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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
第二章
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第四十四話


「はぁ…はぁ…はぁ…! ギリギリだったな」


荒い息を吐きながらセーレは周囲を見渡す。


転移は無事成功したようで、そこは既に聖都だった。


「…あと一秒遅かったら、首を落とされていた」


アンドラスの最後の攻撃を思い出し、セーレは思わず自分の首を撫でた。


薄皮一枚切られた首から、僅かに血が滲んでいる。


直接会ったのはもう百年以上前のことだが、相変わらず化物だった。


本来、サマエルを除き対等である筈の七柱がアンドラスに従っているのは、彼女の力が七柱でも群を抜いているからだ。


自信家であるセーレであっても、アンドラスに勝てるとは思えない。


「セーレ!」


苦い表情を浮かべているセーレの背後からマナの声が聞こえた。


心配そうな表情を浮かべているマナとセシールを見て、ようやく落ち着くことが出来た。


「聖女様。手助け、感謝するぜ。お陰で転移の時間が稼げた」


コレで貸し借りはチャラで良いだろう、と呑気にセーレは笑う。


「そんなことより! セーレの身体、ボロボロじゃない!」


「あ?」


言われてセーレは自分の身体を見下ろす。


アンドラスの魔弾を受けたことで、服も体も穴だらけになっていた。


矢の雨を浴びても、ここまで酷いことにはならないだろう。


「気にすんな。この程度、放っておけば治る」


傷の具合といい、出血量といい、人間であれば致命傷だが、セーレは悪魔だ。


この程度の傷、しばらく自己回復に集中すればすぐに治る。


「気にするに、決まってるよ…!」


マナはそう言いながら、セーレに手を翳した。


洗礼の章(バテーム)展開。効果があるか分からないけど…」


陽だまりのような温かい光が、セーレの身体を包む。


対人用の法術だが、悪魔にも効果があったのか、少しずつ傷は小さくなっていく。


「よ、良かった。効果は、あるみたいだね」


額の汗を拭いながら、マナは法術を放ち続ける。


「マナ様。あまり無理をされては…」


「無理なんてしていないよ…!」


心配そうに声をかけたセシールにマナは怒ったように叫んだ。


そんな珍しい姿にセーレは訝し気な表情を浮かべる。


「おい、余計なことはしなくていい。悪魔はこの程度で死んだりしねえ」


「…それでも『痛い』ことには変わりないでしょう」


マナの声が震えていた。


訳が分からず、セーレはマナの顔を睨む。


「全身をズタズタにされて、私なんかじゃ想像も出来ないくらい痛かった筈だよ………悪魔にだって、人間と同じ『痛み』がある筈だよ…」


マナはボロボロと涙を流していた。


重傷を負ったセーレを見て、悲しんでいた。


「…本気で言っているのか?」


「ぐすっ…何が?」


「……………」


セーレは思わず言葉を失う。


今までに多くの人間と契約してきた。


魂を対価として、色々な人間に力を貸してきた。


奴隷のように、道具のように、尽くした。


だが、一度としてそんな感情を向けられたことは無かった。


「…セシール?」


「治癒法術は苦手ですが…」


マナの横から、セシールも同じように手を翳した。


その手からマナより少し弱い光が放たれる。


「…言われてみれば、そうですね。悪魔であっても、痛みはあるに決まっている」


マナに言われて、セシールは初めてそれに気付いた。


悪魔は人類の敵であり、滅ぼすべき存在。


そう学ばされるケイナン教徒だからこそ、悪魔に『痛み』があるとは思わなかった。


それが普通だ、とセーレは思った。


悪魔は人の形をしているが、本質は人間とは違う生き物だ。


腹に穴が空こうと、自然に塞がる。


手足が捥げようと、簡単に繋がる。


そんな生き物を前に、涙を流すことがおかしいのだ。


(おかしい筈、なんだがな…)


セーレは、無償の善意と言う物が嫌いだ。


施しを与えることも、受けることも大嫌いだ。


そうである筈なのに、何故か拒絶の言葉が出なかった。








「私の邪魔をしたわね?」


セーレ達に逃げられたアンドラスは、青い箱を力づくで破壊しながらそう言った。


「何の話かな? ドラスちゃん」


「惚けるな。私が羽根を放った時、魔弾を放って邪魔をしたでしょう」


最後に放った一撃。


アレはギリギリでセーレの首を断ち切る筈だった。


そうならなかったのは偶然ではなく、傍観者に徹していたこの男が邪魔をしたからだ。


アンドラスから見えない角度から一発の魔弾を放ち、羽根の勢いを弱めた。


セーレを助けたのだ。


「何のことかさっぱり分からないけど、無暗に兄弟を殺すのは良くないよ。殺さずに済んだなら、もう今回はそれで良いじゃない?」


「…それを貴方が言うの。シャックスを見殺しにしておきながら」


シュトリの近くで死んでいるシャックスへ目を向け、アンドラスは責めるように言った。


「彼女は幸せに逝ったよ。君だって、彼女の苦しみをどうにかしたいと言っていたじゃないか」


「ふん。私はどうにかして彼女が魂喰いを躊躇わないように教育しようとしていたのよ。使徒共を殺すには戦力が足りないから」


そう言いながらも、アンドラスの眼には僅かに悲しみが宿っていた。


本拠地ソドムからシャックスを追放してから、多少気にかけていたのかも知れない。


「ドラスちゃん…」


「…さっきから思っていたけど、変なあだ名で呼ぶのはやめて。私はアンドラスよ」


「それじゃ………姉さん?」


「間違っていないけど、ビジュアル的に違和感が凄いからやめなさい」


呆れたようにアンドラスは息を吐いた。


実年齢的には合っているが、アンドラスの外見年齢は二十代後半くらいなので、四十代半ばくらいに見えるシュトリに姉呼ばわりされるのは気味が悪い。


そう言えば、先程と潰した使徒ムシも年上に見える弟を連れていたな、と何となく思い出す。


「ところで、さっき言っていた紹介したい者と言うのは?」


「ああ、彼女なら…もうそこにいるよ」


シュトリが指さす方を見ると、額に包帯を巻いた少女が立っていた。


「はじめまして。私はサロメと申します」


幼い顔に似合わない冷たい知性を感じさせる笑みを浮かべて、サロメは言った。


途端、アンドラスの表情は不機嫌になる。


「人間? シュトリ、どうして人間をここに?」


「我輩と契約したのだよ。セシールを我輩の下に連れてくる対価に、君に紹介すると言う契約をね」


「…なるほど。私はこんな虫けらの為に、ここへ呼ばれたと言う訳ね」


殺意すら浮かべながらアンドラスはサロメを睨んだ。


「紹介するまでが契約だとするなら、コレで契約は履行した。なら、この場で私がこの虫を潰しても、文句は無いわよね…!」


ギチギチとアンドラスは爪を鳴らす。


シュトリすら身を固くする殺気を浴びせられながらも、サロメは表情を変えなかった。


そのことを不審に思い、アンドラスは一旦手を下ろした。


「アンドラス様。私と取引して貰えませんか?」


それを見ていたのか、サロメは簡潔に呟いた。


「私は人間であり、上位法術も使えます。協力者となれば、役に立てることも多いと思いますが」


「ふ、ふふ…何を言い出すかと思えば、私が虫けらと手を組むと思うの?」


「ええ。あなたは合理主義です。メリットがあるなら、人間を利用することも躊躇わないでしょう」


「そうね。私にメリットがあるなら考えないことも無いけど…」


不快な虫も、使徒を滅ぼす上で役に立つのなら生かしておいてやっても良い。


当然、目的を果たした後は真っ先に潰してやるつもりだが。


そんなアンドラスの考えすらも見透かしたように、サロメは笑った。


冷ややかな笑みを浮かべ、その小さな口を開く。


「私は『聖櫃』の在り処を知っています」


「―――――」


それを聞いた時、アンドラスの顔から表情が消える。


弱い風が吹いた次の瞬間には、アンドラスの爪がサロメの首に突き付けられていた。


「どこでそれを知った」


無表情のまま、アンドラスは尋ねる。


今にもその首を切り落としそうな殺意を噴き出しながら、サロメを睨み付けている。


「私は人間ですからね。悪魔に厳しいケイナン教徒も、同族には口が軽くなると言う物ですよ」


サロメは嘲るような笑みを浮かべた。


「キャハハ…どうです? 私って、役に立つと思いませんか?」


「取引と言ったわね。ならば、貴女は私達に何を望むのかしら?」


「…復讐」


悪魔のように嗜虐的な笑みを浮かべてサロメは言った。


その言葉に、アンドラスはぴくりと反応する。


「私は姉さんに復讐したい。アイツが、苦しんで死ぬ様をこの目で見たい。私の望みはそれだけですよ」


「肉親を殺す為に悪魔に寝返るか。やっぱり、人間は醜悪ね」


「その通り。そんな救いようのない生き物は、この世界から滅びるべきなんですよ」


アンドラスとサロメは同じような笑みを浮かべた。


人間嫌いのアンドラスがこんな笑みを浮かべるのは珍しいが、サロメの性根を気に入ったのだろう。


人間でありながら人類を滅ぼすことに何ら躊躇いが無い、その悪魔染みた本性を。


「うーわ。凄く楽しそうな笑み浮かべながら、物騒なこと話しているよ…」


意気投合する二人を眺めながら、シュトリは不安そうに呟いた。








「…何の用だ?」


聖都の古書店にて、店番をしていたバジリオは不機嫌そうに呟いた。


「破門されてから落ち込んでいるかと思えば、案外元気そうだな」


書店を訪れたオズワルドは、旧友の様子に安心したように言う。


「世間話は結構だ。オズワルド、用件を言え」


本来は大聖堂で四六時中法王の補佐をしている筈の男がこんな所にいる。


薄々用件の内容は理解していたが、バジリオは自分からは口に出さなかった。


「…セシール=トリステスが無事救出された。セーレも、マナ=グラースも帰還した」


そう言うと、オズワルドは一枚の銀貨を手渡した。


「セーレが持ち帰った物だ」


「………」


その記念銀貨には、所持者の名前が刻まれていた。


『テレジア=フレール』と。


「…マナ=グラースの話では、嫉妬のアンドラスに殺害されたらしい」


「アンドラス…」


それは、バジリオにとっても因縁深い名前だった。


何故なら、十年前にシュバリエを壊滅させた悪魔もアンドラスだからだ。


十年前と同じく、今回もアンドラスはバジリオの仲間を殺した。


「…だから僕は言ったんだ。実力差も分からずに馬鹿なことを…」


若く未熟な奴ほど、生き急ぐ。


使命感なんぞに酔って、死に急ぐ。


残される者のことなど、考えもせずに…


「自業自得と言うやつだよ。七柱なんかに手を出すからだ!」


自分に言い聞かせるようにバジリオは叫んだ。


「…本当に、そう思っているのか?」


「ッ!」


オズワルドの言葉にバジリオは黙る。


テレジアは言っていた、バジリオの教えを守ると。


使徒とは、弱い人々を守らなければならない、と。


「………」


勝ち目のない戦いなど、するべきではない。


仲間を失ってまで生き残ったのだから、無駄死にすることは許されない。


そう言い訳して、一体どれだけの間、戦いから離れていた。


どこまで臆病になっていた。


(…馬鹿なのは)


シュバリエは身を守る為に作ったんじゃない。


大勢の人々を守る為に作ったんだ。


シュバリエがいなくても、たった一人でも、行動するべきだったのではないか。


(…馬鹿なのは、僕だった)

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