第五十六話
ニコラウスが聖都に帰還した翌日、
明日に控えた聖誕祭の準備をしていたヴェラは、早朝からの凶報に顔を顰めた。
「それは、本当ですか?」
「間違いありません」
オズワルドは表情の無い顔で頷く。
部下の報告書を見ながら、淡々と事実を告げた。
「昨夜、使徒ニコラウスの従士が死亡しました」
「ニコラウスさんの従士………クララ、と言ったかしら?」
「はい。状況から察するに、他殺と思われます」
「他殺…」
昨日、ペラギアが不穏な動きをしていると報告を受けたばかりだと言うのに、今度は殺人。
時期的に無関係とは思えないが、ペラギアにクララを殺す理由があるだろうか?
ニコラウスなら法王を暗殺する上で障害となるかも知れないが、その従士を殺害する必要は無い。
偶然、別の誰かに殺された?
ヴェラはクララとは面識が無いが、それでも人に恨まれるような人間だったとは聞いていない。
その線は薄いだろう。
「法王様。殺害現場にコレが…」
「ッ!」
重々しくオズワルドが差し出した物を見て、ヴェラは目を見開いた。
白い布に包まれ、厳重に封印が施されたそれは、一本の『矢』
先端から羽根まで黒一色に染まった毒々しい矢だ。
それに、ヴェラは見覚えがあった。
「レライハの毒矢…!」
「やはり、そうでしたか。法術使い十人がかりで漸く封印できる程の呪いが込められていたので、もしやと思ったのですが…」
「…クララさんはコレで殺されたと言うのですか」
「恐らく。遺体からは、悪魔に呪われた者特有の『痣』が複数見つかりました」
「………」
ますます、分からなくなってきた。
レライハは既に死んだ筈だ。
他ならぬヴェラ自身が、この手で倒した。
それが生きていて、この聖都に潜んでいる?
何の為に?
(…法王暗殺計画)
ペラギアは法王の暗殺を企んでいる。
そして、レライハの能力は誰よりも暗殺に特化した能力だ。
この毒矢で射抜かれれば、ヴェラであってもひとたまりもないだろう。
(ペラギアは悪魔と手を組み、レライハを聖都に導いた。恐らく、ペラギアと悪魔の間を取り持った者がいるのでしょう)
ヴェラの頭に、マナの妹の姿が浮かぶ。
悪魔に魂を売った彼女も何らかの形で関わっていると思って間違いないだろう。
(しかし、人間であるペラギアやサロメはともかく、レライハが聖都に侵入して私が気付かないと言うのは妙ですね)
聖都にはヴェラの権能『神の番人』が常に展開されている。
コレは聖都内の全ての人間を護る防御であると同時に、侵入した悪魔を自動的に迎撃する攻撃でもある。
聖都に入った悪魔は瞬く間に居場所を察知され、弱体化する。
それが四百年経とうと悪魔達が攻め落とせない聖都の護りだった。
(…聖誕祭は明日。私も動かなければ、朽ち果てるのみですか)
「今日は法術の訓練はしないの?」
「そうですね。昨日からバジリオは忙しいみたいでして」
噴水のある広場でマナとセシールはベンチに座っていた。
「そう言う貴様達は暇そうだな。聖誕祭は明日じゃなかったのか?」
二人からやや離れた所で木を背にしているセーレは言った。
セーレの疑問に、マナは深いため息をつく。
「何か伝統ある祭典だから、私達は手伝っちゃいけないみたい。邪魔だから外に出ていてくれって言われちゃったんだ」
「取り仕切っているのは枢機院の方々ですからね。あの人達は特に、若い使徒を嫌っているから…」
マナに合わせて、セシールまでため息を吐いた。
何やら揉め事でも起こした経験があるのか、枢機院に苦手意識を抱いているようだった。
「人間関係って難しいんだよ」
「そのようだな。気の毒に」
少しも同情して無さそうな顔でセーレは言った。
何はともあれ、暇しているようなら再び権能の訓練でもさせるか。
そう考えて、セーレが一歩踏み出した。
その時だった。
「焼き払え『ジョルジュの聖剣』」
セーレが先程まで背を預けていた木が、跡形もなく蒸発した。
熱風を浴びながら振り返ったセーレに向かって、赤く燃え滾る剣が振り下ろされる。
「『転移』」
剣がセーレに触れる直前、セーレの姿は青白い粒子の中に消えた。
目標を失った剣から漏れる熱気が、粒子を蒸発させていく。
「『空間捕縛』」
「ッ!」
消えていく粒子が結合し、青白く半透明な箱を形成する。
剣を振り下ろしたままの襲撃者は、退避する暇を無くそれに捕縛された。
「さて、いきなり襲ってきた貴様は何者だ?」
「…ニコラウス=アルミュール」
襲撃者、ニコラウスは無表情のまま答えた。
その名に、呆然としていたマナとセシールが正気を取り戻す。
「使徒ニコラウス? どうして、こんなことを…」
「どうしてだと? 本気で言っているのか。この悪魔を斬ることに理由がいると?」
「それは…」
言葉に詰まるマナを見て、ニコラウスはその手に握る聖剣を振った。
光り輝く刀身から光の刃が放たれ、青白い箱に亀裂が入る。
「まあ、悪魔が聖都にいること自体は見逃しても良い。法王様も何か考えがあるのだろう」
ひび割れた箱が音を発てて壊れていく。
普段よりも脆い箱を見て、セーレは舌打ちをした。
(…やっぱり法王の影響で、力が落ちてやがるな。面倒臭え)
ニコラウスの眼は真っ直ぐセーレに向いていた。
燃え滾る聖剣を手に、殺意の込められた目で睨んでいる。
「だが、それが俺の従士に手を出したなら話は別だ」
「従士…?」
ニコラウスの声に、マナは首を傾げた。
「それって、クララのこと?」
ぴくり、とニコラウスの身体が反応する。
その手に握る業火よりも深い怒りを抑えるように、身体が震えていた。
「…知っていたか。そうだよ、俺の従士であるクララは死んだ! この聖都で! 悪魔に殺された!」
「なっ…!」
絶句するマナを余所に、聖剣が法力を解き放つ。
「権能『神の高潔』…焼き払え『ジョルジュの聖剣』」
剣の先端から灼熱の炎が放たれた。
それは竜の吐息。
使徒に与えられた権限を越えた地獄の中に、セーレの姿が消える。
その光景を見て、ニコラウスは残忍な笑みを浮かべた。
「せ、セーレ!」
「何だ、聖女様。近くにいるんだから大声出すな」
慌てて声を上げたマナの後ろで、セーレは退屈そうな表情を浮かべていた。
いつの間に転移して回避していたのか、その身体には僅かに粒子を纏っている。
無傷なセーレを見て、ニコラウスは大きく舌打ちをした。
「火力だけは認めるが、それ以外は素人だな。流石、七柱の中でも下から数えた方が早いレライハ相手に逃げ帰るだけのことはある」
「貴様…!」
「喧嘩は相手を見て売る物だぞ、クソガキ。大体、俺は貴様の従士なんぞ…」
呆れたように言っていたセーレは、途中で言葉を止めた。
怒り狂うニコラウスの握る聖剣から先程とは比べ物にならない法力が放たれていたからだ。
灼熱の聖剣が、黄金の光を放つ剣へと姿を変える。
「断ち切れ『ローランの聖剣 』」
バチッ、と周囲を光の爆発が包み込んだ。
あらゆる色が消え、セーレ達は視力を失う。
「俺の問いに答えろ」
数秒後、セーレが視力を取り戻した時には光の聖剣はセーレの喉に突き付けられていた。
眼前に見える聖剣の放つ法力にセーレは僅かに焦りを浮かべる。
「俺が正直に答えたとして、信じてくれるのか?」
「…昨夜、クララを殺したのはお前か?」
セーレの問いには答えず、ニコラウスは無表情で尋ねた。
「違う。俺に理由もなく人間を殺す趣味はねえ」
「………………」
ニコラウスは無言で握る聖剣へ目を向けた。
何の変化も無い聖剣をしばらく眺めた後、剣をセーレから放す。
「…どうやら、本当らしいな」
「あぁ? まさか、俺の言葉を信じたのか?」
「そうだと言っている」
聖剣を元に戻し、鞘に仕舞いながらニコラウスは言った。
その顔には先程までの怒気は宿っていない。
「我が剣の権能は『神の高潔』………高潔な聖剣はあらゆる不義を赦さない。俺の前で嘘をつけば、聖剣は怒りに震える」
「なるほど、便利な玩具を持ってるじゃねえか。それを常日頃握っている貴様はさぞかし正直な人間なんだろうな?」
セーレはそう言って皮肉気に笑う。
今の説明で聖剣の性質を全て理解したのだろう。
他者の不義を見抜けるメリットと、常に自身の不義を暴かれるデメリットを。
「まあ、俺のような善良な市民は嘘なんて一度も付いたことは無いがな」
笑いながらセーレがそう言った時、キィィン…と聖剣が音を発てた。
意思を持つかのようにカタカタと鞘が震えている。
「面白いな。マジで嘘に反応するのか。おーい、聖女様も試しに何か嘘ついてみろよ!」
「ちょ、ちょっとセーレ!」
その呑気な声にマナ達はようやく我に返る。
「えと、使徒ニコラウス? コイツはご存知の通り性格悪い悪魔ですが、多分クララさんのことは…」
セシールがよく分からないフォローを入れると、ニコラウスは毒気が抜かれたように息を吐いた。
「…分かっている。コイツは悪魔だが、クララ殺しには無関係なのだろう。こちらの勘違いだったようだ。すまなかったな」
「謝るなら俺に謝るのが筋ってものじゃないか?」
「セーレ! 丸く収まりそうなんだから、茶々を入れないで!」
そう言うマナに頬を引っ張られるセーレを、ニコラウスは珍しい物を見る様な目で見ていた。
悪魔を従えている使徒なんて何の冗談かと思ったが、存外手綱は握っているようだ。
聖都にいる悪魔としてクララ殺しの犯人として真っ先に疑ったが、本当に誤解だったのか。
(だとすれば、クララを殺したのは、やはり…)
「あの、使徒ニコラウス…」
一人考え込むニコラウスの様子を窺いながら、マナは尋ねた。
「本当に、クララが…?」
「…まだ一部の者しか知らないが、いずれ皆知ることになるだろう。アイツは、悪魔に呪い殺されたんだ」
悲痛に顔を歪めて、ニコラウスは拳を握り締める。
従士である幼馴染を失ったのだから、その悲しみは計り知れない。
「呪いとは穏やかじゃねえな。悪法か?」
「………」
「おいおい、こっちは勘違いで殺されかけたんだから、説明くらいしてくれたって罰は当たらねえぞ?」
襲撃されたこと自体は恨んでいないようだが、セーレは敢えて煽るような言い方をした。
ニコラウスの負い目に付け込んで情報を引き出そうとしているのだろう。
「毒矢だ。悪法の込められた毒矢が遺体に刺さっていた」
「矢だと? レライハの『黒い矢』じゃねえか。それで何で俺の仕業だと思ったんだよ」
「聖都にレライハと同じ悪魔が居て、無関係と思う方がおかしいだろう」
「ハッ、言われてみればそうか。こんなガキに飼われているので安全です、なんて言って簡単に信じる方が馬鹿だな」
自分のことになのに笑い飛ばすセーレ。
客観的に見て、自分がどれだけ奇妙な立場にいるのか理解したのだろう。
二人の会話に、マナとセシールは首を傾げた。
「セーレ、黒い矢って…?」
「それはな…」
「ああ、丁度良かった。皆さんお揃いで」
説明しようとしたセーレの言葉を別の声が遮った。
思わずその場にいた全ての者が、声の主を見つめる。
「大事な話があるので、聞いてもらえないでしょうか?」
そこには、オズワルドを連れた法王ヴェラが立っていた。




