第三十九話
「皆、前を見て下さい」
砦の全体が見えるほどの距離まで近づいた所で、マナは足を止めた。
壊れかけの砦まではあと少しだが、その直前に障害がある。
地割れだ。
どれだけ大きな破壊がこの場で行われたのか、砦を囲むように大地が割れている。
崖の下は深く、暗い闇が広がっていた。
落ちたら、無事で済みそうにない。
「セーレ。向こう側に転移することは出来る?」
「厳しいな。目視できる距離まで行けば、転移出来るんだが」
「それじゃ、空を飛んだりとかは?」
以前、本性を現したシュトリを思い出しながらマナは尋ねる。
巨大な山羊の怪物になったシュトリはひとっ飛びで長距離を跳んでいた。
多少の期待を込めて見るマナに、セーレは呆れたような眼を向ける。
「俺に翼があるように見えるか?」
「………」
「…何だそのガッカリしたような顔は。俺にだって出来ないことはある」
拗ねたように言いながら、セーレはテレジアの方を向いた。
「翼と言えば、貴様はあの光の翼で飛んだり出来ないのか?」
「実態の無い光だから、鳥のように羽搏くことは出来ないわ………それより、アレ!」
テレジアは近くに見える崖を指差した。
皆がテレジアの指差す方向へ注目する。
「…橋だな」
「石橋、だね」
「ええ、立派な石橋です」
「不自然な程に、立派な石橋ですね」
口々に皆が言った。
それはひび割れた大地に架かった石橋だった。
丁度、こちら側と砦を結ぶように架かる立派な石橋。
破壊され、老朽化した物ばかり並ぶゴモラに於いて違和感を覚える程に真新しい橋だ。
どう見ても、罠にしか見えない。
「何やっているの。早く行くわよ!」
それに一人違和感を感じていないのか、意気揚々とテレジアは先に進む。
彼女の弟達は慌ててそれを追いかけた。
「どう思う?」
「周囲に逃げ場のない橋の上。敵からすれば、格好の的だな」
十中八九、罠だと理解しながらもセーレは落ち着いた様子でテレジアの後を追う。
「…仮に仕掛けて来るとしたら、橋を半ば渡り切った後半からか。引き返すには前に進み過ぎた辺りから攻撃するのが一番良い」
橋の前半地点で攻撃すれば、引き返してしまうかもしれない。
だから、攻撃を仕掛けるならあと少しで橋を渡り切るような後半地点だろうとセーレは予想する。
来た道を戻るには遠すぎる為、一方的に攻撃をされようと前に進むしかない地点だ。
セーレがシュトリの立場ならそうする。
「だが、橋を半分まで進めば向こう側は目視できる」
「…! そうか、転移で」
「そう。半分まで橋を渡り、奇襲を受ける前に転移で向こう側に移る」
石橋へ足をかけながら、セーレは言った。
前で何やら口論している三姉弟へと歩いていく。
「貴様も俺から離れるなよ。向こう側が目視できれば、すぐに転移するぞ」
「う、うん」
ちょこちょことその後を追いかけながらマナは頷いた。
それを一瞥すると、セーレは再び前を向く。
「…少し気になっていたんだが、貴様はあの娘が半魔であることを前から知っていたのか?」
「セシールのこと? うん。初めて会った時には本人から聞いていたよ」
「どうして、半魔の娘を従士に選んだんだ?」
マナは悪魔に親を殺された。
悪魔を憎んでいてもおかしくない境遇のマナが、どうしてセシールを従士に選ぶことが出来たのか。
純粋な疑問だった。
「…深い理由は無いよ。ただ、歳が一番近かったから声をかけたんだ」
一年前、セシールに初めて出会った時のことを思い出しながらマナは懐かしそうな笑みを浮かべる。
「そしたら、セシールに逆にフラれちゃってさ…『私のような半魔は、あなたのような聖女様の従士に相応しくない』って」
「やたら貴様を神聖視するのは初対面からか」
「あんまり私のことを持ち上げるから私言ってあげたの。私、文字が読めないのって」
それを教えた時のセシールの顔は見物だった。
雲の上の存在、神に選ばれた聖女だと思っていた相手が賢者カナンの伝記すら読めない、と知った時は言葉を失う程に固まっていた。
元々は田舎娘に過ぎないマナは、二年かけてようやく権能を制御出来た程度で勉強は全然出来なかった。
失望するやらショックを受けたセシールは生来の面倒見の良さを発揮して、マナに勉強を教えた。
半魔と蔑まれ、人一倍努力していたセシールは頭が良く、人に教えるのも上手だった。
やがて、マナが読み書きが出来るようになった頃には二人は無二の親友となっていた。
「私は初めて会った時からセシールの世話になってばかりなの。だから、セシールが困った時は絶対に助けてみせる」
「…ふむ。大事な物が出来るのは良いことだな。皆が大切と言わず、個人に執着することは人間の証だ」
少しだけ嬉しそうにセーレは言った。
「差別とは悪ではない。平等こそ唾棄すべきことだ。他者を差別するからこそ、真に大切な者が生まれる」
「…セーレ?」
「あの娘が大切だと言うなら、何よりも優先しろよ。どうでもいい『他人』を助けることに夢中になって目を離すんじゃないぞ」
どこかいつもとは違う雰囲気でセーレは言う。
それはまるで、歪みを抱えているマナを諭すような言葉だった。
「ほらー! 私の言った通り、罠なんかじゃなかったじゃない!」
何か言葉を返そうとしたマナを遮るように、テレジアが何事か叫んだ。
見れば、もう橋を半ばまで進んだ所で何やら騒いでいる。
「全く、あまり前に行き過ぎるなよ。転移する時、置いていくぞ」
「そんなこと言わないでよ…」
セーレの言葉に苦笑しながら、マナは石橋の欄干に触れる。
不自然なくらい立派な橋には、真新しい欄干も付けられていた。
「それにしても悪魔って凄いな。こんな立派な橋を、どうやって………」
感心したように欄干に触れていたマナは、ふと口を閉じる。
真新しい石橋。
それを作ったのは、シュトリだろう。
そして、シュトリの悪法と言えば…
サッ、とマナの顔が青ざめた。
「ッ! せ、セーレ! まだ転移は出来ないの!」
「あぁ? まあ、もう少し近付けば目視できる距離に…」
「い、急いで! 早く走って!」
セーレの手を掴んだマナが慌てた様子で走り出す。
眼を白黒とさせたままセーレはそれに続く。
その声を聞いて、前にいるテレジア達も気付いたようだった。
「橋が崩れる…!」
瞬間、石橋が消滅した。
まるで初めから幻だったかのように、跡形もなく石橋が姿を消したのだ。
「なっ…!?」
橋の上にいた全ての者が虚空に投げ出される。
足場を失った者達が重力に引かれ、深い闇へと落ちていく。
「くそっ! そう言うことか! あの橋は…!」
ようやく状況を理解したセーレが悔し気に叫ぶ。
一瞬、落ちていく老朽化した橋の残骸を見た。
あの橋は、既に崩れた橋だったのだ。
それをシュトリの悪法で修復し、真新しい橋に見せかけていた。
そして、今悪法を解き、橋を元に戻した。
橋を渡っていたマナ達を突き落とす為に。
(チッ、まだ向こう側までは距離があるな…)
「魔性よ。集え!」
マナの手を握ったまま、セーレは反対側の手に魔性を纏わせる。
「魔弾!」
セーレの手から巨大な黒い弾丸が放たれる。
後方へそれを放つことで、セーレの身体は逆に空中で前へと進んだ。
「セーレ! テレジアさん達は…!」
青白い粒子を生み出し、転移しようとするセーレにマナが悲鳴を上げる。
「わ、私達のことは気にしないでー! 法術を使えば何とかなると思うからー! 多分、きっと…!」
「そこは断言して貰わないと怖いのですが、姉上!?」
空中で光に包まれながら落ちていくテレジア達。
それを一瞥してからセーレは悪法を発動させた。
「『転移』」
青白い粒子に包まれた次の瞬間には、二人の身体は大地に投げ出されていた。
急いでマナが振り返るが、既にテレジア達の姿はどこにもなかった。
「先へ進むぞ。心配するな、奴も使徒だ。落下の衝撃を和らげる法術くらい習得しているだろう」
「………うん」
「貴様は自分の目的を果たせ、あの娘と妹を連れて帰るんだろうが」
そう会話をしながら二人は砦の中へ入っていく。
半ば崩れた砦は、中もボロボロであり、人の住んでいる形跡は残っていなかった。
「上の階へ行く階段は全て壊れているが…」
チラッとセーレは下へ目を向ける。
上の階へ行くほどに破壊が激しいが、地下へ進む階段だけは殆ど無傷だった。
「…足跡」
マナが瓦礫を避けるように続いている足跡を指差す。
誰の物かまでは分からないが、誰かが地下に出入りしていることだけは確かだ。
「行ってみるか」
そう言って、二人はゆっくりと階段を降りて行った。
「予定と違いますね」
それを眺めていたサロメは隣に立つ男にそう告げた。
「当初の予定では、全員通してセシールを救援。容赦なく悪魔が殺される姿を見せつけることで彼女に不信感を抱かせる計画でしたが?」
サロメは淡々と告げる。
元々この一連の出来事は、セシールにケイナン教会に不信感を抱かせる計画だった。
幼い少女の姿をした悪魔を攻撃する使徒達を見せることで、悪魔に苛烈な使徒に恐怖を抱かせる。
無理やり誘拐するだけでは意味が無い。
心まで悪魔側に傾けるべきだ、とサロメが考案した悪辣な計画だ。
「我輩には我輩の考えがあるんだよ。サロメちゃん」
「…そうですか。まあ、私は私の『報酬』が貰えればそれで構いませんが」
セシール誘拐事件は、サロメの望みではない。
サロメがシュトリに対価として要求したのは、別の物だ。
「大丈夫。そちらは既に払ってあるさ」
そう言ってシュトリは意味深な笑みを浮かべた。




