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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
三章
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第五十七話


「ヴェラさん?」


オズワルドを連れて現れたヴェラを見て、マナは不思議そうに声を上げた。


その隣にいるセシールは状況を理解したようにマナの肩を叩く。


「マナ様、この方は…」


「セシールさん。自己紹介くらい自分でさせて下さい」


「は、はい…すみません」


青褪めて慌てて頭を下げるセシールに、マナはますます訳が分からないと言った顔を浮かべた。


そんなマナに苦笑を浮かべ、ヴェラは大袈裟な仕草でマナの前に立つ。


「巷で有名な美人店主ヴェラさんは世を忍ぶ仮の姿…!」


何やら熱が入ったように、ヴェラは両手を振り上げる。


呆れたようなセーレの顔が見えたが、敢えて無視した。


「この私の本当の名前は…!」


「法王ヴェロニカ=アポートル様です」


恰好付けていたヴェラに水を差すように、淡々とオズワルドが言った。


手を振り上げた姿勢で固まったヴェラは無言でオズワルドを睨む。


子供のように睨むヴェラに、オズワルドは頭痛を感じた。


「………え? ヴェラさんが、法王様?」


驚くタイミングを外したマナが遅れてヴェラの正体を理解する。


「そうだ。まあ、聖女様以外は皆知っていたがな」


「ええ!? それ本当なの、セーレ! セシール!」


バッとマナはセシールに視線を向け、セシールは気まずそうに眼を逸らした。


特に悪いことはしていない筈だが、マナに隠し事をしていたこと自体が後ろめたいようだ。


「セシールさんを責めないであげて。彼女はただ、権力に屈しただけですから!」


「確かにその通りですけど! それをあなたが言うんですか!? 権力行使したあなたが!?」


ヴェラのフォローになっていないフォローにセシールは涙目で叫んだ。


前々からヴェラは何かと自分に厳しくないだろうか、とセシールは思う。


「…法王様。女子会を続けるつもりなら、俺は帰りますが」


「ああ、ごめんなさい。すぐに本題に移るわ…と言うか、キミ女子会なんて言葉知っていたのですね?」


ストイックかつ真面目で知られるニコラウスの意外な一面に、ヴェラは首を傾げた。


だが、また脱線すると本当に帰ってしまうかもしれないので好奇心は抑える。


「コホン。気を取り直しまして。法王である私から、あなた方にお願いがあります…」


チラリ、とヴェラは近くに控えるオズワルドへ目を向けた。


「大丈夫です、法王様。既に法術で人払いは済んでいます」


「ありがとう。今の聖都は少々危険ですからね」


「…危険」


マナが思わずヴェラの言葉を繰り返す。


先程知った殺人事件のことを思い浮かべたのだろう。


「そう、危険です。ですから、あなた方には明日の護衛を頼もうかと思っているのですよ」


「明日? 聖誕祭のことですか?」


「そうです。どうやら今の聖都には悪魔が忍び込んでいるようなのです」


ヴェラがそう言うと同時に、ニコラウスの視線が静かに話を聞いていたセーレに向く。


何故かマナとセシールまでセーレの顔を見ていた。


「…俺のことじゃねえよ! 俺は前からいるだろうが!」


「あ…ご、ごめん」


恥ずかしそうに頬を掻きながら、マナがセーレから目を逸らした。


当然ながら、ヴェラが言っているのはセーレのことではない。


聖都に侵入し、クララを殺害した者。


「傲慢のレライハか」


「ええ、クララさんの状況から推測するに、その可能性は高いでしょう」


「レライハはもう死んだと聞いていたんだがな」


セーレは咎める様な視線をヴェラに向けた。


ヴェラが嘘をついたとは思っていないが、情報に間違いがあったようだ。


「レライハは生きている。つい先日、俺は奴と戦った」


「本当ですか? 外見はどんな感じでしたか?」


「狩人を思わせる緑衣に弓。無尽蔵に生成される黒い矢。伝承に語られるレライハそのものでしたよ」


ニコラウスの報告に、ヴェラは頭を悩ませる。


その風貌は、百三十年前にヴェラが交戦したレライハと全く同じだった。


服装だけなので他人が真似しようとすれば出来ないことも無いが、悪法まではそうはいかない。


セーレも特に反応していないので、彼の知るレライハとも変わりないのだろう。


「セーレ。黒い矢って、クララに刺さっていた…」


「あ? ああ、そう言えば説明が途中だったな。黒い矢ってのはレライハの悪法『傲慢オルグイユ』のことだ。別名『使徒殺しの黒い矢』」


「使徒殺しとは…物騒な名前だな」


言葉だけで何となくその悪法の効果を悟り、セシールが強張った表情を浮かべる。


「この矢はその名の通り、使徒を殺す毒矢だ。あの命令男の権能に少し似ているか? 対象の持つ法力の強さに応じて毒は殺傷力を増すんだ」


ただの人間にとっては普通の矢。


しかし、その毒は使徒としての力が強ければ強い程に脅威となる。


神の力を得ると共に驕っていく、人間の傲慢を罰するように。


「まあ、法王なら掠り傷でも致命傷だろうな」


「………」


あっさりと言ったセーレの言葉にヴェラは答えない。


その言葉は真実だった。


例えどれだけの法力や法術で防壁を張ろうと、毒はそれだけ強くなってヴェラを殺す。


万が一にでも触れれば、それだけで死んでしまうだろう。


百三十年前の時にヴェラがレライハに勝てたのは、単純に矢を放たれる前に倒すことが出来たからだ。


「護衛の件は了承して貰えますか?」


「それは構いませんけど、既に護衛の方はいるのでは?」


「そいつらが信用できないから、こうして俺達の前にいるのだろう」


不思議そうに首を傾げるマナに、ニコラウスはぶっきらぼうに言った。


「聖誕祭を取り仕切っているのは枢機院の連中だ。枢機院、特にペラギア=アリストクラットは法王様に叛意を抱いていると言う噂もある」


「それって…」


悪魔から命を狙われているが、護衛の枢機院は信用できない。


ここまで言われて理解できない程、マナは頭の回転が悪くなかった。


「ペラギアは悪魔と手を組んだ、と私は推測しています」


「そんな…! 枢機院が聖都を裏切るなんて…!」


驚きの声を上げるセシール。


色々と噂は立っているが枢機院はカナンの弟子の末裔だ。


聖都を裏切ることだけはしない、と信じていたのに。


「そもそも、レライハが私に気付かれずに聖都に侵入したこと自体が不可解なのです。恐らくですが、レライハは…」


「憑依、か」


「ッ!」


ぽつり、とセーレの呟いた言葉にマナの肩が跳ねる。


憑依。


セーレが以前言っていた悪魔の持つ能力の一つ。


力の弱い悪魔が身を守る為に、人間に取り憑く行為。


「ええ、その通りです。流石の私も人間の皮を被った悪魔までは見抜けません。レライハはペラギアの手の者…若しくはペラギア本人に憑依しているのでしょう」


だからこそ、レライハは人間であるペラギアと手を組む必要があった。


悪魔だけでは瞬く間にヴェラに感付かれてしまう。


レライハは百三十年前に一度ヴェラに負けている。


ならば、正面から戦うのは避けようとするのが普通だろう。


何より、レライハの悪法は暗殺に特化しているのだから。


「その枢機院をさっさと拘束したら駄目なのか?」


「…それは難しいでしょう。レライハが誰に憑依しているか分かりませんし、相手が相手ですから間違えましたでは済みません」


セーレからすれば疑わしい奴はさっさと始末したい所だが、ヴェラの立場ではそれも出来ない。


枢機院はそれだけの地位を持っているのだ。


出来れば、その相手に悪魔が取り憑いていると言う確信が欲しい。


「ヴェラさん…あ、いや、法王様」


「ヴェラさんで良いですよ。何ですか、マナさん」


「ええと、私の権能でレライハを身体から追い出すことって出来ませんか?」


マナは恐る恐る自分の考えをヴェラに伝える。


「三年前、私は村に来た悪魔を追い払ったことがあるんです。私の権能に人を傷つける力は無いし、範囲も一番広いと思うんです」


「…そうですね」


ヴェラはその提案に考え込む。


元々マナは戦闘能力と言うよりは、毒矢を受けた者が出た時の毒を解く役を期待していた。


マナの権能がアンドラスの悪法にすら効果があったことは既に報告を受けている。


レライハの毒矢を解毒することが出来るかもしれない。


「憑依にはかなりの集中力がいる。権能で脅かすだけでも、多少の違和感が出るだろう」


セーレはマナの意見を肯定するように告げた。


人間に憑依して成り済ましているレライハが少しでもボロを出せば、そこをヴェラやニコラウスが攻撃することができる。


「分かりました、それで行きましょう。決行は明日の聖誕祭当日。レライハは必ず現れる筈です」


「ちょっと待って下さい。本当にこの娘に任せるのですか?」


ニコラウスは渋い顔で異議を唱えた。


七柱の一体であるレライハが倒す要がマナであることに不安があるようだ。


「ニコラウスさん。あなたがクララさんを殺したレライハを憎んでいるのは分かります。だからあなたにも護衛を頼んでいるのですよ」


いくらマナの権能が要とは言え、マナ自身の戦闘能力は低い。


だからこそニコラウスにも護衛を頼むのだ。


今、聖都にいる者の中でヴェラに次いで戦闘能力の高い使徒であるニコラウスに。


「………」


まだ納得していない様子のニコラウスの顔を覗き込むヴェラ。


「マナさんはあなたより年下ですが、使徒としては一年先輩ですよ? 先輩は敬う様に」


少しおどけたように笑いながらヴェラは言った。


「良い機会ですから、少し会話して打ち解けて下さいね。明日、共に戦う仲間なのですから」


言うが早いか、ヴェラはオズワルドを連れて立ち去ってしまった。


後には仏頂面のオズワルドと困惑したマナ達がその場に残された。








「何で使徒ニコラウスの従士を殺したんだ?」


ペラギアの屋敷にてバジリオは屋敷の主と向き合っていた。


来て早々に物騒なことを言うバジリオにペラギアは紅茶を淹れていた手を止める。


「急に来たから何かと思えば………どなたの話です?」


「クララとか言う娘の話だ。昨夜、殺されたらしい」


「それは物騒ですね。私は詳しく知りませんが、古い『お友達』からでも聞いたのですか?」


ペラギアが笑みを深め、暗い眼でバジリオを見つめる。


お友達、とはオズワルドのことだろう。


疑っているのだ。


バジリオが未だ法王側と連絡を取っているのかと。


「…殺す必要は無かった筈だ。何のメリットにもならない。むしろ、デメリットばかりだ」


何の脅威でもないクララをわざわざレライハの毒矢を使って殺害する。


そんなことをすれば、ヴェラは当然レライハを警戒するだろう。


護りは以前より厳重になるだろうし、毒矢に対する対策だって組む。


「そう、デメリットばかりです。だから、私の仕業ではありませんよ。どこぞの悪魔が勝手にやったのでしょうよ」


「…悪魔がやった、とは一言も言っていないがな」


「…そうでしたか?」


惚けるようにペラギアは笑う。


今のやり取りでバジリオは確信した。


ペラギアはクララ殺しに関わっている。


あの殺しには何か意味があるのだ。


クララが死ななければならない理由、若しくはクララを殺さなければならない理由があった。


「質問は以上ですか? なら、私からも一つ質問です」


「何だ?」


「簡単な質問ですよ…『神に人の心はあると思いますか?』」


暗い闇を感じる笑みを浮かべ、ペラギアは言った。


その質問に、少し考えた後にバジリオは口を開く。


「否。神は人間を超越してこその神だ。神に人間のような心があれば、それは思うままに暴れる単なる化物だろうよ」


迷うことなくバジリオは断言した。


「素晴らしい! そう言うと思いましたよ!」


ペラギアは童女のような笑みを浮かべて言った。


「それが分かっていない人間が多すぎる。神に祈るのは勝手ですが、神に心は無い。どれだけ祈った所で有象無象の命を救う筈がないじゃないですか!」


信仰とは本来見返りを求めない物だ。


それなのに、いざ危機に見舞われると容易く神の手を求める。


「神は平等ではなく『均衡』を愛する。例え個人が不幸でも、全体の釣り合いが取れていれば、気にしないのが神と言う物です」


ペラギアは笑っている。


笑っているが、同時に全てを憎悪している。


バジリオはまた、ペラギアから人ならざる気配を感じた。








「あと少し。あと少し…」


バジリオが帰った後、ペラギアは屋敷の地下室へ降りて行った。


「ああ、こんな風に悪巧みしている時が一番愉しいですね」


この計画を完遂させた時、法王はどんな顔をするだろうか。


想像するだけで笑いが止まらない。


ペラギアは地下の扉を開け、そこに転がっている女へ目を落とす。


「い、いや…! やめ、て…!」


「こうして誰かが苦しむ姿を見ていると、やはり神は人を救う気が無いのだと改めて思いますねー」


恐怖に怯える女を見ながら、ペラギアは嗤う。


「や、やめて下さい! もう知っていることは全部、話したから…!」


「何を言っているんですか?」


ペラギアは悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「そんなこと、もうどうだって良いんですよ」

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