取るためにびしょ濡れになった彼の全身を拭き始めた。
「ごめんね、手が滑っちゃって。今拭くからじっとしてて。そしたら体操服に着替えよう!」
転校初日に私から汚物扱いをされたあげく水をかけられた彼にさすがに申し訳なくなって拭きながら謝罪をした。きっと許してくれないだろうな。私だったらこんなヤバイ奴なんか二度と関わりたくない。あ、なんか涙出そう。
「ごめんね。本当にごめんね」
「……」
「気持ち悪いよね、もう少しだから我慢してね」
「……た」
「よし、綺麗になった!…え、何か言った?」
全身の黒い染みを拭き取り終え腕を下ろすと、彼がいきなり私の手首を掴み体を引き寄せた。
ひぃーっ、殴られる!?
「ご、ご、ごめんなさい!!」
「見つけた…」
「せめて、手のひらで!手のひらでお願いします」
「…探していたんだ。聖女を」
「聖女だなんて、私は候補でしかなかったし音痴だったし…って、あれ?」
いま、聖女って聞こえた気がするけど。え、ちょっと待って。
「…君の力を貸してほしいんだ」
「一体、なんの話を…」
恐る恐る彼の方を見ると、鋭い視線をこちらに向けていた。急に心臓がドクドクと音をたて、手には汗が出はじめる。
「君を殺しておいてむしのいいはなしだとは思う。だが、君の…アンジュの力が必要なんだ」
「…あ、あなたは」
私は咄嗟に逃げようとしたが、腕を掴まれており振り切ることができなかった。
どうして、なんでという言葉が頭の中をぐるぐるとまわる。
しかし混乱している私にかまうことなく、彼は私の手を取るとゆっくり片膝をついた。そして私に乞うように口を開いた。
「アンジュ。私の聖女になってくれないだろうか」
「は?」
予想してなかった言葉に頭がついていけず固まると、急に教室から歓声があがった。
「きゃー!杏ちゃんのこと聖女だって!!」
「こ、これって公開プロボーズ!?」
「転校生やるじゃん!ひゅーひゅー」
「……水をかければ私も好きな人と上手くいくのかな」
この一連の流れを見ていたクラスメイト達、特に女子は頬を染めて楽しそうにはしゃいでいた。
当の本人である私は全く楽しめないのだが!!
「…アンジュ?」
転校生が不安そうにこちらを見てくる。私は大きなため息をつくと、とりあえず彼の手を引っ張って立たせた。
「まずは着替えよう。風邪引くと大変。あと…」
「?」
「聖女なんて絶っ対にお断りですー!!」
「あ、アンジュ!?」
隙をついて掴まれていた手を抜き取ると、私は彼に向かってタオルを投げてその場を逃げた。
私を呼ぶ声が聞こえたが無視して廊下を走る。
彼のあの言い方からして彼も同じく前世の記憶があるのだろう。そして私を殺したと発言した彼はおそらく…
「なんで、なんで魔王がこんなところに現れるのー!?」
今世はただ平凡に暮らしたかっただけなのに。
どうやらそんな私の夢はそう簡単には叶いそうもないらしい。