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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
四章
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第七十九話


―――四百年前。


瓦礫の山と化した町で、二人の男が戦っていた。


『はぁ…はぁ…はぁ…』


一方はカナン=モーゼス。


生き残った人間達を纏め上げ、悪魔達に対抗していた使徒。


『…チッ』


もう一方はサマエル。


生み出した悪魔達を従え、大陸に存在する全ての国を滅ぼした悪魔。


丸一日続いた激闘の末、二人は満身創痍で睨み合っていた。


状況は僅かにカナンが有利。


両者共瀕死には変わりないが、五体満足のカナンに対し、サマエルは両足を焼かれていた。


『僕の勝ちだ。サマエル』


身動きの取れないサマエルへ止めを刺そうと、カナンは手を翳す。


それを見てサマエルは嘲笑を浮かべた。


『残念ながら、時間切れですよ! ギヒッ!』


『ッ! ぐっ…!』


『あと少しだったのに、残念でしたねェ! これで、私の勝ちだ! ギャハハハハ!』


苦しそうに胸を抑えるカナンを嗤うサマエル。


自分の負った傷も忘れ、勝ち誇ったようにカナンを見た。


『…来い、聖櫃』


自身の死期を悟ったカナンは近くに聖櫃を呼び寄せた。


それはカナンの死後、その遺体を悪用する者が現れないようにする為、カナン自身が創り出した棺だ。


『ハハハ! わざわざ棺を呼び寄せるとは潔いですねェ』


『…いや、コレに入るのは僕では無い』


『………何?』


サマエルが首を傾げた瞬間、その身体が光に包まれる。


百年以上使徒と戦い続けたサマエルは、この光を知っていた。


転移、だ。


『聖櫃の中は僕の創造した小さな異空間だ。空間の壁によって隔てられた誰も訪れることの無い孤独な世界………それがお前が今から堕ちる地獄だ』


『な、何だと!』


慌てて光から逃れようとするが、サマエルの身体は動かない。


焼け焦げた足では、立ち上がることすらままならない。


『慈悲をかけるには、お前はあまりにも人を殺し過ぎた。その閉じた世界に漂う魍魎に成り果てることが、お前に対する罰である』


『…ク、クソがァァァ…! コレで終わりだと思うなよ! カナン=モーゼス!」


眩い光の中にサマエルの身体が飲み込まれていく。


サマエルは憤怒の表情で、カナンを睨んでいた。


『十年経とうと、百年経とうと、必ずこの世界に舞い戻り! 人類を滅ぼしてやるからなァァァ!』


最期にそう言い残し、サマエルは封印された。








「ククク…やはり、この世に不可能なことは無い」


サマエルは過去を思い返しながら、悪辣な笑みを浮かべる。


さて、自分が封印されている間に一体どれだけの時が流れたのかと視線を漂わせる。


やがてそれは、セーレとマナへと向けられた。


「うん?………悪魔と使徒? 随分と歪な組み合わせですねェ」


丁寧でありながら悪意を滲ませた口調。


それはどこかベリアルに似ていた。


「…貴様だったのか。ベリアルを作ったのは」


セーレは震えそうになる身体を抑えながら、呟いた。


ベリアルの真の目的は、サマエルを復活させることだった。


以前から気になっていたベリアルを生み出した悪魔。


その正体は、死んだと思っていたサマエルだったのだ。


「ベリアル? 一体、どの悪魔のことを言っているのですか?」


「何…?」


「こちらの世界に送り込んだ悪魔なんかに、名前なんて一々付けていませんよ」


「送り、込んだ?」


サマエルの言葉に、今度はマナが首を傾げた。


そんな二人の様子を見て、サマエルは笑みを浮かべる。


「そう、送り込んだんですよ。あのカナンに、聖櫃の中に閉じ込められてからずっと!」


興奮するようにサマエルの身体がカタカタと揺れる。


笑っているが、その言葉には計り知れない憎悪も宿っていた。


「自分自身を転移する程の門は開けない。私をこの聖櫃に縛り付ける封印が外から施されている。その世界から私が出ることは許可されない」


カナンに叩き込まれた聖櫃の中。


そこは箱の中とは思えない程に広い空間だった。


草木も鳥獣も無い、何も無い空間。


この世界とは異なる、閉鎖世界。


世界にたった一人と言う絶望を味わった。


「考えた。考えた。考えた。私の存在を分割し、縮小化し、私と認識できないレベルまで希釈した物を外の世界へと送り込んだ」


だが、執念深いサマエルは諦めなかった。


悪魔を創造する能力を利用し、自分の分身として創り出した悪魔を転移させた。


「座標も不確定な転移だ。成功する確率は低い。仮に成功したとしても、希釈した私の分身が聖櫃を壊せる確率は更に低い」


例えるならそれは、目隠ししたまま矢を放ち、的に当てるような物。


的の位置も、的の大きさも分からない。


そもそも、的が本当に存在するのかさえ不明だった。


それでもサマエルは止まらなかった。


悪魔を送り込んだ数が、百を超え、千を超え、万を超えても、止まらなかった。


「四百年も…その分の悪い賭けを続けたと言うのか…?」


「失敗するのなら、成功するまで続けるまでだ。この世に不可能なことは何一つ無い、いつかは必ず成功を掴む物でしょう?」


サマエルは当然のことのようにそう言った。


常軌を逸した執念深さだ。


長き時を生きる悪魔にも、その精神性は異常に見えた。


「さてと、私はそろそろ………」


何かを言いかけて、サマエルはふと首を傾げた。


その顔に浮かぶのは、歓喜と戸惑いが入り混じったような奇妙な表情だ。


視線の先には、セーレが立っている。


「…そこの彼、名前を聞いても良いですか?」


「…?」


サマエルの問いに、マナは訝し気な表情を浮かべる。


七柱を作ったのはサマエルだ。


なのに、セーレのことを知らない?


同じことをセーレも思ったのか、首を傾げながら口を開く。


「セーレ。強欲のセーレだ。俺を生み出した張本人のくせに、忘れやがったのか?」


そう言うセーレにも確証は無かった。


セーレはサマエルのことをあまり覚えていない。


それでも本能が告げていた。


目の前の存在こそが、全ての悪魔を生み出した元凶であると。


「強欲? 七柱の?………そうか。お前が、そうなのか…!」


サマエルの顔が愉悦に歪む。


「ハハハッ! 滑稽ですねェ! 実に! まさかお前が私の復活を祝いに来てくれるだなんて! ギャハハハハハハハハハハ!」


げらげらと悪辣に嗤いながら、サマエルは上を見上げる。


「そこで見ているが良い。お前達が忘れてしまった恐怖を、思い出させてあげましょう」


そう言った瞬間、サマエルは幻のように姿を消した。


物音一つ発てずに、跡形もなく消えた。


「…ッ! 違う。地上だ…!」


「え?」


サマエルから感じていた悍ましい感覚が移動したのを感じた。


転移を使った訳では無い。


何の能力も使わずに、単なる跳躍だけで地上まで移動したのだ。


「行くぞ!」


「う、うん…!」


嫌な予感を感じ、セーレは急いで地上へと転移した。








「私が封印されている間に、随分と人間が増えたようですね」


地上へと出たサマエルは、大聖堂の前でそう呟いた。


直接見ずとも、サマエルの耳には命の鼓動が聞こえた。


聖都に存在する全ての人間の命。


アンドラスの呼んだ下級悪魔と戦い、生きようと足掻き続ける命の音。


「吐き気を催す程、耳障りですねェ。滅びは決まっていると言うのに、抗おうとする。全て醜悪だ」


心からの嫌悪と憤怒を向けながら、サマエルは両手を天へと翳す。


手の平で蠢く眼球から涙のように魔性が零れ、煙のように上っていく。


「何も要らない。何もかもが不要だ。信仰に意味は無く、生命に価値は無く、世界に理由は無い。神の手より生まれた全ての存在に、滅びを」


雲のように漂う仄暗い魔性が、空に図を描く。


それは巨大な眼球を思わせる不気味な陣。


「『無限の魔弾(アンフィニ・バール)』」


瞬間、死の雨が聖都に降り注いだ。


建物や大地は一切傷つけず、ただ人間の命のみを奪う黒き雨。


皮膚に触れるだけで命を蝕む毒。


「な、何だこの雨は…顔が、顔が溶けて…!」


「ぎ、ギャアアアアア! 痛い! 痛い、助けてくれ…!」


阿鼻叫喚。


地獄絵図。


絶望と恐怖と苦悶の声が響き渡る。


「そうだ、それで良いんですよ! ギャハハハハ!」


希望の声など上げるな。


死に抗うな。


生きようとするな。


お前達は、死ぬ為に生まれてきたのだから。


「まずはこの町。そして、次は…」


「権能『神の番人』」


どこからか女の声が聞こえた時、延々と降り注いでいた死の雨が止んだ。


代わりに天から光の雨が降り注ぎ、毒に侵された人々を治療している。


「この権能は…」


「…勘違いだと、思いたかった」


サマエルの前に転移しながら、ヴェラは沈痛な顔で言った。


カナンが命を賭けて封印したサマエルが復活したなど、考えたくも無かった。


後悔はある、しかし絶望はしていない。


今度こそ、この悪夢を今度こそ終わらせて見せる、と油断なく構えている。


「ヴェロニカ=アポートル、か。生き残りはもうお前だけですか?」


「カナン様の弟子では、私一人よ」


「ハ………ギャハハハハ! あのカナンすら殺したこのサマエルに、お前が一人で勝てるとでも?」


サマエルは嘲笑する。


カナンは死んだ。


カナンの弟子だって、殆どはサマエルが殺したような物だ。


生き残った弟子一人で、サマエルを殺せる筈がない。


「…一人では無いわ」


「何?」


「この聖都には、多くの人間がいる。共に戦う仲間達がいる。私は決して、一人では無い」


一人だけ生き残ってしまったとヴェラも思っていた。


だが違うのだ。


カナン達が死んだ後も、人類は生き続けた。


何度悪魔に殺されようとも、何度でも新たな命は生まれ続けた。


「例えカナン様が死のうと、私が死のうと、人類は続いていく。誰かを護ろうとする思いを抱き続ける限り受け継がれていく!」


ヴェラは決意を決めた目で、サマエルを見た。


「それを滅ぼすことなど、誰にも出来ない!」


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