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ガブリエラとダニエラの手合わせは、遠い距離からの攻防からはじまった。
客席から起こる名前のコール合戦。
《地鳴りのような応援合戦です!》
と、リングアナウンサーが状況を述べる。
ふたりはまだ組み合わない。観客の歓声を背にしながら、手をふり上げたり耳に手をあてたりして、もっと声を欲しがる動きを見せる。
ふたりとも最初はリングの外から、自分の流れを作ろうとしていた。たったひとつの仕草で、彼女たちはファンの意識をリングの上にいざなう。その動きに反応し、ファンたちはさらに声を張り上げる。
《まるで大型動物の威嚇合戦! メインイベントは、ファンによる選手の代理戦争からはじまったー!》
若干、ダニエラのコールのほうが多いか。
それでもしっかりとガブリエラコールも聞こえている。
客席からはじまった期待の渦がリングからこぼれ落ちそうになったころ、ふたりはゆっくりと距離を保ちながら、リングの中、その渦に乗るように、円を描くように歩きはじめた。
相手から視線を切っても、意識は切らない。感覚のどこかは必ず相手につないだまま、止まって視線を合わせては構えを作り、また解いては歩きだす。
こう見ると、やはり姉妹なのだなとクラウディアは感じた。
止まるタイミングも、組み合おうと出す手の順番も、腰の位置も。微妙に違うはずなのにどこか似ていた。足を止めてにらみ合う時間が長くなったころ、観客は示し合わせたかのようにコールのボリュームを落として、彼女たちの空間を演出する。
リングアナウンサーが、声をひそめ気味に、
《両者、応援合戦を煽ったのちに、距離を詰めながら、またここで静かに対峙します》と、リング上の雰囲気に合わせて実況する。
「──っ」
「──っ」
《ここで両者、前に出る!》
ガブリエラとダニエラががっちりと組み合う。
スタートした力比べ。
意外なことに、若干背の低いダニエラがガブリエラを押していく。
押し込むダニエラ。耐えるガブリエラ。
だが、徐々に押されていくガブリエラが、ついにロープを背に受ける。肩から上がトップロープの外側を超えたとき、レフェリーが「ブレイクッ」と叫んで、両者に離れるよう合図を出した。プロレスでは、体の一部がロープにかかったら互いに離れるというルールがある。ダニエラは、その指示に従うように、警戒しながらゆっくりと体を起こしつつ──
パシィィン。
《張り手を一閃んんーっ! 先手はダニエラだぁっ!》
──離れる際にダニエラが、ガブリエラの横っ面に張り手をみまった。
忘れていた呼吸を思い出した観客たちが、溜まっていた空気を歓声として吐き出した。会場はたった一発の張り手でおおいに沸いた。
不思議なものだ、とクラウディアは思った。
張り手はやられたら痛いがノックアウトさせる技とは言い難い。
それでも観客は、この張り手一発に歓喜し、歓声を上げる。
《打たれたガブリエラ。顔色はまったく変わらない。一方の打ったダニエラ。手をひらひら振って不敵な笑み!》
ふたりにとっての試合開始の合図は、この一発だったのかもしれない。
「ダぁニエラぁ!」
いっきに間合いを詰めたガブリエラがエルボーを打つ。
受けたダニエラは、
「お姉ぇ様ぁ!」
すぐさま反撃のエルボー。
一撃一撃に合わせて、歓声が「「「「おぉーっ!」」」」と、波を打つ。痛覚を忘れたかのように、おのれの肘をあいての首筋に打ち合う姉妹。応酬の末、さきに意識を飛ばしたのはダニエラの方だった。反撃のターンに乗れず、くの字に折れる体を倒すまいと踏ん張るが、その足は体を支えきれずに膝が曲がり、何度もたたらを踏んでしまう。
《ここでガブリエラがロープに走る!》
好機とみた姉のガブリエラが反転し、ロープの反動を使ってラリアットを繰り出す。が、屈んでかろうじて交わす妹のダニエラ。しかしまだ反対側のロープで反転して、もういちどラリアットをみまおうとする姉。こんどはその場で跳躍する妹。スラリと伸びた足が、姉の首にからみついて、一瞬の逆立ち状態から、腹筋をつかって姉を首ごとマットに突き刺そうとする。
《ダニエラ、かわして、飛んで……フランケンシュタイナー!》
が、姉のガブリエラはそれを読んでいたのか、前宙の要領で、マットを両足で押し込んで、空中で一回転。絡みついた足からも脱出し、難なく足から着地する。
《……を、ガブリエラ、返したぁっ!》
その動きにまたも、客席からおおきな歓声と拍手が巻き起こる。
《跳ねた。回った。着地したっ! これが姉の意地か、それともチャンピオンの誇りか!》
沸き立つ実況と観客をよそに、互いに背を向けた姉妹はわずかに肩を上下させて呼吸をしながら、首だけ回して相手を一瞥する。
そして言葉をかわすことなく自軍のコーナーに戻って、
「これが私たちのプロレスです」
と、ガブリエラが右手を出して交代の意思を示した。