第六十六話
「クソが…!」
青白い箱を展開しながら、セーレは吐き捨てる。
片腕だけで粒子を操るのは初めてだったが、ギリギリで護りが間に合った。
呪いの込められた矢は全て防ぎ切り、それがセーレの身体に届くことは無かった。
だが、依然として石化した左腕は動かないままだ。
セーレの左腕を蝕む忌々しい呪いは、段々と広がっているようにも見えた。
「…チッ」
大きく舌打ちをした後、セーレは躊躇なく自身の左腕を切り落とした。
セーレにはシュトリ程の再生能力は無い。
故に、腕を切り捨てれば二度と元には戻らないと理解していたが、迷いは無かった。
呪いが全身に及ぶ前に患部を切除する。
冷徹な程に合理的な判断だった。
(…あの野郎はどこに行った?)
左腕の傷口を抑えながら、セーレは周囲を見渡した。
先程までいた筈のオセの姿がどこにも無い。
まさか逃げたのか、と一瞬思うが、それはあり得ない。
オセの目的である聖櫃は、今セーレのすぐ傍にあるのだから。
「セーレ!」
「…ん?」
その時、セーレの耳に聞き覚えのある女の声が聞こえた。
聖櫃に少し体を預けるセーレに駆け寄ってくるのは、見覚えのある聖女。
「貴様か。何でここにいる?」
「ヴェラさんの悪法が解けたから、こっちに転移で送って貰ったの!」
「………」
「それよりセーレ、怪我してるじゃない! 今、治療するから動かないで!」
「…ああ」
血相を変えて法術を使おうとする姿を見て、セーレはゆっくりと残った右腕を振り上げた。
その動作に治療しようとしていた聖女は、不思議そうに首を傾げる。
セーレはそのまま、その腕を聖女の顔へと振り下ろした。
「切り裂け『空間切断』」
「な、何で…?」
顔を切り裂かれ、血を流しながら『聖女』は言った。
「気色悪い真似してるんじゃねえよ。オセ」
「…くくく! 流石に騙されねえか!」
聖女の口が愉悦に歪んだ。
血塗れの顔が歪み、元の姿へと戻る。
「何で分かったんだ?」
「ふん。コレほど早く法王の悪法が解ける訳も無い。そもそも幾らアイツが馬鹿とは言え、たった一人で来たりはしないだろう」
「なるほど」
豹の怪人を思わせる姿に戻ったオセは、苦笑を浮かべた。
「それにしても中身がオレとは言え、容赦なく攻撃してくれたものだ。契約者だ何だと言っても、そこまで大切には思っていなかったとか?」
「…これ以上、貴様の無駄話に付き合う気はない」
セーレから静かに放たれる怒気に呼応し、周囲を青白い粒子が埋め尽くす。
それは潮のように虚空を流れ、渦を作る。
青白く光る渦の中心には暗く深い『穴』が空いていた。
「瞳を閉じろ。一瞬で終わる」
余裕の笑みを浮かべていたオセが、訝し気に顔を歪める。
「『空間消却』」
「ッ!」
その言葉に悪寒を感じたオセは咄嗟に飛び退く。
瞬間、渦の中心から青白い光が放たれ、通過した空間に存在する全てを削り取った。
破壊では無い。
音も衝撃も無く、そこに存在する全てを消滅させたのだ。
「コレは…ヤバいな!」
顔には笑みを浮かべながらも、オセは内心冷や汗をかく。
セーレが空間を操る悪魔だと言うことは聞いていたが、それは精々空間転移程度だと思っていた。
あらゆる物を切り裂く空間切断も距離さえ取れば問題ない。
そんな風に侮っていた。
「…外したか。最近使ってなかったから、勘が鈍ったか?」
セーレはそう呟きながら、右腕を振り上げる。
それを合図に再び渦が形成された。
「また放つ気か!………だが!」
オセは弓を手にしながら叫ぶ。
「そんな大技、こんな場所で連発して大丈夫かな?」
「…!」
オセが囁くと同時に、渦巻いていた粒子の動きが乱れる。
苦し気に顔を歪めるセーレを見て、オセは予想が当たっていたことを確信する。
「やっぱりな。ここは法力の満ちた清浄な空間なんだぜ? オレ達、悪魔に取っちゃ毒霧に満たされた空間みたいなもんだ」
セーレはこの空間に訪れた瞬間から手に痺れを感じていた。
毒が段々と全身に回るように、
長い時間、この空間にいればいる程に身体が壊れていく。
そしてそれは、人間の性質も取り込んでいるオセには関係無い。
「くくく…この為に時間稼ぎをしていたんだよ! 片腕は失い、身体は法力に蝕まれた! もうアンタに勝ち目は無いんだよ!」
「………『空間消却』」
「なっ…」
勝ち誇るように笑うオセのすぐ近くを青白い閃光が駆けた。
セーレは苦しそうにしながらも、不敵な笑みを浮かべる。
「惜しいな。そのまま馬鹿みたいに笑っていろ、今度こそ当ててやるから」
「…はは! ははははは! まだ戦うか! まだ戦えるか! 面白い!」
狂ったように笑いながら、オセは黒い矢を放つ。
そうだ。
それでこそ、成り代わる価値がある。
自分より弱い『皮』など要らない。
空間を操り、全てを跡形もなく消滅させる悪魔。
その力が、姿が、手に入る。
(そうなれば、ニコラウスもレライハも不要! そして、サマエルの力が手に入れば…!)
きっと素晴らしい存在になれる。
この胸に巣食う虚しさを消すことが出来る筈だ。
「はははは!………あ?」
攻撃を仕掛けようとしていたオセの前で眩い光が走った。
地面に光の陣が浮かび上がる。
「コレは、転移の…」
セーレが何かに気付いたように呟くと同時に、そこに聖女が出現した。
「セーレ!」
「………」
妙に既視感を覚える姿に、セーレは頭を抱えたくなった。
「ヴェラさんの悪法が解けたから、こっちに転移で送って貰ったの!」
先程と一字一句同じことを言う聖女、マナにセーレは思わず拳骨を落とした。
本物だとは分かっていたが、殴らずにはいられなかった。
「痛い!? な、何で無言で頭殴ったの!」
「貴様が俺が思っていた以上に馬鹿だったからだ」
「何で助けに来たのに、そこまで言われるの!?」
あまりの理不尽さに涙目になるマナ。
それを見てもセーレの険しい表情は消えない。
「それで? 法王の代わりに貴様が来たのはどうしてだ?」
「ヴェラさんはまだセシールに治療されているから。私が来たのは、セーレを助ける為だよ」
「………」
「大丈夫、足は引っ張らないよ。その為に『コレ』を借りて来たから」
そう言うと、マナは手に持つ布にくるまれた物をセーレに見せた。
「…そうか。それがあるなら、少しは役に立つか」
「うん。それよりもセーレ、腕が…」
「全部終わってからで良い。まずは決着を付けるぞ」




