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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
三章
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第五十四話


翌日、マナとセシールは宿舎にある食堂で朝食を取っていた。


「セシールは昨日、何していたの?」


小さなパンを指で千切りながらマナは隣のセシールに尋ねる。


結局、昨日はクララと別れた後も権能の練習を続け、セシールと会うことは無かったのだ。


「私ですか? いつも通り、法術の訓練です」


「ふーん。私と同じだね」


「実を言うと、古書店でバジリオと会いまして。指導を受けていたのですよ」


「え? 使徒コマンダンが?」


意外そうにマナは目を丸くした。


それも当然の反応だろう。


ソレーユ村での一件以来、再会していない為、マナの抱くバジリオの印象は以前のままなのだ。


マナの性格上、以前のことを恨んでいることは無いが、あまりこちらに良い感情を抱いていないと思っていたバジリオがセシールと打ち解けていることが意外だった。


「流石は腐っても英雄ですね。指導も指摘も全て的確でしたよ」


少しだけ嬉しそうに微笑みながらセシールは言った。


それを見て、マナの中で好奇心が沸き上がる。


「これから都合が付いた時に指導をして貰えるように約束もして…」


「へえー…」


にんまりとマナは楽しそうな笑みを浮かべた。


嫌な物を見たように、セシールの顔が引き攣る。


「…何ですか、マナ様。まるでセーレみたいな笑みを浮かべて」


「バジリオなんて、いつの間に呼び捨てで呼ぶほどに仲が良くなったの?」


「そ、それは彼がそう呼べと言ったからですよ。別に深い意味は…」


マナは悪童のように笑いながら、何度も頷いている。


もしかして自分を揶揄っているのだろうか、とセシールは戦慄した。


純粋無垢だったマナが若干俗に染まりつつあることに愕然とする。


「ま、マナ様? 何だか最近セーレの影響を受けていませんか?」


「そんなことないない。ぷくく…!」


「嗚呼、毒されておられる…! あの悪魔に毒されておられる…!」


セーレに似た笑みを浮かべるマナを見て、セシールは頭を抱えた。


ここにはいない例の悪魔を心から呪った。


「…そう言えば、話は変わるけどニコラウス=アルミュールって知ってる?」


「例の聖剣使いですか?」


「そうそう。その人の従士の子に昨日会ってね」


マナは言いながら、子犬のように可愛らしい少女を思い浮かべる。


「聖剣と言えば…『使徒シモン』の作品の一つですね」


ぽつり、と世間話のように呟いたセシールの言葉に、マナは首を傾げた。


「使徒シモンって………誰だっけ?」


「…マナ様。歴史の勉強はもう少し真面目にしましょうよ。言ってはなんですが、ケイナン教徒では常識中の常識ですよ?」


珍しく、マナを非難するようなジト目でセシールはマナを睨んだ。


「あはは…勉強はまだ少し苦手で」


恥ずかしそうに苦笑するマナ。


マナが三年前まで文字の読み書きさえ出来なかったのは知っているが、真面目で信心深いセシールとしてはそれくらい覚えていて貰いたかった。


マナと言い、バジリオと言い、セシールは憧れている相手に色々と口を出したくなるタイプだった。


「ね、ね、その人のこと教えてよ」


「…使徒シモンは賢者カナンの弟子の一人です。十人いた弟子の中で、一番最後の弟子と言われています」


何だかんだ言ってマナの世話を焼くのが楽しいのか、少し嬉しそうにセシールは説明を始める。


「彼は正確には使徒ではなく、賢者カナンの人柄に惹かれて弟子入りした賛同者なのです。だから十人の弟子の中で唯一、彼だけが権能を持っていなかった」


「へえ、今で言う従士みたいな感じなのかな?」


「そうですね。そもそも『法術』も権能を持たない使徒シモンが、悪魔と戦う為に編み出した術だと言われていますから」


権能とは違い、法術は学べば誰でも使える。


それは本来、使徒では無い者の為に作られた力なのだ。


「聖剣もそのように、使徒では無い者が使徒に並び立つ為に作られた武器だと言われています」


神に選ばれなかった者の中で、それでも奇跡を求めた者達。


力は無くとも、神の下で戦うことを選んだ者達。


それが今の従士となった。


「まあ、法術と違って聖剣は誰でも扱えると言う訳では無いようですが…」


「そうだよね。本とかでも、聖剣は意思を持って持ち主を選ぶと言うし」


「意思を持つかはともかく、聖剣が人を選ぶのは事実です。誰でも聖剣を抜ける訳じゃない」


ニコラウスはその聖剣に選ばれた希少な人物なのだろう。


何百と言う人間の中から選ばれた使徒。


それを本人がどう感じているかは別の話だが…








「オズワルド。オズワルドー」


「何ですか、急に子供のような声を出さないで下さい」


仕事をしていた手を止めて、オズワルドは変な声を出したヴェラを見る。


「小腹が空いたから、またお菓子作って」


「腹が空く訳無いでしょう。あなた使徒じゃないですか」


「そう言う無駄を愉しむのが人生と言うやつでしょうが。と言うか、それくらいの娯楽が無ければ四百年も生きられますか!」


ドン、と机を叩きながらヴェラは言った。


オズワルドは子供の相手をするように深いため息をつく。


「…アップルパイで良いですか?」


「良いですよー。オズワルドのアップルパイは絶品だし」


「………」


褒められて悪い気はしないのか、オズワルドは微妙に口元を歪めて部屋を出て行く。


普段と殆ど変わらないが、多分笑っていたのだろう。


オズワルドの足音が完全に聞こえなくなってから、ヴェラは息を吐く。


「…もう出てきても大丈夫ですよ?」


「ほう。いつから気付いていた?」


ヴェラの前の空間が歪み、そこからセーレが姿を現した。


「最初からですよ。聖都にいる限り、悪魔あなたの居場所は手に取るように分かりますから」


「流石は腐ってもカナンの弟子か」


「く、腐って無いですよ! まだピチピチです!」


ガタッと椅子を揺らして立ち上がりながら抗議するヴェラ。


他の子達ならともかく、殆ど同い年の彼にそんなことを言われる筋合いはない。


「それで何の用ですか。言っときますけど、大聖堂に侵入するなんて普通は大罪ですからね」


椅子に座り直し、机に肘をつきながら不機嫌そうにヴェラは言った。


ただでさえ枢機院にセーレのことを釘を刺されているのだ。


大聖堂の侵入を許したと知れば、どんなことを言われるか考えたくもない。


「百三十年前にゴモラで何があったのか。少し気になってな」


「………」


「今までは大して気にしていなかったが、実際にゴモラに出向いて興味を持った。しかも、貴様は傲慢と暴食が死んだと言う。一体あそこで何があった?」


絶大な力を誇るセーレであっても、あのゴモラの様子は異常に感じた。


ゴモラは七柱側の拠点だ。


だとすれば、破壊したのは使徒側と言うことになるが、あそこまで破壊し尽くす必要性を感じない。


人間はあまり破壊活動は好まないのではなかったのか。


「…それは言わないといけませんか?」


「俺は聖女様と手を組んで七柱を滅ぼすつもりだ。その手助けとなるかもしれない情報は進んで渡すべきじゃないか?」


「………はぁ。そうですね」


暗い表情を浮かべて、ヴェラは深いため息をついた。


どこか断罪を求める罪人のような眼でセーレを見つめる。


「全て私の不徳が招いた悲劇なんです」


重々しく、ヴェラは口を開いた。


「当時の私は悪魔への復讐に燃えていました。賢者カナンを殺した悪魔が許せず、幾度となく七柱と交戦を続けていました」


「昔の貴様は苛烈だったと聞いたな…」


「ええ。七柱の名を聞けば、どこへでも行き、目に付く悪魔も契約者も容赦なく殺し続けました」


今思えば、あの時の自分は狂っていたのだろうとヴェラは思う。


カナンの死から復讐に狂い、三百年以上も憎しみを抱いて戦い続けた。


「そんな時、一人の使徒が『ゴモラ』を見つけ出したと報告を受けたのです」


それからの行動など、語るまでもない。


復讐に燃えるヴェラは聖都中の戦力を集め、使徒の軍団を組織し、ゴモラを侵略した。


憤怒サマエル強欲セーレを除いた五体の悪魔は彼らと交戦し、百三十年前の聖戦が起きた。


「私が傲慢のレライハを滅ぼしたことで我々は勢いに乗り、戦いは終始我々が優勢でした…」


「………」


「あの怪物が現れるまでは」


「…暴食の『モラクス』か」


セーレはアンドラスですら持て余していた怪物を思い出す。


強いとは弱いではなく、アレは存在するだけで敵味方に被害をもたらす災厄だった。


「私が『それ』を見たのは一瞬だけ。次の瞬間にはそれの身体が爆発し、ゴモラは何もない土地になっていました」


「爆発? 悪法の暴走か?」


「恐らく。七柱側も想定外の出来事だったのでしょう。七柱達も重傷を受けた様子で撤退していくのが見えましたから」


七柱側の拠点を滅ぼしたので、歴史上は使徒側の勝利と刻まれている。


だが、共に連れてきた使徒を全て失い、逃げていく七柱の姿を見たヴェラの心に残ったのは絶望と後悔だけだった。


「私は、私の復讐の巻き添えにして多くの使徒を殺した大罪人です。だからこそ、その後の百三十年は聖都の防衛に腐心したのです」


ヴェラの権能は守護することで最大の効果を発揮する。


ヴェラは聖都から出るべきでは無かったのだ。


カナンの復讐に燃えるあまり、彼と同じ名を持つ土地を守ることを忘れていた。


「ふん…」


懺悔するようなヴェラの言葉に、セーレは興味が薄そうに鼻を鳴らした。


「…関係ないことまで話しましたね。すいません」


「全くだ。貴様は死んでしまった者のことよりも、生きている者のことを考えるべきだろう」


「…え?」


少し驚いたように目を見開くヴェラ。


「どうも人間と言うやつは死者に縛られる者が多すぎる。死者に懺悔など、自分も死んでからしろ。まだ生きているつもりなら、気にするべきなのは生者だろうが」


心底呆れたように、セーレは吐き捨てた。


「貴様はこれまで何の為に聖都を護り続けてきたんだ?」


「それは、賢者カナンから託されて…」


「違う。そんな昔の約束だけで四百年も続けられるか。貴様は今を生きる者達の為に聖都を護り続けてきたのだろうが」


ただカナンに託され、義務感で人々を護っていたなら、とうの昔にヴェラは心が折れていただろう。


それでもヴェラの心が折れなかったのは、聖都に住む人々が護るべき価値のある者ばかりだったから。


いずれ死に絶える命だとしても、ヴェラはその一つ一つを愛していた。


「あ…」


何度も思った。


何故自分だけが生き残ってしまったのか。


何故皆は自分を置いて行ってしまったのか。


自分にはもう何も残っていないと思っていた。


それは、大きな勘違いだった。


「セーレさん。あなたは、やっぱり…」


「法王様。手が塞がっているので、扉を開けて貰えませんか?」


部屋の外からオズワルドの声が聞こえた。


ヴェラは言いかけた言葉を止め、代わりに笑みを浮かべる。


「貴重な話を聞けた。感謝する」


「ええ、こちらこそ」


ぶっきらぼうな表情のまま、セーレは姿を消した。








「えーと、コレとコレと、あとコレも数が足りないな。今度仕入れておくか」


古書店にて、バジリオはメモを取りながら店内を歩いていた。


売れた本を確認し、次に仕入れる本を纏めているようだ。


すっかり、本屋の仕事が板についていることは本人に自覚は無い。


「使徒コマンダンが、落ちぶれたものですね」


「今はただのバジリオだ………って、お前は」


反射的にそう返し、バジリオは相手を見て訝し気な顔を浮かべた。


「こんにちは。バジリオ=コマンダン」


「ペラギア=アリストクラット…だったか? 枢機院の人間だな」


形だけ愛想の良い笑みを浮かべるペラギアに、バジリオは警戒を強める。


バジリオの観察眼が訴えていた。


目の前に立つ人物の底知れぬ悪意を。


「…何の用だ?」


「あなたも可哀想ですね。たった一度の失敗で、こんな窮屈な場所に閉じ込められて。あなたの輝かしい歴史など何も無かったかのように」


同情するようにペラギアはわざとらしく泣き真似をする。


「何が言いたいんだ?」


「いえ、あなたは現状に不満を抱いているのではないかと思いまして。従士を従えることも許されず、使徒として前線で戦うことが出来ない。この状況に」


「…だとしたら?」


「あなたの不満を私が解消してあげましょう」


ペラギアは笑みを浮かべた。


どす黒い悪意で濁った笑みだ。


「今の聖都に法王は必要ありません。戦うことをやめ、悪魔を滅ぼすことを諦めた腑抜けた王は邪魔者に過ぎない」


「…お前が法王に成り代わるつもりか?」


「ええ。私は法王とは違う。私が頂点に立った暁には、すぐにでも悪魔を滅ぼして見せます。全ての使徒を招集すれば不可能ではありません」


「………」


「まさかとは思いますが、あなたも悪魔を滅ぼすことを諦めたのでは無いですよね?」


ペラギアは挑発するように言った。


悪意に満ちた手でバジリオの心に触れる。


「あなたの従士達を殺した悪魔は、今も生きているのですよ?」


「ッ!」


ギリ、とバジリオの口から音が聞こえた。


触れられたくない所に触れられ、心が悲鳴を上げる。


「………良いだろう。お前に協力しよう」


「それでこそ、使徒コマンダンです」


ペラギアは満足げに笑った。

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