第四十話
「セシールちゃんは何歳なの?」
「…今年で十九歳。あと、ちゃん付けはやめろ」
警戒したように距離を取りながらセシールは馴れ馴れしいシャックスに言った。
「十九歳なんだ。私も、多分それくらいかな?」
「…?」
自分の姿を見渡した後、そう呟くシャックスにセシールは首を傾げた。
シャックスは七柱の悪魔だ。
年齢は五百年近くであり、そんな若い筈がないが…
「あ、ごめんね。私、変だよね………自分のことは何も分からないんだ」
「分からない? 悪魔なのに?」
「悪魔?」
セシールの言葉に、シャックスは不思議そうに首を傾げる。
「悪魔って何? 人間とは違うの?」
「…何を言っているんだ?」
セシールは本気で、シャックスの言っている意味が分からなかった。
目の前にいるのは五百年前から人類と戦い続けた七柱の悪魔。
その一体である怠惰のシャックスの筈だ。
「そっか、私は悪魔だったんだ。人間と違うと思ったよ」
そう言って納得したように頷く姿は、嘘をついているようには見えない。
悲し気に自分の足…蜘蛛の足を眺めている。
「だから皆、友達になってはくれなかったのかな…」
「…お前は、今まで人間の魂を食べて来たんじゃないのか?」
「…? 何で友達を食べるの?」
言っている意味が分からない、と言いたげにシャックスは首を傾げる。
「私はそんなことしないよ。お腹が空いたこともないし」
「お腹が、空かない…」
言葉を繰り返しながら、セシールは教会で習ったことを思い出す。
悪魔には空腹の概念は無い。
悪魔が魂を食べるのは、人間の知性を奪う為。
悪魔にとって食事とは、魂に含まれる知性や記憶を取り込むこと。
「本当に、一度も人間の魂を食べたことないのか?」
「む。しつこいな。私はそんな酷いことしたことないよ」
逆に言えば、
魂を食べずにいれば、知性は劣化していくと言うこと。
例えば、精神力が低下し、言動や性格が幼児化してしまう。
例えば、記憶力が低下し、昔のことや自分のことを忘れてしまう。
(この悪魔は…)
七柱に数えられる悪魔でありながら、人間を友達であると思い、魂を食べなかった。
それ故に、どれだけ知性が劣化して自分が何者なのかすら忘れても、信条を曲げなかった。
「私の話はもういいでしょう? 今度はあなたのことを聞かせてよ」
一見、怪物染みた姿をしているが、シャックスは酷く痩せていた。
もう何年もまともな食事を口にしていない孤児のように、弱っていた。
「セシールは普段は何しているの?」
「えと、私はマナ様に仕える従士だ。ケイナン教会の…」
「従士? ケイナン教会? そのマナ様ってどんな人?」
本当に何も知らないのか、シャックスは無邪気に一つ一つ尋ねる。
「…マナ様は私の恩人だ。半魔だから誰にも選ばれず、自棄になっていた私を選んでくれた。私を必要としてくれた唯一の人物だ」
懐かしむように目を細めながら、セシールは笑みを浮かべた。
マナが二人の出会いを大切な思い出としているように、セシールもマナとの出会いを大切に思っていた。
その出自故に、白い眼で見られていたセシール。
どれだけ努力しても誰からも必要とされない日々。
そんな中で、マナに声をかけられたことがどれだけの救いとなったか。
自分の出自を聞いても一切気にせず、今までの努力を褒めてくれたことがどれだけ嬉しかったか。
「…羨ましいな。私も、そんな友達が欲しい」
セシールの言葉を聞き、シャックスは思わず呟く。
「あ、いや。私も友達くらいいるんだよ? 蜘蛛さんだって、蟻くんだって、おじ様だって友達だよ?」
(シュトリは蜘蛛や蟻と同格なのか…)
慌てたようなシャックスに、内心突っ込むセシール。
悪気は無いのだろうが、シュトリが聞いたらショックを受けそうだ。
「だけど、女の子の友達とかいなかったから…」
そう言って、シャックスはしょんぼりと肩を落とす。
「今まで人間がここへ迷い込むことも何度かあったんだ。でも、みんな私を見た途端に逃げていくか、寝ている間にいなくなっちゃって…」
「………」
それは仕方ないことだろう、とセシールは思う。
半人半虫のシャックスは異形だ。
同じ悪魔でもセシールのように人化している訳でもない。
例え性格がどれだけ善良でも、それでは人間には受け入れられないだろう。
(シュトリが私とシャックスを引き合わせたのは、半魔の私なら彼女を受け入れると思ったから…?)
悪魔の血を引きながら、人間の心を持つ。
ある意味、似たような存在であるからこそ受け入れることが出来ると思ったのか。
「…何?」
その時、シャックスは遠くへ目を向けた。
薄暗い為、セシールには何も見えないが、ここに住んでいるシャックスは夜目が効くのかもしれない。
「誰か来たみたい。おじ様じゃない」
「人間が?」
「一人はそうだけど、もう一人は、何か違うような…」
人間と人間じゃない二人組?
(まさか…)
「セシール! そこにいるのー?」
聞き覚えのある少女の声を聞き、セシールは表情を綻ばせた。
「マナ様!」
「あ、声がした! セーレ、どこにいるか分からないの!」
「無茶言うな、俺はフクロウじゃないんだよ。これだけ暗いと流石に…」
困ったような声の後、暗闇の中で青白い粒子が光った。
それで足場を照らしながら、二人は段々とセシールに近付いてくる。
「やっと見つけた…って、セシール! 後ろ!」
「後ろって………あ」
驚いた表情でセシールを後ろを見るマナに、納得したように頷いた。
シャックスはキョトンとした表情を浮かべているが、確かに外見は恐ろしい。
「この子はシャックスです。悪魔ですけど、害のある子では…」
誤解を解こうとセシールはマナを宥める。
同じ七柱で恐らく知人であろうセーレの方が話は早いだろう、とセーレの方へ目を向けた。
「…シャックスか。聖女様は、あんまり近付くなよ」
何故か、セーレは警戒したような眼でシャックスを見ていた。
まるで怪物から庇うかのように、マナを背に隠している。
何でそんな態度を取るのか、セシールは首を傾げた。
「シャックス? お前は、セーレと知り合いでは無いのか?」
「―――」
「………シャックス?」
セシールの言葉に、シャックスは答えなかった。
シャックスは無言で、マナを見つめている。
今まで表情豊かだったのが嘘のように、その顔は無表情だった。
様子がおかしい。
「―――来た。来た。来た。人間が来た。シャックスに会いに来た」
どこか焦点の合わない目をしながら、シャックスが呟く。
「お喋りしてみたい。外の世界の話が聞きたい。遊んでみたい。友達になりたい」
それと共に、暗い色をしていたシャックスの髪が、真っ白に染まる。
「ああ、でも、どうしてだろう…」
シャックスの瞼が重くなり、虚ろな目が段々と閉じていく。
「凄く、眠い…」
その眼が完全に閉じた瞬間、シャックスの白い髪が爆発するように周囲に放たれた。
暗闇でも光る白い髪は、まるで蜘蛛の糸のように伸び、瓦礫塗れの地面を走る。
「それに触れるな!」
「ッ! 箱舟の章。第三節展開!」
鋭いセーレの声を聞き、セシールは反射的に法術を発動させた。
展開したのは対衝撃用障壁だ。
物理攻撃を弾く見えない壁は、迫っていた白い糸を全て防ぐことに成功した。
「チッ、餌を見て発狂しやがったか。だからコイツは嫌いなんだよ」
青白い粒子で糸を切断しながら、セーレは舌打ちをした。
「ど、どういうことだ! シャックスは一体、どうしたんだ!」
「あ? 何だ、知らない内にコイツに情でも移ったのか?」
シャックスを心配するようなセシールの顔を不思議に思いながらも、セーレは淡々と告げる。
「コイツは元々正気じゃねえよ。二百年くらい前から、ずっとこんな感じだ」
「どういう意味…?」
「コイツはな。悪魔のくせに人間の魂を喰わなかった。百年も、二百年も、魂を喰わなかった」
感情を含めず、セーレは事実のみを確認するように言う。
隣で驚いているマナはともかく、それは既にセシールの知っていることだ。
だからこそ、セシールはシャックスが害のない悪魔であると判断したのだ。
「魂を喰わなければ知性は劣化する。記憶を失い、精神は単純化し、やがて亡霊に堕ちる」
「ァァァァァァァー!」
眼を閉じたまま、シャックスは叫び声を上げた。
まるで知性の無い獣のように、意味もない言葉を叫んでいた。
「アレは既に半分以上亡霊化している。最早、アレの知性は狂人と変わらない。同族の前では辛うじて人格を保てるが、人間を見れば正気を失う」
「そん、な…」
シャックスは言っていた。
ここへ迷い込んだ者はシャックスを見た途端に逃げていくか、シャックスが『寝ている間』にいなくなってしまうと。
それはきっと、正気を失ったシャックスが無意識の内に人間を襲っていたのだろう。
シャックスの人格が眠っている間に、シャックスは友達を殺し、その魂を喰らっていたのだ。
「ァァァァァァァー!」
シャックスは叫ぶ。
それはまるで、慟哭や悲鳴のように聞こえた。




