第七十七話
「ぐ、あああああああ!」
射抜かれた胸を抑え、アンドラスが崩れ落ちる。
傷口には大穴が空き、黒い煙を噴き出していた。
心臓を貫いたのだ。
悪魔であっても、ただでは済まない。
「ぐっ…!」
「バジリオ!」
投げ出されたバジリオへセシールが駆け寄る。
セシールの放った聖光はバジリオごとアンドラスを貫いた筈だが、その身体に傷は無かった。
「忘れたのか。法術は悪魔を滅ぼす術。人間には通用しない」
アンドラスに折られた腕を抑えながら、バジリオは立ち上がる。
法術は人間に通用しない。
だからこそ、捨て身の策を打ったのだ。
わざと隙を見せて、アンドラスに捕らえられると言う。
「それより油断するな。心臓を撃ち抜かれれば、普通の悪魔は即死する」
「…?」
セシールは言いたいことが良く分からず、首を傾げる。
即死するのなら、もう決着はついたのでは無いだろうか。
「…つまり、悲鳴を上げていると言うことは、奴は普通では無い」
「ああああああああァァァ!」
絶叫するアンドラスが再び空を舞う。
心臓を撃ち抜かれ、顔を苦痛に歪めながらも、尚闘志は揺らいでいない。
「小癪な虫共が! この程度で私を殺したつもりか!」
アンドラスは片翼を大きく振るう。
翼から落ちる黒い羽根が、矢のように地上へ降り注ぐ。
「潰れろ!『九十の魔弾』」
「チッ!」
狙いなど付けず、感情のままに放たれる魔弾。
壁を砕き、大地を割り、闇雲に聖都を破壊し続ける。
バジリオは咄嗟にセシールの手を引き、走り出す。
「あはははは! 消えろ消えろ消えろ!」
バジリオの眼には、全ての魔弾の動きが見えていたが、身体が追いつかなかった。
一発の弾丸がバジリオの足を貫き、次の弾丸がバジリオの肩を貫いた。
それでもバジリオは足を止めなかった。
セシールだけでも護るように。
「…ッ…」
「バジリオ…!」
魔弾の雨が止んだ時、バジリオは満身創痍で転がっていた。
「はは、あははは! こ、これでお前も終わりよ!」
ボロボロの身体で魔弾を撃った影響か、息を乱しながらアンドラスは嗤った。
本気を出せば、人間などこの程度。
虫のように簡単に潰せる。
「…終わりなのは、お前も同じだろう」
「はぁ…はぁ…何を言っているの?」
「ここは聖都だぞ。これだけ暴れたのだから、すぐに誰か駆け付ける………僕と戦って、ボロボロになったお前を殺すのは容易いだろうな…」
「………」
「…出来れば、この眼でお前が死ぬ所を見たかったが。お前が滅びるなら、もう未練も無い。あの時、殺さなかった無様な男の顔を思い出しながら、死ね」
「き、貴様…! 死にかけの分際で!」
激高したアンドラスは翼を広げる。
もうどうでもいい。
計画など全て後回しだ。
この男だけは、ここで必ず殺す。
一発の魔弾が放たれる。
岩だろうが、人体だろうが、容易く貫く弾丸。
それは狙い通り、バジリオの頭蓋を穿ち、命を奪う。
…その筈だった。
「『退魔障壁』」
言葉と共に、青い炎の結界が具現する。
魔性を焼き払う炎の円陣。
命を奪う筈だった弾丸は、炎の中に消えた。
「オズワルド…?」
バジリオは思わずその名を口にする。
しかし、すぐにそれが違うことを理解した。
オズワルドは先程重傷を負った。
法術など展開できる筈がない。
では…
「私が留守の間に、随分と暴れてくれましたね」
「お、お前は…!」
アンドラスの顔が引き攣る。
何故、ここにいる。
この女は、ゴモラに転移したのでは無かったのか。
「法王ヴェロニカ=アポートル。只今、帰還しました」
ヴェラはそう宣言した。
「魔性よ…」
ベリアルが唱えると共に、蛇の形を取った魔性がセーレへ襲い掛かる。
「チッ、鬱陶しい!」
巻き付いた蛇を素手で引き千切りながら、セーレはベリアルへ迫った。
ベリアルの身体を傷付けるような攻撃は出来ない。
その上でベリアルを確保しようとするが、それを分かっているようにベリアルは捕まらなかった。
常に一定の距離を保ち、隙が無い。
「………」
マナは聖剣を握りながら考えていた。
どうすれば、サロメの身体からベリアルだけを滅ぼせるのか。
セーレは引き剥がせると言っていたが、捕えなければそれが出来ないのは見て分かる。
「…?」
その時、マナはベリアルの視線が度々マナへと向けられていることに気付いた。
否、正確にはマナではなく、マナの握る聖剣を見ている。
(…聖剣を、警戒している?)
マナは改めて聖剣を強く握り締める。
今までサロメと言う人質を盾に余裕を保っていたベリアルの雰囲気が、聖剣が現れた時から変わった。
コレにはそれだけの力が秘められている?
サロメの肉体を傷つけず、ベリアルのみを切り裂く力がある?
「権能『神の高潔』」
小さな声でマナが呟き、聖剣を構える。
「断ち切れ『ローランの聖剣 』」
ニコラウスの言葉を思い出しながら、マナは聖剣を縦に振った。
それに気付いたように、ベリアルの目がマナへ向けられた。
しかし、何も起こらなかった。
聖剣は変わらず、攻撃は放たれることは無かった。
「…驚かさないで下さいよ。どうせあなたには撃てないのですから」
安堵したようにベリアルは息を吐く。
恐らく、聖剣にはベリアルの恐れる程の力があるのだろう。
だが、それはマナでは放てないことが証明された。
もう、ベリアルは聖剣を恐れることは無い。
何故ならその手に握る者が未熟だから。
マナの口が悔しさに歪む。
「いや、ナイスだ。聖女様」
「なっ…!」
顔を愉悦に歪ませたセーレの声は、ベリアルのすぐ後ろから聞こえた。
マナに気を取られ過ぎた、と気付いた時には遅かった。
背後を取ったセーレの右手が、ベリアルの背を貫く。
「ぐ…何、を…」
まるでサロメごとベリアルを殺すような行為に、ベリアルは声を上げる。
「今、俺が掴んでいるのは何だと思う? 心臓か? それとも…」
セーレは笑ったまま、言葉を続ける。
「貴様の魂か?」
「ッ!」
ベリアルの身体が震えた。
そう、セーレはサロメの身体には傷一つ付けていない。
マナから魂を喰らった時のように。
サロメの肉体を透過して、ベリアルの本体を握っている。
このまま、喰らう為に。
「ああ、ああああああああああァァァ!」
ビクン、とベリアルの身体が跳ねた。
絶叫と共に、その口から真っ赤に染まった蛇が飛び出す。
「出たな! それが貴様の正体か!」
血の如き赤い液体に濡れた、悍ましい姿の蛇。
それは悲鳴を上げながら、空中を泳ぐように逃げていく。
これこそがベリアルの本体。
サロメに取り憑いていた悪魔だ。
悪魔が抜けた瞬間、サロメの身体は気を失ったように倒れた。
「俺はアレを追いかける! 聖女様はこいつを見ていろ!」
「わ、分かった!」
サロメの身体を抱き留めながら、マナは答える。
「…あまり期待するなよ。長い間、悪魔に取り憑かれていたんだ。もう目を覚まさなくてもおかしくない」
「うん、分かっている。ありがとう」
最後にそう忠告し、セーレは赤い蛇を追いかけた。




