第八十六話
「まさか、本当に連れて来るとは思わなかったな」
大聖堂の一室にて、バジリオは驚いたように呟いた。
「バジリオ=コマンダン。あなたもいたのですね」
オズワルドに連れられて入ってきたペラギアは興味無さそうにそう返し、バジリオの座る広いテーブルの上に目を向けた。
そこには大聖堂に保管されていた悪魔に関する資料が広げてある。
バジリオが手当たり次第に持ってきたのだろう。
「資料はコレで全部か?」
「ああ、歴史書に使徒の伝記、童話に至るまで全部持ってきた」
「…持ってきたのは、私なんですけどね」
平然と答えるバジリオの影から小さな声が聞こえた。
不機嫌そうな表情を隠そうともせずにバジリオの隣に座ったのは、セシールだった。
「ああ、助かったよ。僕は見ての通り非力だからな」
「だからって私に全部の資料を運ばせるか普通!? 私だって華奢な女なのだが!」
「ハッ。人も殺せそうな分厚い本を十冊も運んでおいてどこが華奢………待て。その本は駄目だ。それで殴ったら僕は死ぬ」
法術で強化しているのか軽々と分厚い歴史書を持ち上げたセシールにバジリオは白旗を上げた。
「その怪力。あなたが噂のセシール=トリステスね」
「怪力で理解して貰いたくなかったのですが!? そんなに私って力自慢で有名なのですか!?」
真顔で頷くペラギアに思わず涙目になるセシール。
いつの間にそんな噂が広まってしまったのだろうか。
コレは単に法術で強化しているだけで、セシール自身は見た目相応の筋力しか持たないと言うのに。
「さて、時間が惜しい。自己紹介はその辺にして本題に入ろう」
パン、と手を叩いてオズワルドが言った。
「議題は一つ。サマエルとは一体何者なのか、と言う一点だ」
オズワルドの言葉に、皆が無言で考え込む。
バジリオは自身で纏めたメモに目を通し、ペラギアは自身の記憶を思い返していた。
「まず、第一に。奴が全ての悪魔を生み出した元凶であることは間違いない。七柱によって新たな悪魔が創造されたケースもあるが、元を辿れば全てサマエルに辿り着く」
最初にバジリオが確認するように言う。
賢者カナンの時代から人類を脅かし続ける悪魔。
それを最初に創り出したのはサマエルに違いない。
「次に、そのサマエルはどこから来たのか。悪魔が生まれる前。『始まりの悪魔』であるサマエルはどうやって生まれたのか」
「他の悪魔とは別格なのは間違いないわね。純粋な力だけでは無く、悪魔の創造などサマエル固有の能力が幾つもある」
「法王様とサマエルの戦いを目撃した者の話では、奴は法術すら自在に操ったそうだ」
オズワルドの言葉に、ペラギアは深刻そうに唸る。
「それが妙なのよね。伝承を紐解いても、サマエルが法術を使ったなんて記録はありません…」
トントン、と自身のこめかみを指で叩きながらペラギアは言う。
「それに、四百の悪魔を内包していると言ったのも不思議です。確かにサマエルは悪魔を創造する能力を持ちますが、一度にそれだけの悪魔を従えたことは歴史上では無かったわ」
今まで読んだ全ての本を覚えているのか、その言葉には確信があった。
サマエルは四百年前に比べて、明らかに力を増している。
今まで封印されていた筈なのに。
「…実際に見た者の話が聞きたいわね。誰かいないのですか?」
「そろそろ来る頃だと思うが…」
オズワルドは時計を見ながらそう答えた。
その瞬間、話について行けずに資料を纏めていたセシールの真横で青白い粒子が光る。
「っと。転移完了」
そう言って現れたのはセーレと、
「ここは…? アレ、皆さんお揃いで?」
キョトンとした表情のマナだった。
「ま、マナ様! 元気になられたのですね!」
「わっ! セシール………心配かけてごめんね」
マナの両手を握り締めて目を潤ませるセシールに、マナは申し訳無さそうに苦笑した。
そんな二人のやり取りを余所に、セーレは荒っぽくテーブルの上に座る。
「何か俺に用があると聞いたが?」
「ああ、サマエルと戦った時のことを聞かせてもらおうと思ってな」
「…戦いにすらならなかったがな。まあ、奴を倒す為に必要なことなら協力してやる」
オズワルド達と手を組むことに異論は無いのか、セーレはあっさりと頷いた。
出来ることなら自身の手だけで奴を倒したいが、それが出来ないことは自覚している。
サマエルが人類を滅ぼせば、この世界は終わりだ。
それを阻止すると言う点でセーレとオズワルド達は利害が一致していた。
「正直言って、あそこまで勝機が見えなかった戦いは生まれて初めてだ。法術を浴びようと、首を切り落とそうと、アイツは平然としてやがった」
「…法王様は『聖絶』も使用したのだったな?」
「そうだ。まるで効いてなかった上に、対人用に改悪した同じ法術まで生み出した」
「実力を付けた悪魔は魔性で法術に耐性を付けると言うけど、サマエルは桁が違うのか?」
「耐性、と言うよりは完全に無効化していたように見えたな。何か別の秘密があるのかもしれない」
唸りながらセーレ、オズワルド、バジリオの三人は意見を出し合う。
どれだけ耐性を付けても多少のダメージは受ける筈。
サマエルは単に扱える力が強いと言う以外にも、何か秘密がありそうだ。
「法術。無効化………何か引っ掛かるのよね。何か、忘れているような」
話を聞きながらペラギアは首を傾げている。
何か根本的なことを見落としているのではないか。
サマエルの正体について。
「そう言えば、セシールはアンドラスと戦ったんだよね。危なくなかったの?」
会議の邪魔にならないように隅に寄っていたマナが、思い出したように言った。
「バジリオとガルグイユさんが助けに来てくれましたから」
「へえ。あの二人が一緒に…」
「凄かったですよ。あのアンドラス相手に一歩も退かずに戦っていました…!」
その時のことを思い浮かべながら、セシールは言う。
オズワルドと共にアンドラスを追い詰めていくバジリオの姿は、噂に聞いていた英雄そのものだった。
時々情けない所もあるが、それでも彼はかつての英雄なのだ。
「私も一応、助力したんですよ?」
「どんな?」
「バジリオがアンドラスの注意を引いている隙に、最近会得した法術を放ったんです………バジリオごと貫いてしまったけど」
「え?…大丈夫、だったの?」
セシールの言葉に、マナは恐る恐る議論をしているバジリオを見た。
見た所、特に酷い怪我はしていないように見える。
「大丈夫ですよ。バジリオから聞いたのですが、人間が法術で傷を負うことは無いそうです」
「あ。言われてみれば、そうだね。悪魔や魔性を祓う為に作られた力なんだから………」
そこまで言って、マナはふと言葉を止めた。
今、セシールは何と言った?
人間が法術で傷を負うことは無い。
それは逆に言えば、
法術で人間を傷付けることは、決して出来ない。
例えそれが、どれだけ上位の法術であろうとも。
「ね、ねえ! セーレ!」
「あん? どうした、聖女様」
突然声を上げたマナに、セーレだけでは無くバジリオやオズワルドの視線も集中する。
「あの、さ。サマエルの正体って……………『人間』だったりしないかな?」
「――――――」
その時、部屋の空気が凍り付いた。
下らない冗談だ、とは切り捨てられなかった。
何故なら、そうすれば色々と辻褄が合う。
どれだけ上位の法術でも傷一つ負わない肉体。
当然だ。
法術とは本来、人間を護る為の物。
ヴェラの放った『聖絶』も聖都の住人が巻き込まれなかったことから察するに、人間を殺傷する力は無いのだろう。
「法術。そうか、悪魔で無いのなら使えたとしても何ら不思議じゃねえ」
信仰する対象こそ違うが、人間が神を信仰すれば法力が生まれる。
その量こそ桁外れだが、法術を使うこと自体は何もおかしいことは無い。
「あ。思い出した! そうよ、何か引っ掛かっていると思ったら、アレよ!」
ペラギアはバンッとテーブルを叩いて皆の注目を集めた。
「賢者カナンの封印よ! 四百年も聖櫃の中に封印されていたなら、四百年間も魂を喰らうことが出来なかったなら…!」
「知性が劣化して亡霊に成り果てる、か」
シャックスやモラクスどころの話では無い。
四百年も魂を喰らわずに自我を保てる筈がない。
サマエルは本当に悪魔だったなら。
「それでもサマエルは五百年も生きているんだ。悪魔では無いとしても、ただの人間では有り得ない」
バジリオが険しい表情でそう言った。
薄々、サマエルの正体に感付いているのだろう。
口にするのも恐ろしいことだが。
「つまり…」
代わりにマナが答えを口にした。
「サマエルの正体は、使徒?」




