第六十話
聖誕祭当日。
賢者カナンの誕生を祝うべく、聖都には大勢の人が溢れていた。
今日この日を無事に迎えられたことをカナンに感謝する者、
明日からも人々を護るべく戦い続けることをカナンに誓う者、
皆が笑みを浮かべて聖都を歩いていた。
「…ふふ」
その活気のある風景を見ながらヴェラは笑みを零す。
この風景こそが、カナンがヴェラに託した物だ。
誰の為でもない。
ただ、ヴェラ自身がこの風景を愛したからこそ、今まで護り続けてきた。
「オズワルド」
「…何ですか?」
何かの資料を整理していたオズワルドは手を止めずに答えた。
ヴェラは朗らかに笑いながら、手元に置いてある紙を取る。
「…法王の演説って、本当に私がやらないと駄目?」
「駄目です。当然でしょう。何言っているんですか」
「だってさ! 何ですか、この人も殴り殺せそうな厚い紙の束は!? 私、コレ全部覚えないといけないんですか!?」
聖誕祭に於ける法王演説文をバシバシと叩きながらヴェラは悲鳴に近い声を上げた。
ヴェラとしては一言でも良いと思っているが、オズワルドがそれを許さない。
「毎年のことでは無いですか」
「毎年言いますよ! 良いですか、演説と言う物はただ長々と話せば良いと言う訳ではありません。要点を的確に相手に伝えることが何より大事なのです!」
「…そうは言いつつも法王様、もう全て暗記出来てますよね?」
「あぁ! 生真面目で責任感強い自分が憎い!」
何だかんだ文句を言いながらも徹夜で中身を暗記してしまったことに、ヴェラは嘆く。
がっくり、と肩を落として机に伏した。
その子供っぽい仕草にオズワルドは息を吐く。
以前から仕事の時はきっちりしながらも、プライベートでは子供っぽい一面を見せていたが、その頻度が最近は明らかに増えていた。
マナ達と関わるようになったからだろうが、それは良いことなのか悪いことなのか。
「…それで、ペラギアの方はどんな感じなのですか?」
法王モードに切り替わったのか、ヴェラは幾分低い声で聞いた。
「バジリオの報告では、法王様の演説の一時間ほど前に屋敷に呼ばれています。恐らく、演説に合わせて仕掛ける準備をするのかと」
「何を仕掛けて来るかはバジリオさんにも話していない、か。あちらからあまり信用されていないのかも知れませんね」
元々ペラギアは疑り深い性格であるし、バジリオは彼女の嫌いな使徒だ。
道具のように扱うつもりで、重要なことは打ち明けていないのだろう。
「あちらから仕掛けて来るまでは待つしかありませんか」
敵にレライハがいる以上、先手を譲るのは危険だが、どうしようもないことだ。
相手はこの聖都でヴェラに気付かせない程の隠密性を備えている。
(…そう、それだけが不思議ですね)
レライハはどちらかと言えば、自己主張の激しい悪魔だった。
直接的な戦闘を好み、魔性による搦め手を嫌うような男だった。
それが人間に憑依し、違和感すら感じ取れない程に擬態するなど。
何かが、おかしい。
「ま、マナ様。き、緊張しておられませんか?」
大聖堂に設けられた控室にて、ガチガチに固まったセシールが言った。
口ではマナのことを心配しているが、明らかに本人の方が緊張している。
「大丈夫だよ。セシールこそ、そんなに冷や汗かいて大丈夫?」
「そ、そりゃあ冷や汗もかきますよ…だって」
控室の窓からセシールは外を指差した。
そこには法王の演説を求めた大勢の人々が集まっている。
「こんな大勢の人の中からレライハを見つけないといけないんですよ…!」
そう、セシールの想像以上に人が集まり過ぎていた。
レライハが憑依した人間がペラギア自身なら話は簡単だが、そうではないかも知れない。
その場合、ここにいる全ての人間が犯人候補なのだ。
「私が権能を使って炙り出すから大丈夫」
「で、でも、それより早く攻撃されたらどうするんですか?」
レライハの矢は、一撃必殺の毒矢だ。
ただ掠るだけでも、使徒にとっては致命傷。
それを法王が受けてしまったら…
「おいおい、忘れたのか。そもそも聖女様の権能は悪法すら弾くんだろ?」
セーレは楽観的な笑みを浮かべていった。
レライハの毒矢も、悪法には変わりない。
マナの権能を展開すれば、レライハを炙り出すだけでなく、その攻撃を封じることも出来る。
「居場所さえ分かればこっちのもんだ。奴の悪法は俺には効かない。一方的にぶち殺す」
「それは駄目だってオズワルドさんに言われたでしょ? 聖誕祭で悪魔が暴れたら皆、びっくりするから」
窘めるようにマナが言った。
今回のセーレの役目はマナやニコラウスのサポート。
レライハを倒すのはニコラウスやヴェラがするので、余計な騒ぎを起こさないでくれと朝からオズワルドに頼み込まれたのだ。
「………」
「…ん? ニコラウスさんも緊張しているんですか?」
ニコラウスが先程から一言も喋っていないことに気付き、マナは首を傾げた。
「…いや、そう言う訳では無い。悪魔と戦うのは慣れている」
「そうですか、流石ですね!」
「………」
笑みを浮かべるマナを、ニコラウスは憂鬱そうな目で見ていた。
どこか悲しそうな雰囲気には気付かず、マナはニコラウスの手を取る。
「今日は共に戦う仲間ですね。頼りにさせていただきます!」
マナも少し緊張して気が昂っているのか、いつもより元気よく叫ぶ。
その姿が、
その声が、
ニコラウスの脳裏に過ぎる少女と重なる。
「なあ、もし…」
「もし?」
「…いや、何でもない」
何かを言いかけて、ニコラウスは苦虫を嚙み潰したような表情で止めた。
「何でもないんだ」
「…?」
約束の時刻より少々早く、バジリオはペラギアの屋敷を訪れていた。
扉を数回ノックしたが、悪趣味な程に派手な屋敷から物音の一つ聞こえない。
「早く来すぎたか?」
首を傾げながらバジリオが扉に手をかけると鍵は掛かっていなかった。
扉を完全に開いて中を覗き込むが、やはり人の気配すら無い。
「まさか元から僕を計画に加える気は………ッ!」
言いかけてバジリオは血相を変えた。
急いで中に入り込むと『臭い』は段々と強くなっていく。
それは歴戦の使徒であったバジリオにとって馴染み深い物。
血の臭いだ。
「いた…!」
臭いを辿って屋敷を走ると、床に倒れている女を見つけた。
「チッ、コレは酷いな。息はあるみたいだが、傷が多すぎる」
女の下に駆け寄ってからバジリオは顔を歪める。
幸い、致命傷は無いが全身傷だらけだ。
コレは殺害目的と言うよりは、拷問目的。
命に関わらない痛みだけ与えようとして付けられた傷だった。
「う、うう…」
「おい、大丈夫か。意識はあるか?」
バジリオに治癒法術は使えないので、治療は他の者に任せるしかない。
今はペラギアの行方が気になる所だが、この女もペラギアと無関係ではないだろう。
何か知っていることがあるかも知れない。
そんな打算も考えながら、バジリオは呻き声を上げる女の顔を見る。
「なっ…!」
その顔を見て、バジリオは思わず絶句した。
暴力と拷問によって歪んだその女の顔は、
「お前は、ペラギア…!」
この屋敷の主人であるペラギアだった。
「だ、誰なの?」
「バジリオだ! お前一体、どうして…!」
「…バジリオ?」
ペラギアは不思議そうに繰り返した。
その反応に、バジリオは嫌な予感がした。
何か、何かとんでもないことが起きているような気がする。
「お前、いつから拷問されていた?」
「拷問………な、何日も前からよ。覚えていないわ」
「…ッ」
怯えながら言ったペラギアの言葉に、バジリオは確信した。
ここにいるのは本物のペラギアだ。
ペラギアは何者かに監禁され、自分の屋敷で拷問を受けていた。
なら、
昨日までバジリオと接していたペラギアは、誰だ?




