第五十三話
「はわぁ…マナさんと握手しちゃったぁ…」
「え、えーと…」
マナと握手した手を見ながら、嬉しそうに笑うクララにマナは思わずたじろぐ。
自称『ファン』だと言うクララとどう接すれば良いか迷っているようだ。
「こう言うのは百合娘の芸風だと思っていたんだけどな。ぷくく」
他人事だと思って、セーレは困っているマナを楽しそうに見ていた。
セシールの芸風とは何のことだろうか。
「あの、あなたは?」
「ああ!? す、すいません! お恥ずかしい所を…つい舞い上がってしまって」
ようやく正気に戻ったのか、わたわたと慌てながらクララは頭を下げた。
「私の名前はクララです!」
「…それは聞いたよ」
「ご、ごめんなさい!? えとえと、ケイナン教会の従士なんです!」
あがり症なのか、顔を赤らめながらクララは早口で言った。
「従士?」
「はい! ニコ君…じゃなかった。使徒ニコラウス=アルミュールさんの従士です!」
ビシッとクララは何故か敬礼した。
先程からの振る舞いから考えるに、とてもじゃないが従士には見えない。
それよりもマナはニコラウス、と言う名前に聞き覚えがあった。
「使徒ニコラウスと言うと、あの聖剣使いの?」
「そうです! 二年前に聖剣を抜いて使徒になった私の幼馴染です!」
「幼馴染なんだ」
マナの知る使徒ニコラウスは、マナより一年後輩の身でありながらも既に悪魔と何度も交戦している実力派の使徒。
権能が宿った剣『聖剣』に選ばれた存在であり、元々は辺境の村の出身だと言う。
クララはその村での幼馴染なのだろう。
「あれ? そう言えば、使徒ニコラウスは任務で外に出ているって聞いたけど?」
従士であるクララはついて行かなかったのだろうか、とマナは首を傾げる。
「私は役に立たないので置いて行かれました。いつものことです」
「………」
それって、従士に任命している意味があるのだろうか。
まあ、誰を従士に任命するかは使徒の自由だし、どう扱うかもそれぞれだが…
「私は主に帰ってきたニコ君の鎧の修理や聖剣の整備なんかをしています。中々帰って来ない時は他の悪魔の情報収集などを」
(何か、従士と言うより奥さんみたい…)
割と他人の恋愛話が好きなマナは二人の関係に興味を持った。
「もしかして、使徒ニコラウスとは恋人だったりする?」
「こ、恋人ですか!? 私とニコ君が? ち、違いますよー!?」
両手を振りながら真っ赤な顔で否定するクララ。
クララがニコラウスに対して好意を抱いていることは、色々と鈍感なマナでも分かった。
「羨ましいな。私、恋なんてしたことないから」
「そうだなぁ。聖女様は愛だの恋だの口にするには、少々悟りを開き過ぎているよなぁ」
「む。そんなこと無いよ。私だって、男の人を格好良いと思ったことくらいは…」
しみじみ言うセーレに反論しようとしたマナだったが、記憶を振り返ってもそんな経験は無かった。
恋愛話や恋愛小説は大好きだが、恋愛経験は皆無だった。
「良い機会だから恋の一つでもしてみろよ。貴様はもっと他人に興味を持つべきだ」
色欲を思い出す為にそう言う話題が好きではないセーレだが、マナが他人に興味を持つことには肯定的なようだった。
「百合娘とかどうだ?」
「セシールは友達だよ。と言うか、女の子だよ」
「って言っても、他に恋人候補なんていねえしな…」
そんなやり取りをする二人を、クララは不思議そうに眺めていた。
視線に気づき、マナは苦笑を浮かべる。
「ごめんね。こっちだけで話しちゃって…」
「いえ、それは良いのですが…」
ちらりと、クララは何かを期待するような眼でセーレを見た。
「ええと、そちらの方は恋人ですか?」
「へ?」
キョトンとした顔でマナは固まった。
僅かにその頬が赤く染まる。
誤解されて恥ずかしいような、嬉しいような、奇妙な気持ちを味わいながらセーレを見つめた。
「そんな訳ねえだろ。生憎と俺は女になんて興味ないね」
見つめるマナの視線を無視し、セーレは簡潔に言い切った。
真顔だった。
少しも照れる素振りが無かったのが、マナは少し不満だった。
「…セーレこそ、長生きし過ぎて枯れてるんじゃないの?」
「言うじゃねえか、この生娘。貴様、段々と口悪くなってきてないか?」
「だとしたらセーレの影響でーす」
不機嫌そうに口を尖らせる様子も、今までのマナとは少し違う。
本人も言うように、明らかにセーレの影響を受けていた。
それが悪影響と言うべきか、迷うところだが。
「やっぱり恋人なのでは?」
二人の会話を聞きながら改めてクララは思った。
「ところで、その聖剣使いはどんな任務に出ているんだ?」
「基本的には悪魔の討伐です。単騎で七柱と交戦できる使徒は少ないですから」
「ほう。単騎で七柱と戦えるのか…」
予想していたよりも実力が高かったことにセーレは笑みを浮かべた。
口には出さないが、マナのように利用することが出来ないか考えているのかもしれない。
「今回の任務は調査だけだったから、聖誕祭までには帰って来ると思いますけど…」
「聖誕祭?」
聞き慣れない言葉にセーレは首を傾げた。
「賢者カナンの誕生日のことだよ。聖都では毎年それを祝って、大きな祭典を開くの」
「ハッ、人間はそう言う祝い事が好きだな。まだ七柱も滅ぼしていないのに祝杯か」
それで興味を失ったようにセーレは失笑した。
「確か、三日後だったよね?」
「そうですね。予定では明日には帰って来るんです」
幼馴染に再会できるのが嬉しいのか、クララは満面の笑みを浮かべた。
「聖誕祭の時に会ったら、ニコ君のことも紹介しますね!」
「うん。その時は私の従士も紹介するよ」
「はい! それではまた!」
元気の良い声を出して、クララは去っていった。
素直で元気で、気持ちの良い子だったな、とそれを見送りながらマナは思った。
聖都周辺の深い森にて。
「それで、わざわざ私を聖都の外にまで連れてきた価値はあるのでしょうね」
赤を基調とした豪奢な服を纏った女、ペラギアは高慢な態度で相手に言った。
「ええ、当然です。きっと、このご報告を聞けばペラギア様もお喜びになるでしょう」
「ふん。最近は全然連絡が無かったから、私への恩を忘れて逃げたのかと思っていたわ」
「あなたからは法術を始めとする様々なことを教えて貰いました。このご恩は一生忘れませんとも」
(まあ、知識だけは豊富でも法力が無さ過ぎて本人にとっては宝の持ち腐れだったのでしょうけど)
慇懃な態度を取りながらも少女、サロメは心の中で嘲笑う。
実際、上位法術や聖櫃の情報など、ペラギアの知識は役に立った。
才能が無い本人はただ腐らせるばかりだったので、サロメが有効活用しようと思ったのだ。
「七柱とのパイプを入手しました」
「ッ! それは本当なのですか!」
「本当ですよ。そして、既に嫉妬のアンドラスとも話はついています」
歓喜と不安が混ざった表情を浮かべたペラギアに、サロメは大きく頷いて答える。
「話? 何のことですか?」
「決まっているでしょう。法王の暗殺ですよ」
当然のことのようにサロメはあっさりと言った。
ケイナン教徒にとって、最も禁忌とされることを容易く口にした。
「…!」
「おや? どうしたのですか? ペラギア様は常々、あのヴェロニカ=アポートルが居なくなればいいと言っていたではありませんか」
顔に恐怖の色が浮かぶペラギアにサロメは言う。
追放は望んでいても、暗殺は考えていなかったのか。
それともケイナン教徒として、禁忌を侵すことを恐れているのか。
(どちらにせよ、意志薄弱な愚物ですね)
「大丈夫ですよ。七柱にとっても、法王は邪魔な存在。彼らの力を借りれば簡単に暗殺できます」
「それでも、法王は神に選ばれた最初の使徒なのですよ。それを手にかけてしまったら、神の怒りを買ってしまうのでは?」
「…神を恐れているのですか」
悪魔と取引を望んだ人間が何と女々しい。
サロメは冷めた目でペラギアを見つめた。
「ペラギア様。神なんてこの世に存在しないんですよ」
「…何を言っているの?」
「この『世界』を作ったのは確かに神でしょうが、その神にはもう『世界』に干渉するだけの力は残されていないのです」
天罰は下らない。
救いは齎さない。
何故なら、既に神は人間に干渉する力を失っているから。
それはこの世界に住む人間にとって死んでいるのと何も変わらない。
「使徒の選定に神の意志は介入しない。でなければ、使徒の子孫であるペラギア様が権能を授からない筈が無いでしょう」
サロメは薄ら笑みを浮かべながら唆す。
(神は人を救わない。『あの時』だって、私の声は聞き届けられなかった)
どす黒い感情がサロメの心を染め上げる。
何もかも放り出して全て壊したい衝動に駆られるが、それを理性で抑え付けた。
「…何も恐れることは無いんですよ。この世界は既に我々の物だ。決して、神の物ではない」




