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「……ね、ねえ……クラウディアちゃん」
遠くで蚊の鳴くような声がした。
無視だ。
「な……なんで……この中でいちばん無関係なアタシが……いちばんダメージ負ってるのかしら?」
戦いに油断は禁物。
無視だ。
「ねえ、ねえってばぁ……」
「あの、あそこの人……なにやらうったえてますけど」
ええい、話を聞くな・拾うな・こっちに振るな!
仕方なく答える。
「オーナーはこのお店のオーナーだから関係者です。無関係じゃあありません」
「でもこのケンカって……あなた達の……ケンカじゃないのぉ?」
「あまいです」
クラウディアは冷静な顔つきで指摘する。
フード付きを指して、
「そこのフード女は私に攻撃するために、きっとじゃまな位置にいたオーナーに攻撃してたはずです」
と、自信をもって答えた。
「いえ、私はそんなつもりは……」
「だったらあなたは、どうしてオーナーを蹴飛ばしたのっ?」
「そ、それは、あまりにもキモいのが飛んできたから、反射的に」
「ほらね」
「なんでかしら……私、クラウディアちゃんが私の味方とは思えない……」
「きっと蹴られて頭が揺れてるからです。つまりこいつのせいです」
「あなた、ナチュラルに悪役ですね。私はあのひとが飛んでこなければ、危害を加えるつもりはなかったと何度も」
「そうは言っても、キモいと思って蹴ったのは事実!(きりっ)」
「ですから、生理的に無理レベルのキモさでも、飛んでこなければ蹴りません!」
「さっきからキモいキモい連呼しないでぇっ!」
メリカが叫ぶ。
「そうだよ、ちゃんと『きもちわるい』って略さずに言わないと。言葉のみだれは、ふーきのみだれ、だよ」
「ニジミちゃんも黙っててぇっ!」
「そ、そもそも、あなただってその人を投げる時に『くたばれ』って言いましたよね」
「それ私も聞いたわぁっ」
ちっ。
「それは、あんたに向かって言ったのよ。それにオーナー。私はオーナーを振り落としてから椅子を投げようとしただけ。加減がちょっっっっと狂って、相手のほうに飛んだだけで、悪気はないんです。悪意ゼロの善意一〇〇パー、まじりっけなし」
「き、詭弁だ!」
うっさいなあ。
「あのね、いくら私でもオーナーがアンタに蹴られた瞬間は心が軽くなったんだから」
「スカッとしてるじゃないのよぉ!」
「はははっ、口でも押されてんじゃねえか、ガブ」と、金髪パーマ。
「くっ」と、ひるむフード付き。
「クラウをあまく見ないほうがいい」と、ニジミ。「あたまいいぶん、せーかくでバランスとってるんだよっ」
「あんた、あとでアイアンクローね」
「ひっ」
「とにかく、おたくらさぁ、暴れたいってのなら、相手してくれそうな地元の警察を呼んであげようか? こっちはお店の閉店作業でいそがしいの」
そう言うとフード付きの態度が一転。
両手を前に出して、「いや、それは待って! 待って、ください」と懇願してきた。
「私たちは、おふたりに護衛の依頼をしに来たんです」
「依頼ぃ?」「護衛の?」
「ええ、なのではじめにおふたりの力量を測っておきたくて……すいませんでした」
女はフードを脱いだ。
表れた彼女の顔は、男装も似合いそうな凛々しいタイプの顔立ちだった。
ショートに揃えた髪型は精悍な印象を与えてくるが、力強い大きな目は、どこか愛らしさもあるように思えた。顔のところどころにある、擦り傷や打ち身のあと。痛々しさは感じない。傷が似合っている。というのもおかしな感じだが、不思議と彼女の顔にはそれがマイナスポイントではなかった。
ただこの顔……どこかで見たことあるような。
「あっ!」
ニジミがポスターと女性を指差す。
「クラウ、このひと、このポスターとそっくり! こっちは横の金色ゴリラとそっくり!」
「だれが金色ゴリラだっ!」
「マクベさん、ここは落ち着いて」
「ぐぐぐ……」
マクベと呼ばれた横の金髪ゴリラが苛立ちを隠すことなく拳を握る。
「い……イヤァァァァァァン! こここ、この子っ、この町の英雄でニューガールズプロレスのアイコン、『戦うスノーホワイト』ガブリエラ=コートに、『正義の最凶コング』トーコ=マクベじゃなぁいのぉっ!」
メリカがしれっと復活して立ち上がり、くねりながらふたりの紹介を始めた。
「このおふたりはね、プロレス団体の中でも超超人気女子プロレス団体、ニューガールズプロレスリングのトップ選手よっ! とくにチャンピオンのガブリエラ選手は飛び技も打撃も投げもすべてが完成された超一流の、超超超人気選手で、しかもうちの町出身の大スター! 今年の奉納大会もメインを務めるのよぉ!」
「ど、どうも」
メリカは興奮気味に、イヤァン! と連発しながら、体を触ってはくねくね。
跳ねてはくねくね。
引きつった笑みのガブリエラの様子にも気づかず、サインをねだったりした。
「んで」
と、クラウディアが話を戻す。「なーんでわたし達がふたりの護衛を?」
「ふたりとも、まあまあ強いよね?」
と、ニジミ。
クラウディアとニジミの言葉は、イヤミでも、皮肉でも、もちろん挑発でもなかった。荒事に慣れた彼女たちから見ても、ガブリエラとマクベの肉体と運動神経は、高い水準にある。彼女たちなら鍛えた男を相手にしても、難なく伸せてしまうだろう。
「まあまあじゃねえよ。オレたちは強え」
とマクベ。
「くわしいことは明日、話します」
とガブリエラが告げて、ちらりと表通りを見やる。
店の入口付近に人が集まり始めていた。
メリカが派手に椅子や机をなぎ倒したときの物音か。それともさっき大声でふたりの名前を叫んだせいか。表にいた街の連中が、いまはまだ、ためらいがちに店の入口から距離をとっていたが、これ以上の野次馬が増えたら中を覗き込む者も出てくるに違いない。クラウディアもそんな気配を感じ取る。
「チケットを渡しておきますので会場に来てください。試合後の控室で。では」
「いいか、ぜってー来いよ! おい店主、裏口はどっちだ」
それだけ言って、イヴとマクベはメリカに案内されるまま、裏口から去っていった。
「ふむ」
と、クラウディア。「……チケットくれるのはいいんだけどさあ」
「うん」
と、ニジミ。「明日もお店のしごとだよね?」
「それもあるけど依頼料もいくらで考えてんのか聞かないとねぇ」
「あら、観戦のことならいいじゃない」
戻ってきたメリカが言う。「明日は臨時休業にしちゃいましょ☆ ふたりも生のプロレス観戦はまだでしょ? いいわよぉ。なんともこう体中が熱くなるのっ。お店を休んで行く価値アリアリよっ!」
「それなら、まあ……」
「え、いいの? やたー!」
プっロレス♪ プっロレス~♪ と、チケットを持って跳ねるニジミ。
「それじゃあ明日の一七時に、ここを出発しましょ」
「オーナーも来んの?」
「イヤァン! だから、メリカちゃんって呼んでっ」
「でもチケットは二枚しかないですよ?」
「あたしとクラウのぶんだよ~♪」
「……ぇ?」
夜中に気持ち悪いオカマの悲鳴が鳴り響いた。
「イヤァァァァァン!! アタシもイかせてぇぇぇぇ~~~!!!」
無論、当日は店に置いてきた。