第四十五話
聖都の襲撃から始まったセシール=トリステス誘拐事件から一週間が過ぎた。
バフォメットによって破壊された聖都も今では元の姿を取り戻している。
誘拐されたセシールもマナとセーレにより助け出された。
何より、怠惰のシャックスを倒したことは人類にとって大きな進歩だ。
「それで一件落着、とはならないのよね」
大聖堂の自室にて、ヴェラは憂鬱そうに呟いた。
七柱の内、一体を倒したことは良いが、その代償にテレジアと言う使徒が犠牲になった。
使徒は希少だ。
いずれ人類の内からまた新しい使徒が生まれるとは言え、それがいつになるかは神にしか分からない。
その一人をみすみす失ってしまったことはケイナン教会の痛手である。
「…痛手、か。知らない仲でも無い子達が死んだと言うのに、我ながら薄情ですね」
ヴェラとしてではなく、法王として教会の損失だけ考えている自分に、自嘲気味に笑う。
賢者カナンが死んでから、四百年。
法王として人類を護り続けてきた。
いつからだろうか。
彼らの死を悲しめなくなったのは、
命ある人々を、どこか自分とは違う生き物のように感じるようになったのは、
いや、違う生き物になったのは…自分の方か。
「…あー、仕事ばっかりしていると暗い気持ちになるから駄目ね。無理やり店番任せたバジリオさんが上手くやっているか心配だし、顔を出しに行こうかしら」
「法王様。今、よろしいですか?」
「あ、オズワルド。丁度良かった、私そろそろ休憩に…」
ノックしながら聞こえた声に、ヴェラは机の上を片付けながらそう答えた。
「いえ、お客様が見えております」
オズワルドの言葉にヴェラは訝し気な表情を浮かべる。
「客? んー、予定には無い筈ですけど…」
「ペラギア=アリストクラット様です」
「…そうですか。では、入って貰って」
その名前を聞き、ヴェラの表情がやや固くなった。
ヴェラはケイナン教会の法王。
例え使徒であろうと、本来はこんな急に押し掛ける様な真似は出来ない。
相手が使徒を超える程の権力を持たない限りは…
「お久しぶりでございます。法王様」
そう言って深々と礼をしたのは、甘い香水を漂わせた女だった。
年齢は辛うじて二十代と言った所で、艶のある黒い髪を持つ。
態度こそ丁寧だが、その眼はぎらぎらと燃えており、強い意志と野心を感じる。
ヴェラの赤の修道服に似た赤を基調とした豪奢な服に身を包み、手は全ての指に金の指輪を付けている。
とにかく贅の限りを尽くした風貌であり、使っている金銭なら法王であるヴェラ以上かもしれない。
「久しぶりですね、ペラギアさん。また綺麗になったんじゃないかしら?」
「いえいえ、あなた様ほどでは…」
控えめに笑いながら、ペラギアはヴェラの顔を見た。
「何せ、私は使徒ではありませんので。年老いていくばかりですよ」
口調こそ穏やかだが、その眼は一切笑っていなかった。
どこか暗い妄執のような物が込められた言葉を吐きながら、ペラギアは作り笑みを浮かべる。
「…それで、私には何の用かしら?」
その感情に気付きながらも、ヴェラはそれを無視して言った。
「いえ、先日のバフォメットによる襲撃で法王様がお怪我をなされていないかと心配しまして」
「そう? 心配してくれてありがとう。私は大丈夫ですよ」
「しかし、バフォメットのような低級悪魔に侵入されるとは、法王様も最近お疲れなのでは?」
気遣うような言葉でありながら、ペラギアの眼は違う言葉を語っていた。
法王の護る聖都が低級悪魔如きに侵入されたことを非難しているのだ。
「ご無理をなさる前に、我々を頼って下さい。『枢機院』はあなたを補佐する為に存在するのですから」
「ええ、そうですね。頼りにしています」
「それと、悪魔セーレをいつまで野放しにするおつもりですか? 法王様には何か深い考えが御有りのようですが、彼が問題を起こしてからでは遅いですよ?」
慇懃無礼に笑いながらペラギアは言った。
「賢者カナンの聖誕祭も近いです。不穏な芽は先に摘んでおくべきかと」
「ふふ、ありがとう。全く、あなたの言う通りですね」
明らかにヴェラを敵視するようなペラギアの態度に気分を害することなく、ヴェラは笑った。
まるで反抗期の娘を見る様な優しい眼で見つめられ、ペラギアは露骨に顔を歪める。
それすら気にすることなく、ヴェラは微笑ましく笑いながら近くの棚から箱を取った。
「昨日クッキーを貰ったんだけど、一緒に食べませんか?」
「…ッ」
呑気にクッキーを差し出すヴェラを見て、ペラギアは思わず舌打ちしたくなった。
子供扱いされている。
そのことがペラギアのプライドを酷く傷つけた。
「…いえ、仕事が溜まっているので失礼します」
無表情でそう言うと、ペラギアはいそいそと部屋から出て行った。
それを見送りながら、ヴェラは取り出したクッキーを齧る。
「あの子も昔はもっと素直で可愛かったのにな…」
悲し気にため息をつくヴェラ。
枢機院。
それは法王の相談役である者達だ。
その権力は使徒以上であり、法王に次ぐ権力を持つ。
何故なら、彼らは賢者カナンの十人の弟子…その末裔だからだ。
「枢機院の者達は、使徒に鬱屈した思いを抱いていますからね」
伝説の使徒の子孫だからと言って、必ず使徒になるとは限らない。
四百年の間に枢機院から使徒の力は失われており、現在では過去の栄光に縋る集団に過ぎない。
「枢機院はあなたは法王の座から蹴落とそうと企んでいます。処分しないのですか?」
「………」
法王の身を案じる様なオズワルドの言葉に、ヴェラは何も答えなかった。
「セシール、今日は古書店に行かない?」
「そうですね。ヴェラ様に聞きたいこともありますし」
「…ヴェラ様? セシール、ヴェラさんのことまで様付けで呼んでたっけ?」
訝し気な表情を浮かべたマナに、ギクッとセシールは震えた。
ヴェラが法王であることを知っているのはセシールだけなのだ。
また、その件は法王直々にマナには秘密にするように厳命されていた。
「そ、そうですよ。私はただの従士ですので、使徒のヴェラ様には礼儀を尽くさないと」
「ふーん。前から思っていたけど、本当にセシールは真面目だね」
深く考えなかったのか、マナは強く追及しなかった。
マナが鈍感だったことに安堵するべきか、人を疑うことを知らないことに心配するべきか悩むところだ。
「…そう言えば、サロメってマナ様の妹だったんですよね」
「うん、そうだよ」
マナは嬉しいような悲しいような複雑な表情を浮かべた。
先日再会したサロメの言葉を思い出しているのだろう。
「一年前に悪魔に殺されたって聞いてたんだ。その時、私は聖都にいたから詳しくは知らないんだけど」
「…それが生きていた、と」
「そうなんだけど、何で…」
何で今まで生きていることを教えてくれなかったのか、とマナの顔に書いてあった。
何故、悪魔と共に行動しているのか。
何故、マナを憎んでいるのか。
サロメに関しては分からないことが多すぎる。
「サロメの居場所が分からない以上、別の方向から調べてみるしか無いんじゃないですか?」
「別の方向って?」
「その一年前の事件ですよ。その時に村を襲った悪魔がどんな奴かとか、本当にサロメが殺される所が目撃されたのかとか」
「………」
言われて、マナは一年前の事件について何も知らないことに気付いた。
聖都からエノクに駆け付けた時には既に葬儀すら済んでおり、遺体の確認すらしなかった。
今までは痛ましい出来事として思い出したくも無かったが、あの事件には嘘があった。
エノクにある墓石の下には、サロメの遺体は埋まっていなかったのだ。
「聖都で調べてみても良いですけど、直接エノクに行った方が早いかもしれませんよ」
「そうだね。出来れば、エノクに…」
「話は聞かせて貰った!」
その時、マナの抱える鞄の中から青白い粒子が噴き出した。
手品のように粒子の中から現れたセーレが妙なポーズを決めながら、二人の前に立つ。
「エノクにはこの俺が転移してやろうではないか。しかも、今回の代金は無料だ!」
「本当ですか!」
「…え」
素直に感激するマナとは対照的に、セシールは不審そうにセーレを見た。
「今度は何を企んでいるんだ。お前」
「企むとは心外だな。俺が心を入れ替えたとは思わないのか?」
「はぁ?」
ますます胡散臭そうにセシールは言った。
「まあ、貴様らに施された治療の借りを返すと思えばいい。安心しろ、今回は魂は奪わん」
そう言って、セーレは敢えて怪しい笑みを浮かべた。
何か企んでいるのは丸わかりだが、本人の言うように不当に魂を奪うことなどはないだろう。
「………」
「…まだ信じられないか。信じて貰えないって悲しいねぇ。聖女様、二人だけで行こうぜ」
「ちょ、ちょっと待て! それだけは認めないぞ!」
わざとらしく泣き真似をしたセーレの肩を慌ててセシールが掴んだ。
それにニヤリと笑って、セーレはマナの手も掴む。
「では用意は良いな…『転移』」




