第六十一話
「演説、もう始まったね」
大聖堂の前で演説を始めたヴェラを眺めながら、マナは小声で呟いた。
今のマナ達は大勢の人々の前で話すヴェラの後方に並んで立っている。
出来るだけ目立たないように普段とは違う分厚いローブを纏っているが、悪魔の眼をどこまで誤魔化せるかは分からない。
「セーレ。悪魔の気配は感じ取れないのか?」
セシールに言われてセーレは集まった大衆を端から端まで見渡す。
悪魔の視力ならこの場にいる全ての人間を判別することも容易いが、それでも不審な人間は見えない。
「直接見れば分かるかと思ったが、分からんな。この中には居ないのか?」
セーレは僅かに困惑したように呟く。
幾ら人間に擬態するのが上手いとは言っても、それは人間に対しての話だ。
セーレはレライハと出会ったことがあり、彼の放つ魔性を良く知っている。
身体から無意識に放つ微弱な魔性を感じ取れば、正体を見破れると思っていたが…
「…まあいい。不審な動きをした奴がいればすぐに教える。聖女様は権能を使う準備だけしておけ」
「分かった」
「………」
マナへと指示を出し、注意深く周囲を見渡すセーレ。
その真剣な顔をセシールはどこか訝し気に見つめていた。
「…何だ?」
「いや、今回はやけに真剣に取り組んでいるなと思って」
「ハッ、また俺が素直に協力するのは怪しいとでも言うつもりか? 悪いが、俺は嘘は…」
「…そこは特に心配していない」
「あ?」
きっぱりと言ったセシールの言葉に今度はセーレが訝し気な顔を浮かべる。
「お前は悪魔で冷酷だが、嘘はつかない。人間に対等を求める悪魔だ。そこだけは、信用している」
セシールは言葉を選びながらそう言った。
セシールは悪魔嫌いであり、当然セーレのことも嫌っている。
だが、だからと言ってその人格を全て否定するようなことはしない。
悪魔だから、とセーレへの理解を放棄することは決してしない。
境遇や種族の偏見で人格を否定されることは、セシールが何よりも嫌うことであるが故に。
だから、セシールは嫌っているなりにセーレのことを理解しようとしていたし、決して嘘をつかず、むやみに人を殺さないことだけは信用していた。
「ふん、それじゃあ何が心配なんだ?」
「心配と言う訳では無いが、お前は今回やけに物分かりが良いと言うか…うーん」
この違和感を何と言えば良いのかと迷いながら、セシールはそれを口に出す。
「…どこか、張り切っているように見えるんだが」
「張り切っている? 俺が?」
無意識のことだったのか、セーレは少し驚いたように目を見開いた。
張り切っている、とはどう言う意味だろうか。
それは法王を護ることに積極的になっていると言う意味か?
確かに契約した訳でも無いのに入れ込み過ぎのような気がするが、それも成り行きで…
「ッ…! 来たぞ」
そこまで考えた所で、セーレはそれに気付いた。
悪魔の眼が捉えたのは、演説するヴェラに向かって弓を構える緑衣の男。
引き絞られた弓から、矢が放たれる。
「チッ!」
それを確認した瞬間、セーレの身体が青白い粒子の中に消える。
転移した場所は、自身より僅か前方。
丁度、ヴェラと弓兵の間を遮るように転移した。
「ハッ、弓野郎め。七柱最速のセーレ様を舐めるな」
放たれた矢より早く移動したセーレは余裕を以て、矢を掴み取る。
レライハの悪法が込められていようと関係ない。
使徒を殺すレライハの毒は、悪魔に対しては何の効果も無いのだ。
「セーレ! ヴェラさん、無事ですか!」
首を傾げるセーレに遅れて、マナとセシール、ニコラウスがやってくる。
「…次の矢が飛んでくるかも知れません。ニコラウスさんは前に出て、弓兵を探して下さい。マナさんは見つかり次第、権能を…」
「分かりました」
「はい!」
狙撃からすぐに冷静さを取り戻したヴェラは皆に指示を出していく。
矢を放った者はヴェラも確認したが、大衆は今の出来事で混乱し始めている。
混乱する大衆に紛れてしまったら、下手人を取り逃がしてしまう。
「…その必要はない。今の弓兵はレライハじゃない」
「セーレさん?」
驚くヴェラの前でセーレは握り潰した矢を見せた。
それは何の変哲もない木の矢だった。
レライハの毒矢では無い。
恐らく、セーレが目撃した緑衣の弓兵も偽者。
本物は…
「流石はセーレ。七柱最速の名は伊達じゃないですね」
パチパチと拍手する音がどこからか聞こえた。
この混乱に乗じて近付いていたのか、ペラギアが笑みを浮かべて立っていた。
十を超える緑衣の弓兵を、ヴェラを取り囲むように展開しながら。
「ですが、必死になって法王を護ったりしたら強欲の悪魔の名が泣きますよ?」
ペラギアが手を振り上げる。
それは合図だった。
周囲に展開された弓兵達に対する攻撃命令だった。
レライハの恰好をした男達だが、当然ながら全てがレライハと言うことはない。
レライハはたった一人であり、それ以外は全て恰好だけ真似た偽者。
セーレであっても、ニコラウスであっても、放たれる矢を全て防ぐことは容易ではない。
いや、仮に防いだとしてもこの中に本物がいると言う根拠も無い。
必死になって全ての矢を防いだ隙をつき、本物の毒矢が放たれる可能性もあるのだ。
(ここは…!)
「マナ=グラース! やれ!」
「分かった! 権能『神の慈悲』」
セーレの声を聞き、マナは権能を発動させる。
マナの権能は悪法さえも弱体化させる。
その範囲はこの場にする全ての人間を包み込む程であり、どの矢が本物であっても、必ず防ぐ。
黄金の光が緑衣の弓兵達を包み込む。
しかし、彼らに何の反応も無かった。
放たれた矢も、全て普通の矢だったようでニコラウスとセーレに叩き落とされた。
「キキ…キャハハハハ!」
変貌したのは、ペラギアだった。
黄金の光を浴びた部分から、ペラギアの顔が『溶ける』
ペラギアだった物が蝋のように溶けていき、中から小柄な少女が現れた。
マナと同じ、蜂蜜色の髪を持つその少女は、
「サロメ…?」
マナは呆然とその名前を呼ぶ。
ペラギアが用意した部下達の中にレライハの姿が無かった。
だから、ヴェラの予想通りペラギアにレライハが憑依しているのだと思った。
マナの権能によってペラギアからレライハが出てくるのだと。
しかし、ペラギアの正体はサロメだった。
なら、
なら、レライハは一体どこに…?
「―――ここだよ。愚かな使徒共」
ドスッと鈍い音を聞いた。
それと共にヴェラの身体がゆっくりと倒れていく。
毒々しい黒い矢が、ヴェラの胸に突き刺さっていた。
「何故…」
驚愕に見開いたマナの目が『その人物』を捉える。
今まで見たこと無いような酷薄な笑みを浮かべ、黒い弓を握った人物。
その手に、先程まで握っていた『聖剣』は無い。
「何故、あなたがレライハなのですか…! ニコラウスさん!」
マナの叫びに、ニコラウスは悪魔のように嗤った。




