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 それでも後悔は尽きない。

 クラウディアは不必要に目立つのがあまり好きではない。


《あれは誰だ!》


 リングサイドに陣取る実況アナウンサーがマイクを握り、観客に注目を促す。


《本日の前哨戦、急遽マクベに変わっての選手変更が伝えられていましたが、しかし『雨雲仮面』と名乗る彼女はいったい誰なんだっ。マクスをかぶり、そのうえでなお目元を隠して登場する姿。ゆったりと長い四肢を持て余すように歩く足取りはまさに長雨の憂鬱を思わせます。ガブリエラの新パートナー、雨雲仮面とはいったい誰なんだっ!》


 ファイトマネーのため……ファイトマネーのため……。

 リングにつづく花道の先頭を歩くはチャンピオンのガブリエラ。彼女は会場からの歓声を全身で受けながら、堂々と歩みをすすめていく。その後をうつむきがちに目元を隠してあとにつづくは雨雲仮面こと、クラウディア。

 クラウディアは短時間に受け身の練習を受け、タッグ戦の動画を三倍速で何本か視聴しての参戦だった。

 ニジミが代わりの出場を申し出たが、背丈の差からくる連携技の調整面でクラウディアがいいということになり、今に至った。

 覆面レスラー雨雲仮面として出場することになったクラウディアは、頭痛で頭を押さえていた。

 大音量の入場曲と大音声のコールも、彼女の耳には入らない。


「あらぁ、今日は一対二のつもりで待ってましたのに」

 先に入場していたダニエラが、リングに入ったガブリエラに声をかける。

「ウチの秘密兵器よ。この試合が終わったら、二対一になるかもしれないわね」


 リングの上でレフェリーを挟んでふたりがにらみ合う。

 すると、クラウディアにはダニエラのパートナーがゆっくりと歩み寄ってきた。


「おい……お前が何者かは知らないが、このエービル様がそのマスクを剥いで、そのブサイクなツラを全宇宙の闇にさらけ出してやる」

 悪魔をモチーフにしたメイクをした選手が、下から舐めあげるようにこちらを見上げて、因縁をつけてきた。

「……」

「ふふっ、怖くてなにも言えないか」

 挑発に乗るのもめんどくさいと、クラウディアは黙っていた。

「三秒で沈めてやる」

「……」


 立てた三本指を見せながら頬をぺちぺちと叩かれたので、こちらもお返しにと強めに突き放した。それだけで相手の怒りは沸点に達したようで、視線を切ってコーナーに戻る際に、背後から怒鳴り声が聞こえてきた。


「先発はお願いします」

 と、ガブリエラ。「クラウディアさんは私とダニエラの一騎打ちを作ってくれたらいいですから。とにかく受け身とドロップキックで時間を稼いだり、ロープワークで逃げながら私に回してください」


 と、言われてもなあ。

 先に試合を決めてさっさと終わらせたかった。

 ガブリエラも、試合前は派手に決められるのならそれでもいいですよ、と言っていたことだし、だったらさっさと終わらせるのも手だろう。

 レフェリーのチェックが終わり、試合開始直前のリングの上は、いつの間にか静寂さが立ち込めていて、客席から飛ぶまばらな選手の名前が、かえって緊張感を演出していた。敵陣に視線を移す。向こうの大将もリングの外に身を引いて、先発はエービルが請け負うようだ。


 ならば遠慮はいらないな。


 クラウディアは対角線上の青コーナーに正対する。

 レフェリーが両手を上げて、

「──ファイッ──」

 鋭く振り下ろした。

 ゴングが打ち鳴らされ、カァァァンという重く高い音色は、リングの上だけでなく、会場の高い天井から外につながる通路へと隅々にまで通り抜けていくようだった。


「一瞬で暗黒に染めあげてやる!」

 エービルがこちらにダッシュで駆け寄ってくる。


 走った勢いのままラリアットを打ち込もうとする動作が見えた。

 クラウディアは自然体のまま、すぅと鼻から息を吸う。

 そして、


 ぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!


 ──真っ青な毒霧を相手の顔面にぶっかけた──


「ぐぎゃぁぁぁぁぁ!」

「よっしゃあ、狙い通りっ!」


 軽くガッツポーズ。

 思いきり目に入ったようで、顔面を抑えてもんどり打つエービル。

 この期を逃さぬようにと、クラウディアはマットに伏してくの字に曲がる相手の背後を取る。指を絡めてがっちりホールド。エービルがもがいて投げへの抵抗をするも、なんのその。腰を落として力を入れてぶっこ抜く。加速しながら反り返り、おもいきりマットに叩きつけた。

 二人分の体重をはね返そうと、高く波打つマットの反動。

 ずどんという腹の奥にまで深く重く響く、音の振動。

 クラウディアは相手の胴体をホールドしながら、そのままブリッジを作り、フォールの姿勢を取る。


 どうだ、この流れるような、毒霧からのジャーマンスープレックスホールド!

 速さ、うまさ、姿勢、どこを見ても未経験者と思うまいっ。

 ちらりと見えたガブリエラとダニエラ、そしてレフェリーの表情には、あまりの鮮やかさに衝撃が走っているようにも見えた。


「ヘイ、レフェリーっ! カウント!」


 合図を送ると、レフェリーははっと我に返り、切れのある動きでクラウディアを指差し、


「反則っ! 勝者、ダニエラ&エービル」

 相手コーナーを指差して、その後で頭の上で手を振る試合終了のジェスチャーをした。カンカンカンッと、ゴングが連続で鳴らされる。


「はぁっ!?」

 クラウディアは技を解いて、レフェリーに詰め寄る。「ちょっとなんで! ちゃんとプロレスの技でやっつけたじゃないの!」

 体がぶつかる距離までさらに距離を詰める。

「毒霧は反則っ!」

「そんなわけないでしょ、他の選手だってやってるのを動画で見たわ!」

 ごすごすと肩をぶつけながら詰め寄るクラウディアに、ガブリエラが駆け寄って、後ろから羽交い締めにしてレフェリーから引き剥がす。

「クラウディアさん落ち着いて」

「このレフェリー変なこと言うのよ。毒霧はプロレスの技じゃないって」

「あたりまえですっ。毒霧は反則。レフェリーが見てる前でやっちゃダメなんです。見られたら反則を取られて負けになるんです」


 ……。

 知らなかった、そんなの。


 会場は、「てめえらこそ悪役じゃねーか!」とか、「よくやったー!」など、ブーイングと歓声が入り乱れていた。その混乱に乗じて、敵チームがリングに乱入し、こっちは奥からやってきたマスクをかぶったマクベがやってきたりと、リングの上は混沌と化した。


「ガブリエラお姉さま!」

 ダニエラが噛み付いてくる。「みずからは手を汚さずに、反則負けで試合を終わらせるなんて、わたくし大いに失望いたしましたわ!」

「いや、あれはその……あのね?」

「うるせぇ、テメーらだって似たようなことやってきただろうがぁ。へっへぁー、いい気味だぜぇっ!」と、煽るマクベ。

 ダニエラを中心にこちらに食ってかかってきた選手たちもいれば、倒れたエービルに駆け寄る選手たちもいた。


 しかし、にわかにエービル側の輪が騒がしくなる。


「ねえエービルっ、エービル!?」「なにか反応しなさいよ、ねえ、エービルっ!」

 エービルは口から白いあわを吐きながら、眼球も白目をむいて、ビクビクと痙攣しはじめた。ふむ。さっそく毒霧の効果がでてきたようである。

「ねえ、泡吹いてる!」「担架急いで!」「エービル聞こえるっ? ねえエービル!」


「クラウディアさん……あなたいったい、何を吹いたんですか?」

 と、ガブリエラのこちらを見る目は、人を見る目ではなかった。

「何って毒霧だって。フグ毒由来のちょっと即効性の高い神経毒だけど、ちゃんと時間内に解毒剤を打てば、死にも至らず後遺症も出ない。そんな安心設計の──」

「うわぁぁぁぁっ! はやく救急車をーっ!」

 敵の選手にも関わらず、救護を急かすガブリエラ。

「うわぁぁぁぁっ! エービルさぁーん!」と、ダニエラ。「あなたなんて危険なことを!」

「そうですよ、そんな危険なことしちゃダメです!」

「大丈夫、私は先に解毒剤飲んでおいたから口に含んでても平気──」

「あなたの心配なんかしてませんわっ!」

「そっちの意味じゃないですよっ!」

 両者からツッコミが入る。

「ふたりとも落ち着いて。あの子用の解毒剤もちゃんと控室にあるから」

「彼女を早急にむこうの控室に連れていってくださいましっ!」


 ダニエラの号令で、エービルは担架で聖鬼軍の控室まで運ばれていった。

 解毒剤を飲ませると、エービルの容態はあっというまに回復した。

 いわく、意識を取り戻してこの世に戻ってきたときの第一声が、

「あいつこそ本物の悪魔だ……」

 だったらしい。


 安全な濃度に調整して、解毒剤もちゃんと飲ませてあげたのに。

 そのコメントはいささか心外である。


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