第六十七話
『コレで君はレライハとなった訳だが………調子はどうだい?』
レライハの力を継承した日、シュトリは言った。
百年以上前の遺体から魂を汲み取るのは不可能だった為、シュトリに協力を願ったのだ。
彼の悪法は死んだレライハを蘇らせることは出来ないけれど、その肉体を死亡直後まで戻すことは出来る。
それによってオセはレライハの魂を取り込むことが出来た。
『先輩に協力して貰っておいて何ですが、あまり良いとは言えませんね』
とは言え、変身の出来は今一つだった。
何故ならオセは生前のレライハを知らない。
例えレライハの記憶と能力を引き継いでも、コレでは完全な変身とは言えない。
『同調が不完全です。能力と外見はコピー出来ましたが、内面は演技するしかないですね』
『それで良いんだよ。オセ』
苦い顔で呟くオセに、何故かシュトリは嬉しそうに笑う。
『どれだけ突き詰めた所で、他人には成れない。君はレライハの能力を手に入れた新しい君になった。良かったじゃないか、我輩は嬉しいよ』
シュトリはまるで人間のように朗らかな笑みを浮かべる。
こう言う男だった。
悪魔のくせに、他人の幸せを願い、自分のことのように喜ぶ。
オセがまだ人間だった時もそうだった。
誰からも愛されず、求められない自身の醜さに絶望したオセの願いを無条件で叶えてくれた。
悪魔になりたい、と言う願いを。
『………』
彼は悪魔の先輩であり、何物にも代えがたい親友だ。
だが、それでも譲れない物があった。
『…先輩。オレは、人間を捨てたいんですよ』
外見や能力だけではない。
この心に巣食う自己嫌悪から解放されたい。
劣等感を忘れたいのだ。
『…そうか。それを君が望むなら、我輩は応援するさ』
シュトリはどこか寂し気に笑った。
分からない。
今の醜い姿を捨てて、素晴らしい存在になることの何が間違っていると言うのだろう。
「ニコラウスさん…いや、レライハ」
マナは何か布に包まれた物を抱えながら、そう呟いた。
「どちらでもない。オレはオセだ。まあ、その名を使うのも今日までだがな」
オセはマナ達の背後にある聖櫃へ視線を向ける。
あと少し、あと少しでアレが手に入るのだ。
そうすれば、今度こそ全てを捨てられる。
人間だった頃からの夢が叶えられる。
『あんな思い』を、二度としなくて済むようになる。
(…あんな思い?)
ふと、自分の思考に首を傾げるオセ。
それは、何のことだ?
そもそもコレは本当にオセの記憶か?
今まで化けてきた別の誰かでは?
(…いや、もう何だって構わない)
聖櫃を手に入れて至高の存在へと成り代わる。
それだけだ。
それだけしかない。
他のことなど、もう何も覚えていないのだから。
「あの時、クララのことを語っていたニコラウスさんは本当に悲しそうでした」
「そうだったかな。もう覚えてねえよ」
「…私は約束しましたから。クララの仇は、私が代わりに取ります!」
マナは真っ直ぐオセを睨む。
その眼には明確な敵意があった。
もうオセはニコラウスでは無いのだと、理解したのだろう。
「ハッ、約束? 覚えてねえって言ってんだろ!」
オセは嘲笑しながら、黒い弓を構える。
この毒矢はセーレに効果が無いが、のこのこやって来たマナには効果抜群だ。
「悪法『傲慢』」
使徒殺しの黒い矢が放たれる。
例え悪法を弱体化させる権能を持っていても、コレを受ければ死は避けられない。
それを理解していたからこそ、セーレは庇う様に前に出た。
「チッ!」
「はははは! 庇うと思ったぜ、大事な大事な契約者様だもんな!」
矢がセーレの左肩に突き刺さる。
効果を発揮しない筈の矢に触れた部分から石化が始まった。
オセは最初からセーレが庇うことを予想して、石化の矢に切り替えていたのだ。
「先に殺すのはアンタに決まってんだろ、セーレ!」
使徒であるマナを殺すのに一分と掛からない。
だとするなら、今狙うべきなのは足手纏いが出来たセーレ。
セーレ一人なら転移で逃げられてしまうが、後ろにマナが居ればそれも出来ない。
「マナ=グラース!」
「うん。分かってるよ!」
次々と放たれる矢を防ぎながらセーレはマナの名を叫ぶ。
それにマナは大きく頷いた。
(何だ? 権能でも使わせて、オレの矢を防ぐつもりか?)
無駄なことを、とオセは嘲笑する。
確かにマナの権能を使えば、オセは矢の力を失うが、それはセーレも同様。
こんな狭い空間で逃げる場所などない。
マナが攻撃用の法術を覚えていれば、話は別だが、そうでないことはニコラウスだった時に聞いている。
「行くぞ、新米悪魔!」
矢を防ぐセーレの背後で粒子が渦巻く。
攻撃が来る、と理解した次の瞬間には閃光が放たれていた。
「消し飛べ『空間消却』」
空間を根こそぎ削り取る光。
触れた者を魂まで消滅させる破壊の閃光。
だが、
(…さっきよりも小さい?)
一瞬、訝し気な表情を浮かべ、それはすぐに嘲笑に変わった。
マナが現れてから調子を取り戻したように見えたが、セーレは確実にダメージを受けている。
その証拠に、先程まで脅威だったこの攻撃は弱体化した。
オセは僅かに身を逸らすだけで、それを躱した。
(恐らく、今のが最後の一撃)
次はもう放つことすら出来ないだろう。
(勝っ…)
自身の勝利を確信した瞬間、オセの目の前で青白い粒子が舞った。
淡い光の中から、聖女が現れる。
「…ッ!」
オセへ向かって駆けるマナ。
その手に、
その手に握られているのは…
「貫け『ニコラウスの聖剣』」
見覚えのある、聖剣だった。
「………あ」
思わず思考が止まるオセの胸を、光の刃が貫く。
刃が心臓を壊し、その身を焦がして初めて、オセはその事実を理解した。
「セーレは、囮、だったんです。注意を、引き付けて貰っている隙に、私を転移して…」
マナの声が震えていた。
オセを身体を貫く聖剣を持つ手も震えるが、決して離さなかった。
「な、何故、だ。何故、お前が、聖剣を…」
「…約束、したんですよ」
マナは胸から血を流すオセの眼を見つめる。
「あなたが死んだ時、聖剣は私が引き継ぐと。そう、約束したんです」
マナはニコラウスの聖剣、と呼んだ。
それは、マナが聖剣をニコラウスから継承した証。
「く、くくく…呆れる程に甘い娘だ。それが、嘘だとは思わなかったのか?」
「思いませんよ。だって」
「…?」
「だって、あの時の私達は間違いなく仲間でしたから。短い付き合いでしたけど、ニコラウスさんがクララさんを大切に思い、私達の手を取ってくれたのだと信じていますから」
例えそれが偽りに満ちた物だったとしても、
あの時、自分からマナ達に歩み寄ろうとしてくれたニコラウスの思いは本物だった。
マナ達と笑い合ったことに、何一つ嘘は無かった。
「はは、ははははは…つくづく甘い」
聖剣の刺さった部分から、オセの身体が崩れていく。
内側から全身を焼かれる痛みを感じながらも、オセは笑みを浮かべていた。
「…だが、何故だろうな。それを、ほんの少し、だけ………嬉しいと、思うのは」
もう自分はニコラウスでは無いと言うのに。
オセにも、レライハにも、ニコラウスにも、何の価値も無かった筈なのに。
もう何も覚えていないけれど、
(オレが人間だった頃から求めていたのは、きっと…)
それを思い出す前に、オセの身体は完全に崩れ落ちた。




