第五十八話
「………」
ヴェラが去った後、ニコラウスは無言でマナを見ていた。
仰々しい鎧に身を包んだ男に睨むように見つめられ、マナの身体が強張る。
「クララとは…」
「え?」
「クララとは、知り合いだったのか?」
「いや、知り合いと言う程では…一度会っただけで」
「…そう言えば以前、クララがアンタのことを話していたな。憧れている、とか」
今思い出したようにニコラウスは言った。
その顔は懐かしむような悲しむような複雑な表情を浮かべている。
「………」
一度しか会っていないが、クララはマナから見ても善良で優しい少女だった。
ニコラウスが戦いにクララを連れて行かなかったのは、彼女が役に立たないからではなく、その身を案じていたからだろう。
彼女に従士としての戦力以上の価値を感じていたからこそ、今悲し気な顔を浮かべているのだ。
「クララとは幼馴染、だったのですか?」
「そうだ。アイツとは、俺が聖剣なんかを手にする前からの付き合いだった」
「聖剣なんか、とは酷い言い草だな。まるでそれを嫌っているように聞こえるぞ?」
二人の会話を聞いていたセーレが興味本位で尋ねた。
セーレの質問にニコラウスはため息をついて、目を逸らす。
「そう思ってくれて構わない」
「何故ですか? 使徒ニコラウス、アナタは聖剣に選ばれた使徒の筈では?」
今度はセシールが不思議そうに言った。
聖剣と言う力を手に入れたニコラウスに多少の羨望があったのかも知れない。
そんなセシールの心を見透かしたのか、ニコラウスは苦い顔を浮かべた。
「…コレはきっと、贅沢な悩みなんだろうな」
一言そう言って、ニコラウスは鞘に収められた聖剣を睨んだ。
「俺は別に、使徒になりたくてなった訳じゃない。たまたま俺の村に教会の人間が訪れ、偶然にも俺はそれに触れてしまっただけだ」
「偶然?」
「聖剣を抜くのなんて、簡単なんだよ。別に人間離れした筋力がいる訳じゃない。ただ、聖剣と相性が良ければそれだけで良い」
今までの歴代聖剣使いがどうだったのかは知らないが、少なくともニコラウスはそうだった。
特に難しいことはしていない。
神様に導かれた訳でも、試練を超えた訳でも無い。
子供でも持てるような軽い剣を、ただ鞘から抜いただけだ。
たったそれだけで、ニコラウスの人生は一変した。
「…軽い気持ちだったんだよ。運試しのつもりで、聖剣に触れたんだ。数人のダチと一緒に頼み込んで試させて貰ったんだ」
自分が特別な人間だなんて思ったことは一度もなかった。
聖剣に選ばれるなんて、夢にも思わなかった。
「そこのお嬢さんは知っているだろうが、使徒になると同時に周囲の眼は変わったよ。実の親ですら俺を何か神聖な物のように扱った」
親が、友人が、自分を何か別の存在のように扱う。
自分達を助けてくれる存在、導いてくれる存在と『期待』した目を向ける。
ニコラウス自身は、何も変わっていないと言うのに。
「アイツだけが………クララだけが、変わらなかった。俺が使徒に選ばれた後も変わらず接してくれたんだ」
だから、ニコラウスはクララを従士に任命した。
クララが役に立つからではなく、ただ傍にいてくれるだけで救いとなるから。
自分が自分のままでいられるから。
「クララのこと、本当に大切に思っていたんですね…」
「…余計なことまで喋り過ぎたな。アイツが死んで感傷的になっているのか」
ニコラウスは自虐するような笑みを浮かべた。
普段はこんな会って間もない人間に悩みを打ち明けたりしない。
どちらかと言えば、ニコラウスは同僚にもあまり心を開かないタイプの人間だった。
事実、今までの任務でも他の使徒と共闘したことは一度も無かったのだ。
「…俺はクララを殺した奴を赦さない。絶対にこの手で殺して見せる」
ニコラウスは鋭い目つきでマナを見つめた。
「明日、俺の邪魔だけはするなよ」
「ハン、一度レライハに負けた奴が、本当に殺せるのか?」
「………」
嫌味を吐いたセーレを殺気立った目でニコラウスは睨み付けた。
それをむしろ心地良さそうにセーレは笑みを浮かべる。
「出来る出来ないじゃない。俺がやらなければならないことだ」
「ぷくく…まあ、そう言う考えは嫌いじゃねえけどよ」
皮肉気に笑うセーレから目を背け、ニコラウスは息を吐いた。
言うべきことは言ったとでも言うように歩き出す。
「どこへ行くんですか?」
「…ペラギアの屋敷だ。別に襲撃をかけるつもりじゃないが、黙って待っているのも性に合わない」
ヴェラ曰く、ペラギアがクララ殺しに関わっているのは確実なのだ。
問い詰めることで何か情報を得られるかも知れない。
明日を前に余計なことかもしれないが、手掛かりが前にあるのにジッとしていることは出来なかった。
「それなら私も行きます」
「あ?」
「だって、一人で行くよりも皆で行った方が安全ですよ」
マナの言葉に、ニコラウスは訝し気な表情を浮かべた。
「お前には関係ないだろう」
「関係なくないですよ。私達は皆、ケイナン教徒。同じ神様を信じる仲間じゃないですか」
満面の笑みを浮かべて言うマナに、ニコラウスは呆気に取られた。
使徒とは孤独な物だ。
一般人からは期待され、同じ使徒同士であっても、正義や信仰の違いから手を取り合うことは少ない。
仲間などと、そんな言葉を吐くのは従士だけだと思っていた。
「マナ様が行くなら私も行きます」
「俺も。その女にも多少興味があるしな」
従士のみならず、悪魔までがマナに従って後に続く。
それをニコラウスは不思議そうに眺めていた。
「立派な屋敷だね…」
「でも、何と言うか悪趣味ですね」
ペラギアの屋敷を見たマナとセシールがそんなことを言う。
その近くに立つセーレも微妙な表情を浮かべていた。
「金だけは掛けているみたいだな。見栄えだけ重視して中身がボロボロ。持ち主を表しているようだ」
「枢機院だからな。金だけは持っているのだろう」
ニコラウスはあまり感情を込めずに言った。
「権能を失い、戦う力もなく、もうそれしか残っていないのだろう。奴らからすれば、俺の悩みこそが贅沢に聞こえるだろうがな」
使徒に選ばれたことで苦悩したニコラウス。
一方で使徒に選ばれないことで苦悩する者もいる。
神様ってやつは残酷だ、とニコラウスは思う。
欲するものに与えず、欲しないものに与えようとする。
「…誰か屋敷から出て来たよ?」
屋敷の入口を眺めていたマナがふと呟いた。
「あれって…!」
出てきた人物を見たセシールが、驚いたように目を見開く。
ペラギアの屋敷から出てきたのは、バジリオだったからだ。
「まさか聖都を裏切って、あちら側についたのか?」
「そんなまさか…」
「ッ!」
セーレとマナの会話を聞き、セシールは居ても立っても居られず、走り出す。
それを止める間もなく、セシールはぼんやりと歩いていたバジリオの下に辿り着いた。
「ん? お前は、トリステス…」
「確保ー!」
「な、何をする!」
首を傾げたバジリオをあっと言う間に無力化するセシール。
権能を使う余裕も無かった。
「な、何だ!? 反逆? 反逆なのか!?」
羽交い締めにされたバジリオは慌てて抗議の声を上げる。
やがて、ゆっくりと自分に近付いてくるマナ達に気付く。
「丁度良い所に! 使徒グラース、お前の所の娘が乱心したぞ…! 助けてくれ!」
「その前に、尋問が先だろう」
「うげ…! セーレ。お前まだグラースの下にいたのか…」
マナの隣に立つセーレを見て、バジリオは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
ソレーユ村で殺されかけた一件は、未だ忘れていない。
「貴様は法王を裏切って、枢機院の側についたのか?」
「はぁ!? どう言う…」
訳が分からない、と表情を浮かべたバジリオはすぐにペラギアの屋敷を見て状況を理解した。
「…なるほど、僕が屋敷から出てきたから疑っている訳か」
「そうだ。正直に答えないと、痛くするぞ!」
「痛たたたた!? 既に痛いんだが!? 分かった。分かったから!」
ギリギリと痛む腕に悲鳴を上げて、バジリオは涙目でマナを見た。
「僕は確かにペラギアと接触した………だが、それは全て法王様の為でもある」
「…どう言うことですか?」
疑うような眼で見つめるマナを見ながら、バジリオは口を開く。
ペラギアに接触した自身の目的を。
「僕は、法王様暗殺を企むペラギアの下に潜り込んだ『スパイ』なんだよ」




