第九十話
「…まさか、ここで君に会うとは思わなかったよ」
シュトリは巡りの悪さに、ますます神が嫌いになりそうな気分だった。
セシールを探して聖都を走り回っていたのだが、出会ったのは娘では無く…
「それはこっちのセリフだ。クソ野郎」
何やら急いでいる様子のセーレだった。
「そこを退け。俺はサマエルの野郎を殺しに行く」
「…それは誰の為に? 君に後を託した法王の為? 今も戦っている人々の為? それとも、可愛い契約者ちゃんの為かな?」
「俺の為に決まっているだろうが!」
セーレは迷い無くそう告げた。
嘘を言っている眼ではない。
本心からそう言っているのだろう。
少なくとも、本人はそう思っている。
「君は死ぬよ。サマエルには勝てない。あのカナンですら、奴を倒すのに百年掛かった」
全てを諦めているかのような表情でシュトリは言った。
「他人に出来たことが何故俺に出来ないと断言できる! カナンが百年掛かったのなら、俺は一年も掛けずに奴を殺して見せるぞ!」
一度敗北した事実を思い出したのか、普段より感情的になりながらセーレは叫ぶ。
それでも虚勢を吐いたつもりは無かった。
作戦はある。
今度こそ奴をこの手で倒せると、自負している。
「…例え、敵が運命そのものだとしても諦めないのかい?」
「当たり前だ。俺はそもそも運命なんて言葉が嫌いなんだよ! 自分の生きてきた道が、初めから誰かに作られていたなんて考えは!」
セーレはどこまでも自由だった。
悪魔は人類の敵である。
悪魔は人と手を組んではならない。
そんな、誰かが決めたルールなんて覆してきた。
神の定めた運命など存在しない。
セーレはいつだって、自分の意思で選択してきた。
「…君は本当に変わらないなぁ。どこまでも自分勝手で、悩みなんて無さそうで…」
フッとシュトリは曖昧な笑みを浮かべた。
自分も、こんな風に素直に生きられたら何か変わったのだろうか。
難しいことは考えず、好きなように生きたら、セーレのようになれたのだろうか。
人類の味方になれたのだろうか。
「………君が羨ましいよ」
そう言って、シュトリはどこかへ立ち去った。
「…ふん」
それを見届けてから、セーレはサマエルの下へ向かうべく転移を発動させた。
「『聖釘』」
最初に放った聖釘が壊されると同時に、新たな聖釘が放たれた。
サマエルに回避行動を取る余裕を与えず、再び手足を刺し貫く。
「ふむ。たった数日で開発した法術にしては、中々強力みたいですねェ。大人数で同時に使うことで一人当たりの消耗を抑え、術を強化しているのですか?」
かつてシモン=マグスとして多くの法術を開発した慧眼から、サマエルは聖釘の正体を見抜く。
術自体は誰でも使えるような簡単な物だ。
だから、それを大勢の者に教え、同時に使用することで強化している。
一人一人の消耗も抑えつつ、サマエルを長時間封印できる。
「良い手を考えた………と言いたい所ですが、所詮は付け焼き刃ですねェ」
「………」
「この術自体に私を殺す力はありませんし、皆で同時に展開しているから攻撃することも出来ない。そして何より…」
聖釘に貫かれたまま、サマエルはニヤリと笑った。
「私にばかり集中していては、隙だらけですよ………このように」
「ッ!」
サマエルの言葉に、バジリオは思わずアンドラスの方を見た。
全員の意識がサマエルに集中している間に、彼女が何かしていないかと。
しかし、予想に反してアンドラスは何もしていなかった。
サマエルの手を出すなと言う命令を守っているのか、悪法すら使わずに沈黙している。
「ぎ、ぎゃああああああ…!」
ハッタリかと思いかけた時、悲鳴が上がった。
悲鳴を上げた男に皆の眼が向く。
そこには、男の首に噛みつく血濡れの蛇がいた。
毒蛇だったのか、噛まれた部分から男の全身が変色していく。
「何…!」
「封印が解けた一瞬の隙に、幾つか『命』を解放しました。ほら、そこにも…」
「あ、あああああああ!」
今度は違う場所から悲鳴が上がる。
暴れているのは女の顔と蝗の体を持つ異形の怪物。
耳障りな羽音を鳴らして、人々を頭から喰らっている。
「大勢で維持していると言うことは、維持する人間が減れば減る程に強度が落ちると言うこと。ほらほらほら…結界がもう壊れますよ?」
バキバキと音を発てて聖釘を握り潰すサマエル。
数だけは集めたようだが、殆どは悪魔と戦った経験も無い有象無象。
目の前で死の一つでも見せれば、怯えて戦うことすら出来はしない。
「哀れだなァ! 憐れですねェ! 弱さは罪ではないと言うのに、神は諸君らにこんなにも惨い試練を与えて下さる!」
「く、来るな…!」
パニックに陥った者が手にした剣をサマエルに突き立てる。
腹部に深々と刺さったそれを見ても、サマエルは顔色一つ変えない。
「な、何で、お前も、人間の筈…!」
「ギャハハハハ! 私が人間だと? 使徒は人間に非ず! 悪魔と何も変わらぬ…化物だ!」
サマエルは怯んだ男の頭蓋を掴み、素手で握り潰した。
果実を潰したような音と共に、サマエルの手が血に濡れる。
「ははは…ギャハハハハハハハハ!」
それを舐め取りながら、サマエルは獰猛に嗤った。
「クソッ…! 命令『動きを禁ずる』」
「む…!」
これ以上仲間を殺される訳にはいかない、とバジリオは権能を発動する。
一か八かの賭けだったが、サマエルは顔を顰めて動きを止めた。
「効いた…?」
「――――――――とでも思ったか、馬鹿が!」
バジリオの虚をつき、サマエルは腕を振り上げる。
その手が可視化する程の魔性に包まれる。
「天罰の章。第一節展開!」
バジリオを庇う様に前に出たオズワルドが手から『聖光』を放つ。
小さな雷にサマエルを傷付ける力は無いが、その光はサマエルの眼を焼く。
「チッ!」
対象を見失ったサマエルの手から赤黒い炎が放たれた。
バジリオとオズワルドは咄嗟に伏せて、それを躱す。
「ちまちま、ちまちまと! 鬱陶しいんですよ、蠅共が! 諦めて死を受け入れろ。お前達に私を殺すことなど出来ないのだから!」
悪魔に殺されていく人々を見ながら、サマエルは叫ぶ。
抵抗した所で、恐怖の時間が延びるだけだと。
苦しみたくないなら、さっさと諦めろと。
ここにいる誰も、サマエルには勝てないのだから。
「…それはどうかな」
サマエルの声に応える者がいた。
青白い粒子と共に現れたのは、普段通りの仮面を被ったセーレだった。
「俺は、貴様を殺せるぜ」
「ハッ、なら試してみますか? お前の秘策で、この私が殺せるかどうか!」
「ああ、そうさせてもらう!」
セーレは先手必勝と言うように、至近距離から魔弾を放った。
人間にも効果があるこの弾丸なら、サマエルにも通用する筈。
「たった三十発ですか。お返しです『聖撃』」
「チィ!」
サマエルの指先から光の弾丸が放たれる。
セーレの放った魔弾を全て飲み込んだそれを、セーレは転移して躱した。
「セーレ。作戦は…」
「大丈夫だ。予定通り、やれ!」
近くに駆け寄ったバジリオにセーレは告げる。
その言葉に、バジリオは大きく頷いた。
バジリオの眼には絶望は無い。
何故なら、サマエルを倒す秘策は、まだ始まってすらいないからだ。
「了解。サマエルを抑え込む!」
そう叫び、バジリオは無事な者の数を数え始める。
何人か悪魔に殺されたが、まだ半分以上残っている。
まだ戦える。
「放て『聖釘』」
合図と共に、再び聖釘が放たれた。
数は減少しているが、それでも拘束力は残っている。
「チッ! 馬鹿の一つ覚えですか!」
手足を貫かれて、サマエルは舌打ちをする。
すぐにでも破壊しようと力を込めた。
「隙ありだ。『空間捕縛』」
その隙をセーレは見逃さなかった。
聖釘を破壊するべくサマエルが足を止めた数秒間を狙い、青白い箱を具現化させる。
「ハッ、こんな物で私を封印するつもりですか…?」
空間さえ塞ぐ箱だが、それでもサマエルを封印するには脆すぎる。
「私を封印するなら、最低でもカナン以上の法術を使って貰わなければ…」
「…そうだな。そうするとしよう」
「…何?」
あっさりと頷いたセーレに、サマエルは困惑した表情を浮かべる。
青白い箱越しにセーレの顔を見た。
「貴様はカナンに異空間に転移され、四百年間封印された…」
「………」
「もう四百年ほど、封印されてみる気は無いか?」
「何だと…!」
セーレの言葉は、サマエルの逆鱗に触れた。
カナンに敗北し、四百年もの間封印されていた屈辱をサマエルは忘れていない。
それと同じことをセーレはしようと言うのだ。
「箱の中身を、俺の用意した別空間に転移させる。お前は二度とこの世界に帰って来られない」
「…ッ!」
転移の悪法を操るセーレにだけ出来ること。
あのカナンと同じことが、彼にだけ出来る。
サマエルにもう一度敗北を味合わせることが出来る。
「な、めるな…! この私が、このサマエルが…!」
サマエルの怒りに呼応してか、箱に亀裂が走った。
「二度も同じ手を受けるか! 愚か者が!」
バキン、と言う音と共に箱が跡形も無く砕け散る。
サマエルを貫いていた聖釘も既に存在しない。
サマエルは身に纏った魔性だけで、全ての封印を破壊したのだ。
「――――――――」
それを見ていたセーレは、無言で腕を振り上げ…
「――――作戦通りだ」
一言そう言って、振り下ろした。
トスッと軽い音がサマエルの耳に響く。
「な、に…?」
「ブラフだよ。俺はお前を封印する気は無い。ここで、確実に殺す」
まるでダーツのようにセーレの手から投擲されたのは、一本の矢だった。
毒々しい黒一色の矢。
それは、隙だらけだったサマエルの胸に突き刺さっていた。
「馬鹿、な……コレ、は…!」
「よく知っているだろう。傲慢のレライハの悪法だ」
かつて、聖都で戦った七柱の一体。
決着が着いた後、偶然拾っていた彼の悪法。
別名『使徒殺しの黒い矢』
「あ…ああ…!」
「皮肉だよな。貴様が生み出した悪魔の悪法が、貴様にとって致命的な弱点だった」
慌てて矢を引き抜くが、既に毒は全身に回っている。
サマエルの身体が変色していき、不気味に痙攣する。
「因果応報だ。地獄へ堕ちろ、サマエル」
瞬間、糸が切れたようにサマエルの身体が崩れ落ちた。




