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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
最終章
84/108

第八十四話


法王ヴェロニカ=アポートルが死亡した。


そのニュースに聖都中の人間は悲しみと絶望に包まれた。


皆に慕われていたヴェラの死を悼んでいるだけでは無い。


法王は四百年間、聖都を護り続けた守護神だった。


彼女が命を落としたこと、そして彼女を殺した悪魔がサマエルであること。


その二つの事実が、人々から希望を奪い去った。


かつてカナンですらその身を犠牲にしなければ倒せなかった邪神。


それが復活したと言うのに、もうカナンも、その弟子も喪われた。


人々はただ神に祈り続けていた。


サマエルが告げた刻限から目を逸らすかのように。








「君達は聖都に残留する魔性の浄化、残りは町の修復作業に戻ってくれ」


テキパキと部下に指示を出しながらオズワルドは机に座る。


その机は普段からオズワルドが座っている物では無く、ヴェラの机だった。


もう座る主を失った机だ。


「………」


机を埋め尽くす書類に目を通しながら、オズワルドは退室した部下達の顔を思い出す。


皆、不安と悲愴に歪んだ顔をしていた。


あんな顔をした者達が救援に駆け付けても、人々は希望を抱くことが出来ないだろう。


このままでは駄目だ。


「…思ったより元気そうだな、爺さん」


コツコツと靴を鳴らしながら男が部屋に入ってきた。


その顔を見て、オズワルドは眉間に皺を寄せる。


「誰が爺さんだ。私とお前の歳はそう変わらないだろうが」


「ちょっとしたジョークだよ。法王様、法王様とうるさかったお前が落ち込んでいると思ってな」


意地の悪い笑みを浮かべてそう言うのは、バジリオだった。


皮肉混じりだが、オズワルドを心配してきたようだ。


「余計なお世話だ。法王様が亡くなっても私は変わらん。今まで何度も仕えた使徒を亡くしてきた。それと何も変わらない」


「………」


バジリオはその言葉に、オズワルドの過去を思い出す。


並外れた努力で使徒すら超える法術を習得した法術師。


彼はこれまで多くの使徒に仕え、その死を看取ってきた。


オズワルドは優秀過ぎたが故に、どんな戦場からでも生き残った。


自らの才能に溺れた未熟な使徒が死ぬ光景を見ながらも、たった一人で生き続けた。


一部の心無い人間は命惜しさに使徒を見捨てたと揶揄していたが、一人きりで生き残ることがどれだけ辛いことか。


バジリオは痛い程に良く知っていた。


「…まあ」


感情を押し殺したような仏頂面のまま、オズワルドは続ける。


「今まで仕えた主の中では、一番傍に在りたいと思う人だったよ」


オズワルドも悲しんでいない訳では無い。


悪評故にどの使徒からも疎まれていたオズワルドを拾い、従士としてくれたヴェラには心からの感謝と忠誠を捧げていた。


だからこそ、だ。


オズワルドを従士に任命したヴェラは、この状況で職務を放棄して泣き喚くことを望まないだろう。


ヴェラが望むのは、今までと変わらず聖都を護る為に尽くすこと。


それが死したヴェラに報いる方法だと思うが故に、オズワルドは変わらないのだ。


「…お前は大丈夫そうだな。なら、本題に入るとするか」


バジリオはペラペラと手にした資料を捲りながらそう呟く。


「何をしている?」


「サマエルについて調べていたんだ。奴が活躍したのは四百年以上前だからな。残っている資料もかなり少なくて…」


サマエルは必ず再び聖都を襲う。


その時までに出来る限りサマエルの情報を集めて対抗策を練ろうと考えたバジリオだったが、肝心の資料が殆ど残っていなかった。


サマエルは謎の多い存在だ。


約五百年前、唐突に出現して人類を滅ぼそうとした悪魔。


あらゆる悪魔を創造する能力を持つと伝えられていたが、法術まで使用するとは知らなかった。


更には悪魔に対する対抗策である法術が全く通用しなかった。


サマエルの正体が分からない限り、人類が彼に勝つことは不可能だ。


「法王様から何か聞いてはいないか?」


「…知らんな。法王様はあまり昔のことは語らなかった。セーレには聞いたのか?」


「ああ、アイツはサマエルのことを殆ど覚えていなかったよ」


バジリオは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。


セーレ以外に当時を知る者として法王に期待したが、オズワルドは何も聞いていないらしい。


弱点の一つでも教えてくれていれば良かったのだが…


「…一人、心当たりがある」


「何?」


「当時を知る者では無いが、その知識を持っている者を」








「また、ここにいたのか」


セーレは呆れたような声色でそう呟いた。


目の前にあるのは、多くの花が供えられた墓石。


ヴェロニカ=アポートルの墓だ。


「………」


セーレの探し人であるマナは、その近くに佇んでいた。


涙も枯れ果てたのか、もう泣いてはいないが、どちらでも同じだろう。


顔に出さなくなっただけで心で泣いている。


否、もうコレは心が死んでいると言ってもいい。


「…ふん」


慕っていたヴェラが死に、更に必死に求めていた妹まで喪った。


普通の人間なら、心が壊れて当然か。


「この弱さも人間の証か………面倒臭え」


セーレは何も言わず佇むマナに近付く。


それでようやく気付いたのか、マナの眼がセーレを捉えた。


「セーレ…」


掠れるような声でそう呟き、その眼が悲しみに揺れる。


「セーレは言ったよね。サロメは正気じゃないって。サロメが私を恨んでいるのは、全部取り憑いた悪魔のせいだって…」


「…言ったな」


「でも、違った。サロメは私を恨んでた! 私はやっぱり、サロメに憎まれていたんだ!」


震えながらマナは血を吐くように叫んだ。


ベリアルから解放されたサロメは、それでもマナを攻撃した。


サロメ自身の言葉で、マナを憎んでいると告げた。


今までのマナの人生を全て否定されたかのような気分だった。


「…三年も悪魔に取り憑かれていたんだ。精神に影響が出ても不思議では無い」


「そんなの、嘘だよ。サロメは、私を憎みながら死んでいったんだよ…?」


セーレの口にした言葉は、慰めでは無く根拠のある推測だったが、マナの心には届かなかった。


今のマナには誰の言葉も届かない。


それこそ、サロメ自身の言葉しか。


「…ふん」


セーレは懐から逆十字の髪留めを取り出し、マナへと放り投げた。


「コレ…確か、サロメの…?」


「拾ってきた」


思わず両手で受け取ったマナの顔を見つめながら、セーレは言葉を続ける。


「今までに誰かの過去を覗いたことが無いか? 聖女様」


「…どうして、知っているの?」


セーレに言われてマナは思い出した。


以前、サロメの過去を夢と言う形で見たことを。


ただの夢と言うにはあまりにもリアルで、マナの知らない事ばかりだった。


アレは恐らく、本当にサロメの過去だったのだろう。


でも、どうしてそれをセーレが知っている?


あの話は誰にもしていない筈なのに。


「やっぱり、か。マナ=グラース、それを強く握り締めろ」


何か納得したように頷きながら、セーレはそう言った。


言われたままに深く考えずにマナはサロメの形見を強く握る。


すると、ぼんやりと光が浮かび上がった。


「コレは…?」


「貴様に宿った権能の本当の力だ。他者の過去を読み取る能力…」


チラリとセーレはマナの顔を見た。


「賢者カナン=モーゼスと同じ権能だ」


「…え?」


思わず聞き返した時、マナは淡い光に包まれた。








『憎かった』


それは幼い頃のマナとサロメの二人だった。


二人で分け合う筈だった一つのパンを、マナがサロメに譲る光景だった。


『憎かった』


次は、マナが悪魔からサロメを助ける光景だった。


その結果、聖都へと向かうマナを見てサロメが泣いている。


『憎かった』


その次は、マナがいなくなり、段々と父親が堕落していく光景だった。


それを止めようとしたサロメが父親に殴られている。


『憎かった』


最後は、心の弱さに付け込まれてベリアルに取り憑かれる光景だった。


完全に身体を操られ、父親を躊躇無く殺している。


『私は…』


姿が変わり、心まで変わっていく中でも、サロメは憎み続けた。


『私は、自分が憎かった…!』


「………え?」


その風景を見せられていたマナは、疑問の声を上げた。


サロメが憎んでいたのはマナでは無いのか、と。


『姉さんに迷惑ばかりかける甘い自分が憎かった! 目の前で苦しんでいる父さんを助けられない弱い自分が憎かった! 悪魔に操られて父さんを殺した自分が、赦せなかった…!』


それはサロメが抱えてきた憎悪。


悪意の権化であるベリアルが暴いた憎しみ。


誰に対してでも無い。


何よりサロメは自分自身が嫌いだった。


姉のことも、父のことも、誰一人憎んでなどいなかったのだ。


『…私は姉さんのようになりたかった』


「…サロメ」


『私に姉さんのような強さがあれば、きっと父さんも救うことが出来た。悪魔になんて操られたりしなかったのに…』


暗い闇の中に、ぼんやりとサロメの姿が浮かび上がった。


身体には傷一つ無い、昔と同じ姿だ。


『姉さん。迷惑ばかりかけて、ごめんなさい』


「サロメ。私の方こそ、あなたを助けられなくてごめんなさい…!」


『ううん、良いの。私はきっと、悪魔に取り憑かれて父さんを手にかけた時にもう死んじゃってたんだよ。姉さんのお陰でやっと天国に行ける』


涙を流すマナに子供の頃と同じ笑みを浮かべてサロメは言った。


『姉さん、もう私のことは良いの。姉さんはもっと沢山の人を助ける力があるんだから、私にばかり構ってたら駄目だよ』


子供っぽくそう言うサロメの身体が段々と透けていく。


この温かな夢の終わりが近いのだ。


「サロメ………私、私は…」


『頑張ってね。あなたは私の自慢の姉さんなんだから』


完全に消える瞬間、サロメは満面の笑みで微笑んだ。


『いつだって見守っているよ。ばいばい』








「………」


淡い光が消えるのを見届け、マナは目を擦って涙を拭った。


無言でそれを眺めていたセーレは口元に笑みを浮かべて口を開く。


「調子は取り戻したか?」


「うん。絶好調だよ…!」


もう立ち止まってなど要られない。


サロメは見守ってくれているのだ。


姉としてこれ以上、情けない姿を見せる訳にはいかない。


「行こう、セーレ」


「どこへ?」


「どこだって良いよ! とにかく、ここでジッとしているよりはずっと良い」


そう言ってマナはセーレの手を引いて前に歩き出した。

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